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映画「 ダゲレオタイプの女 」 感想

2016-10-29 16:18:48 | 映画
黒沢清監督作のフランス映画ということで、「ダゲレオタイプの女」を観に行きました。

ネタばれがあります。


写真家の助手の仕事を得た青年・ジャンは、パリ郊外の古びた屋敷で働くこととなる。
モデルを動かぬよう器具で固定するダゲレオタイプでの撮影にこだわる写真家・ステファンは、屋敷のアトリエで、娘・マリーの等身大の写真を撮り続けている。
長時間拘束器具に固定されることを強いられるマリーは、父から離れ自立する人生を夢見ている。
ジャンと親しくなり、父から離れて暮らす決意をするマリーだが、そこへ悲劇が起こる。
というストーリーです。

とにかく、マリーの儚げな美しさが印象的です。
じっと相手を見つめるシーンなど、ずっと微妙に瞳が揺れているのですが、演技なのでしょうか。
この不安定感が、とても気になりました。
現代の若者らしい普段着での可愛らしさに、写真撮影時の古風なドレスでの美しさ、どちらも良いです。

ジャン役のタハール・ラヒムは、インタビュー記事などの写真だと男前に見えますが、映画では何処にでもいそうな今時の若者という感じで、男前な印象はありませんでした。
雑誌の記事で「聖闘士星矢」のファンということを知り、なんとなく親近感が湧きますが。

古びた屋敷は、やはり不穏な雰囲気で、不安感を煽ります。
屋敷の前が、広大な更地で工事中というのも、街から疎外されたような、廃れた空間のようなイメージを感じます。
黒沢清作品という感じですが。

とは言え、思った程の恐怖描写はありませんでした。
不穏な気配が漂い、たまに驚く描写もあり、幽霊も出てきますが、あまりホラーとは感じませんでした。
ジャンとマリーの悲恋の物語という要素が大きいと思います。

中盤、マリーは不慮の死を遂げたと思われます。
しかし、ジャンの前にはマリーは存在しており、ジャンはマリーを父親の元から連れ出し、逃避行の先で永遠の愛を誓います。

ラストは、やはりマリーはこの世に存在していないとわかりますが、マリーが存在しているかのように話をするジャンの姿は、異様ながら、悲哀も感じます。

マリーの姿はジャンの妄想で、ジャンは狂ってしまったようにも見えます。
ジャンと二人きりの空間でマリーは姿を現していたので。

しかし、父親を説得するため屋敷に戻った時、マリーが一人で庭を歩く場面があったので、ジャンがいない空間でもマリーは存在している、幽霊として存在しているということでしょうか。

ジャンはマリーの幽霊に取り憑かれてしまったのか、幽霊であろうと存在しているマリーと愛し合っているのか。
生死の境目が曖昧な、不可思議な感覚になります。

生きていると思っていたのが、実は死んでいたパターンは、ままあると思いますが、死んだことは伏せておき、最後に驚愕の事実という感じで死んでいたと判明する、という流れになると思います。
しかし、この作品は、死んでるよな、でも普通に暮らしてるしどうなの?、やっぱり死んでたのか…、という、妙な不可思議な感じです。

やはり、マリー演じるコンスタンス・ルソーの絶妙な存在感が、幽霊かどうか曖昧な、不可思議な雰囲気を成り立たせていると思われます。
暗闇からぼんやりと姿を現す場面や、薄暗い部屋の隅で下着姿でじっと立っている場面など、この世のものではないような、しかしやはり実在しているような、不安な儚い佇まいが、映像的にもとても印象的でした。
 
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