思いつきで、自分の鉄道写真はどのように歴史を刻んできたのかを調べてみました←
画像フォルダを長いことがんばって漁りました
一応鉄道を被写体とした写真にのみ絞っております
日付は曖昧
初代デジカメの頃
2004年3月22日

なんと走行写真です。
母が撮影したもので大井川鉄道のSL?かなこれがとりあえず我が家で初の鉄道写真になるわけです
2005年8月20日

これは鉄道なのかという疑問がありますその前に被写体が自分らじゃないだろうかと思うのですがこれも母撮影で一応鉄道写真にしますあの盛り上がった万博で
2006年1月22日

父が撮影で名鉄を被写体にした初写真。小牧線300系の車内で弟と小牧に向かう時に撮影したものか
2006年1月26日

でこれが恐らく自分が撮った最初の鉄道写真であり東海の初写真。
名古屋駅ビルの展望台から。新幹線の写真もありました
また帰りの広見線でSRに乗ったらしく一番前の席からの前面展望の写真もありました
まぁ撮ってはいても鉄道には興味がなかったんですが
で自分の価値観を大きく揺さぶったのが2006年8月24日

大阪に旅行にいったんです。
僕の家族は極端に「旅行(観光地に行ったりするような)」に行くことが少なかったので、たぶん物覚え付いてから初めての旅行だったのですが、このときの印象としては、僕の中で漠然としかイメージの無かった、というかほぼ興味もなかった都会、街というものはこんなにも巨大でとてつもないエネルギーを持って存在していたのだということにすごいショックを受けたこと。
自分の住んでいる田舎がすべてでそこでなんの感慨も無く学校に行き遊び暮らしていたのだが、こんな街が日本にはあるのだと。
そんな街の光景のすごさ。それが持っている圧倒的なエネルギー。そこに何よりも驚いた。
だから早い話が都会に驚いたのです。このときの僕は鉄道を都会の光景の一部として捉え驚いていた。名古屋は車がメインな生活だからなおさらそうだったのかもしれないけれど、まで鉄道が機能している現象を目撃して「すごい電車かっこいいっ!」じゃなくて「都会って言うのはここまで交通機関が発達しているんだ」と都会を視点にショックを受けたのです。
だからこの大阪旅行で撮った写真で、鉄道を対象にしたものは下の201と24系だけですが、降りた駅の駅名標は全部撮影しています。都市に驚いたから。だからこの2枚の鉄道写真も都市光景として撮っているんでしょうね。街角とか、夜景を撮影するのと同じ気持ちで。
このときに受けたショックが、その後の自分の価値観にずっとつながってきているんですね。今でも鮮明に覚えています
2006年12月29日、30日

この駅名標の前に立ったときの気持ちは今でも忘れられません。
漠然と捉えてきた日本の首都にいよいよ来たんだと。
大阪で感じた気持ちはここでとてつもなく大きなものになります。

ずらずらと並べてみました。鉄道に関してある程度の知識を持った現在の自分がこの写真を見て感想を述べさせていただくと、大阪の地下鉄と東京の地下鉄比べると、やっぱり東京は無機質な感じですよね。新宿の写真ですがどのホームにも201です。あと2編成しかないとか調子ですねほんと。京葉線も葛西臨海公園ですが往復ともに201でした。
何気にとってる山手線は浜松町かな?6ドア車だし。
東武の浅草で撮ったのは100っていうらしいです。ちらっとスペーシアが奥に見えますね。
京成高砂ではこれはじめてみたとき絶対特急車両だとおもってました。名鉄1000に相通じるものがあるし。これが地下鉄の車両だと知るのは2年くらいあと。向こうのホームにいるのは3300?
金町線で柴又に行ったんですが複雑な高砂駅でよく迷わなかったものです。この駅に22日、もうあさってに撮影に行くとか本当に信じられない
ちなみに当時の僕は京成〜浅草線の直通をとりあえず浅草駅に行けば全部押上に行けると勘違いしていて、浅草のホテルからタクシーで「浅草駅まで」って頼んだら「東武?」って確か運転手が聞いてきて何の事かわからなかったから「はい、浅草駅」って言ったのを覚えています。東武浅草に到着し自分は京成に直通していると普通に思い込んでいたのに、列車内の路線図を見たら全然そう書いてなくなぜ?と焦って曳船で乗り換えて押上に向かったのを覚えています。
今思えば都営浅草線〜京成の浅草駅と東武浅草駅、銀座線浅草駅は全く別の駅で、東武浅草から乗った普通北千住行き(録音したカセットから判明)の車内でどうやらこの路線は間違っている事に気づき、曳船から伸びる路線(今思えば伊勢崎線の半蔵門線直通)が押上に向かっている事に気づき乗り換えたという経緯です。東京の地理に明るい人でないとこの笑い話はわかりませんね;それより東武直通しすぎです
で全てを語る最後の3枚。
東京駅で撮った209にE231の500。東京という都市から離れるとき、新幹線の待ち時間ホームで時間とってもらったそのときのもの。泣きそうな気持ちで撮ってた事を覚えてます。
写真家星野道夫が、著書の中でこう述べています。
「昔、電車から夕暮れの町をぼんやり眺めているとき、(略)ふっと家族の団欒が目に入ることがあった。そんなとき、窓の明かりが過ぎ去ってゆくまで見つめたものだった。そして、胸が締めつけられるような思いがこみ上げてくるのである。あれはいったいなんだったのだろう。見知らぬ人々が、僕の知らない人生を送っている不思議さだったのかもしれない。同じ時代を生きながら、その人と決して出会えない悲しさだったのかもしれない。」
僕がこの文章を読んだときにはっと気づきました。今までどう表現したらいいのかわからなかった、自分が都市光景を撮る理由。こういう事なのかと。
写真からだけではこのときに撮ってた僕の気持ちなんて誰にもわからないものです。けど僕ははっきりと覚えています
刻々とこの街から離れる時間が迫る中、『こんな圧倒的なものを持つ巨大な街で過ごせなかった、生活することができなかった、自分はそことは無縁であるという、悔しさ。そこで暮らしている人間がいて、穏やかな人生を送っていることに対する嫉妬、羨望。自分の子供時代は、この街と、そこで生活する人間とは決して交わることがないという悲しさ。』そんな思いがぐるぐるしていたんでしょう。そんな思いを少しでも和らげるため、東京駅に入ってくる電車・・・つまり都市光景を無心で撮ったに違いないでしょう。大阪で得て、東京で完成したこの思いは僕の人生と価値観に決定的なものをもたらしました。あの思いは僕の永遠のテーマなのです。これからもくどいほど出てくるでしょう。何回も語る事があるでしょう。それは自分の人生に深く刻み込まれてしまったからなのです。
駅看板を撮影しているのもその気持ちからで、ここから地名、看板に対する興味というのも発生していったんでしょう。
この時のカルチャーショックというのが本当にすごくて、1週間くらい呆然として何もできなかったように記憶しています。ただあまりにショックが大きすぎて、何がすごかったかというのをまったく覚えてないんです。とにかくすごかった。じゃあどこが?と自問すると、新宿・東京駅前の街の様子や新宿・浜松町・東京・品川といった駅構内の記憶が曖昧というか全く無く、それだけショックだったんだという事なのでしょう。
我が家に鉄道写真が齎されて丁度5年。僕に都会というものの存在を知らしめた大阪旅行から約2年半。人生を決めた東京旅行から約2年4ヶ月。
2009年3月22日から4日間、僕を変えたあの東京に行ってきます。
今回の旅行であの街が僕に何を齎してくれるのか、非常に楽しみです
ほとんどの鉄道を撮影します。代々木・下北沢を散策する機会も設け、あの街に少しでも浸ることができるように予定を組みました。
天気がいいことを祈るばかりです
徹底的にあの街を楽しんでやる、睨み付けてやる みたいな
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さて、僕が都市光景のひとつとしてしか捉えていなかった鉄道が鉄道写真へと発展するまでに至ったのですが、その経緯として、大阪・東京どちらとも移動手段が殆ど鉄道でした。都会の生活というのは鉄道が非常に大きな役割を果たしている。都会の人間は鉄道を使いこなすんだ!と そういう結論に至った訳です。
さらに大阪旅行と東京旅行の間、2006年9月30日に桃花台新交通ピーチライナーが運転を終了するという事で撮影しにいったんですがそのときに「鉄道を撮影する」という行為があることを知ったのです。(東京旅行が大阪旅行より圧倒的に鉄道の車両自体を撮影したものが増えたのはこれによるものがあるかもしれない)
しかしピーチライナーはよく利用した思い出が無くなる為撮影しにいったという特例であり、それはよく一般人が携帯のカメラで撮影しているような類で鉄道趣味には入らない範疇でした。
鉄道に興味を持ったのは、ピーチライナーで鉄道を撮影するという行為を知り、東京で電車を利用するという憧れを感じた・・・以上の様な経緯を経た東京旅行以降なのです。
結局は都会に対する憧れでしかないわけですよね。だから今現在でも、どこ車両区の何編成だとか、何系は台車がこうだとか、チョッパとかVVなんとかとか、そういう話はまったくわからず、どちらかといえば路線図とか発車メロとかカラーとか駅周辺環境なんかに興味がある訳ですね
2007年3月24日

よく考えたら、東京には劣るがここにも鉄道がある事に気づいて、初めて鉄道に視点を向けて撮影したのがこれ。可児川から用事があって一人で小牧に向かうとき。SR2です。
すごく恥ずかしかった事を今でも覚えています。周囲の目を気にしてましたねぼろぼろ。
この時既にデジカメは二代目です。
どちらかと言えばこの写真は反対側のホームに電車が来たのでたまたまシャッターを切ったという意味合いが強く、当時の僕は主として止まっている電車をそのホームから撮影するという方法をとっていました。↓

で、少しずつですが恥ずかしさも薄くなり、やっとの事でで電車は全体が入っていないとだめだと理解してきて、一歩ずつ後ろに下がれるようになったのです
2007年7月23日

そして全体を写す為にはホームの反対側から撮影した方がいい事に気づき・・・
2007年10月2日

さらには走行している電車を撮った方が綺麗である事を知りました
2007年11月22日

そして一眼レフを購入します。それで撮った記念すべき第一枚目がこれ
2007年12月23日

このときはオートだったんですごく鮮やかに見えますねw
でマニュアルで操作できるようになり、シャッター速度調節して人並みに撮影できるようになりました
2008年3月28日

でレンズ300mm(実質480mm)を導入し
2008年11月22日

↑使い勝手が分からず最大限までいきなりズームしている
三脚も導入し現在ここまでたどり着いた訳ですね
自分の軌跡を辿るのもたまにはいいものです。今の価値観がどのように形成されたかを知る事は今後どうしたらいいかと考える時に凄く役に立つと思います。
長々と書きましたがほぼ自己満足です。
振り返ってみるといろいろな事があったな・・・面白かったです。
これからもさらに写真技術を磨くとともに、色々な街を歩き色々な事を感じたいな。そう思いました。