ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

大地震にかけられた「あらぬ疑い」…新潟水俣病もそのひとつ 原因企業は昭和電工だった

2017年06月18日 23時35分57秒 | たんぽぽ舎
たんぽぽ舎より転載します__________

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┗■2.大地震にかけられた「あらぬ疑い」
 |  …新潟水俣病もそのひとつ 原因企業は昭和電工だった
 |  昭和電工は水俣のチッソと同じく原因を隠そうとした
 |  警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識その201
 └──── 島村英紀(地震学者)

◎ 地震が「あらぬ疑い」をかけられることがある。
 ちょうど53年前の1964年6月に新潟地震が起きた。マグニチュード(M)は7.5。
この地震は地震史上で最大のコンビナート火災を起こした。
 一般の家からは火は出なかった。しかし新潟市内の石油製油所と貯蔵所4カ所か
ら出火し、なかでも昭和石油新潟製油所の巨大な石油タンクが12日間も燃え続け
たのだ。東京消防庁や米軍の応援まで得てようやく鎮火したが、近くの住宅60棟
が全焼した。

◎ 私が学生のころ、地震学者の大先生が作った地図では新潟が日本でいちばん
地震がないところとされていた。だが、その直後に起きたのが、この新潟地震だ
った。
 この先生の研究に限らず、将来の地震危険度を表した地図はいくつもある。政
府の委員会も権威があるはずの地図を毎年発表している。
 しかし、どの地図でも、安全だとされたところにその後、地震が起きている。
たとえば2005年に起きた福岡県西方沖地震(M7.0)は日本史上初めて起きた地震だ
ったのでまったくのノーマークだった。過去の歴史から将来の地震を予想するこ
とはかくも難しい。
 新潟地震では26名がなくなったほか、開通直後だった市内の昭和大橋が崩落し
たり、液状化で4階建ての県営川岸町アパートが倒れた。新潟県ばかりではなく
秋田、山形など8県でも被害が出た。

◎ 他方、この新潟地震が「濡れ衣」を着せられたこともある。
 当時は熊本県の水俣病が明らかになりかかっていた時代だった。1965年、新潟
大学は、新潟県の阿賀野川流域で有機水銀中毒と見られる患者が発生していると
発表した。新潟水俣病あるいは第二水俣病だ。
 原因企業は昭和電工だった。昭和電工鹿瀬工場(のちに鹿瀬電工、その後新潟
昭和の傘下に入った)でアセトアルデヒドを生産するときに、水俣のチッソと同
じようにメチル水銀を処理せずに川に流していたのだ。このため川で獲れた魚介
類を食べていた人々の体に有機水銀が蓄積されて水俣病が発病したのである。
 だが昭和電工は水俣のチッソと同じく原因を隠そうとした。患者が起こした損
害賠償請求訴訟では、昭和電工側は「原因は新潟地震によって川に流出した農薬」
と主張した。新潟地震で水銀系の農薬を保管していた新潟港の埠頭(ふとう)に
ある倉庫が浸水する被害を受け、そのとき農薬が流出したというのである。

◎ しかし、農薬として使用されていた水銀はほとんどがフェニル水銀で、水銀
中毒の原因物質となったメチル水銀ではない。また新潟県当局も被災した農薬の
全量を調査していて、農薬は安全に処理されていたことを確認していた。
 昭和電工が主張していた農薬説の根拠は、第一次訴訟までに被害を訴えていた
患者が河口近くの下流域にしかいなかったことだった。
 だがその後、農薬が流れ出した場所よりもずっと上流の地域にも患者が発生し
ていたことが明らかになった。地震原因説は崩れたのだ。

(島村英紀さんのHP http://shima3.fc2web.com/
「島村英紀が書いた『夕刊フジ』のコラム」より2017年6月9日の記事)

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