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( by 後藤 純一/めるがっぱ )

映画「ハドソン川の奇跡」を見て

2016年10月15日 08時23分51秒 | Weblog
 映画「ハドソン川の奇跡」を見た。
クリント・イーストウッド監督。
2016年作品。

         Ⅰ

2009年1月に起こった旅客機の事故の物語である。
NYの空港から飛び立った直後、飛行機は二つのエンジンが両方とも
止まり、機長の判断でハドソン川に不時着したが、乗客・乗務員は
155名全員が無事に救助された。
川の上に着陸した飛行機の様子や翼の上で救助を待つ
人たちの写真が記憶に新しい。
水面との衝撃から機体が破損することもなく、
一人も犠牲者を出さずに済んだことは奇跡と
日本でも話題になった。

 奇跡というのは、映画になりにくいものだ。
飛行機の不時着を描くなら、真っ二つにとまではいかないまでも、
機体が破損して大パニックになるほうが映画にしやすい。
そのほうが観客が現実感を得やすいからだ。
しかし、2009年1月の事故はそうはならなかった。
大きな旅客機がハドソン川の水面を滑走路のように滑り、無事に
不時着したのだ。
パニックになる乗客もほとんどおらず、駆けつけた船に全員が
救助された。
これだけの事故で犠牲者ゼロで、救助活動もスムースでは
(ハッピーエンドはアメリカ映画の伝統といっても)ドラマになりにくい。
しかも、この事故の場合、観客はニュースでよく知っているのだから、
映画がどのように表現したかへの関心よりも、
事故への関心が圧倒的してしまうのだ。
イーストウッドがこの事故の奇跡を映画化すると聞いて、
はたしてどんな風に撮るのかと興味深かった。
あの傑作「アメリカン・スナイパー」(2014)の後だから
期待感は大きかった。

(以下、映画の内容に触れるため、これから
見ようとする方はご注意ください。)




       Ⅱ


 映画は、機長の事故直後の様子を描いていく。

 「奇跡」を撮るにあたり、イーストウッドは三つの面から
ドラマを作ろうとした。
ひとつは事故後の機長のトラウマである。
ホテルからマンハッタンを見る眺めが9・11事件のような
飛行機事故に変わっていくのを映画は何度か繰り返す。
自分の事故を回想しながら、ひとつ間違えれば、自分の飛行機も
ビルに衝突したのだと湧いてくる恐怖は、なかなか消えない。

二つ目は一躍全米のヒーローとなって騒がれるなかでの孤独感である。
テレビは繰り返し機長を英雄として取り上げ、インタビュー番組に
駆り出される。街のバーでは、すぐに名前が呼ばれ、機長の名前を
つけたカクテルを作ったと騒がれる。
しかし、運輸安全委員会の調査結果では世間が手のひらを
返したように、自分を非難することが見えている。
そうなれば会社は首となり年金ももらえず、ローンも払えなく
なる。そのふさいだ気持ちは妻も分からない。
映画はトム・ハンクスの淡々とした演技から機長の
孤独感をよく描いている。

 映画がドラマの一番の中心としたのは、この運輸安全査委員会の
やりとりだった。
あれだけの事故だから委員会の調査を受けるのは当然のことだ。
しかし、運輸安全委員会からは、不時着せずとも、飛行場に引き
返せたのではないかという疑問を突き付けられる。
残されたデータによれば左側のエンジンはかろうじて動いており、
不時着せずとも飛行場に着陸することが可能だったのではないか。
機長はいや、エンジンは二つとも完全に停止していたと反論する。
左エンジンを川底から回収するには時間がかかるため、委員会は
動いていたという仮定でのシミュレーシヨンを作り検証を始める。
シミュレーションの結果は、飛行機は出発したラ・ガーデイア空港に
戻る時間があった結論になる。隣のニュージャージー州にある
小さな空港にも着陸が可能だった。
つまり、ハドソン川に不時着するという危険なやり方を
とらずとも良かったのであり、機長の判断は間違っていた
ことになる。
( 原題の「Sully」はサルンバーガー機長の愛称だが、「名声や評判を
傷つける」という動詞でもある。)

 しかし、機長のトム・ハンクスは委員会のシミュレーシヨンの作り方に
異議を唱える。
委員会の作り方ではマニュアルに基づく手順にかかる時間の経過を
そのまま追っているだけだと、指摘する。
そこには、機長が判断を下すまでの逡巡の時間(「ヒューマン・ファクター」)が
考慮されていないと。
この機長の指摘を受け、委員会はその時間を組み込んだシミュレーションを
作ってみると、飛行機は飛行場に戻ることは出来なかったという結果が
明らかになる。
ハドソン川に不時着するという非常手段を取った機長の判断の正しさが
認められた瞬間だ。
審査の最後に、回収された左エンジンは完全に破損していて動かず、
当時のデータが間違っていたと報告されて、映画は終わる。



      Ⅲ


 現実の運輸安全委員会(NTSB)では、機長がシミュレーシヨン案を
自分から提案したことはなく、委員会が行った複数のシミュレーションには
当初から「逡巡」の時間を組み込んだものが含まれていたという。
委員会は、この映画が事実関係の委員会への問い合わせなしに作られたことに
遺憾の意を表したと、NYタイムズの記事は報じている(2016/9/9)。
機長は委員会には映画と同じように緊張した雰囲気があったと語って
いるようだが、委員会が機長の「判断」を映画のように問題視することは
なかったらしい。
映画のストーリーはほぼ完全なフィクションのようだ。
映画がシミュレーシヨンよりも現場での判断、データよりも
人間の直観を優位に見ているのは、いかにも昔かたぎのイーストウッド
らしく苦笑してしまうが、映画を見ていて違和感を覚えたのは、この「逡巡」の
時間、「ヒューマン・ファクター」ということだった。

 現実に起きた事故に基づくからといって、映画が現実どおりで
ある必要はない、現実の事実関係に縛られることなくむしろ
想像力をこめてドラマを作ることは望ましいことだ。
現実がどうであったかは必ずしも重要ではない。
しかし、ヒューマンファクターが事故を誘発する原因(のひとつ)で
あることは誰にも分かることだ。
航空機の事故調査に何十年の経験と実績をもっている
運輸安全委員会がヒューマンファクターを考慮せずに
シミュレーシヨンを行うと現実に考えられるだろうか?
機長が状況を判断し決断するまでの逡巡の時間に事故調が
無関心だったとする設定は、あまりに安易で、映画作りとして
説得力に欠けるのでは。
運輸安全委員会の調査手法にドラマの焦点をもってくるなら
もっと違った切り口はなかったのか。
脚本は機長のプロフェッショナルとしての有能さにハイライトを
当てるために、委員会をいわばアマチュアとして描いている。

 私にはこの脚本がこの映画のレベルを決めてしまったと
思える。イーストウッドがこの程度の脚本で映画作りをするとは、
残念な気がする。



        Ⅳ

 飛行機を見るのも乗るのも好きだから、エアバス320が
空を飛ぶシーンは見ていてわくわくする。
コクピットから見えるNYの摩天楼(死語?)やハドソン川の
眺めもいい。
「カクタス1549」(カクタスは交信時のUSエアの略称)が
マンハッタン上空からハドソン川に滑空し不時着する
シーンはとても良かった。
水面に着陸するまで、飛行機をサイドから、正面からと
切り替えて映し、大きく水しぶきをあげる画面に息を呑んだ。
撮影は実際のエアバス320を使い湖で行われたのだとか。
画面ではハドソン川の両岸がはっきりと見え、
川に不時着する様子が違和感なく、実際そのままに思えた。
このシーンのカメラ、特撮、編集に拍手である。

(ただ、エアバスが空を飛ぶのを下から写した複数の画面は
いずれもCGっぽさが際立ち、残念だった)



       Ⅴ

  映画「ハドソン川の奇跡」はあくまでサレンバーガー機長を
主人公とした映画だが、その中で副操縦士のジェフを
さりげなく、しかし大きな存在として描いている特徴がある。

 ジェフは常識的で素朴な人柄だ。
ホテルに置いてあるチョコバーが5ドルもすると驚く。
ジェフはそんなNYが嫌いなのだ。
機長がホテルの部屋から深夜ジェフに電話し、眠れないからと
一緒にジョギングをする。深夜の1時過ぎにだ、
冬のマンハッタンをそんな時間に走るのはクレージーである。
付き合ってくれるジェフがいい奴なのだ。
NTSBの公聴会でもジェフは積極的に発言し機長を
擁護する。
公聴会で不時着が不可避だったという結論のあとに、
副操縦士のあなただったらどうしてましたかと聞かれ
「わたしなら7月にやってたでしょうね」と答え、笑いを
誘うところで映画は終わる。
(演じたアーロン・エクハートも良かった。
機長のトム・ハンクスをたて、一歩下がった演技をしている。
本来はスターらしい雰囲気を持つ人だが、力を抜いて
オーラを薄めている。)

 振り返ると、「許されざる者」(1992)では相方役のモーガン・フリーマンは
イーストウッドを自分から誘っておいて途中で怖くなって逃げ出すのだ。
「ジャージーボーイ」(2014)では伝説のコーラスグループが仲間割れをし、
「アメリカン・スナイパー」(2014)の主人公はどこまでも孤独だ。
イーストウッドの映画で主人公の「相棒」がこれほど信頼と
愛情をもって描かれたことがあっただろうか?




       Ⅵ


 映画の終わりに現実のサレンバーガー機長が
登場する。
当たり前だが、演じる俳優のトム・ハンクとはちょっと
雰囲気が違う。
機長の妻は原作本のなかで夫のことを「まわりに完璧を求めすぎる」
「もっと鷹揚でどっしり構えていてほしい」と言い、サレンバーガー自身も
人間関係が苦手だと繰り返し書いている。
 私見だが、船の船長と飛行機の機長は、同じ責任者とはいえ、
かなり違う個性が現れるのでは?。
船長が船員組織を率いる集団の長であるのに、機長は
むしろ個人の能力・経験を活かした職人的な面が大きいのでは。
どちらもコンピュータ化されているとしても、船はそれなりの人数の船員が
システムを動かす職場だ。飛行機では、地上の多くの人間が背後で支えながらも、
コクピットの機長は(やろうと思えば)一人で操縦が可能だろう。
この違いは機長の個性にもおのずと反映されるのでは。
むろん、責任者としては職人よりも集団の長という個性が強く望まれる。
トム・ハンクスは「キャプテン・フィリップス」(2013)でコンテナ船の
船長を演じたが、「ハドソン川の奇跡」のサレンバーガーを船長のように
演じている。

 トム・ハンクスの機長はヴェテランの経験と深い知識に加え、
内面的な自制力が備わった「鷹揚でどっしりと構えた」人物だ。
コクピットでも最後まで落ち着いていた。
クローズアップの表情は真剣ではあっても深刻でも悲壮でもなかった。
不時着後にTV出演しても、若い女性に「マイヒーロー」と抱きつかれても、
淡々として、興奮した表情はない。
トム・ハンクスのすばらしいところは、沈着冷静な個性を演じて温かみを
失わないことだ。
これまでのイーストウッド作品にはあまり見られない個性の主人公であり、
イーストウッドがトム・ハンクスを撮るとは意外な組み合わせだ。





        Ⅶ

 繰り返しになるが、イーストウッドの映画にしては珍しく、この映画の
主人公たちは明るく、やや軽い個性があり、それが映画のトーンを作っている。
このトーンの背景には、ロバート・ゼメキス監督が撮った「フライト」(2012)が
あったのではなかろうか?
「フライト」も悲惨な事故に始まりNTSBの公聴会で終わるが、
あの映画は機長デンゼル・ワシントンがアルコールと薬物に
依存する人物として描かれ、アメリカの絶望的な面を見せた。
ワシントンの優れた演技を見せる傑作だが、それだけに
暗いアメリカの描き方にイーストウッドとしては納得できないものが
あり、この映画の明るいトーンに繋がっていったのでは?

 ちょうどゲイリー・クーパーのシリアスな西部劇「ハイ・ヌーン」(1952)に
ジョン・ウエインが怒って?テンポの良いアクシヨン「リオ・ブラボー」(1959)を
作ったと言われるように、「ハドソン川の奇跡」は「フライト」のアンチ・テーゼという
意図があったのかもしれない。




 *資料:映画の原作本

Ⅽ・サレンバーガー「機長、究極の決断」(十亀洋訳 青山社文庫)



 
 
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