なかちゃんの断腸亭日常

作家永井荷風の日記文学「断腸亭日乗」を模してこのタイトルに。歴史、文学を中心に史跡、城跡、古戦場などを訪ねています。

古事記の山歩き(1)~船通山(2017 7 16)

2017年09月16日 | 登山

『さて、遠ざけられ追われたスサノヲは、出雲の国の肥の河のほとり、名は鳥髪というところに降りてきたのじゃった。』(口語訳古事記神代編・三浦佑之訳)


 奥出雲の船通山はスサノヲノミコトが降臨した山。古来「鳥上(髪)山」とも呼ばれている。肥の河は現在の斐伊川のことで、標高1142mの船通山を源流としている。斐伊川は全長153km、奥出雲の山間を蛇行しつつ宍道湖に流れ込んでいる。しかし古代では島根半島西方の日本海に流れ、本流を西から東方向へと変更した大工事は江戸期になされたようだ。

 登山口は島根県側から2本、鳥取県側から1本あり、私は由緒ある島根側の鳥上コースをたどってみた。春の頂上はカタクリが咲き乱れ、開花時には多くの登山者で賑わうようだ。小さな駐車場はすでに満杯、身支度を終えたパーティが次々と登っていく。


 斐伊川の渓流沿いの道は、ブナなどの広葉樹林で囲まれ、清流の水音が耳にやさしい。樹間から朝の陽光が射しこみ、あたり一面を緑一色に染めている。道は古道だけあってよく整備され、自然石の石畳がいにしえの歴史を語っている。下界は30度を超えているが、涼しい登山道は本当に気持ちがよい。
 30分ほどで鳥上滝に着いた。道の左手にあり、大きな一枚岩の上から流れ落ちている。


 ヤマタノオロチが棲息していたと云われるこの滝は、思いのほか、その規模に迫力がない。水量は少なく高さも10mに満たない。古事記はオロチの姿をこう表現する。
『その目はアカカガシのごとくに赤く燃えて、体一つに八つの頭と八つの尾があります。また、その体にはコケやヒノキやスギが生え、その長さは谷を八つ、山の尾根を八つも渡るほどに大きく、その腹を見ると、あちこちただれていつも血を垂らしております。』

 八つの山や尾根を渡るほどの大きな図体のオロチが、どのように棲息していたのだろうか?体を幾重にも巻いて棲んでいたのだろうか?それとも、まだサンショウウオのような稚魚のころに棲息していたのだろうか?
 いづれにしろ、オロチの生き血は乾いた喉をうるおしてくれた。

 さらに渓流沿いの道を右に左に登っていく。きびしい急登の箇所もなく、所々に咲くヤマアジサイが目を楽しませてくれる。
 そのうち登山道は沢から離れ、徐々に木々の高さも低くなっていく。折れ曲がりの少ない道を登りきると、木道の敷かれた分岐点に出た。亀石コースからの道と合流し、ブナの原生林が特に美しい。除草の行き届いた平坦地は、まるで街の公園のようだ。


 最後の坂を登りきると頂上に出た。登山口からちょうど一時間、一気に視界が開け広い草原が広がる。青い空と緑の草原、まるでゴルフ場にでもいるかのような解放感だ。涼しい風がちょうどいい。猛暑の下界とうって変わって、まさにここが天空の高天原(たかまがはら)だ。
 たくさんの登山者が展望を楽しみ、思い思いに昼食や写真をとっている。草原の一番高い所には、出雲の山らしく鳥居や祠、そして槍のような細長い石碑が建っている。長い碑はスサノヲがオロチを退治した際、尾から出てきた「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」を表現しているらしい。



 360度の展望は素晴らしい。出雲の山すべてが一望でき、背後の中国山地の奥深さにも感動する。一番贅沢なのが、山陰の名峰・東の大山と西の三瓶山(さんべさん)が同時に遠望できることだ。出雲風土記では大山を火神岳(ひのかみだけ)と云い、三瓶山を佐比売山(さひめやま)と云う。有名な国引き神話は、この二峰を綱の杭として島根半島を引き寄せたとある。そんな壮大な国土創世神話は、ひょっとしてこの頂に立って発想されたのかもしれない。
 船通山の1142mという標高は決して高くない。でも奥出雲には厳しい冬がある。日本海から吹き付ける寒風と降雪量の多い環境が、どこか高山性の山の雰囲気をつくっている。


 スサノヲノミコトは大蛇を退治したあと約束のクシナダヒメを手に入れる。その後、宮を建てたくさんの神々を生み、その血統は出雲の大王・オオクニヌシへと継承されていく。アマテラスの弟・スサノヲが鳥髪に降臨し、その子孫のオオクニヌシが出雲を治めたという神話は、何を意味しているのだろうか?出雲の国もおおもとでは天皇家の血筋だと、古事記は主張しているのだろうか?
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