只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

目を閉じた時、何も浮かばないのが実践です。

2017-10-20 08:29:52 | 日記

会社の実績を上げようと皆で努力します。

また、個人の実績を上げ給料をたくさん貰おうと
頑張ります。

一時的にはそれでいいのですが、長く続くことは
不可能とわかっています。

しかし、それがわからないのが私(自我)なのですね。

ですから一生懸命にそれに向かって努力するのです。

それが悪いことでも善いということでもありませんが、
身体を壊してまでも、また人間関系を不味くしてまでも
私(自我)が主流になるのです。

これがわからないから、また執着があるから、
願望が在るから問題が起きてくるのです。

実績は実績であって他は何も無いのです。
皆があるいは個人が努力した結果が実績です。
不運にも災害が起きたりした時の結果も実績です。
不況に見舞われた時の結果も実績です。

その時の結果が実績であって、
実績に良かったも悪かったも“無い”のですね。

「いや、あるよ~」と来るのは、決まって私(思考)です。

私(思考)は、何でも“無い”ものを「在る」ように創作するのです。

それが癖になっていて、ほとんどのことはわからないように
しているのです。
ですから私(思考)を忘ずることが肝心の道ということになるのです。

私(自我)を忘じた結果、私は自我である、私は思考である、
私は幻想であるとわかるのです。

そして“真の自分”は、わかることのない“今この瞬間”
無思考であるとわかって来るのです。

でも、すぐ出て来るのが私(思考)で、「そんなの説明に
なってない!」となり、その真実を覆い隠すのですね。(笑)

しかしそのベールも次第に剥がされていくのが、
弛まぬ“只なる実践”の持続ということです。

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