アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

常に独り行き、常に独り歩む

2017-06-15 05:17:58 | 丹田禅(冥想法8)
◎ニルヴァーナの路で遊ぶ

禅の証道歌から。
『鏡で色形を見ることは難しくはない。

水中に月を捉えるのは、そんなわけにはいかない。

常に独り行き、常に独り歩む。

達成した者は同じように涅槃の路を遊ぶ』

この『常に独り行き、常に独り歩む。』独立独行のポジティブな努力路線のことと読むこともできるが、そうではなくて彼らの絶対的な孤独のことの方に重心があるのではないか。

あらゆる神秘そのものに取り殺された自分は、先覚と同じようにニルヴァーナの路で遊ぶのだ。

証道歌は永嘉真覚(ようかしんかく)(665~713)の作。彼は博識であったが、六祖慧能の門を叩いて、問答が盛り上がって、一晩泊まっていきなさいと引き留められ、その夜覚醒したと言われ、後に六祖慧能の衣鉢を嗣ぐことになった。

悟らなければ、その宗派の跡目を相続しないというのは、ごく当たり前のことである。
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2 コメント

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Unknown (山蔭)
2017-06-16 01:25:04
カルロス・カスタネダの著書の中にも人間の絶対的な孤独が記されています。
「ナワール・エリアスがドン・ファンに説明したところによれば、われわれふつうの人間に特徴的なのは、私たちが比喩的な意味での剣、つまり内省からくる関心事を共有していることだという。この剣でわれわれはみずからを切りつけ、血を流す。鎖の仕事は、いっしょに血を流しているという気分、そして何かすばらしいもの、つまり人間性を共有しているという気持ちをわれわれに抱かせることだ。だが、もしじっくり調べてみれば、われわれはみな、ひとりで血を流しているということがわかるだろう。われわれは何も共有してはいない。ただ御しやすくて不確かな、自分たちで造りだした鏡像をもてあそんでいるにすぎないのだ。」
更に「鎖を断つのはすばらしいことだが、またおおかたの場合は望まれないことでもある。つまり誰も、ほんとうに自由になりたいとは思っていないんだ。」とも。
山蔭殿へ (湖南)
2017-06-17 05:51:45
コメントありがとうございます。

本当の自由ではなくて、何か本当のものを求めて修行に取り組んでいる人はわりといるのではないかと、思います。だからカスタネダでは、段階を踏んであらゆるものとわかれを告げるシーンが印象的に描かれていると感じます。

社会と宇宙に別れを告げるのはおっしゃるとおり、誰もができることではないですが、死にさいしてそれがあることに気が付くと、態度が変わるのでしょう。

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