◎情報操作に騙されない
免罪符は、浪費家のローマ教皇が資金捻出のために始めたそうだが、平民には年収一年分とも言われるほど高価なものだったらしい。それでも効果は期間限定であり、半永久に地獄に落ちないことを保証するものではなかった。似たようなものに鞭打ち苦行がある。
『鞭打ち苦行者の群れ
黒死病のさなかに流行した奇怪な出来事のひとつにフラジラント(鞭打ち苦行)という社会現象がある。これはほぼ一世紀前にイタリアで始まった。
当時イタリアではさまざまな疫病や飢餓で人々は苦しんだ。イタリア人は次のように信じた。「神はわれわれに悔悟の念を示すことを求めておられる」。それは巡礼行脚の形をとった。
上半身裸で町を練り歩き、皮の鞭や金属の突起を埋め込んだ鞭で自分の肉体を打つ。当初、これが効果を発揮したらしい。その後は事あるたびに行われるようになった。
ここに黒死病が襲来する。多くの人が何か決定的な救済策が必要と考えはじめた。ここで次のような噂が広まる。「1260年頃,一通の書状が天から届けられた。それにフラジラントだけは救われると書いてある。その書状が、1343年にふたたび聖地に現れた。天使がエルサレムの聖ペテロ教会に届けた」。
フラジラントは宗教リバイバルのあらゆるヒステリー症状をともなってヨーロッパ全土にひろがった。大部分はごく普通の男女「巡礼者」である。
町を訪れると中央の広場で儀式を行う。まず上半身はだかになる。次に鞭で自分の体を打つ。次第にヒステリー状態がたかまる。下半身には昔ながらのリンネルの衣装をつけている。血が流れ、その白リンネルが真っ赤に染まるまで鞭打ちを続ける。
巡礼の期間は三十三日間と定められている。その期間、一日に三回は鞭打ちを行うと各自が神に誓う。首領が組員の間を歩きまわり、誓い通りにしないものを鞭で打つ。
しかしフラジラントは町から町をめぐりながら疫病を広める結果となった。
(中略)
一般の敬意と讃歎の声を勝ち得てからほんの一年後、突如フラジラントは社会のつまはじきものに変わり果てた。教皇はフラジラントを弾劾する教書を出した。宗教的ヒステリー状態は、起きた時と同様に突然しぼんだ。』
(世界残酷物語(上)/コリン・ウィルソン/青土社から引用)
鞭打ち苦行は、日本人には一般にはなじみがないものであるが、かのゾイゼを始めとして、キリスト教では伝統的な修行法の一種であり、修道院の中では行われているものである。
鞭打ち苦行は、黒死病には効果なく、逆に蔓延させる原因ともなっていたようで、現代でいえば、最初は効果の高いサプリメントみたいなものとして人気を博したが、最後は効果もなく有害でもあるものとして、排除されてしまったということだろう。
今でも、そんな実質的効果のないスピリチュアルも当然はびこっている。
この話に続いて、教会は一般人には聖書を見せないようにしていたが、聖書の英訳が初めてイングランドでジョン・ウィクリフ(1320頃〜84)によって出版された話が出ている。
一般人に聖書を見せないのは、立派な情報操作という手法による洗脳の一種。ウィクリフは、「教会には人間の思考を支配する絶対的権利などありはしない。」と教会が聖書の教義の解釈者・演出者の立場を独占して飯を食べていることを批判した。
宗教やスピリチュアルに限ったことではないが、ウィクリフのように、洗脳に騙されないで、自分の頭で考えたり判断したりするのは、20人に一人くらいしかいないというのはありそうなことだと思う。


免罪符は、浪費家のローマ教皇が資金捻出のために始めたそうだが、平民には年収一年分とも言われるほど高価なものだったらしい。それでも効果は期間限定であり、半永久に地獄に落ちないことを保証するものではなかった。似たようなものに鞭打ち苦行がある。
『鞭打ち苦行者の群れ
黒死病のさなかに流行した奇怪な出来事のひとつにフラジラント(鞭打ち苦行)という社会現象がある。これはほぼ一世紀前にイタリアで始まった。
当時イタリアではさまざまな疫病や飢餓で人々は苦しんだ。イタリア人は次のように信じた。「神はわれわれに悔悟の念を示すことを求めておられる」。それは巡礼行脚の形をとった。
上半身裸で町を練り歩き、皮の鞭や金属の突起を埋め込んだ鞭で自分の肉体を打つ。当初、これが効果を発揮したらしい。その後は事あるたびに行われるようになった。
ここに黒死病が襲来する。多くの人が何か決定的な救済策が必要と考えはじめた。ここで次のような噂が広まる。「1260年頃,一通の書状が天から届けられた。それにフラジラントだけは救われると書いてある。その書状が、1343年にふたたび聖地に現れた。天使がエルサレムの聖ペテロ教会に届けた」。
フラジラントは宗教リバイバルのあらゆるヒステリー症状をともなってヨーロッパ全土にひろがった。大部分はごく普通の男女「巡礼者」である。
町を訪れると中央の広場で儀式を行う。まず上半身はだかになる。次に鞭で自分の体を打つ。次第にヒステリー状態がたかまる。下半身には昔ながらのリンネルの衣装をつけている。血が流れ、その白リンネルが真っ赤に染まるまで鞭打ちを続ける。
巡礼の期間は三十三日間と定められている。その期間、一日に三回は鞭打ちを行うと各自が神に誓う。首領が組員の間を歩きまわり、誓い通りにしないものを鞭で打つ。
しかしフラジラントは町から町をめぐりながら疫病を広める結果となった。
(中略)
一般の敬意と讃歎の声を勝ち得てからほんの一年後、突如フラジラントは社会のつまはじきものに変わり果てた。教皇はフラジラントを弾劾する教書を出した。宗教的ヒステリー状態は、起きた時と同様に突然しぼんだ。』
(世界残酷物語(上)/コリン・ウィルソン/青土社から引用)
鞭打ち苦行は、日本人には一般にはなじみがないものであるが、かのゾイゼを始めとして、キリスト教では伝統的な修行法の一種であり、修道院の中では行われているものである。
鞭打ち苦行は、黒死病には効果なく、逆に蔓延させる原因ともなっていたようで、現代でいえば、最初は効果の高いサプリメントみたいなものとして人気を博したが、最後は効果もなく有害でもあるものとして、排除されてしまったということだろう。
今でも、そんな実質的効果のないスピリチュアルも当然はびこっている。
この話に続いて、教会は一般人には聖書を見せないようにしていたが、聖書の英訳が初めてイングランドでジョン・ウィクリフ(1320頃〜84)によって出版された話が出ている。
一般人に聖書を見せないのは、立派な情報操作という手法による洗脳の一種。ウィクリフは、「教会には人間の思考を支配する絶対的権利などありはしない。」と教会が聖書の教義の解釈者・演出者の立場を独占して飯を食べていることを批判した。
宗教やスピリチュアルに限ったことではないが、ウィクリフのように、洗脳に騙されないで、自分の頭で考えたり判断したりするのは、20人に一人くらいしかいないというのはありそうなことだと思う。














クリシュナムルティは何度も何度も
「自分を救えるのは自分以外にはない。それゆえどのような組織も獄舎でしかない」
といっていたのに、やっぱり彼を頼る人が周囲にできてしまったし。
バグワンがいなくなった後にはただ形骸化した組織が残っているだけだし。
「人生の責任を言い訳せずに引き受ける」
というのはつらいことだから、どうしても何かに頼りたくなる。どうしようもなく無力で惨めなありのままの自分と向き合いたくない。誰かに責任をとって欲しい、何かに縋り付きたい。
その心があらゆる価値観の組織を作り出し、対立し、争いを生み、途方もない混乱と悲しみと腐敗を生みだし続ける。
独立した個の時代が来るか、滅びるかの瀬戸際がまさに今の今。
なんですが、どうも見ていると現代文明は滅びる以外にはなさそうです。
それもまた自然の流れだから仕方ないといえばそれまでですが。
組織宗教にも悟った人がいることがあるでしょう。ただ、その人を師匠とする場合は、組織宗教から出る出家を意識してやっていくことになるのでょう。
文明が滅亡しようがしまいが、このままでは悟ってない自分に変わりがないところが問題だと考えています。