アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

出口王仁三郎の既成宗教評価

2017-05-24 05:43:56 | ザ・ジャンプ・アウト
◎時代遅れの寝息

出口王仁三郎の歌集言華から。
『根本的改革せざれば 現代の宗教死滅の他なかるべし

在来の惰力によりて 命脈を保てる既成宗教さびしき

我が国の神道仏教ことごとく 時代遅れの寝息ものなる

不徹底なる教理をいまにふりまわし 得意然たる宗教家の愚劣さ

人心を収攬すべき宗教が 今は大衆にかえりみられず

極楽地獄をつくり人心をおびやかしたる宗教の末路

無始無終 神の御霊(みたま)の分派たる人は必ず不老不死なり

身体は人間そのものの容器なり 容器はをりをり破ることあり

霊に偏し体に偏せる論説は決して正しき教理にあらず

霊力体一致せざれば真実の世を救うべき教にあらず

数千年以前の教理を現代にひろめむとする宗教家の迂闊

人心を脅迫しつつ命脈を保ちし法の滅びは来たれり

到るところ宗教の殿堂ありながら その福音に浴する者なし

凡俗よりきたなき心もつものは既成宗教の僧侶なりけり』
(言華 下巻/ 出口王仁三郎/みいず舎P44-45から引用)

さればモダンな宗教の姿とは、この夜ふかしで多忙な現代人のライフ・スタイルに冥想が組み込まれ、善いことをし悪いことはしないという当然の行動スタンダードを履み、日々神仏に至ろうとする気持ちで、いつかは悟りを得ようとする姿勢だろうと思う。

宗教は、天国地獄の脅迫でなく、ひたすら悟りへのテクノロジーを説く。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

生きながら畜生となるしるしには

2017-05-23 05:33:48 | 丹田禅(冥想法8)
◎至道無難四首

至道無難
の道歌、四首。

神仏に祈れば寿命が延びるかという人に

浮世のしなは 変われども 死ぬる一つは変わらざりけり


道を問う人に

の子は紛いなきほととぎす
何とて声の別に鳴くらん


ある人に

たちまちに死に果ててみる心こそ
かりに仏と
名はつけにけれ


坐禅

生きながら畜生となるしるしには
坐禅の床にをられざりけり

寿命が少々延びても死ぬという一事に変わりはない。

スマホでSNSやらゲームやら、生きながら畜生となる人の多いことよ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

黙想で気が散る対策

2017-05-22 05:34:37 | キリスト者の秘蹟
◎オープンマインドとマントラ

「何を、どう祈ればいいか アントニー・デ・メロ/著 女子パウロ会」から。黙想を行うための準備は次のようなものである。

カトリックでも黙想では、一日中沈黙を守りじっと座っていることができるようにならなければいけない。
読書をせず、気が散ることを避ける。
沈黙での神との語らいにひたすら時間を費やす。

これが黙想時のスタイルで、修道院の中でも日に5、6時間も黙想するのは長い方らしいが、禅の接心では日に12時間以上座るとして、これでも時間が短いのではないかと疑問を投げかけている。

でも一般に日に5時間も座れるようになるのは相当に進んだ人だろうと思う。

アントニー・デ・メロ氏が初心の頃、祈りを始めると1、2分で気が散り、気が散るのと黙想の間の往復が始まり。祈りの時間の9割は、気が散っていたという。

それを指導者に相談すると、気が散ったら、ロザリオの祈りを何十回も唱えなさいということであった。

それは単なるロザリオの祈りというマントラ念唱でなく、キリストの愛を体験する恵みを乞い願うという、オープンマインドの心構えを伴うもの。

黙想が深まっていけば、神を知る、聖霊に感じるというところへ進み、やがて観想も行うのだろうが、今の人は、それ以前であって、「黙想」の時間がとても不足している。それに伴う弊害も無視できないほど広がっている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

NHKスペシャル「緊迫 北朝鮮 危機の深層」

2017-05-21 06:24:24 | 時代のおわり
◎5大核保有国による支配の危機

5月20日(土)のNHKスペシャル「緊迫 北朝鮮 危機の深層」を見た。ほぼ全編、海外の軍事専門家のコメントでできていて、岡目から見た北朝鮮のミサイル開発の現況と近未来の予想であった。

北朝鮮の保有する様々な性能のミサイルは1000発。うちノドンは日本の全域を射程に収めて久しい。

核開発の主眼は、ICBMの宇宙からの再突入技術獲得と小型化。小型化はすでにその技術を獲得しているのではないかという疑惑があり、それを専門家たちは否定しているシーンはなかった。大気圏外からの再突入技術はあと5年くらいかかろうというもの。

いずれにしても、複数の軍事専門家の話を総合すると、再突入技術が完成する5年以内には、北朝鮮は核技術を放棄する方向性はあり得ないがゆえに、全面戦争と核戦争が起こる可能性が高いという予想となっていた。

日本を狙うノドンには、核搭載できてはいないという確証はないので、今でも日本を核攻撃をちらつかせながら恫喝するということは、某国のようにありえるのだろうと思った。

さらにICBMが現状のPAC3などの最新防衛兵器で防御できないという認識が広まれば、日本でも先制攻撃と核兵器保有の議論が当然に起きる流れになる。

そうなれば、核兵器は拡散し、戦後5大核保有国のバランスで維持されてきた国連中心の国際秩序は、5大核保有国の核保有の相対的地盤沈下により、世界は核による戦国時代に突入していくことになる。

核兵器を友邦に持たせるというのは、一歩政治情勢が変われば、本能寺の変のように、その核兵器で味方だった大国を撃つという可能性が発生することを意味するので、ソ連ですら東欧諸国には核ミサイルを配備しなかったらしい。

こうした偶発的核戦争発生リスクが世界至るところに散在すれば、小国ですら北朝鮮のように大国の意向には従わないことになり、世界は、政治的にも軍事的にも無極となり大乱の時代となる。

政治家も庶民も北朝鮮問題は、外交的解決が望ましいという。しかし外交に得た果実でさらに軍備強化するに決まっているので、それは問題の先送りにすぎない。

非現実的と見るかもしれないが、結局世界全体が武装解除するのが最終解決。

しかし一旦核兵器を得た国は死んでもその技術を手放さないので、このチキン・レースは、結局核戦争してみて一瞬にして何十もの大都市が焼け野原になるのを見るところまで行かないと、世界全体が核廃絶の方向には動かないのではないか。

この70余年の核兵器を持った国に守ってもらう平和な時代の末路はそんなものだろう。

ダンテス・ダイジは、数少ない予言の中で「荒野に火の玉が燃える」と言っているが、荒野に核ミサイルがさく裂するわけはなく、何百万もの人々が生活する都市を核ミサイルが急襲し、荒野になってしまうということなのだろうと思った。
それが「美しくも悲しい花火を見る」ということ。

それは十分予感ではなく、予想できる時期に入ってきた。

今日も冥想を。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの生ける光

2017-05-20 06:17:07 | キリスト者の秘蹟
◎もうひとつの光

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、12世紀ドイツの修道女。幻視者の常として身体が弱く病気がちであった。

彼女は霊界宇宙を幻視したが、当時は天動説であり、物質界宇宙と霊界宇宙の区別もわからない時代。ただ彼女は光には2種あることをわかっていた。

『それゆえ、私が見ます光は空間的なものではなく、太陽を運ぶ雲よりもずっとずっと明るいものです。私はその高さも長さも幅もはかることができません。ですから私はそれを「生ける<光>の反映」と呼んでいます。

そして太陽や月や星たちが水に映って現れるように、著作、聖書訓話、徳、ある種の人間的行為も、その内部で私のために形をとり、輝くのです。

(中略)

さらに、太陽をまともに見られないのと同じように、この光の形がどのようなものになっているのかも私にはわかりません。

しょっちゅうではないのですが、ときどき、この光の内部にもうひとつの光が見えます。
私はそれを「生ける〈光〉」とよんでおります。

いつ、そしてどのように私がそれを見るのかは述べられませんが、それを見ているあいだは、悲しみや苦しみがすべて私から離れています。ですからその時は、自分が年老いた女ではなくて無垢な少女のように感じられます。』
(ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 女性的なるものの神学 バーバラ・ニューマン/著 新水社P27-28から引用)

神は言葉では、言い表せないが、彼女は神を生ける光として見ている。

彼女は2種の光というが、アヴィラのテレサは奇跡には2種あると言った。

彼女はこの文章(手紙)を70歳で書いている。

苦悩も悲劇も苦痛もない、生ける光、それは、人間に属するものではあるまい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

キリスト教と善悪の結婚

2017-05-19 05:28:04 | キリスト者の秘蹟
◎善悪同格の罠

母性を欠いた三位一体モデルのキリスト教は、当然に女性的なもの、母性の補完を要求する。

キリスト教は善であり、母性はより物質や肉体に近いものであるが故に悪と位置づけられる。よって母性はキリスト教社会にあっては、闇であり、光の影であり、悪であり、錬金術や魔術などとして、キリスト教の底辺に連綿として存在し続けてきた。

もっとも聖母教会は、エリファス・レヴィの活躍したフランスでは多く、モンマルトルにはノートルダムという聖母教会があり、南フランス、スペインには黒い聖母を含む聖母教会が点在しているので、キリスト教サイドも母性、女性性の欠如に全く無関心だったわけではない。

心理学者C.G.ユングは、『悪は善と同じように考慮されるだろう。というのは善と悪は結局行為の観念的な延長と抽象にほかならないからである。

その両者は人生の明暗の現象に属している。悪が生まれえないような善は結局ないし、善が生まれえないような悪はない』
(C.G.ユング/ゲルハルト・ヴェーア/青土社P161-162から引用)

いわゆる神には善と悪の面がかならずペアになっていると言っているわけだ。

出口王仁三郎は、人間の母性的で肉体に近い部分を悪ではあるが必要なものとして副守護神とよび、それはエーテル体を指すと思われるのだが、人間の一部であると指摘した。

確かに論理的には善と悪は並列かもしれないが、並列ということを前面に出して進むと人は悪に落ちる可能性も高く、その危険性は、覚者たちが指摘しているとおりである。

つまり見神、見仏、見性してもそれだけでは、悪の側に落ちる可能性が大いにあるので、禅でも悟後の聖胎長養として一旦得たそれを大切に守り育てねばならないとする。

悪の側に落ちた典型例は、チベット密教のドルジェタクなのだが、神知らぬまま悪の側に落ちた冥想修行者、錬金術者、魔術家、あるいは、自殺や狂気に終わった人々は決して少なくあるまいと思う。

鉛から黄金を作ろうとした人々は、そのような人々だろうと思う。

魔術書、錬金術関係書にはあまりにも善悪同格みたいな主張が強く、それはどうかと思った次第。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

奥義中の大奥義-2

2017-05-18 05:40:09 | クンダリーニ・ヨーガ
◎善と悪の統合


「大いなる神秘の鍵・エリファス・レヴィ」の奥義中の大奥義の続き。

『あらゆる死のなかでも最も迅速で恐ろしいものに身を委ねることである。

限度を超えて知ろうとする者に災いあれ。なんとなれば、過剰で無謀な知識は命を奪わずとも、正気を失わせるであろうから。

善悪の知恵の木の実を食することは、悪と善を結び付け、両者を同一化することである。それは、テユポンの仮面でオシリスの輝かしい顔を覆うことである。
イシスの聖なるヴェールを持ち上げ、聖域を汚すことである。
影なき太陽をあえて見ようとする無謀な者は盲となる。そのとき、この者にとり太陽は黒い。

筆者にはこれ以上言うことは禁じられている。この啓示の書を三つの五芒星の図を掲げることで締めくくろう。』
(大いなる神秘の鍵・エリファス・レヴィ/人文書院P296から引用)

※テユポン:ギリシア神話の怪物。

この文章に続いてタロットカードの構造についての説明があり、棍棒、杯、剣、貨幣の4元素と七惑星であるが、七惑星は三色で塗り分けることで21の大アルカナを構成すると言う(大アルカナは22枚)。

※大アルカナの『運命の輪』の怪物がテユポンだと説明する場合もある。(藤本緑のザ・タロットでは、最もポピュラーなRider-Wait版タロットの『運命の輪』で左側を落下している蛇みたいな怪物がテユポンだと説明)

さてここでは、まず『同時に神と悪魔になろうとすることは』危険であるとしているが、悪魔に実体がないという立場は採らない。そして神と悪魔を両方見ている自分があるという点で、見ている自分を残している。

その点では、徹底しているとはいいがたいし、この本自体あまりにも悪について言及が多すぎるという印象がある。

肉体を持って冥想修行する以上は、肉体を維持するために植物動物を食らうという悪業を積まねばならないという部分があるので、カルマ論的に厳密にいえば悪を完全に免れた人間はいない。だからといってこの本の説くように悪の部分にかかずらわって行く生き方は疑問なところがある。

そういうのを残して進んでいくと最後にはそこで叩き落されるのではないかと想像する。

またタロットについて大奥義で言及するなら愚者こそ言及すべきだったろうと思う。世界を越えなければいけないのだから。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

天下に死霊ありて

2017-05-17 05:39:35 | 超能力・霊能力
◎霊に四種類あり

至道無難禅師の自性記から、霊がかりではない霊の話。

『ある人曰く、天下に死者の霊があって、人も家も亡ぶことは事実ですと。

私曰く、霊に四種類がある。

一に国の霊。国の霊は、昔の国主が、国を子孫に伝ヘようと思ふ念が残ったのだ。二に屋敷の霊。三に家の霊、城の場合も同じ。以上の三つは、その場所を去れば別に何といふこともない。

家の苗字の霊は、どこへ行つても免れられぬ。立派な高徳の僧にお願ひして弔へばよろしい。』
(日本の禅語録十五 無難正受/講談社P149-150から引用)

死者の霊とは原文では死霊のこと。現代では国の霊はほとんど影響はない。屋敷の霊、家の霊、城の霊は、その場を去れば影響ないとしているので、ネガティブ・パワースポットというものはあるが、引っ越せば問題ないとする。

ところが名字の霊は、家系の因縁のことであり、こればかりは逃れられぬ。これについて至道無難は、高徳の僧に頼んで弔ってもらうべきとする。

人間もいい加減年齢を重ねいろいろな出来事に出会ってみると、確かに家系の因縁というものはあるように思いあたる。そう思う人も少なくあるまい。

これについて至道無難は、自分が悟れば九族昇天すというように自分が大悟覚醒することもその解決の一ではあるが、ここではそれは言わずに、別の善知識による法要を勧めた。

この相談者は、そういう感じではなかったのだろう。

家族の中には、そうした影響を中心的に受けてしまう人もいる。

人の魂は出産時に飛び込んでくるのではなく、受胎時だという。その時点で自ら家系の因縁をも選んできたのだろう。

そうした一方で生活基盤が田舎の菩提寺から、都会に移ってきてしまって、菩提寺と墓所に縁遠くなるケースも多いようだ。

それでも日々できる精進、できる冥想はしていかないと。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

坐禅成就時

2017-05-16 05:08:27 | 丹田禅(冥想法8)
◎心身なきとき、たしかに知る、色即是空


江戸時代の禅僧至道無難は、白隠の先々代の師匠に当たる(至道無難→正受→白隠)。白隠と違ってその徹底ぶりは、見事なものがある。

至道無難の自性記から。

『六祖大師坐禅の次第。言句に及ばず有りがたきことなれども、童女の聞くには、及びがたき所あり。
予、御心を請けて、

坐禅

色々妄想起る時、つよく禅定にはいるべし。
清浄になる。
禅定の功徳なり。

坐禅成就時

心身なきとき、たしかに知る、色即是空、空即是色におちつく時、諸悪莫作、衆善奉行、疑い無し。』

六祖大師は、禅の六祖慧能のこと。彼の説は女子供にはわかりにくいところがあるという信者の話を請けて、無難が説明している。

クリティカルなのは、坐禅成就とは心身ないとしているところ。臨済系でありながら、道元の身心脱落を認めている。

その境地は、色即是空、空即是色であり、そうなれば善いことばかりを行い悪いことを一切しなくなる。

ここは俗人に対しては証明不可能なことだが、至道無難は太鼓判を押している。

冥想が社会を善くするというのは、まずはこの一点にある。まずはそれを本当だと思うかどうかにかかる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

奥義中の大奥義-1

2017-05-15 05:48:28 | クンダリーニ・ヨーガ
◎神と悪魔になろうとすること

「大いなる神秘の鍵・エリファス・レヴィ」の奥義中の大奥義から。

『人格化された善、それが神である。
人格化された悪、それが悪魔である。
神の秘密あるいは知恵を知ることは、神となることである。
悪魔の秘密あるいは知恵を知ることは、悪魔となることである。

同時に神と悪魔になろうとすることは、自身のうちに究極の二律背反、これ以上ないほど張り合い相反する二つの力を吸い込むことである。それは、限りない対立を抱え込もうとするに等しい。


それは)太陽の火を消し世界を焼き尽くす毒を飲むことである。
デイアネイラの纏わりつく服を着ることである。』
(大いなる神秘の鍵・エリファス・レヴィ/人文書院P295から引用)

※ヘラクレスの妻デイアネイラは、自分から他の女に気持ちを移そうとするヘラクレスに媚薬を含んだ服を着せるが、その毒に苦しんだヘラクレスは纏わりつくその服だけでなく、自分の身をも引き裂くことになり、ついには焚死することになる。


この視点は、悪魔を実在とする視点から出ていないし、統合された神の側からの視点ではなく、どちらかというと人間の側の視点となっている。

色即是空な「空」の相対的視点ではなく、対立相反をあおるような表現に特徴がある。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

アルキドクセン

2017-05-14 05:24:28 | 錬金術
◎4つの秘薬

アルキドクセンとは、パラケルススの4秘薬の解説書。その4秘薬=4アルカナとは、

1.第一物質プリマ・マテリア
2.賢者の石
3.生命の水銀
4.ティンクトゥラ

この4秘薬を用いて人はどうやって悟りに至るかということになる。

1.第一物質プリママテリア
これは肉体のことである。微細身だけでは人が覚醒するのは時間がかかって仕方がないと言われるので、肉体こそ万人が共通に与えられたスタート地点である。

2.賢者の石
卑金属を黄金に変える話が西洋錬金術には多数出てくるが、その中で、溶融した鉛や銀などに加えられる賢者の石は、菜種の半分程度の大きさなど、極めて微量である。このことは、現実あるいは物質レベルに影響する程度については極くわずかだが、物事全体を真善美なる方向に根本的画期的に変成せしめることを示す。

これでは、賢者の石とは、冥想以外に考えられないと思う。

3.生命の水銀
パラケルススは、水銀の中のあらゆる不潔なものを取り除いて水銀の精髄を抽出せよ、それをアンチモンとともに昇華させ、この二つを蒸発させて結合し、最後に大理石の上で溶解させ凝固させると生命の水銀ができると説明する。

生命の水銀とは、その形象から、白銀あるいは黄金のクンダリーニのエネルギーコード以外ではないと思うが、それがクンダリーニのエネルギーコードであると知覚する段階は肉体をメンタル体で離脱して以後であろう。それが水銀の精髄を抽出するということであると思う。

それだけでは、体外離脱しただけであるが、次にアンチモンに擬せらる男女の別、生死の別、聖と俗のような対立物との結婚を経て、生命の水銀に精製されるというところではないか。

4.ティンクトゥラ
これは第四のアルカナム(秘薬)であって、人を健康にし、高貴なものに変え、不壊に変貌させる。
これで連想されるのは、ダンテス・ダイジの窮極から帰還後のエネルギーのシャワー

これら4アルカナを並列な4元素と見ようとするとはずれるし、いわんや地水火風の展開にも充てられない。

人は主より出で、再び主の御許に帰る。

パラケルススは著書「自然の光」において、独特の世界創造、宇宙論を披歴しているが、そういうのを語りたがるのが、一瞥した者の常である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

メルクリウスとクンダリーニ

2017-05-13 01:32:22 | クンダリーニ・ヨーガ
◎水銀、水、火

メルクリウスは、古代ローマではヘルメスと同一視され、冥界への導き手であり、精神と教養の神であり、死神でありかつ生の守護者であった。

錬金術文書では、水銀や水としてメルクリウスが登場し、手を濡らさない水、乾いた水、生命の水などと表現され、凡そ水銀でも水でもないものをメルクリウスとして表現している。その流動性だけを捉えて水銀や水と言っているだけのようだ。

さらに錬金術文書では、メルクリウスは火でもあり、燃え盛る命の火であり、地獄の劫火でもあり、天国の聖火でもある。

さて本山博の「チャクラの覚醒と解脱」のP194からP195にかけて、気の次元とアストラルのサイの次元を峻別しており、かつまた中国の内経図を指して、「これは気の次元だから、クンダリーニを水で表現している、これに対してヨーガでは、クンダリーニを火で表す。」としている。

このようにクンダリーニは、水でもあり火でもあることがメルクリウス=クンダリーニ説を強化する。

加えてメルクリウスは、錬金術文書では、動く気、空飛ぶ霊、霊的物体などと呼ばれ、人間進化の特徴である上昇を表象する表現で呼ばれる。

このように見てくると、錬金術文書上のメルクリウスとは、クンダリーニのエネルギー・コードと考えられる。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

女神ウェヌスの薔薇

2017-05-12 05:44:00 | 現代冥想の到達点
◎生死を司る花

さて黄金のロバのルキウスの食べた薔薇は、女神ウェヌスの花。ウェヌスとはヴィーナスのこと

ウェヌスは、女性性の象徴であり、甘い言葉であらゆる男を誘惑し、楽園へ連れて行っては彼を引き裂き、むさぼり食らう。

これは、彼女が生を与え死を司るという両義性を持ち、その姿は錬金術では、硫黄と水銀の結合である、両性具有のイメージとして現れる。

ウェヌスは、古代ローマでの呼び名だが、この慈愛あふれてかつ残酷で、すべてを産みすべてを呑み込む神の別称は、キリスト教では聖母マリア(ノートルダム)であり、イシスであり、シュメール神話ではイナンナであり、日本神話ではイザナミの命となる。

これらは太母であり、女性優先と考えがちなのだが、その実は両性具有が真相でないと生と死両方にまたがる働きは説明できない。

この薔薇を喰らったろばのルキウスは、ある種の体験とは言えない体験を経たのだが、俗人にはわかるまいとて、人間への完全人への変身を遂げ、冥界から復活した。冥界巡りしたのではなく、死から復活したのだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

真夜中の太陽

2017-05-11 05:33:03 | 現代冥想の到達点
◎黄金のろばと太乙金華宗旨

「黄金のろば」は、古代ローマの小説であって、結構読みにくい書きぶりの文章なのだが、どういうわけか当時の小説で長いキリスト教による思想統制を生き延びて全文が残っている極めてまれな文章だそうだ。

あらすじは、人間の青年ルキウスが、魔術の失敗で、心ならずもろばに変身し辛酸をなめるが、求道の心やまなかったので、最後はイシス女神のサポートよろしく人間に戻るという話。

以下の引用文は、その肝たるルキウスが真夜中の太陽を見るシーン。心理学者C.G.ユングもこの重要な部分がたった三行しか書かれていないとぼやいている。

『さて好事家の皆さん、あなた方は、おそらくその室で交された二人の会話とか、そこで起った事件とかについて、何か話して欲しいと強く要望なさることでしょう。その発表が許されるものなら、喜んで私も話しましょう。皆さんのお耳に入れてよいものなら、喜んでお聞かせしたいものです。

しかしそれについて不謹慎なお喋をしたり、あるいは大それた好奇心から、それを聞こうとしたら皆さんのお耳も私の舌もひとしく罰を蒙むること必定です。

だからといって何も申しませんと、今度は皆さんの方が、敬虔な熱望を抱いて何となく落ちつかないままに、いろいろと取越苦労なさるでしょう。そうなると私も辛抱できません。一つ話を聞いて下さい。でもこの話はみんな真実だと思って下さい。

私は黄泉の国に降りて行き、プロセルピナの神殿の入口をまたぎ、あらゆる要素を通ってこの世に還ってきました。真夜中に太陽が晃々と輝いているのを見ました。地界の神々にも天上の神々にも目のあたりに接して、そのお膝元に額ずいてきました。

こういった所が私の話です。皆さんはお聞きなられた今でも、何のことやら、ちんぷんかんでしょう。でもそれはみんなみなさんのせいです。それはとも角として俗界の皆さんに打明けても、神罰を受けないで済むようなお話をお聞かせしましょう。』
黄金のろば/アプレイウス/ 岩波文庫p163-164から引用

※プロセルピナはローマ神話の冥府の女王

実は、ろばのルキウスは、司祭の持つ薔薇の花束を食べてから、人間への変身プロセスが始まる。薔薇とは、究極のシンボルでもあるが、それを食らう。

さて真夜中の太陽は、実は中国の道教の核心文書にも登場してくる。それが、太乙金華宗旨逍遥訣の第四句

第四句
真夜中に、日輪が輝くのを見る。(三更又見日輪赫)
(真夜中は死の世界のこと。日輪はまさに中心太陽のこと。死の世界で日輪を見るシチュエーションは、クンダリーニ覚醒のプロセスで、無上の垂直道から中心太陽をみるステージのことである。)

「逍遙訣第八
呂祖曰。玉清留下逍遙訣。四字凝神入氣穴。六月俄看白雪飛。三更又見日輪赫。水中吹起藉巽風。天上遊歸食坤德。更有一句玄中玄。無何有鄉是真宅。」

天上に遊び帰って坤德を食す。坤德は地の徳であるが、それも一つの窮極の薔薇。それを食べて完全な人間に再生したわけである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

タロットの宇宙

2017-05-10 05:22:21 | 究極というものの可能性
◎天の露

タロットの宇宙/アレハンドロ・ホドロフスキー/国書刊行会』は、タロット好きによるタロットとともに生きる人たちのための本である。アレハンドロ・ホドロフスキーは、タロットの奥義を極めているように見える。

アレハンドロ・ホドロフスキーは、スラブ系のチリ人であって、チリに移民してきた際に近親者が火で亡くなったが、遺骸の上に一枚のタロットカード『戦車』だけが焼け残っていて、それが形見の品になった。

また彼が幼少期を過ごしたチリの漁港には、リトアニアのユダヤ人『狂ったアブラハム』が経営するビリヤード場があって、アブラハムは、いつもその奥のテーブルで、カードで大きな城を作っては、それを壊し、俺は神を真似て創造と破壊を繰り返しているなどと、宣まわっていた。

などなど心の深奥を打つようなタロットカードにまつわる印象的なエピソードで始まる本である。

アレハンドロ・ホドロフスキーはタロットの絵柄にはうるさく、後年真正カモワンタロットの復刻みたいなことをやるが、タロットの向き合い方は心得ていて、タロットを媒介に自分が鏡になることであるときちんとわきまえている。(この本には『いかにして鏡になるか』という一章も設けてある)

そいう点では、彼はすでにタロットカードのくびきは脱していて、またリーディングでは金をとったことはないみたいな雰囲気ではあるので、ちゃんと占断における正統的な作法は心得ている。

こうした点からすると、彼は求道者の用いる神占としてタロットを使っている。

私はタロットの下手の横好きだが、22枚ある大アルカナの16番以降に連続して大気中の天の露(エーテルか)が描かれていることは、この本で初めて知った。22枚全部順序に並べて眺めてみないとそんなことには気がつかない。

C.G.ユングの「個性化とマンダラ」という本の中に、古代人は、意志が弱く、現代人のように意志を固めて能動的に行動するのはなかなかできないというようなことが書いてあった。古代人は意志が弱いので、魂があくがれ歩きやすいということ。

古代人は意志を固めるためにこの「天の露」を集める必要があったのか、それとも離遊の運魂を身体の中府に鎮めるためには、意志を固める必要があったのか。
その意志とは定力なのか。

天の露は、17番目のカード『星』では星の図柄になっているが、星の運行を待ってやる技術もあるので、この星も天の露みたいなものだろう。

それにしてもタロットの真価は、吊るされ人と愚者にあるので、時を俟(ま)つ技術にことさらにこだわるのは、クンダリーニ・ヨーガ系の技術であることを示している。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加