花の思い出は宝物です

2017年07月17日 | 日々のこと
 先日から夜目をつぶると、子供の頃見た「野の花」が思い出されます。

 牛馬を飼っていた時代は草刈り場があって、日常人の手が入っていた草原がありました。子供の足で1時間はかかったと思います。八風山のふうきっばらと呼んでいました。

 春そこに「フデリンドウ」や「アズマギク」が群生していました。ワラビがいっぱい採れましたから、小学生になった頃から年に何回か採りにいったものです。
 その途中でサクラソウの小さな群生地も見ることができました。林道の両側には目の覚めるような山吹が咲いていました。

 そして7月下旬になると、野山は花の季節を迎えます。

 8月1日がお墓参りの日でした。その2日前に子供たちは、籠を背負って野山に花採りに行ったものでした。

 花の王様はなんといっても「百合」でした。白や赤の百合は目立ちますので、山の中腹に咲いているのが見えると、一直線に登って行くのです。

 オミナエシ・桔梗・クサレダマ・トラノオ・野花菖蒲・フジグロセンノウ・みそはぎ・キスゲ・ナデシコ・赤ショウマ等々名前の知らないお花がいっぱいでした。

 この日が1年で一番楽しい日でもありました。

 山蕗を採りに山に入った時、山肌一面のアヤメの群生を見たことがあります。小学校の2年の時のことです。そのボリュウムに圧倒されて、しばらく立ち尽くしていた記憶があります。

 夏休みが終わる頃、山の分校の庭から、向かいの山が一面黄色になっているのが見えました。オミナエシの群生です。その頃植林が始まっていましたが、まだ幼木だったから、草花が咲けたのでしょう。

 野おだまきは私の好きな花のひとつです。開拓地に向かう下道を入って香坂川の橋を渡って、2枚目の田んぼの土手にその花はいつもあったのでした。 大人になって訪れた時、そこがコンクリートの土止めになっていました。もうおだまきだけでなく、草も生えていませんでした。

 秋になると、ふうきっばらには一面にマツムシソウが咲いていました。

 あそこに行ったら「あの花」「この花」が見えるという、私の宝物の場所もどんどん減ってきました。

 中学生になって、中学校の西側の草地に「オキナグサ」が群生しているのを発見しました。最初「黒百合」かと思いました。

 それがいつしか分譲地になって消えました。川を挟んだ対岸にも最初はあったのですが、もうそれも見ることができませんでした。

 長野牧場の土手に咲いていた、たつた1株の野アヤメも、道路の付け替えにより、土手がコナクリートに代わり消えました。

 東側の道端の土手に何株か見えたオミナエシもこの頃みかけません。

 軽井沢のお花が消えてしまった話を聞いて・・・・・私の子供時代にはまだ軽井沢で群生地があったのでしょうが、自分の足で行けるはずもなく見ることはありませんでした。

 今それがとても残念です。

 花の思い出は私の宝物です。

 40年ほど前、お稽古していたお茶の流派のお茶花の展覧会がありました。お花は霧ヶ峰高原のお花を許可をいただいて採取したと聞いた記憶があります。

 そのお茶花が今でも忘れられません。私の活けるお花の原点はここで見たお茶花かもしれません。

 大分前のことでしたが、大同生命の発行している冊子 ワン・アワーで「花ごよみ365日」雨宮ゆかさんの本が紹介されました。

 そこに書かれた雨宮さんの言葉が、私の琴線に触れました。まったく私の気持ちそのものでした。

 このワン・アワーのアンケートにお答えすると、ご本がいただけるのです。実は過去に2度いや3度もいただいているので、この頃は遠慮させていただいていたのですが、今回私の熱意を書いて送りましたら、またいただいてしまいました。

 とっても幸せです。

 誕生日のプレゼントをいただいた気分です。どうもありがとうございました。

                        依田 美恵子
    軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


【 中島木材のホームページは こちら



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