膵臓癌に負けるな!

膵臓癌を発症した父の闘病記と自分自身の思いを綴ってます。

あっという間の3週間

2007-12-11 20:50:51 | 息子のひとりごと
父が亡くなって3週間が過ぎた。

父が先月21日に亡くなってから、通夜・葬儀・その他手続きなどで目まぐるしく時が過ぎ、悲しみに浸る時間は全く無かったが、最近になってようやく落ち着きを取り戻しつつある。

しかし、満中蔭までは毎日御詠歌をあげる土地柄なので、毎週末は実家に戻っており七日のお経もある事もあり、まだまだ今までの日常に元通りとは言えない。

なんとなくボ~っとする時間が出来たものの、未だ父の死に対しての実感は無く、今も入院していていつか家に戻ってくではないかと思ってしまう。

この何とも言葉で言い表せない焦燥感から開放され、現実を受け入れる事が出来る日が来るのだろうか?

とりあえず、当分の間は不可能なようだ。


父の旅立ち

2007-11-21 19:42:26 | 父の病状
前日の夜から母と、近くに住む叔父さん夫婦と従姉との5人で泊まったが、
病状にあまり急変の様子は無いとのことであったので、
叔父さん達には一度帰ってもらい母と2人で看病をすることに。

朝方看護師が病室を訪れ血圧を測ったが上が40台。

朝を迎えると父の血圧は測定出来ない状況に。
しかし心拍数や血中酸素の数値はまだ大丈夫との事。

この状況下ではおそらく今日明日がヤマとの判断であったため、
会社への報告と仕事の処理のため実家に戻る事にした。
自身は10時には病室には戻ると母に告げての実家への帰宅であったが、
これは自分自身が一生後悔する判断となってしまった。

このような緊迫の状況であったのに仕事の処理が長引いてしまい、
病院に向おうと思った10時過ぎに母から連絡が。

「家族を呼んで欲しいと看護師さんが言っている」

たった5分程度の道中であるが、こんな時に限って2つしかない信号に引っかかってしまう。
車を乗り捨て病室に駆け込んだときにはすでに父は息を引き取っていた。
ほんの数分前の出来事であったらしい。
しばらくして主治医が病室で臨終を告げる。

2007年11月21日 午前10時40分 父永眠

忘れられない日となる。

主治医が告げる臨終には間に合ったが、
自分としては息を引き取るときには必ず皆でと思っていたのに、
痛恨の判断ミスとなってしまった。

臨終を告げられた暖かい父の手を握りながら、
「ごめんな、ごめんな・・・」としか言葉にすることが出来ず、
その後の出来事はほとんど記憶に残っていない。

葬儀場に連絡し日取りを決め父の亡骸と実家に戻ったが、
何が起こったのか家族の誰もが理解できずにおり、
放心状態のまま時の流れに身を任せるしかなかった。

父の病気の発覚から4ヶ月余り。

ちなみこの日は父の実父の命日の1日前であった。

危篤

2007-11-20 19:20:10 | 父の病状
名古屋に戻ってからは出張先のホテルを全てキャンセルし、
何があってもすぐに駆けつける準備をしていたが、
この日の夕方名古屋に戻る高速を走行中に母から連絡が。
看護師から早く息子さんに戻ってもらったほうが良いと言われたらしい。

あせる気持ちを抑えつつ自宅に戻って急いで準備をし病室に辿りつくと、
そこには週末に見た面影はなく、すでに息をしているだけの父がベッドに横たわっていた。
喉仏が動く事で呼吸が確認できる状態で、いつ息を引き取ってもおかしくないとの事であった。
血圧も上が50台、下が40台。
何か他の数値ではないかと疑いたくなるほどである。

しかし、まさかこの日が病室で過ごす最後の夜になるとは・・・

モルヒネ24時間静注

2007-11-18 19:06:42 | 父の病状
昨晩から再び母が父を見ていたのだが、病室を訪れて話を聞くと、
父は相変わらずバタバタと動き以前よりも苦しそうにしていたらしい。

お昼になっても全く改善されないので、
母と自分は主治医から勧められていたモルヒネの静注をどうしようかと悩み続けていた。
24時間静注をすると意識が全く無くなり、
目を覚ました父ではなくなってしまう。
母の事を考えるととても静注をしてもらう事を選択ができなかったが、
座薬や注射が効かずに苦しむ父を見るに見かね、
母と話し合いとうとうモルヒネの静注を選択する事に。

その後点滴で薬が点滴で投入され始め、しばらくして苦しむ父は
眠りに入ったわけだが何を言っても反応してくれない。
自分たちの呼びかけに時折目を覚ますものの、
ほとんどこん睡状態に近い状態であった。

「後は本人の生命力次第です」という主治医の言葉に後ろ髪を引かれる思いであったが、
明日から子供たちの学校もあるため皆でとりあえず名古屋の自宅に戻ることに。

ただ、この日が目を開けた父を見ることが出来た最後の日となってしまった。


え!そうなの??

2007-11-17 18:50:25 | 父の病状
昨晩から病室に泊まり父と初めて一晩過ごしたが、
やはり状態は厳しいものであった。

母が自宅に戻る前に痛み止めの座薬を入れ寝たと思われたのだが、
1時間もすると父は突然起き上がったり水が欲しいと忙しく動いた。

余りに眠れないようであれば、注射をしてみるので連絡をするように言われていたので、夜中の3時半ごろになっても眠れないそうにない父に痛み止めの注射をしてもらう。

すると薬が効いたのか30分程して父は眠りに入り、自分もそれを見て眠る事にした。

朝7時ごろ自分は目が覚め、その後母が来て父に話しかけてみたが何やら様子がおかしい。
前日までとは違い意識が朦朧としており、会話もろくに出来ない状態となっていた。
前日との状態に母も動揺していたので、回診に来た主治医に何を注射したかと聞いたら、
「モルヒネです」と一言。
まさかそんなに早くモルヒネを投入されるとは思ってなかったので、
自分自身も絶句してしまい何が起こったのか理解する事が出来ない。

結局この日を境に父は時折こん睡状態となり、
会話もほとんど出来なくなってしまった。

主治医からの辛い宣告

2007-11-16 18:36:39 | 父の病状
子供たちは学校があるので自分ひとりのみ実家に戻る。
実家に戻る途中に道中が工事で大渋滞。
はやる気持ちを抑えながら、病院に到着したのは正午過ぎだった。

昼過ぎから自分と主治医のみの面談であったが、
内容は絶望感でいっぱいのものであった。

すでに治療と言えるものは特に無く、
後はどのように処置をおこない最後を迎えさせてあげるか。
いわゆる「モルヒネ」をいつから投与するかという選択のみ。

肝臓が完全に機能しておらず、いわゆる肝不全の状態であるらしい。

目の前の現状を理解する事が出来ずにいたが、
母には話さなくてはいけない。
主治医も現在の母の精神状態を考えると選択を迫れないとの事。

ちなみに告げられた余命時間は1週間。

夢の中の出来事のように時だけが過ぎていった1日であるが、
母もここ数日の父の変わりように疲れ果て、
父の入院後初めて看病を変わって欲しいと言うので
この日の夜は自分が泊まる事にした。

母は限界であったのだ。



母からの連絡

2007-11-15 18:23:32 | 父の病状
静岡で仕事中に母から携帯に電話が。

週末に実家に戻る予定であったが、
主治医が出来れば明日にでも息子さんに来てもらい、
今後の治療について話をしたいらしい。

治療を急ぐ主治医に不安を感じながら明日仕事を休み、
実家に急遽戻る事を決めた。

親孝行とは

2007-11-12 18:20:02 | 息子のひとりごと
父が膵臓癌になってからはマメに実家に帰っており、
入院してからは毎週病院に通っている。

叔父や叔母、近所の知り合いからは、
「親孝行をしてるなあ」
「孝行息子だ」
といわれる事がよくあるが、自分自身は全くそんな事思ってない。

父が病気になる前は、実家に帰るのは年に数回程度。
「まだまだ元気だ」と勝手に思ってたらこの事態である。

親が元気で動ける間に出来る事が親孝行なのだと最近痛感する。

父が癌になり入院している病院に通ってる事などは親孝行などではなく、
自分自身としては父に対する懺悔の念と言った方がよい。
事実、病床で寝ている父には「ゴメンな、ゴメンな」と心でつぶやく事もしばしば。

親孝行とは気持ちなのか、金銭的なことなのか、一緒に過ごす時間なのか。
個人の価値観で様々とは思うが、やはり親が健康であって出来る事が皆が幸せな親孝行ではないか。


皆さん、親孝行はご両親が元気で健康な時にする事が一番です。

1歩進んで 2歩下がる

2007-11-11 17:48:16 | 今日の父
今朝は打って変わって父の体調は良くないようだった。

父の兄夫婦やその娘夫婦、孫達がお見舞いに来てくれたが、
ほとんど会話が出来ない状態。

服用している誘眠剤の影響で朝方までボーっとしている事が多かったので、
昨日から服用時間を21時ごろから19時へと早くしたわけだが、
ここ数ヶ月の生活リズムが狂ったのか気分が優れないらしい。

昨日は午後から調子が戻ってきて会話もしていたのに、
今日は時折会話はするものの、トイレに行く以外はずっとベッドの上で眠っていた。

病状が少し前進したと思ったら、あっという間に振り出しに戻ってしまう。
病気が病気だけに致し方ないことではあるが、
昨日調子が良い姿を見てホッとしていた嫁も、
今日一日調子の上がらない父を見てショックだったようだ。

癌という病気はNETで他の患者さんやご家族のHPやブログを拝見していると、
気分や体調の良い時・悪い時が目まぐるしく訪れるようなので、
体調の悪い時があるのもしょうがない。
1歩進むときもあれば、2歩下がるときもあるのだ。

自分たちが自宅に帰る時、
「来週には元気になってるからな~」
と声を掛けてくれたわけだが、その言葉を聞いて少し安心。

「元気になる」という前向きな気持ちを父はまだまだ失ってないので、
自分たちも決して諦めないと強く自身に言い聞かせた。

ジレンマ

2007-11-10 20:37:46 | 今日の父
今週末は子供も連れて父の入院している病院へ。

病室に入ると父は眠っていた。
母に話を聞くと、ここ数日で筋力が弱り一人で起きれなくなったらしい。
先週末に訪れた時は3階の病室から歩いて病院玄関まで見送りに来てくれたのに、
1週間での変化に凹んでしまった。

しかし、幸いなことに食欲は減退することなく旺盛で、
今日も晩御飯に嫁が作ったすき焼きを美味しそうに食べてくれた。

湯通しして油抜きをしたものの肝臓には良くないとは思いつつ、
少しでも父の好きなものを食べさせてあげたい。

体に良い食材だけど食べてくれない。
体に悪い食材だけど食べてくれる。

どちらを優先すべきなのかジレンマに陥ってしまう。


治療は前回の入院同様、専ら肝臓への一日2回の点滴治療。
しかし、父にはこの肝臓の点滴の相性が良さそうで、
体力の減退は否めないが体調は改善したらしい。

このままの調子でけば年末年始は何とか外泊で家族みなで過ごせるのではないか?

そう思わずにはいられなかった。

告知について

2007-11-07 19:18:17 | 息子のひとりごと
父が膵臓癌という病名と余命を告知をされたのは7月。

その時は父に病状と余命については告知せずに肝臓が悪いという事で
治療を続けてきた。
その後の治療過程で予想以上に肝機能が良化し外来も可能になるとの主治医の話であったため、今後の治療を円滑にするために病名だけは父に告げた。

ただ、その時は母や自分は前向きに治療に向い合っている父に、
余命はあくまで経験値という事で言わない事にしたわけだが・・・

旅行にも出掛けるようになった父を見ていると、
このまま根治はしないにしろ数年は延命できるはずだと勘違いしてしまい、
坂道を転げるように悪化した父を見ると、とてもじゃないが今更余命について
父に告知する事が出来なくなてしまったのである。

特に今話題の邦画「象の背中」の記事などを目にすると、
このまま家族のエゴで余命を隠す事に非常に罪悪感を感じてしまう。
父の人生は誰の物でもない、父自身のもの。
それを身内とはいえ自分たちが黙っていていいのだろうか。
父にも残りの人生でやりたいこと、伝えたい事があるのではないか。

と思いつつ、今の父にはとても言えなくなってしまった。

今後父が人生の終焉を迎えたとき、この事は自分自身の罪として
一生背負わなければいけないだろうと思う。


母からのメール

2007-11-05 07:44:34 | 父の病状
以下、携帯に届いた母からのメール


今晩は!
今日もお疲れさん。
インフルエンザの注射を先生にしてもらったの。
その時に言っていたけど、「毎日の肝臓の点滴が良いです。頑張っていますね」
って。

点滴の中にだるさをとる成分が注入されているので、
味覚も少し戻り、よく食べるし、顔も明るさを感じ、
看護人としては嬉しいです。

病気自体は、あまり変わってないのだけど、
何か良くなってきているように思うけど~

本当に昨日のだるさをとる点滴をしてもらって、
表情が変わりとても楽そうです。

このことを伝えたくて長々とメールしました。



ここ1ケ月程、病状が悪くなる状況が続いていましたが、
久々に明るい母のメールを見て嬉しくなりUPしました^^

こういう平和な日々が少しでも長く続きますように。

親子3人の時間

2007-11-03 07:23:08 | 今日の父
再入院して約一週間。
子供たちは運動会であったため、ひとりで病院へ。

病室に入ると母は自宅に戻ってるらしく父が一人で眠っていた。
顔を覗き込むと気配を感じたのか目を覚ましたので、
父としばらくの間取り留めの無い会話をしつつ顔を眺めていると、
気のせいか入院前よりも黄疸の具合が良くなった気がする。

入院後しばらくして体のだるさが抜けなくて筋肉注射をされたらしいが、
それが体に合わなかったのか38℃以上の熱が2日間続き辛かったそうだ。

しかし、抗がん剤投与を休薬しているので父の体調は良さそう。
自宅から戻った母と3人で会話をしている時もよくしゃべっていた。

その後、母と昼食に出掛けたついでにポータブルDVDプレーヤーと漫才師のDVDソフトを購入。
病室に戻りDVDを見てる父は満足してくれたようで良かった。
母は「病気を発症してから父さんの欲しい欲しい病に困ってる」と苦笑いをしていたが、
父の病状を考えると、自分としては望む事は可能な限り叶えて上げたい。

「欲しい欲しい病」なんて「膵臓癌」に比べれば可愛いもんだ(苦笑)

夕食は外食に出ずに3人で病室で食べる事に。
「病院食はおいしくない」とあまり食べない父は、母のたこ焼きをつまみ食い。
治療中なので病院食を摂るのが体には良いのではあるが、前回の入院よりも確実に
食欲は落ちているので、少しでも好きなもの食べて食欲を維持して欲しい。

この日は夜8時に病院を出るまで、ずっと3人で会話をしていたが、
親子3人でこんなに長い時間しゃべったのは何時以来だろう?

再入院

2007-10-29 18:22:49 | 今日の父
今日から再入院。

10時には病院に行くと聞いていたので、
会社の事務所から9時半ごろ父に頑張れメール。

「ありがとう。まあがんばるわ(こぶしマーク)」

2週間ぶりのメールの返信だったので嬉しかったっす(笑)
メールの返信があると言う事は体調が悪くない証拠。
普段一緒にいない息子としては、メールの返信有無が父の体調の
バロメーターなのである。

当初は2人部屋の予定であったが、どうも個室が空いてたらしいので
入る事ができたらしい。
2人部屋では泊まることが出来ない事に不安を感じていた母は安心しただろう。

息子としては父同様に母の体調も心配であったので、
泊まることが出来ない2人部屋のほうが母の体も少し楽になるのでは?
と思っていたりもしたのだが、
母としては一人で家にいるより父といる方が安心するそうだ。

子供の思っている以上に、夫婦の絆は強いようである。

入院初日の父は、病院に入って心配事が少し減ったのか体調もいいらしい。
外来でおこなっていた肝臓の点滴治療も、入院治療により時間を掛けて落してくれるので、
点滴をしても気分が悪くなる事が今のところ無いとの事。

一安心である。

このまま急激に病状がよくなることは無いと思うが、
少しずつでいいので前進して欲しい。

主治医のいう余命はあくまで最低値。
まずは入院により父のQOLを高めて、
家族みんなで除夜の鐘を聞く事を当面の目標にしようと思った。




入院前日

2007-10-28 17:58:26 | 今日の父
今日はお祭り本番。
昨日は雨模様であっため、宵宮に行く事が出来なかったので、
天気が回復してくれてホッとした。
子供たちはじいちゃんの病状より、今日の天気の方が心配だったのではないか(笑)

今日の父は、ここ数日間続いていた肝臓への点滴治療がなかったので体調が良いらしく、
昨日と比較すると幾分元気になっていた。
体力や免疫力が低下している事もあるのか、点滴治療の日は夕方から夜にかけて身体が辛いらしい。

自分はと言えば、午前中は父の兄のところへお祭りに出掛ける途中に立ち寄り父の病状報告。
叔父も現在体調が悪いのであまり父の話をしないようにしていたのだが、
ここ数日の父の病状を考えると黙っていられる状況ではなかった。
ただ、お祭りだからとご馳走になった酒も手伝ってか、叔父と話しているうちに涙腺がゆるんでしまい、
従姉と話をした時には情けない事に泣いてしまった。
父や母の前では心配掛けまいと我慢していた感情が、ここにきて爆発してしまったのだろう。

いやいや、情けない。

この日の夜は父が食べたがっていた寿司を出前でとって皆で晩御飯。
入院前のため、身体に良い悪いは別として父の好きなものを食卓に並べた。

はい。入院前という事は、明日から入院と言う事。
先週末より入院を主治医から勧められていたのだが、孫たちが祭りで帰ってくるので
父は週明けまで待ってくれるように頼んでくれたそう。
自分の病状をさて置き、家族の事を最優先に考える父。

そんな優しい父を、神様。

どうか私たち家族から奪わないで下さい。