アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

意味がないもの、意味があるものの違いを超える-3

2017-11-10 05:29:03 | 現代冥想の到達点
◎禅と乾いた道

白隠は、大悟数回小悟数知れずなどと数えている。いつ意味がないもの、意味があるものの違いを区別しなくなったのか。その都度大汗三斗も噴出して、嬉しさ、すばらしさの極みを感じたのだろうか。

大悟は、人間にとって一回で十分だが、何回もやるには、相当な準備がいる。白隠は、本人はその当座は大悟だと思っていたが、後に大悟などではなかったというのがばれるシーンもいくつかある。

面白いことに禅家の悟りシーンでは、あの突き抜ける歓喜や力の自覚のシーンは多いが、悲しみの極み、ありがたさ、愛の自覚のシーンはほとんどない印象がある。

これが、乾いた道、近道であろう禅の特徴なのではないか。

禅の大悟は、一つのノンデュアリティではあるが、その悟境を確かめに師家のところに参上して、あまりのありがたさ、悲しみで、涙にくれるという場面はまずない。

まさしく乾いた道だと思う。
どうしてそうなのかは知らない。

意味がないもの、意味があるものの区別をしない人というのは、重篤な統合失調症の患者などにもあるが、意味が崩壊した世界で、正気を保っていられるというのも、覚者の一側面なのだろう。

孤絶した透明な孤独感も統合失調症患者にも、覚者にもある。そうした心理現象の側面だけ追っても大悟には届かないだろう。

「すべてが一つです」などと主張する人たちは、そうした意味が崩壊した世界を通過したのだろうか。人間の無意識にはわけのわからないものが無数に詰まっている。そういうものに直面して動揺しない者だけが彼岸に至るのだろう。

意味の崩壊した世界というのは考えるだに恐ろしいものだが、ノンデュアリティを説く人たちは、その恐怖の扱いをどうしているのだろうか。

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