アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

生きている人も中有にいる

2017-07-21 04:52:35 | 古神道の手振り
◎生ける人もみまかりし人も八衢(やちまた)の辻に迷へるさまを怪しみぬ

出口王仁三郎の高熊山修行時の歌集『霧の海』から。
高熊山には、かつて四十八宝座というのがあったが、大本教事件で壊されて今はほとんど残っていないという。

『如月のさむき夕べにひきかへて
夜あたたかき高熊の山

しんしんと夜は更けわたり
幽斎の修業はますます深まりにけり

青葉わたる風の囁(ささや)き しみじみときく
高熊の夜はしづけし

四十八宝座のうえに端座して
われ幽斎の境にいりにけり

天かけり国かけりつつ わが魂(たま)は
天の八衢(やちまた)さしていそぎ

知る知らぬ数多(あまた)の人に出会ひけり
わが魂(たましい)は八衢(やちまた)の辻に

生ける人もみまかりし人も八衢(やちまた)の辻に迷へるさまを怪しみぬ

精霊の世界にいりてややしばし
われ現世(うつしよ)のこと忘れゐし

珍しも意志想念の世界には
みまかりし人の生きて語れる

われゆけど言葉をかくる人もなし
ただぼんやりと見てゐたるのみ


歌集『霧の海』では、この先で、まさに恋人である二人に対し三人目が三角関係で争う八衢(やちまた)=中有のワン・シーンが登場する。

中有とは、死者の世界とばかり考えていたが、中有とは、生者も死者も同じレベルで交わっている世界であるとは、現代の常識では思いもつかぬ世界であった。

そうすると、低級霊界であるヴァーチャル・リアリティの世界が繁栄し爛熟を極めている現代とは、限りなく低級霊界である地獄に近いというのはもっともなことである。

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誰も書かなかった高橋信次 巨星の実像/菅原秀

2017-07-20 05:29:27 | 冥想アヴァンギャルド
◎まったくわかっていなかった頃

誰も書かなかった高橋信次 巨星の実像/菅原秀/成甲書房を懐かしく読んだ。

高橋信次の娘の高橋佳子の真創世記シリーズがベストセラーになったこともあり、高校生大学生の頃は、GLA本はむさぼるように読み、伝統的仏教でないこんな仏教もあるのだと胸ときめいたものだ。

そんなことは言っても、当時は伝統的仏教がどんなものであって、いわんや神道が国家神道の時代や出口王仁三郎を経て現状どうなっているかなどは全く知らなかった。

高橋信次の肉体からは、金粉が出るからすごいとか、過去世を透視して、古代インドなどの異言を話す超能力には驚嘆するなど、当時の自分は超能力かぶれで、霊がかりそのものであって、まったく感心できなかった・・・と自覚するのは後年のこと。

その後GLAブームも下火になり、私は高橋佳子と同世代なのだが、中身はともかくまだ本屋で彼女の本を見かけるので、教団は続いているのだな程度の認識ではあった。

以下は読書メモ
・高橋信次は、憑依霊をとって病気を治すことを毎日のようにやった。
・プロテスタントでは、憑依霊の記述を寓話として無視している。
・カトリックには専門のエクソシストがいる。

霊能力そのものは、悟りとは全く関係ない。それが証拠に、霊能力も霊がかりも全く相手にしない禅という宗教がある。

高橋信次には光の体験みたいなのがあったようだが、それを審神することはなかったようだ。審神できる能力があれば、もっと違った展開になったかもしれない。

憑依霊についていえば、オウムで有名になった膝ジャンプは、GLAでもおなじみであり、大本教でも大正時代まではジャンプさせまくったが、やめた。低級エネルギーが憑依すると膝ジャンプするのは、日本でも中国でも古来よく知られた話だが、世間では一向にこれが常識にならないのは、日本人のナイーブさの成せる業か、マスコミのレベルの問題か。

もう霊がかりとか膝ジャンプとか言っている時代ではないはずなのだが。
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入蒙記 霊界物語特別編

2017-07-19 07:11:28 | 古神道の手振り
◎白音太拉(パインタラ)の遭難

出口ナオの役割は水の洗礼、出口王仁三郎の役割は火の洗礼

保釈中の身ながら入蒙を敢行した動機については以下である。

『東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。

 右の言葉は、聖徳太子の当初百王治天の安危を鑒考されて我が日本一州の未来記を書きおかれたのだと称せられ、我国古来聖哲が千古の疑問として此解決に苦みて居たのである。

日出雄は右の言葉に対し、我国家の前途に横たはれる或物を認めて、之が対応策を講ぜねばならぬことを深く慮つた。』
(霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇/第1篇 日本より奉天まで/第7章 奉天の夕から引用)

東魚来つて西海を呑む云々は太平記に断片が残る聖徳太子未来記の一部。

出口王仁三郎ははっきり書いてはいないが、東魚は日本であって、西海は中国のことだろう。最初日本は中国を呑むが、三百七十余日後に中国軍の空襲が日本を襲う(西鳥来りて東魚を喰む)というようなビジョンを意識せられていたのだろうか。

三百七十余日後とは、文字通りではなく、三千七百余年のことかもしれない。
出口王仁三郎の超古代史観では、スサノオの命が、ユーラシア全体を統治していた時代があるが、これを「東魚来つて西海を呑む」と見たのだろうか。


さて入蒙後、出口王仁三郎は、救世主として各地で歓迎され、盧占魁軍と共に行軍を続けていくが、次第に雲行きが怪しくなり、白音太拉(パインタラ)で、まず盧占魁軍の側が武装解除され夜半に馬賊の将軍盧占魁を含む兵が次々と銃殺され、出口王仁三郎一行も縄をかけられ銃殺を待つばかりとなった。この時発した出口王仁三郎の言葉。

『支那の奴は御馳走政策で卑怯にも騙討をせうとするのだらう、それでは私は愈々キリストとなつて昇天すべき時期が来たのだらう。君達も盧の部下も皆天国に連れて行くから、君達は霊が離れないやうにするが良い』(上掲書第三四章 竜口の難から引用)

中国のやりくちは、基本はだまし討ち。だが騙し討たれてもじたばたしないのは真の宗教者である。

この際の出口王仁三郎の辞世
よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ

さらに辞世
いざさらば天津御国にかけ上り日の本のみか世界を守らむ

日の本を遠く離れて我は今蒙古の空に神となりなむ

等と辞世を七回迄詠み、大日本帝国万歳、大本万歳を三唱した。

白音太拉での出口王仁三郎一行捕縛の際に、宿に置き忘れた病人直し用の一本の杓子が出口王仁三郎の危急示していたので、これを日本領事館に連絡する奇特な人がいて、結局出口王仁三郎は助かった。それは結果論。ここまでトータルで御神業ということになる。


武装解除され、亡国にならんとするぎりぎりのところで、冥想修行者として求道の覚悟を示せるのだろうか。
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出口王仁三郎の真の評価へ

2017-07-18 02:49:40 | 古神道の手振り
◎国会図書館の出口王仁三郎関連文献など

このブログでも、ネットでかつ無料で国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードできる文献があることを紹介している。

出口王仁三郎文献は、わりと充実しており、アマゾンでも売っていない貴重書が結構あり、大本教関連団体から戦後出版されていない内容の文書もいくつかある。

ところが霊界物語を含めてこれだけの分量があると、ダウンロードするだけでも一苦労。

そこで親切なことに、まとめておいてくれるサイトを発見。それは、霊界物語ネットのhttp://reikaimonogatari.net/dl.php。
全部で2.7ギガくらいあります。

見てみると、内務省のスタンプが押してあるものが多く、内務省の方々が大本教摘発に際して参考にされた文献群であろうとわかる。

残念なのは、庚午日記が全部そろっていないこと。霊界物語は全部国会図書館でもアップされていないこと(戦後の出版で伏字にされた部分が実はどの程度のものか興味あり)(このオニドのページにも上がっていない)。

出口王仁三郎の教義は、昭和10年頃ほぼ完成を見たと思うので、昭和10年に近い文書ほど注目して見ており、
この国会図書館の出口王仁三郎全集は昭和9年から10年のものであり、これこそ最重要と思う。就中全八巻しかないうちの第六巻を入蒙記に充てているが、この中の出口王仁三郎一行の武装解除の段は、大峠における『世界武装解除』『日本武装解除』を暗喩するものであり、入蒙記を、単に軍部の誘いに乗った出口王仁三郎が、張作霖軍の動きを読めず死にかけたが、運よく生き延びた体の冒険漫遊記であると読むのは誤りなのである。

ここに全81巻の霊界物語でも入蒙記が別巻とされている理由がある。

出口王仁三郎全集の第一巻、第二巻は、戦後の大本各派の考え方ではあまり取り上げられてこなかった部分があり、考えさせられる部分がある。それはいわゆる霊がかりを離れた部分である(神人和合など)。


さて戦後、霊界物語をあまり読まなかったらしい出口直日さんがヘゲモニーを長く握っていたせいか、戦後は霊界物語の内容の掘り下げ、分析に関する文書はほとんどない。

そのかわりに世間を騒がした宗教家として、二度の大本教事件の首魁とての取り上げは何度もされてきている。これは遺憾なことである。


出口王仁三郎における古神道再興は、ネオ古事記としての霊界物語の自動口述書記、帰神を実質的に放棄し鎮魂主体での修行法構築、さらに二度の大本教事件を誘うことと大本神諭と数々の予言による日本国の運命の軌道修正というのが、基本的な柱になっていたように見える。

さらにみろくの世に向けた布石として言霊学の基本の公開がある。今の時代は、あまりにも現界、物質世界、肉体レベルのみ偏重であって、言霊で扱うアストラル・レベルの精妙な感覚を正当に感得できる人はまれであるために、この時代に言霊学が正当に理解され実地に応用されることはないだろうが、出口王仁三郎はことさらに言霊学を置いた。

クンダリーニ・ヨーガは、血統相続ではなく霊統相続。古神道再興という流れで見れば、本田親徳→出口王仁三郎→ダンテス・ダイジという流れはあるように思う。

さらに言えば、出口王仁三郎は6度死んだが、何度目が高熊山であって、その他の5回はいつであって、それぞれどのようであったかは、何も伝えられていないのは非常に残念である。

それこそが、出口王仁三郎の『体験とは言えない体験』の核心だからである。

あまた出口王仁三郎本は出ているが、それがわからないと出口王仁三郎の真の評価はできない。

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防暑法

2017-07-17 02:36:48 | 冥想アヴァンギャルド
◎シエスタから保水スカーフまで

35度を超える暑さが1週間続くと、さすがに身にこたえる。

午後3時頃電車に乗ると、野球だかサッカーだかの小学生チームがコーチと一緒に結構乗っているが、『激しい運動をしないようにしましょう』などという生命の危険防止よりも行事予定の消化が大事なんだと空恐ろしく思った。

夏季の気温上昇がここまで来ると、スペインか南米みたいにシエスタ(昼寝)でもって猛暑時間は外出しないとか、中東の、防塵、防暑兼用でシュマグ(顔を覆うスカーフ)を用いるとか、民俗的な対応が必要ではないかと思う。

南米アマゾンでは夏季40度まで上がり湿気もすごいのだが(湿度90%はざらにある)、日本人移民の方が2リットルの水を毎日10本は飲んでいたというような話を記憶している。

身体の中心部の体温は40度以上になると熱中症になるのだそうだが、このアマゾンの日本移民の方の水の飲み方はその対処法を象徴している。

今日本では午後外出してもせいぜい冷えたペットボトル1、2本だが、直射日光に肌をさらすスタイルで、これで水分による体温抑制は足りるのかと思う。

ちなみに私は、頭に水を含んだタオルキャップみたいなのをかぶり、首には保水のスカーフを巻き、水冷で外出しています。数時間外にいることになったので、
さらに保冷剤付きベストにチャレンジもします。

外出して帰宅した直後は、やる気がなくなり、何とはなく身体が動かなくなるものだから、このぐらいは気をつけて対応しています。
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オウムの薬物乱用と記憶抹消

2017-07-16 02:47:04 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎従順な仔羊信者たちの悲劇

最近オウム関連本を何冊か読んだ。

1.未解決事件オウム真理教秘録 NHKスペシャル取材班/編著 文藝春秋
2.オウム事件17年目の告白/上祐史浩/扶桑社
3.検証・オウム真理教事件/瀬口晴義/社会批評社

オウム関連本をまとめて読む人はそう多くはないだろう。というのは一冊一冊が刺激が強すぎて、一冊読めば他のことも想像できるみたいな気分にさせられるからである。

特に気になったことは2点あり、その一つは、LSD(と覚せい剤)入りドリンクを信者に大量に飲ませたが、その影響からか、サティアンでは統合失調みたいになった人を時々見かけたという点。教団内では、こうした人たちに十分なケアは与えられなかっただろうから、この人たちはその後どうなったのだろうか。

もう一つは、ニューナルコと呼ばれる薬物(睡眠導入剤?)と脳への電気ショック+洗脳情報強制投与による記憶抹消を施術された人数は約100人で、一人で20回以上やられた人もいること。

これをやられると、ある期間の記憶の一部が欠落して、人生上のセンシティブな部分が荒廃してしまう。

この記憶抹消をやられた人は、教団の殺人やサリンなどの犯罪を偶然知ってしまった人たちであって、素直で従順な信者であったがゆえにこのような目にあった側面があり、結構古参信者が多いことも目に付く。

グルのへの絶対服従は、法治の観点からすれば、信者の人権無視人権侵害にあたる。だが、たとえば観想法でいえば、カトリックでも正教でもチベット密教や比叡山でも、何か月も籠って観想やマントラをやらせる修行法はあるものだ。また道教でも魏伯陽が、弟子二人に毒を飲ませることを強要した事件もある。

だからグルへの絶対服従がだめとは、一概には言えない。
宗教の修業は、生死を賭けるものだから、出家修行では、日常生活は捨離される。

よってオウムではグルが問題だったということにはなる。

古参信徒の中には、グルの悟境を見極めてさっさと脱会した人もあるという。さもありなんである。

ことほど左様にお人よしの多い日本人。正師とは悟った人のことだが、悟っていない人が師匠や教祖が悟っているかどうかを見極めることなどまずできない。

その行為が合法であっても善行であるとは限らないし、最も厳しい見方では、悟っていない人間の行為などほとんど悪という見方すらあるのだ。

それでも坐る。

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社会的地位獲得から恐怖へ-3

2017-07-15 02:07:50 | 只管打坐
◎只管打坐へ

クリシュナムルティの文脈の続き。

さて思考は恐怖を生み出す。

思考とは記憶に対する反応であるがゆえに、思考とは常に古いものである。だから恐怖もまた古い。古いものであるので、人は自分で恐怖を見つめることができる。

こうしてクリシュナムルティは、社会的地位獲得への原動力が恐怖であり、恐怖の原因が思考と記憶という古く過ぎ去ったものであることに行き着いた。

恐怖をモチベーションとする行動はヒステリックなものであり、こうした偏執的な動機を避け、人としてまともに生きるには、恐怖を持たないことが条件となる。クリシュナムルティは、恐怖を持たない心は、心が完全かつ全体的なものとして現在に生きる場合に実現するとする。

ただし、これを理解するには、『思考と記憶と時間の構造』を知的な理解や言葉による理解でなく、全身全霊で理解せねばならぬという。

思考は物事を断片化するが、恐怖を断片化せず、分析せず、恐怖を恐怖のままに恐怖全体として見る。だが、心が恐怖を全体として見れるのは、一切の思考作用が存在しない時だけである。

こうして平静さと敏感さのうちに理解を深めていき、あなた自身が恐怖そのものになった時恐怖は消え去り、
偏執狂的な社会的地位獲得への努力はやむ。

クリシュナムルティは、知的理解ではない全身全霊の理解、全体的な理解といっているが、この方法論とか心構えの説明を読むと、只管打坐に酷似していることに気がつく人も多いのではないだろうか。

クリシュナムルティは、身心脱落にして恐怖がなくなるといっているようなのだが、身心脱落ではなく、『全身全霊での理解』というような、とりあえずわかるような用語を用いたために、晩年、誰も自分のやったことをわかってくれなかったみたいなことになったのだろうか。
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ヴァーチャル・リアリティは下層霊界である-2

2017-07-14 02:36:32 | 超能力・霊能力
◎カルトとヴァーチャル・リアリティの共通性

このようにヴァーチャル・リアリティと下層霊界の特徴を列挙すると共通点ばかりであって、共通でない点は、主役が生きている人間か死人かと、魔力の有無くらいのものだと気がつく。

この結果、ヴァーチャル・リアリティと下層霊界の間で次のようなおぞましいことが日常的に起きている。

それぞれの世界の住人は現実と非現実の区別がつかないので、下層霊界の霊が、ゲームにはまったようなヴァーチャル・リアリティに取り込まれた人間に容易に憑依する。こうした人間と霊の迷える霊はネガティブに共感しあい、ある感情、欲望を共通に持つグループを形成し、犯罪やカルトにつながるような利己的活動を繰り返す原動力となっていく。

まだそういうタイプの狂信的カルト集団が世間を騒がす事態にはなっていないが、若年層の3割が無職か非正規労働者であることがこうしたグループの温床になる可能性があると思う。

オウム真理教は、このようなコントロールされた憑依がメインの教団ではなく、超能力、現世利益と支配欲を前面に出したカルトであり、また違うタイプのカルト。

いまや、世界中の青少年が、スマホ、モバゲーを中心としたマインド・コントロールに落ちやすい世界共通のライフ・スタイルにある。このことは、表に出ない憑依をメインにしたカルトの潜在的発達が、今後制御不能の形で既成宗教破壊に進む可能性を孕んでいるのではないかと懸念する。

多様な価値観の容認と拝金と現世利益、これだけでも、十分にカルト教団は形成可能だが、このメンバー予備軍として、多くのゲームにはまった青少年・大人が半トランスみたいな形で存在することは、オウムなどよりもっとひどいカルトが出現しえる可能性があるように思う。

一人の偽予言者と多くのゾンビで成るカルトみたいな。


日日冥想を。
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ヴァーチャル・リアリティは下層霊界である-1

2017-07-13 02:51:05 | 超能力・霊能力
◎自分のイメージで形成した閉鎖空間にあって、利己的、攻撃的

現代は、地獄が現実化した社会になっているなどと言っても反応しない人でも、科学の粋であるヴァーチャル・リアリティ下層霊界であり、カルトも同質であると言えば、少しはキャッチーな話になるだろうか。

ヴァーチャルリアリティと下層霊界の共通点は、想念と感情と欲望で作り上げられた閉鎖的な洞窟のような空間に生きているという点であり、カルトは組織的にそういう信者を拡大再生産していくものであるということ。

1.ヴァーチャルリアリティの特徴
(1)自分の感情や欲望を自由に表現できる。
(2)SNSで他の人嘘と本音が入り混じったような交際ができる。
(3)自分の人格転換が簡単にできる。
(4)非常に利己的
(5)自己閉鎖的
(6)攻撃的であり、欲望や感情を簡単に爆発させがち
(7)非現実世界に入り込むのを好む
(8)現実と非現実の世界の区別が消失している部分がある

2.下層霊界(アストラル)の特徴
(1)下層霊界は、感情やイメージ、想念、欲望が中心となって活動している
(2)下層霊界の霊は、現実と霊界との区別がついていない。
彼らは、この世への未練が強く、死んでいることがわからなくて、この世の物や人に内在する霊的存在を見て、それとともに暮らしている。
(3)下層霊界の霊は、自分のイメージで生きている。衣食住をすべて自分のイメージで形成した洞窟みたいな世界で暮らす。
(4)自己中心的であり、非常に閉鎖的である。
(5)霊界にも植物、動物などの自然はあるが、それらから遊離して、自分たちだけの世界に住み、非現実性、非社会性が強い。
(6)下層霊界に何万年も住んだ霊は、魔力があり、他の迷っている霊や、ヴァーチャルリアリティにのめりこんでいるような人間に容易に憑依する。憑依されると病気や精神病になることがある。
(7)このような魔力ある霊は、性別を転換したり、違う民族になったり、老人や子供になったりと変身できる。そして人を困らせる、殺す、苦しめるのが楽しみである。
(続く)
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本山キヌエ予言

2017-07-12 05:57:34 | 時代のおわり
◎今に日本が赤くなって、白いご飯は食べられなくなる

本山博の母親の本山キヌエ氏の予言や奇跡的事件など。

1.昭和15年
小豆島に夏の静養に来ていた時、エビと鯛と金魚の気持ちの悪い夢を見る。

※エビはABで米英、金魚は中国で、米英と中国に追われて日本である鯛の戦況は身動きができなくなるという予言。

2.昭和19年
信徒の森園氏宅で、釜のご飯が日の丸の様に赤く染まる。

神示:(チャネリング)。
今に日本が赤くなって、白いご飯は食べられなくなる。

※日本はこれまで赤くなったことはないが、今後米国の衰退により、そのようなことが起こるのだろうか。

3.昭和19年11月24日

東京の最初の空襲があり、明治神宮の近所に住んでいたが、隣家に爆弾が落ち、不発弾で命は助かったが、爆風で庭先の踏み石に落ち膝を痛め足が立たなくなった。神示により直ちに、東京から疎開。

4.昭和20年8月
小豆島、百足山の上の三日月が三つに割れる。

神示:今に世界があの月のように三つに分かれてまた争う時が来る。

此の戦争が終わった後、まず東西の横綱の大相撲がある。その時、日本は土俵の置かれる場所によっては、フンドシかつぎの役目は免れまい。

国民皆が、神も仏も見失って親と子が殺し合う時が来る。

5.昭和40年

神示:ベトナム戦争も収まるだろう。ベトナムの方から和睦を申し入れて来るであろう。此の戦争はシナが邪魔して、どうしても終戦にならぬ。アジアの国々を一手に握ろうとして、方々の国へ働きかけているので困る。

以上出典:「お代様年譜 - 玉光神社」


正当派の予言らしく、三百年後には至福千年が到来するという予言もある。三百年はいかにも長いが、1999年の節目を言わなかったのは、一つの特徴だと思う。

生い立ちの悲惨さ、厳しさは、出口ナオにも劣らぬ。けれども、幼子本山博を連れて全国を行脚したけれども大本教みたいな巨大化の流れにならず大クンダリーニ・ヨーギ本山博を出すことになったことは特徴である。

それにしても本山キヌエ氏は金光教の信者であったが、この時代大本教とコンタクトはなかったものなのだろうか。
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人の世のあらゆる艱苦をなめつくし

2017-07-11 05:39:26 | 古神道の手振り
◎神の大道(おおじ)

出口王仁三郎が、戦後、大弾圧の影響で、教義教学の確認をしたくとも著作は信者の手元にはなく、その上紙不足で印刷もままならぬ時期に、信者から献呈された愛善の道。出獄後の出口王仁三郎は、これを繰り返し読んだという。

そこから十首。

人の世のあらゆる艱苦をなめつくし はじめて悟る神の大道

惟神(かんながら) まことの道は大衆のこころにかよう真道(まみち)なりけり

天国に昇るは易し地の底に落つるは難き神の大道(おおじ)よ

大神のまことの道は平けく安らけくして進みよきかな

天地(あめつち)の道 明らかになるときは 天変地妖あとを絶つべし

あやまたじおかさじものと朝夕に 心してゆけ 神の大道(おおじ)を

うたがわず心まよわずためらわず 神の大道(おおじ)にとく進めかし

生みの子のいやつぎつぎに相つたえ 神の大道(おおじ)を守りゆかなむ

天地(あめつちも)家もわが身も人の身も清めきよむる神のほぎごと

たまきはる人のいのちは天地(あめつち)の神のまにまに保ちこそすれ




人の命は人のさかしらによるのでなく、天意・神意による。

悟りは、あらゆる実感を経たものに訪れるというが、出口王仁三郎の表現では「人の世のあらゆる艱苦をなめつくし」となる。

宗教教学は、とかくわかりにくいものだが、「まことの道は大衆のこころにかよう真道」と謳っていても、そこにたどり着くには体験とはいえない体験が必要。それが惟神(かんながら)。

梅雨明け前に熱帯夜と酷暑。梅雨が明けたら鬼の暑さが待っているだろう。
リフレイン:天地の道 明らかになるときは 天変地妖あとを絶つべし


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社会的地位獲得から恐怖へ-2

2017-07-10 05:28:44 | 只管打坐
◎自分の恐怖を見るのを恐れる

クリシュナムルティの語る恐怖の文脈は以下のようなものである。

恐怖には、肉体的恐怖と心理学的恐怖がある。心理学的恐怖を理解できれば肉体的恐怖をも理解できる。

人はみな何かについて恐れを抱いているが抽象化されたものに恐れはなく、常に具体的な何かに恐怖が存在している。職を失う恐怖、食物や金が十分にないという恐怖。家族を失う恐怖など。

人はその恐怖から逃げ出したり、恐怖を隠すために何か観念かイメージを作り出すものだが、それは恐怖をふやすことになっているだけ。

恐怖を生み出す主な原因の一つは、あるがままの自分と直面しようとしないこと。

人は確信のあるものから不確かなものへと変化する可能性をみると恐怖し、慣れたものから慣れないものへと変わる可能性を見ると恐怖する。

人は、将来起こるだろうこと不安に思うのだが、これは将来のことを思考すると、これが恐怖感をもたらす仕組みとなる。思考は恐怖を生み出す張本人。

クリシュナムルティは、恐怖が存在するのは、思考が入って来たときだけであり、だからこそ人は恐怖に直面することができる。

ところが、いつもあるがままの自分を見ないで済ますようにするため、人はたえず他のことで心を一杯にしておきたいと思っている。自分の恐怖を見るのを恐れているからだ。
(続く)
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カラーナ体

2017-07-09 06:17:58 | チャクラと七つの身体
◎違いを隠したままに

本山博は、アストラル以上のボディについてカラーナ体しかないと言い切っている。これでは七つの身体論の定番であるメンタル体コーザル体の2区分はしていない。また本山博はカラーナ体に原因体という漢字を当てる。

彼のカラーナ体の説明は、
1.形はあるが、色、臭い、味、触はない。
2.形は白く輝いた透明な形
3.男女の性別はない。
4.アストラル体の魂の働きは、感情、想念が主であり、カラーナ体は、真理つまり物質、精神、宇宙、絶対についての真理を探究しそれを実現するように働く。自分の個別性を捨て、神や他との合一を目指す。
(以上:本山博の人間の研究 本山博著 東洋経済新報社P172-174から抜粋)

これに対して、ダンテス・ダイジのメンタル体の定義は、透明で光り輝いているであり、コーザル体の定義は肉体のような身体の形式を持たず、霊眼で確認すると球形の光と見える云々と至って簡単に済ましている。

OSHOバグワンも、この辺は詳述していないと思った。

ただ男女の性別がないとしているところは決定的かもしれない。

本山博によるとアストラル体霊能の人は、カラーナ体はまぶしくて見えないそうなので、その霊能者が神仏に真につながっているかを判別する一つのテスト基準として、この辺は故意に世間には明かしていない部分なのではないかと思う。

カラーナ体には行けていない著名霊能者はいるのものであって、大部の著作があったとしてもそういう手合いにはひっからないように気をつけないと。
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北叟笑む

2017-07-08 05:23:14 | 冥想アヴァンギャルド
◎何時となく北の叟(おきな)のごとくせば

唐代の北叟の話。

北叟は、人事が常ならぬことをわきまえ、主君に仕えて名利を貪る気持ちもなく、私欲により財宝を蓄える心もなく、都の北に柴の庵を結んで、麻の衣を着て寒さをしのぎ、草を摘み、木の実を拾って日々を送っていた。

喜ぶべきことを聞いては、ちょっと笑み、憂うべきことを聞いても、ちょっと笑むことから人は、これを北叟笑み(ほくそえみ)と呼んだ。

後鳥羽法皇は、隠岐ご配流のおり、

何時となく北の叟(おきな)のごとくせば この理(ことわり)や 思ひ知るらん

と御製を遊ばされた。この北の叟とは北叟のことであって、後鳥羽法皇は、結局北叟のような自己実現を目標としない人生を最初から選ばれることはなかった。

後鳥羽法皇は、隠岐で19年を過ごし、そこで崩御せられた。

さらに隠岐での御製
おなじ世にまた住の江の月や見む今日こそよその隠岐つ島守

これでは、北叟笑みはなかっただろう。


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縮身

2017-07-07 05:34:32 | 密教
◎宗教のお国ぶり

かのチベット密教で呪殺を繰り返したドルジェタク。彼は午年の4月10日の太陽が昇ったときに、身体が縮み、天界に上ったという。

正木晃氏はボン教屈指の学問寺院であるツァンのユンドゥルリン寺に調査のため滞在していた時に、ボン教ゾクチェンの権威として高名なシェーラブ・テンジン師が真顔で、縮身は、大の大人が赤ん坊くらいの大きさに縮むものであって、実際に起こる、と語るのを聞いたそうだ。

臨終時の屍解と縮身は、チベット密教では、頻出の話題である。屍解は他宗派でも見られる。どちらも死後の肉体の姿のことであり、本筋とはあまり関係のない話ではあるが、見なければ信じない人々が多い場合には、そういうことも起こして見せるということなのだろう。

現代科学は、再現させ、第三者に見せなければ、信じない手法である。誰もが知覚がアストラル体まで感得できるようになれば、そして神知ることができるようになれば、この粗い感性を大前提とした肉体レベル、物質レベルだけを相手にした片手落ちな科学は、その権威を身の丈に合ったものに変えていくだろう。
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