アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

豊国大明神

2016-09-14 05:43:38 | 古神道の手振り
◎人を祀った神社の末路

太閤秀吉は、農民上がりであったが、位人身を極め、難波のことは夢のまた夢と栄華を恣にした。ところが彼の没後、陵墓たる京都阿弥陀ヶ峰の豊国神社は、1599年の創建後、二度にわたる破却をこうむった。最初は1615年の家康による第一次破却であり、この時は秀吉の正室ねねの哀願により、参道と廟墓だけは破壊を免れた。破壊された豊国神社の敷地には、家康と天海の命により天台宗門跡寺の妙法院が置かれ、この妙法院がしきりに破壊工作を行い、1619年参道はふさぎ、豊国神社の社殿は毀つという挙に出た。こうして1640年頃には、この一帯は荒涼たる廃墟となっていたという。

今修学旅行、観光旅行で行く文化財の多くが、信長、秀吉、家康の手になるものであり、一方で明治時代から昭和20年まで日本最大の富豪とされる人々によるそうした建築や文化財が少ないのは、意外なことである。

信長、秀吉、家康の時代も戦乱に次ぐ戦乱で軍事投資が多かったが、スピリチュアル投資も相当にやってきた。明治時代から昭和20年までも軍事投資が多かったが、文化財という形でのスピリチュアル投資には見るべきものはなかったというところか。創建当時の明治神宮本殿は、米軍の空襲により焼失し、今の社殿は、寄付により昭和33年に再建したもの。

社殿陵墓の華麗さが、スピリチュアルのバロメーターではないが、スピリチュアルを支える重要なファクターの一つであることは間違いない。そういう場所は、しばしば天然のパワースポットだからである。

人が去れば地を巡るの法則で、有力覚者が亡くなれば、その弟子たちは、パワースポットや他の人に知られぬ覚者を求めて地をさまよう。

だが豊国大明神も明治神宮も人を祀った神社。そこはそのように対して行くべきものだと思う。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 正しく狂い且つ神に憑かれた人 | トップ | 99%の人が知らない死の秘密 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。