ブーゲンビリアのきちきち日記

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祖父の撮ったヒロシマ再現 被爆直後の記録映像 相模原の能勢さん製作 (東京新聞)

2017年04月20日 19時11分41秒 | その他いろいろ(原発)
東京新聞より転載します。相模原の記事です。

祖父の撮ったヒロシマ再現 被爆直後の記録映像 相模原の能勢さん製作

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201704/CK2017041702000224.html

原爆で壊滅した広島市内を記録映像に収めたカメラマンの孫で、映像作家能勢(のせ)広さん(47)=相模原市=が自主製作した短編映画「広島原爆 魂の撮影メモ」が完成し、三十日、同市内で上映される。祖父の足跡をたどり、七十年前の被爆地と現在の街並みを重ね合わせた作品。日本科学技術振興財団などが主催した科学技術映像祭の受賞作で、能勢さんは「使命感を持ってカメラを回した祖父を思い撮影した」と話す。 (藤浪繁雄)

 能勢さんの祖父は、旧日本映画社の鈴木喜代治さん(一九八九年、八十八歳で死去)。被爆から間もない四五年九~十月、被害を記録する撮影隊の一員として広島入りし、九日間、生物と植物の状況を35ミリフィルムに収めた。

 同社は広島編と長崎編を各八十分ほどに編集し、四六年に「広島・長崎における原子爆弾の影響」を製作。その後、米軍にフィルムが接収され、返還されるまで「幻のフィルム」となっていた。

 鈴木さんが生前、広島での出来事を語ることはほとんどなかったが、二〇一三年、能勢さんは自宅でメモ帳を発見した。構図のスケッチや、カメラの絞り値や植生の状況などが簡潔につづられていた。祖父と同じ道に進んだ能勢さんは「信じ難い状況を目の当たりにしても感傷に浸らず、冷静に仕事に徹した。そんな祖父の思いを感じ取りたい」と映画作りを決意した。

 メモを頼りに一五年に広島市内で撮影し、約十五分の作品に仕上げた。ただ、祖父が撮影した「広島・長崎における-」の映像は入っておらず、分かりにくいとの批評を受けた。

 事態が一転したのは、「広島・長崎における-」の著作権を引き継いだ日映映像(名古屋市)の東京支社長山内隆治さん(55)の協力を得られたからだ。映像の無償提供を受け、能勢さんは昨年十一月に広島を再訪。可能な限り祖父と同じ場所から市内を撮影した。

 出来上がったのは、三十分近い短編作品。今年三月、科学技術映像祭で文部科学大臣賞を受賞した。テレビ各局が参加する中、製作費の少ない個人の受賞は珍しく、能勢さんは「山内さんたちのおかげで完成できた。祖父たちの映像があらためて注目されるとうれしい」と話す。

 三十日の上映会は、相模原市緑区のさがみ人間未来フィルムフェスティバルで、午後七時十五分からの予定。受賞作「広島原爆-」の問い合わせは、能勢さん=電042(777)5557=へ。

<「広島・長崎における原子爆弾の影響」> 日本映画社が学術調査団に同行し、原爆被害の状況を多角的に収めた。米国から返還された後は、東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵。2010年には日映映像がDVD化し発売。問い合わせはクエスト=電03(6380)3031。

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以上転載

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