只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日もカブ大根の苗植えです。

2016-10-15 11:01:03 | 日記
じゃがいもを収穫したあと、ほったらかしにしていたら
いつの間にかまた葉が繁ってきました。笑




【万が一、急ぐときは急ぐのです。普段は今、今、今淡々と
しているのです。淡々は穏やかにということですね。】


私(思考)の気に入ったことを無視されると
とても嫌になってくるのです。

また、認められない、褒められない、相手にされない、
非難されることにも嫌悪感があります。
つまり私(思考)の存在価値がまったくないという通告でもあります。

また逆に注目される、認められる、褒められる、仲良くされる、
同情されると私(思考)は天に昇るがごとく快いものです。(爆笑)

そもそも、そうなることを私(思考)は願っているのですが、
どこまでいってもそんなことは有り得ないのです。
ですから苦悩になってくるのです。

ではどうすればいいか?
例えば、褒められる褒められないを頭の中から
放り出し“空っぽ”にすれば何の問題は起きません。

褒められるのは善い、褒められないのは悪いという
思考癖を落とせば“お気楽”になってきます。

お金があるお金が無い、お金があると良い
お金が無いと困るも同じことで、思考が固く握っていることで、
その癖を切り捨てて無くせば“お気楽”になってきます。

溜め込んだ無視されるのは悪い、注目されるのは善い。
相手にされないのは悪い、相手にされるのは善い。
仲良しは良い仲が悪い、仲良くしなければならない。
認められるは良い認められないのは悪い、
認められるよう努力しなければならない。

これらのすべては「思い」でまったく実体はありません。
ですからこの思考癖を落とすと、これらは記憶からなくなります。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・それが今の真実の道を明らかにしてくれるのです。…前回まで

  『解脱の法門は、見るままに任せておく。他の見聞覚知も同様です。
   是れが坐禅修行 の大切な要点ですが、そのための着眼点に
  気が付くまでは何が何だか訳の分からない坐禅に終始します
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
実践は見たまま、聞いたままで他には何もしません。
何もしないことを努力するのです。

空から浮かん念をスルーするだけで、想念に繋がないのです。
見たものをあれは何かな?と考えないことです。
聞いた子供の泣き声を「なぜ泣いているのだろう?」としないことです。

事実は目に入ったとおりです。
鼓膜が受けたとおりです。

このように何もしないことを“只、実践”するだけです。
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