只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

気楽なことはいいことです。笑

2017-04-24 09:07:00 | 日記

すべて音は自然であるのです。

ですから“”にて瞬間に生じて消えていくだけですね。

ある物と物がぶつかりあって生じるもので
その他には何もありません。

耳のご不自由な方は音は聞こえません。
ですから音がしても音が無いのです。

また音がしていても、何かに没頭している自体、
私(思考)と音はありません。

没頭しているのはそれひとつに成りきっているのです。
このときが“真の自分”で自然です。

意識で人間業界を眺めてみますと、完全なる相対世界と
わかります。

善くも無く、悪くも無い、そのままが本当の世界ですが、
私(思考)の世界は喜びが有り、苦しみがあるという
幻想の世界ですね。

ある出来事が発生すると悪として批判するとします。

しかし、その批判を「それは偏った見方だ」と
また批判するものが現れます。

またその批判を「なぜ偏った見方だとするのか?」と
また批判します。(笑)

正解の“無いのが真実”ですから、この人間業界は
どこまで行っても切りが無いのです。

事実にそんなものは何も無いから、出来事は出来事で
終りです。

批判しても、比較してもどうすることもできない出来事は
出来事であって、そのとき始まって終わりです。
今この瞬間”です。

厳密に言うと“今この瞬間は無思考”で真実です。

批判、比較するのは後付けで「思考自我」です。
またそのとき始まって終わったのをぶり返すのが
「思考自我」です。

事実を覆い隠すのが自我で思考です。
同じ事ですが事実をわからなくするのが「思考自我」です。

ではどうするのか?
どうにもならないからどうもしないのです。
今、今と思考入れず只、淡々とやっていくのです。
やることがないなら何もしないことです。

空から浮かんだ念に取り付かず“只、淡々”と
やっていくのです。

それが“只なる実践”の持続です。
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