アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ダンテス・ダイジ 見神・見性・見仏の本質

2017-06-20 05:40:48 | 現代冥想の到達点
◎それはまだ俺がいる。俺が経験している。

ダンテス・ダイジが、見神・見性・見仏を一言でくくる。

『ううん、そうではなくてね、単なる見性ということならね、無数に起こるんだ。それはこっちから見るって世界。だからそれは消えてしまう。

その時は素晴らしい。見えたと思う。でも俺が見ているんだ所詮。

(中略)

そういう経験とか、そんなもの無数にあった。あったけど、それはまだ俺がいる。俺が経験しているんだ。


今、俺は何も経験していない。』
(素直になる/ ダンテス・ダイジ講和録4/渡辺郁夫編P99から引用)

この関連で、ダンテス・ダイジは自分自身の見性体験を語り、見性についての見解をしばしばアフォリズム風に述べる。

オカルトブームや、だいぶ下火になったとはいえ自己啓発セミナーや、霊的体験ショップ・ツアー、パワー・スポット探訪など神秘的体験で人の興味を惹きつけようとする動きはあまりにも多い。

その頂点付近に位置する神秘的体験が見神・見性・見仏であって、正統宗教でも比叡山で見仏目的に修行するカリキュラムもあって、見神・見性・見仏そのものが、『体験とはいえない体験』の前段のまともなステップであることは、言うまでもない。

禅の十牛図でもメイドインジャパンの牛飼い草にも見牛は出てくる。

だからといって、見神・見性・見仏は最終的なものではないと、ダンテス・ダイジは、そこを殊更に強調する。

『俺がいない、俺が経験していない世界』は、禅の十牛図の第八図であり、うしかひ草の神無月である。

「素直になる/ ダンテス・ダイジ講和録4」のこの部分では、自分らしい生き方、その人らしい生き方=ライフ・スタイルを結論にもって来ているが、この後彼は方向転換し、窮極つまり、ニルヴァーナ、古神道の大神、キリスト教の神などを至上とする、より厳しい目標に変えていることを忘れてはならないと思う。

またこの見地から、チャネリング(至高の存在である何とかからのメッセージ、降神)という技法には否定的でもある。
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