アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

アヴャンギャルドな旅の作法−2

2005-03-09 05:14:49 | 冥想アヴァンギャルド
◎精神世界的なものに対する取り組み姿勢。

これまでの時代は、教祖がいて、その名代とか代理人が、「ありがたい」教えを信者に布教するスタイルだったが、もうこれだけ価値観が多様化し、ジコチューの多い世の中だと、それについてよく知っている知り合いから、知りたいことを教えてもらうスタイルしかないんではないだろうか。だからもう教えを上から押し付けるタイプのあり方は有り得ない。
すなわち教祖の教えをそのまま信徒が承るような『布教』というのは現代では難しいのだ。

これまでは、上からの教えを無批判にそのまま信じることが、神(仏)への信愛の現れとしての信仰のあり方であると評価する向きがあり、それが主流だったように思う。そういう手法も勿論有効であったが、これだけ知性が発達した中では、無批判にそのまま受け入れるというのは、やや無理であることを感じている人の方が多いのではないか。

神(仏)にアプローチする冥想手法も出揃い、そして自らどの考え方が正しいか選びとれるだけの知性と感受性が発達した時代。各人は、いろいろな考え方のうちから、自分にフィットした考え方を自ら選び取り、実践してもらうというやり方しかないと思う。

ただし上述(アヴァンギャルドな旅の作法−1◎現代の科学的的検証の限界)のとおり、客観的な確認手段はないので、自ら体験したり、確信の持てることをひとつひとつ積み上げ推論したり、同じレベルの体験談・記録により傍証をとったり、手さぐりしていくしかないのだ。それが、21世紀人としては正しい態度・取り組み姿勢であろう。そしてその知性と感受性の発達により、自ら体験できる可能性は大きいと考えている。

またたとえば、いきなりここに「私は、中心太陽に突入しました。身心脱落しました」という人が現れて、そこに至るまでの過程を語ったとしても、あなたが信用するためには、本当にそうである証拠を出せということに、必ずなってしまう。証拠など出せないのに。
無条件に信じることなんか、今さらできやしない。だから本当にそういった体験をした人が現れても、預言者とか救世主ではなくて、単なる知合い、友人としておつきあいするのが現代風だろう。

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アヴァンギャルド ジコチュー
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2 コメント

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Unknown (太陽に集いしもの)
2005-03-10 00:48:18
完全なものはありえないと悟りつつ、より高いところを目指す。

結末は無だということが分かっているからこそ、過程に命を燃やすことができる。



実際は自堕落になったり、ストイックになったりのピンボール状態ですけど、それが結構楽しめたりするんですよね。



自然体が一番というところでしょうか?

なにげない日常生活が輝いて見える今日この頃です。
太陽に集いしもの殿へ (湖南)
2005-03-10 04:41:29
自然体で過ごせて、過程に命を燃やせるということもカルマ・ヨーガ的ですが、一つの至る道だと思います。

またお寄り下さい。

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