もう4、5年前になるが、京都栂尾の神護寺、高山寺とめぐったことがあった。丁度紅葉も終わろうとする季節で、夕方近くでもあり、参観者も少なく、落ち着いて明恵の頃の往時の雰囲気をしのぶことができた。
栂尾のあたりは、あれだけ山また山の地勢であれば、米の耕作はできても大規模なものはできないであろうから、寺を作って修行場にするくらいしかないであろうこととは見て取れた。
承久の乱は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して倒幕の兵を挙げた兵乱であり、後鳥羽上皇は隠岐に配流となったが、承久の乱の上皇方の落ち武者が高尾、栂尾の辺りに逃げ込んだことが、明恵周辺の記録に見える。また承久の乱で、夫が死んで戦争未亡人となった貴族の婦女が大勢高山寺周辺に集まり、明恵がやむなく尼寺にこれを受け入れた記録がある。
明恵がその高山寺にいた時に、弟子の僧たちが群がって仏前で勤行していた時に、その目の様子、顔の表情、手の様子、坐り方、本尊の周りを巡り歩くその作法をじっと見て、あまりにお粗末であり、信心のかけらもないことに呆れ、思わず涙を流したことがあった。
あの謹厳な明恵が直接指導する、700年前のプロの修行者の集団であっても、この有り様であった。いわんやそうした規制・たがのない現代では、ますます心をこめて本当のものを探し求める人の集まった施設はますます少ないのだろうと思う。
一方明恵は、建仁寺の栄西(当時の禅の師家)が、俗事を離れて本当に修行に打ち込みたい人だけを集めた専門道場(坊舎)を建てたことを、本当に必要なものであると評している(遺訓)。本当に求道の気持のある者だけを集めて切磋琢磨させるスペースは必要なのだ。
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《栂尾高山寺でTB/リンクさせていただきました。》
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栂尾のあたりは、あれだけ山また山の地勢であれば、米の耕作はできても大規模なものはできないであろうから、寺を作って修行場にするくらいしかないであろうこととは見て取れた。
承久の乱は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して倒幕の兵を挙げた兵乱であり、後鳥羽上皇は隠岐に配流となったが、承久の乱の上皇方の落ち武者が高尾、栂尾の辺りに逃げ込んだことが、明恵周辺の記録に見える。また承久の乱で、夫が死んで戦争未亡人となった貴族の婦女が大勢高山寺周辺に集まり、明恵がやむなく尼寺にこれを受け入れた記録がある。
明恵がその高山寺にいた時に、弟子の僧たちが群がって仏前で勤行していた時に、その目の様子、顔の表情、手の様子、坐り方、本尊の周りを巡り歩くその作法をじっと見て、あまりにお粗末であり、信心のかけらもないことに呆れ、思わず涙を流したことがあった。
あの謹厳な明恵が直接指導する、700年前のプロの修行者の集団であっても、この有り様であった。いわんやそうした規制・たがのない現代では、ますます心をこめて本当のものを探し求める人の集まった施設はますます少ないのだろうと思う。
一方明恵は、建仁寺の栄西(当時の禅の師家)が、俗事を離れて本当に修行に打ち込みたい人だけを集めた専門道場(坊舎)を建てたことを、本当に必要なものであると評している(遺訓)。本当に求道の気持のある者だけを集めて切磋琢磨させるスペースは必要なのだ。
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1日1善。1日1クリ。 
栂尾高山寺門前(江戸時代から観光名所だった)
《栂尾高山寺でTB/リンクさせていただきました。》
かみかみの徒然草) ()お寺さんぽ) ()新☆もこほじゃほろみ日記)()散歩の変人) ()Outdoorな生活) ()ビーグル犬かれんちゃんの日々(転居))()むいむい日記) ()Go Plain!) ()(和心全書) ()徒然ゆっこ) ()(奥森の車窓から) ()怪道をゆく(仮))()kayo's diary) ()(「不思議少女ちょび」の観察日記)()武州与野介日記) ()ねーやんのぼやき袋) () (桜組日記) ()(My Favorite Things) ()(京のいろは) ()お台場ではたらく、医師) ()泉)()HANA) () (部分と全部)()僕が今あの人に会う)()(日日是白樺派()












拙ブログにリンクありがとうございました。
今でこそバスなどの交通手段がありますが、
江戸時代の頃は、ここまで登って来るのに苦労したんじゃないかなぁと思います。
それだけに登りきって高山寺に辿り着いた時には、
神聖な感じも強くなったのかな。
紅葉の季節以外は、栂尾はわりとすいているのかもしれませんね。
仁和寺の方から山道に入っていったと思いましたけれど、一泊で栂尾まで当時は行けたのかどうか・・・。
京都の街から来れば、栂尾は聖地という雰囲気のあるところではありました。