只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

常に“今”を離さないようにするのが“実践”です。

2017-11-13 09:20:26 | 日記
前回の流れで、「私が立つから、相手が立つ」のです。

また逆に“私(思考)がいなかったら相手もいない”と
いうことですね。

心がざわつくときは、私(自我)が相手と睨みあってる状態
です。

そして相撲を取り始めたら、もう回りは見えなくなり
勝つことに必死になるのです。(笑)

しかし相手に勝っても負けても、一喜一憂となり
“スッキリ”とはならないのです。
   
ですから、それは因縁として残り奥に閉じ込められて
しまうのです。

それが、事あるごとに蒸し返される「思い込み」という
厄介なものですね。

これらをすべてやっているのが、自分としている私(自我)
です。

唯一“今の、真の自分”には、これらは“何も無い”ので
お気楽状態とも言えるのです。

頭の中に閉じ込めている、様々な不純物が無いから
空っぽ”とも言えるのです。

また、生きて行く上で大切な純真さはそのままですから、
困る事など“何も無い”のです。

それが、その通りとなれば“絶対安心”と成り、
生きるも死ぬも無く、自然にお任せになるのですね。

そこに永遠に落ち着くため、弛まぬ“只なる実践”の
持続です。