◎戦争への利用から日常生活への応用まで
アメリカ生まれの行動主義心理学というのは、妙な心理学であると学生の時から感じていたが、果たしてLSD教の元祖ティモシー・リアリーは、その本質的偏向をズバリと評言している。
『戦争に貢献する心理学
二〇世紀の軍事産業複合体が、産業時代のイデオロギーである工場化された生と死をいかにして人々に押しつけたか、それを理解することには測り知れない価値がある。
人間の心理を考慮に入れることは第一次、第二次世界大戦ですっかり主流となった。史上初めて、肩幅の広さとオツムの弱さに基づいて兵士を選ぶのではなく、知的なコアとなる爆撃手、航海士、暗号専門家、計画立案者などが必要となった。戦争は専門的な技術を要するようになり、軍隊は「適性」を測るための心理学的そして知的テストを実施するようになった。
こうして行動主義―――心理学の最も初期のテクノロジー (テクニック)―――― が始まった。もちろんテクノロジーを最初に獲得するのは常に軍隊である(最近ではゲーム、エンタテインメント、そして一般市場向けコンピュータ産業がようやく軍と競合するまでに成長した。これはここ数十年の間に起こった、国際的な権力形態の過激にして構造的な多くの変化の一つだ)。
第一次世界大戦以前の心理学者は、「患者」とともに、互いを尊重し合いながら共同で作業を行った。それは「内省トレーニング」という愛らしい名称で呼ばれ、注意を集中させること、黙想、そして自己コントロールが教示された。一九世紀のロマンティックな個人主義がもたらしたこのチャーミングな副産物は、第一次世界大戦以降になると、のさばり始めた行動主義者に拒絶された。
行動主義者は心理学を客観的な刺激反応に限定し、「患者」の内的、個人的反応はすべ
て主観という暖昧な領域へ、いかにも忌々しげに追放する。
そのまさに出発点から、行動主義は諜報部員、官僚、警察、スパイ、そしてダーティなトリックスターなど、オーウェル的な操縦者の領域と見なされた。群衆支配を目論む権力者にとって、この新しい玩具のなんと素晴らしいことか。条件付け! マインド・コントロール!』
((死をデザインする/ティモシー・リアリー/河出書房新社p135-136から引用))
行動主義心理学の成果は素晴らしく、テレビ・ゲーム、テレビ・ドラマ、映画、スーパマーケットのアナウンス、文化・芸能・スポーツ情報操作による世論懐柔、ネット販売、教育カリキュラムなど、考えうるあらゆる分野に及んでいる。
マインド・コントロールと言えば、カルト教団だが、世間ではカルトとされない教団でも信者多数を競技場に集めてマスゲームやカリスマ信者やカリスマ教祖の講演なんかで気分を盛り上がらせちゃうなんてのはお手のものである。
米軍は、行動主義を使いこなせる人材として、他人の心の奥底、弱点、趣味・娯楽、友人の傾向などを自分の脳内ファイルにしまいこんで、いつかそれを利用できる日を待てるような性格の、狡猾で打算ずくで、表面からはそれを気取らせない、疑い深くて慎重な偏執狂タイプの人材を選抜したらしい。
こういうタイプの人間は、現代の日本でも「しっかりした使える人間」として組織内では間違いなく出世しているので、そうした人たちも行動主義の落とし子であると言える。
でもそれってオレ達の幸福とは何のかかわり合いもない。行動主義心理学は、世紀末の混乱を更に増幅しただけだった・・・ということになるのが目に見えている。行動主義はオレ達の決して充足することのない欲望と不満の繰り返しマインド・ゲームを増幅させるだけだった。


悟りとは何か
アメリカ生まれの行動主義心理学というのは、妙な心理学であると学生の時から感じていたが、果たしてLSD教の元祖ティモシー・リアリーは、その本質的偏向をズバリと評言している。
『戦争に貢献する心理学
二〇世紀の軍事産業複合体が、産業時代のイデオロギーである工場化された生と死をいかにして人々に押しつけたか、それを理解することには測り知れない価値がある。
人間の心理を考慮に入れることは第一次、第二次世界大戦ですっかり主流となった。史上初めて、肩幅の広さとオツムの弱さに基づいて兵士を選ぶのではなく、知的なコアとなる爆撃手、航海士、暗号専門家、計画立案者などが必要となった。戦争は専門的な技術を要するようになり、軍隊は「適性」を測るための心理学的そして知的テストを実施するようになった。
こうして行動主義―――心理学の最も初期のテクノロジー (テクニック)―――― が始まった。もちろんテクノロジーを最初に獲得するのは常に軍隊である(最近ではゲーム、エンタテインメント、そして一般市場向けコンピュータ産業がようやく軍と競合するまでに成長した。これはここ数十年の間に起こった、国際的な権力形態の過激にして構造的な多くの変化の一つだ)。
第一次世界大戦以前の心理学者は、「患者」とともに、互いを尊重し合いながら共同で作業を行った。それは「内省トレーニング」という愛らしい名称で呼ばれ、注意を集中させること、黙想、そして自己コントロールが教示された。一九世紀のロマンティックな個人主義がもたらしたこのチャーミングな副産物は、第一次世界大戦以降になると、のさばり始めた行動主義者に拒絶された。
行動主義者は心理学を客観的な刺激反応に限定し、「患者」の内的、個人的反応はすべ
て主観という暖昧な領域へ、いかにも忌々しげに追放する。
そのまさに出発点から、行動主義は諜報部員、官僚、警察、スパイ、そしてダーティなトリックスターなど、オーウェル的な操縦者の領域と見なされた。群衆支配を目論む権力者にとって、この新しい玩具のなんと素晴らしいことか。条件付け! マインド・コントロール!』
((死をデザインする/ティモシー・リアリー/河出書房新社p135-136から引用))
行動主義心理学の成果は素晴らしく、テレビ・ゲーム、テレビ・ドラマ、映画、スーパマーケットのアナウンス、文化・芸能・スポーツ情報操作による世論懐柔、ネット販売、教育カリキュラムなど、考えうるあらゆる分野に及んでいる。
マインド・コントロールと言えば、カルト教団だが、世間ではカルトとされない教団でも信者多数を競技場に集めてマスゲームやカリスマ信者やカリスマ教祖の講演なんかで気分を盛り上がらせちゃうなんてのはお手のものである。
米軍は、行動主義を使いこなせる人材として、他人の心の奥底、弱点、趣味・娯楽、友人の傾向などを自分の脳内ファイルにしまいこんで、いつかそれを利用できる日を待てるような性格の、狡猾で打算ずくで、表面からはそれを気取らせない、疑い深くて慎重な偏執狂タイプの人材を選抜したらしい。
こういうタイプの人間は、現代の日本でも「しっかりした使える人間」として組織内では間違いなく出世しているので、そうした人たちも行動主義の落とし子であると言える。
でもそれってオレ達の幸福とは何のかかわり合いもない。行動主義心理学は、世紀末の混乱を更に増幅しただけだった・・・ということになるのが目に見えている。行動主義はオレ達の決して充足することのない欲望と不満の繰り返しマインド・ゲームを増幅させるだけだった。


悟りとは何か











