只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

私(思考) は、穏やかな安らぎのある生き方にブレーキをかけるのです。

2018-02-14 09:08:02 | 日記
例えば、「りんごはりんごである」、それ以上でも
それ以下でもないのです。

厳密に言えば“それはそれ、これはこれ”ということですね。

噴火した山を見て、「いつかは爆発すると思っていたが、
とうとう噴火したか~」は「思考自我」と言うことです。

事実は、『噴火した山』であり“それはそれ、これはこれ”ということです。

ですから、余計なことをいうのが私(思考)であり
「幻想」です。

このことを“自覚”にもっていくのが、“只なる実践”の
持続です。

この“自覚”が無いと、私(自我)から言い様に振り回され、
私(思考)が苦悩に陥るというパターンを永遠に
繰り返します。

これはほとんどの人が経験し、そこから抜け出されない状態に
なっているということですね。

これが嫌で苦しくて、なんとか抜け出したい“”が
起こるのが始まりということです。

しかしご承知のとおり、この世界での解決に向かおうと
する私(思考)では、考えても考えてもグルグル回るだけの
エンドレスで止まる所がないということです。

この“只なる実践”は、私(自我)を忘じ切るための
“実践”ですから、思考を用いないで“只、やる!”
いうことです。

繰り返し述べていますが、私とか僕と言う実体はありません。
すなわち実体は無く「幻想」ですので、これと離れない
以上は心配、迷い、不安、苦悩、恐れになると
いうことですね。

しかしこれらの事実は、文字であり線であり描いて
あるものであって“何でも無い”のです。

頭脳がこの“何でも無い”ものを、何かで在るように
創作するのです。

ですから“何でも無い”ものに脅え苦しむように
なっているのです。(笑)
  
勿論、何か危ないときは回避するよう行動するのです。
しかしこれらのことを、私(思考)はわからないとか、
反発するから「無知」ということです。

そのために“只なる実践”を“行じていく”のです。


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