俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

向上心(続・晩年)

2016-10-16 10:48:49 | Weblog
 私は決して明朗快活な人間ではない。陰鬱とまでは言わないがかなり悲観的なほうだ。性格的には悲観的であっても行動面では楽観性を重視するから外見上は明るい。これまではそんな生き方をして来た。向上心の強さがあったからそれが可能だった。高い向上心を満たすためには積極的であらねばならない。しかし向上心は諸刃の剣だ。目指すべき目標があれば積極的になれるが目標を失うと途端に糸の切れた凧のように失速する。その点、私は目標設定が巧みだった。目標を二段構え・三段構えにすることによって常に積極的な生き方を選んだ。
 水泳の例が分かり易い。35歳頃までは泳ぎたい時に泳いでいれば良かった。ところが加齢に伴う体力低下によってそれでは不充分になった。夏になってから俄か仕込みで鍛えても基礎体力が備わる前にシーズンが終わってしまう。これでは気軽に楽しく泳げる期間が無くなる。そこでシーズンオフには屋内の温水プールで泳ぐようにした。退職後は時間的にも余裕が生まれたから毎日泳ぐようにした。この間、全く無理をしていない。ゆっくりと泳ぐから距離を増やしても負担増にはならなかった。
 最初のレベルダウンは里帰りをしてから起こった。環境の変化のために気力が萎えて長く泳げなくなった。この難局に対して私はやはり現実的に対応した。それまで最低2㎞だった目標値を1㎞に減らした上でそれ以上については「体調およびプールの込み具合次第」という何とも温い目標を定めた。こんな目標なら毎日続けても負担にならない。その後、癌を発病して体重が20㎏以上減ってからは一気に「50m以上」にまで目標値を下げた。こうやって常に現実的な目標を設定することによって向上心を満たし続けた。劣化を遅らせるということは充分に向上心を満たす。
 現在私は生き方に悩んでいる。退職後は老春を楽しむことを目標として80歳ぐらいまでのんびり生きれば良いと考えていたが癌によって台無しになってしまった。15年計画を1年計画に短縮することは不可能でありしかも不治の病という全く想定外のハンディまで背負うことになった。目標を再構築しなければ糸の切れた凧になってしまう。
 ここ数か月は病状が不安定だったために病気に振り回されていた。目標値の切り下げなら可能だが目標設定さえできないほど不安定な状況であれば意思に基づいて目標を立てそれを達成することなど到底できない。病状さえ安定すればたとえ低レベルではあっても意思に基づいて計画してその実現へと邁進することができる。
 ニーチェの根本思想であるDer Wille zur Machtを私は向上心に近いものと考えている。主体性を持って現在可能な範囲内での向上を目指すことはたとえ余命1年の病人であっても可能なことだ。残された1年間で可能なことと不可能なことに仕分けして不可能なことはあっさりと諦めて可能なことに絞り込んだ生き方に構築し直せばそれなりに充実した生き方が可能になる。可能なこと以上を望むべきではないしできないことを目標に定めても徒労に終わって虚しいだけだ。理想も目標も現実的であるべきだ。
 しかしこの新たな目標設定には大きな難点がある。ゴールが近過ぎるしいつゴールに到着するのか全く分からないことだ。癌による突然死は殆んど無いのでその点は少しだけマシだが、ゴールが近くにありながらそれが分からないというレースは精神を少なからず不安定にさせる。
 
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