アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

キリスト教と転生

2017-04-24 05:46:07 | キリスト者の秘蹟
◎肉食とペット

キリスト教では、人は輪廻転生せず、一回地獄に落ちたら、救済のチャンスなく、最後の審判の時に釜の蓋が開いて出てくるのが最後のチャンスみたいなものである。

この点は、地獄に落ちても弥陀の本願にすがれば救済されると説く仏教に比べて、キリスト教は、ひとたび道を誤ればノーチャンスである、極めて過酷な宗教であると安土桃山時代の民衆が感じたのはもっともなことである。

キリスト教は慈悲の教えと自称しながら、その実人に優しくない教えと16世紀の日本人には感じ取られたのだ。輪廻転生のない宗教は、信徒がより絶望に陥りやすいのだが、それはキリスト教はそういう風に作ってある(悟りに向かうために)ということなのだろう。

キリスト教では、人が輪廻しないのだから、動物も輪廻しない。人は死んで動物に転生することもないから人は死後動物になることもない。

だから、動物を殺して食べる肉食にキリスト教徒は抵抗がない。という風に論理は展開していく。

日本では、ペットは家族であり、ペットが病気やケガをしたからといって殺して食う人はまずいない。飼えなくなったら保健所に持っていく人は多いが、自分で殺す人はいない。

日本では人間と動物の間に断絶なく、キリスト教国では人と動物は断絶している。日本は、脱亜入欧でもそこまでは入れなかった。
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2 コメント

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はじめまして (FN)
2017-04-25 09:37:46
いつもブログを興味深く拝見しています。たくさんのことを網羅されておられ尊敬しています。

私は10年前に洗礼を受けたカトリックのクリスチャンでペットとも暮らしています。

カトリックは歴史が古く、洗礼を受ける時に、神父様に『聖書にあることは、その人が神から受けた言葉が書いてある』と教わりました。つまり、その時代のそのひとが神の言葉をそのように伝えたということを示されたと記憶しています。


キリスト教は節制という教えはあっても、食べ物によって制限はしません。だからといって、肉食を大いに薦めているわけでもないと思います。

また、欧米には動物保護、医療やペットに関する考え方もある意味日本よりも進んでいる国もあります。(例えば殺処分0のドイツなど)ですから、一概にはキリスト国だから動物と断絶しているとは言えない部分もあるのではないかと思いました。むしろ、動物を家族のように愛するのは、牧畜や狩猟などの文化をもつ欧州の方が根付いていたのかもしれません。

確かに日本は自然と調和する形で、捕鯨などの肉食を信仰に近いような形で行ってきて、それがなかなか欧米には理解されないという現実もあり、複雑な気持ちになります。自然観の違いは確かにあるかもしれません。しかし、時代は進み情報や文化は行き来していますので、文化間の理解は昔とはかなり違ってきていると思います。問題はまだまだありますが、現代は国による価値観の差異は昔よりは少なくなり、差別的な考えがよくないことも、宗教に関わらず広がっていると信じたいです。

長々と失礼しました。イギリスに住んだことがあり、ヨーロッパの犬が素晴らしく社会的な存在でしたので、何とかお伝えしたかったのです。
FN殿へ (湖南)
2017-06-17 05:38:24
コメントありがとうございます。いつもご来訪ありがとうございます。

つい50年くらい前までには、聖書も含め正しい書を読むのも修行に役に立つなどとどの宗派でも言われていました。そういう段階も過ぎ、知性の先が求められる時代になり、そこには孤独に生きることの功罪が日本でも問われる時代になりました。その視野にペットが出現しているという感じを持っています。

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