那加教会 「最新情報」

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神の栄光を現し、神を喜ぶ信仰をあなたに!

2014年06月29日 | 牧師室より
2014年6月29日

 「ウェストミンスター(以下、ウと略します)大教理問答」の最新訳が、敬愛する宮崎禰男先生のご労苦により、教文館から発行されました。(定価1200円+税)
宮崎先生は神戸改革派神学校で私・中根より3学年先輩の改革派教会の引退教師です。今日まで、親しくお交わりとご指導をいただいてまいりました。翻訳に求められることは、正確さと読み易さです。宮崎先生の訳文には、この点に十分な配慮がなされていることと思います。朝の家庭礼拝で読み始めて、読み易さ・分かり易さを実感しています。

 本書の帯紙に、「17世紀の英国で作成されて以降、その美しく厳密な教理の言葉と深い敬虔な生き方とが一体化されたピューリタンの霊性の結実として、時代・地域を越えて多くの人に愛されてきた『ウ大教理問答』。
混迷する現代社会の中で、神を中心とした聖書的・福音的霊性を養う最良の手引き。」と記されています。読み易さ・分かり易さとともに、私もこのような感想を持ちました。教理的厳密さと敬虔な霊性が見事に溶け合っていると思います。

 日本キリスト改革派教会は、ウ大教理問答・ウ小教理問答・ウ信仰告白の3部からなるウ信仰規準を、教会の信仰規準・憲法としています。
ますます思想的・倫理的に混沌として、変わることのない物差しを見失ったかのような時代に、私たちは生きています。完成度の高いウ信仰規準を持っているということは、教会としてきわめて大切なことです。教会が堅実で安定した前進を続け、聖書的・福音的に建てあげられていくために不可欠なことです。信徒も聖書の真理に固くたって、地上の歩みをしっかりと進めていくことができるでしょう。

 表題の「神の栄光を現し、神を喜ぶ信仰をあなたに!」も、本書の帯紙に記されている言葉ですが、ウ教理問答・ウ小教理問答の問1から取られていることは言うまでもありません。
神の栄光を現すことと、神を喜ぶことこそ、「人間の第一の、最高の目的」です。これはウ信仰規準の精神であり改革派信仰のバックボーンです。大会は今70周年記念宣言作成の作業を進めています。その骨子は「福音に生きる教会」と「善き生活」です。これは「神の栄光を現し、神を喜ぶ」ことの具体的展開です。とくに後半の「善き生活」は律法論・十戒論です。

 あらためてウ大教理問答の特色を考えてみますと、91問以下の律法論に多くの分量が費やされており、全体の3分の1に及んでいることです。律法の第三効用として、「善き生活」の基準としての律法を重視することは、改革派教会の伝統です。
創立宣言に「我等は一つの見えざる教会を一つ信仰告白と一つ教会政治と一つ善き生活とによりて『一つの見ゆる教会』として具現し」とあり、また「一つ善き生活とは何ぞ。我等は律法主義者に非らず、又律法排棄論者に非らず。キリストに由る贖罪に基きて聖霊なる神の我等の衷に恵み給ふ聖化は信仰者の必ず熱心に祈りて求む可きものなり。」と言われています。

 律法主義者は、「キリストに由る贖罪」すなわち福音と律法の第二効用の誤解・曲解でしょう。また律法排棄論者は、「聖霊なる神の我等の衷に恵み給ふ聖化」と律法の第三効用の軽視・誤解でしょう。
私たちはこのどちらの誤りにもぶれることのなく、聖書的・福音的教会を建てあげるようにしたいものです。ウ大教理問答・創立宣言・70周年記念宣言の共通した願いがここにあります。

           

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神の子とされる幸い・喜び

2014年06月08日 | 牧師室より
2014年6月8日

 今日はペンテコステ礼拝として、礼拝をささげています。ペンテコステの日に聖霊が教会に下り、新約の教会が誕生しました。さらに聖霊は私たち信者一人一人にも宿ってくださり、永遠の命を与え、地上の生涯を守り導いてくださっているのです。
聖霊は主イエスが私たちのために勝ち取ってくださった恵み・祝福を、生涯にわたって与え続けくださいます。
聖霊が与え続けくださる恵みとは何でしょうか。それは主イエスが勝ち取ってくださった一切合切の恵みですが、ウェストミンスター小教理問答は32問のところで、手短に次のように要約しています。
信者は聖霊によって、「この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます。」 莫大な恵みが、~の4つにまとめられています。

 ローマの信徒への手紙8章12~17節では、その中の(父なる神が、私たちを神の)子としてくださることについて述べています。
「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。」(ローマ8:14,15)

 「子とすることについて」は、ウェストミンスター信仰告白第12章では、次のように記されています。「義とされるすべての者を、神はそのひとり子イエス・キリストにあって、また彼のゆえに、子とする恵みにもあずかるものとされる。

①それによって、彼らは神の子の数に入れられ、
②その自由と特権を受け、
③神のみ名をその上にしるされ、
④子たる身分を授ける霊を受け、
⑤大胆に恵みのみ座に近付き、
⑥アバ父と呼ぶことができるようにされ、
⑦あわれみをこうむり、
⑧守られ、
⑨備えられ、
⑩親から受けるように神から懲らしめられ、
⑪しかし決して捨てられず、
⑫それどころか、あがないの日のために証印され、
⑬永遠の救いの相続人として、いろいろな約束を受けつぐ。」

 ①~⑬の番号は、便宜上、私が付けたものですが、その13項目の一つ一つが聖霊によって与えられている恵みです。そのすべてに証拠聖句が付けられています。
ウェストミンスター信仰告白の言葉は、アーメン・アーメンです。一言一句がほれぼれするような言葉です。それもそのはず、これらは聖書にある神の約束の御言葉だからです。
神様、何という大きな恵みでしょうか。何という大きな喜びでしょうか。私たちの救いについては、父なる神様がご計画され、御子イエス・キリストが実行され、聖霊が私たち一人一人に適用してくださるのです。ペンテコステの日の聖霊は、今日も、いやこの世の続く限り、神の子とされた者にとどまり続け、これらの莫大な恵みを与え続けて下さいます。さまざまの誘惑や試練・恐れに取り囲まれるようなことがあっても、私たちは神の子であり続けるのです。
「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。」(ローマ8:15)

            

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主の恵みと喜びを共に分かち合う

2014年06月01日 | 牧師室より
2014年6月1日

 使徒言行録3章には、生まれながら足の不自由な男が、主イエスの恵みにあずかり、癒されて新しい歩みを始めるという、たいへん喜びに満ちた記事が記されています。彼はエルサレム神殿の「美しい門」に毎日、運ばれ置いてもらっていました。「置いてもらっていた」とありますので、人間性を無視してモノ扱いのようにされていたと感じるかもしれません。それでは少し悲しい思いがします。私たちは彼らのそのようなやり方を非難することはできません。その人たちは、彼を毎日、神殿まで運ぶという愛の労苦をささげていたのです。運んでいたのは誰でしょうか。彼の友人や家族だったでしょう。精一杯、彼らができることは、神殿まで運んできて、そこに置くことだけでした。このような働きを継続・持続させることは、大きな忍耐と犠牲を伴います。

 生まれながら足の不自由な男は、神殿という最も良いところに運ばれてきました。人々のその働きがなければ、神の僕、使徒ペトロとヨハネの目に留まることもなく、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩」くようになることも出来なかったのです。
精一杯の彼らの働きが、こんなにも大きな主イエスの恵みの御業の実現のために用いられるのです。もちろんそれは主イエスの力であり、恵みです。神殿まで運んできた人も、使徒ペトロとヨハネも、主イエスの恵みが現されるために用いられた器、しかも土の器に過ぎません。さらにそこには、彼のために愛の施しをする神殿礼拝者もいました。

 この神殿では何がなされ、どういうことが起きたのでしょうか。生まれながら足の不自由な人のまわりには、彼のため愛の労苦を続けていた人たち、援助の施しする人たち、とりわけ神の僕である使徒たち、これらの人たちが集められ、主の恵みを分かち合いました。
神殿の主であるイエス様は、今日も私たちを主の教会に集め、礼拝をささげ主の恵みにあずからせ、しかもそれを共に分かち合うようにしておられます。ここに主にある真のコイノニア(交わり)が生まれます。その交わりの中で、使徒たちをとおして、主イエスの恵みの奇跡は起こりました。

神殿は、そして今日の教会は、そのような主の恵みと喜びをともに分かち合うところです。           

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ミズの会での学びの補足

2014年05月18日 | 牧師室より
2014年5月18日

 毎週のミズの会は、聖書の学びと、主イエスにある交わり、賛美、それに心を開いての祈り、の4つがバランスよくなされています。もちろん伝道や奉仕などが行われることもあります。先週のミズの会で教えられたこと、気づかされたことを記します。

 <愛は覆(おお)う>ということをある姉妹が言われました。私たちは神や兄弟姉妹に、何と多くの罪や恥、失敗、悲しみを覆っていただいていることでしょうか。
神はキリストの血によって私たちの罪を赦し、「白い義の衣」を覆うように着せて下さるのです(黙示録3:5,6:11,7:9)。
箴言10:12「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う」、詩編32:1「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」とある通りです。
主イエスは私たちの罪をきよめ覆うために、十字架にかかってくださいました。さらに主イエスは、私たちの罪を覆うだけでなく、人生の中で味わう多くの辛さ・悲しみをも、暖かく覆ってくださいます。主イエスに罪を覆われた私たちは、福音がもたらす主の愛を知りました。

 このように主に覆われ主の愛を知った者は、今度は兄弟姉妹を覆うのです。人の罪が生み出す争いや軋轢、不和、それらがもたらす多くの悲しみが、この世には満ちています。私たちはそれを、暴き、また裁きあうのではなく、覆いあうのです。人の世は、人の弱さや欠け・失敗を目ざとく見つけ、裁きあいますが、私たちは覆いあうのです。ペ
トロ一4:8「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」 また人生の旅路の中で経験する悲しみ・辛さをも覆いあうのです。福音的に生きる教会の姿がここにあります。

 <神の忍耐>についても学びました。
ペトロ二3:9「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」
ローマ2:4~5「神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。」 きちっとこの御言葉に立ち向かう必要があります。最後の審判、また人生の最後には、神の聖前に立たされることが待ち受けているのですから。

 <自分を信じる>ということを、エフェソ2:6~10から教えられました。
世の中には、信じられるものは自分だけだという確信を持って生きている人もおられます。このような自己確信が自己過信となり、逆にちょっとした躓きから深い自己への不信や絶望といった底なし沼に落ち込むこともあるでしょう。山と谷を駆け登り駆け落ちるように、自己確信と自己不信という両極の狭間で、もてあそばれているような人生はいかがなものでしょうか。そしてついには自分を受け入れらないとか、自己の確立が延ばされてしまうことも起きてきます。

 エフェソ2:6~10では、「キリスト・イエスによって」いただいているキリスト者としての光栄と、「キリスト・イエスにおいて」与えられている恵みということが強調されています。
私たちが信仰によって与えられたものは、揺れ動く自分自身やはかないこの世によってとか、それらにおいて獲得したのではありません。主イエスの恵みの御業に基づくもので、主を信じる者には不動の基盤が与えられました(マタイ7:24~27参照)。
神が私たちを主イエスにあって受け入れて下さいました。そこから真の自己受容・自己尊重が生まれ、揺らぐことのない歩みが始まります。そのように自分を愛し受け入れた者は、さらに他者への愛と「善い業」へも促されていくことでしょう。(エフェソ2:9~10)

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教会の健やかさ

2014年04月27日 | 牧師室より
2014年4月27日

 私たちは自分の健康に気を付け、健康を維持しようと努めます。同じように私たちは、個人としても教会としても、霊的・信仰的状態をたえず配慮していくことが必要です。健やかな教会であり続けたいものです。
これには日ごろの心がけが大切です。私たちの中には、古き肉の人と新しい霊の人の霊的戦いが続きます。この戦いは、個人としては地上の歩みが終わり天に召される時まで、教会としては主イエスの再臨による御国の完成の時まで続きます。

 日ごとに罪を悲しみ悔い改め、そのたびに罪の赦しを確信し、救いの喜びを味わうのです。このようにして、信仰から信仰へと前進・成長していきます。
そして「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:13)  この恵みは、御霊の義認と聖化の御業、教会の伝道と御言葉の教育の地道な働きによってなされていきます。

 それはキリスト者と教会のなかで、主イエスの御心と御業が実現していくことでもあります。ウェストミンスター小教理問答は、キリストのお働きを次のようにまとめています。
問23「キリストは、私たちのあがない主として、どういう職務を果たされますか。」
答 「キリストは、私たちのあがない主として、預言者、祭司、王の職務を、へり下りと高挙とのどちらの状態においても果たされます。」
 霊的に健康な信仰者・教会には、たえず主イエスの勝利と、この3つの主のお働き・職務が力強く推し進められています。私たちの肉の思いが、主イエスの御業を妨害したり、退けたりすることがないように、日々心がけていきましょう。

 主イエスのお働きの第一は預言者としての職務です。私たちと教会が主イエスのものである限り、万事につけ主イエスの御心が語られ信じ告白され行われることが必須です。主の御心は聖書に示されています。神の言葉である聖書を軽んじたり逸脱して、人間的思いに支配されることのないようにしましょう。それは主イエスではなく悪魔に支配されていることです。

 第二の主のお働きは祭司の務めです。「高挙の状態」の今も、祭司として私たちを執り成し、ご自身が成し遂げて下さった贖いの恵みを、私たちに与え続けておられます。祭司の働きの中心は、和解のための執り成し・仲保者の御業です。とくに先に救われた私たちを用いて、祭司の働きをされるのです。キリストの体である教会にとって、私たちが心がけることは、互いに仲保者的役割を担いあうことです。健康な教会にとって、万人祭司は不可欠です。

 第三は王の職務です。もちろん主イエスは、この世の専制君主的な王のように、権力を振りかざし、自分の利得のために人を隷属・支配する王ではありません。主の王としてのお働きは、神の民をご自身の聖い御心に従わせ、治め守ること、また私たちの敵である悪魔を征服し、私たちを守ってくださることによってなされます。
主イエスが私たちの王であられることは、神の民の唯一の幸福の源です。健康な教会は、主イエスがその頭、王の王、主の主であられます。

                            

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