エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名芸人




 先月、仕事の打ち合わせがあってヨコハマに行った。
 ヨコハマに足を踏み入れたのは何年ぶりだろう。五木ひろしの『よこはま・たそがれ』がヒットしたのが1971年だから41年ぶりだ。いや待てよ、いしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』が1968年だから、44年ぶりか。
 44年前のヨコハマはまだずっと、私の住んでいる大阪に近く、横浜駅までは特急で1時間ほどだった。神戸と海の玄関口を競うようになるのはかなり後のこと。その頃のヨコハマは伊勢湾に面した漁師町といった風情で、そのため住民といえば、カニだのイカだのといった魚介類ばかりだった。

 飲屋街の店が入り口の引き戸を全開にして、客が店から店へと気楽に渡り歩く夏場、ギターを担いでヨコハマに出稼ぎに行ったことがある。客のリクエストに応えて歌う、あるいは客のヘタくそな歌の伴奏をする、いわゆる「流し」をするのが目的だったが、しょせん相手は下等な魚介類なのだから曲の良し悪しがわかるはずもなく、いい加減に弾いてカネを巻き上げようと考えていたのだ。
「お客はん、一曲どないでっか?」
 日本の魚介類のくせに日本語がわからないらしく、こっちが何を聞いてもピチピチ跳ねたりブクブク泡を吹いているだけで、何の曲をリクエストしているのか皆目わからない。そもそもリクエストをしているのかどうかすらわからない。
 しかしそれでは商売にならないので、菊池章子『岸壁の母』や津村謙『上海帰りのリル』など、海のある街に相応しい曲をいくつか歌ってみたが、相変わらずピチピチブクブクしているだけで、歌が気に入ったのかどうかもわからない。
 新旧和洋取り交ぜて10曲ほど歌っても一向に反応がない。私もさすがに頭にきて帰ろうと思ったが、手ぶらで引き下がるのも業腹なので、店にいた客のうち、カニを2、3匹掴んで宿に戻り鍋にして食べたらこれがまた旨かった。身がいっぱい詰まっていて歯ごたえも充分。
 翌日、車で大阪に帰る途上、道を歩いていたタラバガニやらズワイガニやらを片っ端から捕まえて、その足で道頓堀の「かに道楽」に持ち込んだら、店のオーナーが驚いて尋ねた。
「こらまた、えらい上物でんなぁ。どこで仕入れなはった?」
 もちろん、ヨコハマの住民をとっ捕まえて来たとは言えないので、仕入れ先は答えなかったが、なにしろ卸値をべらぼうに安くしたので、訝りながらもオーナーは取り引きに応じた。その後私は、カニからエビ、イカ、イワシなどにも手を拡げ、ヨコハマの住民が絶滅するまでこの商売は続いた。



 そんなヨコハマに人が住むようになったのは、東に向かって移動し始めてからだ。ヨコハマが現在の房総半島南端に落ち着くまでに、その通り道となった地方の文化や習慣、言語、風土病などを吸収して、史上まれに見る独特な文明を築き上げたのであった。

 ヨコハマでは、居酒屋で一席設けてもらった。
 ご同席の3名のうち、Be氏は先祖代々、白亜紀からのハマっ子。T氏は埼玉県、Br氏は神奈川県だが、どちらも近県だからヨコハマ文明に対して耐性を獲得しているようだった。しかし私は300マイル以上離れた河内の國の人間なので、最後には錯乱状態に陥ってしまった。

 佇まいは普通の和風居酒屋なのだが、何か硬い物がコンコン当たる音がするので何だろうと思ったら、奥の畳の間がバッティングセンターになっていて酔客が気違いのように打棒をぶん回している。ネットが張られていないので、ときどきボールやスっぽ抜けた打棒が客席に飛んで来て食器を粉砕したり、客を直撃したりするのだが、鷹揚なヨコハマの人たちは蚊がとまったほども気にしない。
 メニューを見ると「飲み放題プラス・バッティング20球で1名様2500円」というセットがあった。ヨコハマではこういうサーヴィスは当たり前らしく、槍投げやハンマー投げをセットにしている店もあるとのこと。たまに客が死ぬこともあるらしいのだが、板子一枚下は地獄という、壮絶な漁師の世界で生き残って来たヨコハマの人たちには世間話のネタにもならないのだそうだ。

 日帰りするつもりでいたので、ビールだけで軽く済ませようと思って、注文を取りに来た店員に「ビー……」と言ったところで、隣にいたBe氏が慌てて私の口を手で塞ぐと耳元でささやいた。
「ヨコハマで居酒屋に入ったらなぁ、最初はヘイケガニの鍋を喰うのがしきたりぞん。ビールなんて注文してみら、もう、べらこいことになっちまうがん」
 向かいに坐っていたおふたりも、青い顔をして「そうそう」と眼で私をたしなめた。店内を見回すと、あちこちに鍋が置いてあったが、やはりヘイケガニを食べていたのだろう。
 ヨコハマ弁はよくわからないのだが、とにかく最初にビールを注文すると大変なことになるらしいので、しきたり通りヘイケガニを注文したら、これがまた不味くて喉を通らない。ヘイケガニは食べられないから網にかかってもすぐに捨てると聞いたことがある。
「こいつはいくらなんでも……」と独りごとを言ったら、またBe氏が私の口を塞いだ。そして店員の眼を気にしながら小声で言った。
「非常識だな。残したら、おめ、どうなっても知らねぞん!」
 私は半泣きで、何度も戻しそうになりながら何とかヘイケガニを胃に収めた。
「食べたから、もうビール注文してもいいですよね?」
「うんじゃ。次はガソリンを飲むでらい」
 ガソリンとは強い酒の銘柄かと思ったら、本当のガソリンがグラスに入って出てきた。

 44年前のカニのたたりだ……

 そんな言葉がひとりでに口から漏れた。
 その後のことはよく覚えていないが、私が制止を振り切って店を飛び出すと、店員たちが「ぐえっぐえっ」とか「ちょわー」とか「ぴぎゃー」とか叫びながら追いかけて来た。それを見た歩行者もいっしょになって追いかけて来る。四つ脚で走って来る者もいれば、空中を飛んで来る者もいる。

 私は逃げながら、桜田淳子の『追いかけてヨコハマ』(作詞作曲・中島みゆき)を口ずさんでいた。

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 毎回、ウケ狙い丸出しの薄っぺらなことしか書いていないので、今回は罪滅ぼしのつもりで、ちょっとだけ真面目なことを書いてみようと思うんですよ。

 昔ながらの「向こう三軒両隣」的気風をごく一部にまだとどめているウチのマンション(築35年くらい)なんですけど、そんな気風を作り出していた世代の人びとが他界したり、高齢で外出もままならなくなってから《無縁》がすっかりコミュニティを浸食してしまったみたいなんです。

 毎年3月になると、次年度のマンション各階の班長を決めることになってるんですけど、班長といっても、自治会からの連絡事項を印刷した書類を回覧板にはさんで、その班に属する住戸のドアノブに掛けるという子供でもできる仕事なんです。でもそんな係ですら2日や3日では決まらないことがあって、ほんとにもういやんなっちゃうんです。
 なんで僕がいやんなっちゃうのかというと、ウチのマンションは住戸が多いので、階ごとに4つの班に分かれていて、それら4班をまとめる、いわば総班長のような役を僕がしているからなんです(もちろん自ら進んでじゃなくて、ジャンケンで負けてイヤイヤ引き受けたんです)けど、それは後でお話しするとして、なかなか班長さんが決まらないのは、輪番になっているにもかかわらず、係が回ってきても引き受けるのを嫌がる人がいるからなんです。

 いわく……
「高齢者の独り暮らしなので……」
「子供が小さいので……」
「帰宅が遅いので……」
「入居してきたばかりで事情がよくわからないので……」

 たしかに独り暮らしの高齢者だからと言われると、強くはお願いできませんけど、子供が小さいというのはどうでしょうか。子供というのは、だいたい小さいものなんです。六尺五十貫もある子供がいたとしたら、それは象かなんかの子供でしょう。回覧板を回すだけだから子供の大小は関係ないと思うし、子供がいるということはご夫婦で住んでらっしゃる場合が多いわけだから、どちらかがすればいいと思うんです。
 それと、火急の連絡を回覧板でするなんてことはあり得ないから、帰りが遅いというのもあんまり関係がなさそうです。書類を回覧板に挟むなんて3分もあればできることなのだから、翌日出勤する時にでも、隣の住戸のドアノブに掛けておけばすむんです。



 そんな簡単な班長の仕事を、みなさんがここまで忌避しようとするのは、自分には直接関係のないことで責任を押し付けられるのがイヤだからなんでしょうけど、もうひとつにはその先に待っている、総班長の役目を4分の1の確率で押し付けられる可能性を恐れているからだと思うんです。

 総班長は、4人の新班長からジャンケン、あるいはクジ引きで泣く泣く選出されることになってるんです。僕も1年前にジャンケンで負けて総班長に仕立て上げられたから気持ちはよくわかるんです。これから1年間、自分の首にはめられることになった枷を思うと、そしてジャンケンに勝って「やったー!」と小躍りしている敵の晴れがましい顔を思い出すと、忌々しくてその日は5食しか食べられず、18時間しか眠れませんでした。
 総班長の普段の仕事は、自分の班の班長の仕事に加えて、その階のすべての班長に、回覧用の印刷物を配ることで、ちっとも大変な仕事ではないんです。自治会の寄り合いに出席したり、草むしりや防災訓練などの活動に参加するように要請はされるんですけど義務じゃないから、しなくてもいいんですよ。その代わり人間関係がちょっと気まずくなりますけど。
 総班長の試練はなんといっても年度末です。3月です。次年度の総班長を決めるために、各班の新班長を糾合してジャンケンをさせなければならないんですけど、みなさんが一堂に会する時間がなかなか見つからないうえに、この期に及んで、総班長の候補から外してくれろとゴネる人が出てくるのです。僕はいまのマンションに住むようになってから、2度総班長を務めたんですけど、2度とも感情的なしこりを残してしまいました。

 いわく……
「商売をしているから……」
「引っ越しするかもしれないから……」
「忙しいから……」

「商売をしている」というのがなぜ辞退する理由になるのかよくわかりませんけど、「引っ越しする“かも”しれない」というのは巧い口実だと感心しました。「かも」だから、引っ越ししなくてもウソをついたことにはならないわけです。次回から僕も使おうと思います。
 忙しいのは誰でも同じだからと説得して、辞退しようとする新班長をしぶしぶジャンケンに参加させたことがあるんですけど、以来その人と廊下で会う度に気まずい思いをするようになっちゃったんです。住人を連帯させるためにしていることが、逆に連帯感を損ねるという皮肉な結果を生んでるんですよ。



 結局、多くの住人が思っていることは、回覧板を回したり、寄り合いに出て住人の意見を自治会に反映させるのは必要、草むしりでマンションの周辺がスッキリするのなら自治会活動もおおいに結構。でも自分がその役回りを務めるのはイヤだよということなんだと思うんですよ。

 今はもうたいていの住人がケータイなりパソコンなり持ってるでしょうから、連絡事項は一斉にメールすりゃ回覧板なんていらないじゃないですか。あるいは自治会が2ちゃんねるでスレッドを立ち上げて、住人も参加して意見を出し合えばいいんですよ。匿名にすれば、普段は隣近所と没交渉の人たちも参加してくれるでしょう。「自治会を爆破する」など、必要以上に忌憚のない意見も聞けるはずです。草むしりもバイトを雇えば、雇用の促進に貢献することができるんじゃないでしょうか。
 早くそうなったらいいと思ってるんですよ。無縁化が確実かつ円滑に拡がり、住人は鉄のドアとコンクリートの壁の内側で「向こう三軒両隣」「困った時はおたがい様」「助けられたり助けたり」の脅威から身を守ることができるようになるんですから。誰の干渉も受けず、のびのびと孤独死ができる。そんな世の中が1日も早く実現することを願ってやみません。

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 ♪三味(しゃみ)と踊りは習いもするが習わなくても女は泣ける〜
 (笹みどり「下町育ち」)

 平成二十四年以降に生まれた読者は、恐らくこの曲を知らないだろう。歌詞の意味は、三味線と踊りは師匠に教えてもらって覚えるものだが、誰にも教えてもらわなくても、女は泣くことの作法を知っている、とかなんとか、まあそういうことである。
 こんなことを書くと、また女性から反撥を買いそうだが、女性は泣けるからいい。悲しくても嬉しくても悔しくても涙を流せる。あくびをしても涙を流せる。そしてそれが絵になる。女の涙が絵になるという伝統は日本だけのものではなかろう。

             ■□■

 昔の話だが、私が交際していたある女性は、ケンカになると必ず泣いた。自分が一方的にまくし立てておいてワーッと泣くのだ。こっちが反撃する暇を与えずに泣くのだから、紳士協定に反する。

 永吉くんがそんな回りくどいこと言うからアタシだって腹が立つじゃないのなによその言い方アタシがいつも邪魔してるみたいに言ってさそんなにイヤだったらもういいアタシだって永吉くんみたいなドンくさい男ほんとは大嫌いだったんだからもうアタシのいる所にこないでワー!!!(泣)

 という風に、罵倒から号泣へシームレスに移行するというテクニックを、生得的に持っているかのように巧みに操るのだ。
 もっと高度なテクニックを使って、罵声を浴びせたうえにヒトの顔をフルスウィングで引っぱたいておいて泣くこともあった。

 だいっ嫌い! バシッ! ワー!!!(泣)

 涙を見たらもう戦意を喪失してしまう。このテクニックを「ヒット・アンド・アウェイ」と呼ぶ。これが最も奏功した場合には、さらに男に謝らせることまでできるのである。
「ああ、泣かなくてもいいじゃないか。ごめん。僕も言い過ぎたよ」
 まあ、これは私の時代の若い女性であって、今の若いコのことは、わしゃ知らんがね。

             ■□■

 絵になる男の涙は、何かを達成した時の涙くらいのものだ。ただし達成といっても、スポーツで世界タイトルを奪取したとか、そのくらいの偉業でないとダメだ。梅干しの種飛ばし大会で優勝したくらいで泣いたりしたら逆に笑われる。……と、生まれたときからそう思っていたが、存外そうでもなさそうだ。
 先日、大阪の千日前にある居酒屋(地下鉄千日前線なんば駅から徒歩5分)で、焼き鳥の盛り合わせを食べながら、私より10歳ほどヤングな女性に突撃取材を敢行した。

「泣く男ってさぁ、君はどう思うのやねんかいな?」
「まあ、泣き落としみたいなことする男はイヤねでんがな」
「テレビドラマを観て泣く男なんて最低だよねでっしゃろ?」
「そんなことないわよ。感受性の豊か人なんだなって思うわまんがな」
「要するに、泣くことそのものには良いも悪いもなくて、どういう時に、どういう風に泣くかってことだよねでおますやろか?」
「結局そういうことよねまんねんでんねん」
 
 とまあ、そんなことだった。つまり想像していたより、女性は男の涙に寛容なのでありましたとさ。でも今の若いコがどうかは、僕ァ知らんよ。

             ■□■

 てなわけで、男性もわんわん泣いていいことになったのであった。だいたい、男性にも涙腺が備わっているのだから、男が泣く権利も憲法で保障されてしかるべきだ。これを行使しないのは宝の持ち腐れである。せっかく銃を所持していながら誰も射殺しないまま錆びつかせてしまうようなものだ。
 だからといって、女性と同じような泣き方をしても許されるというものではない。「よよ」と泣く、「さめざめ」と泣く、「しくしく」と泣く、が女性の泣き方だという定義があるわけではないが、どうも女性的なニュアンスがある。「ごむごむ」とか「まぬまぬ」とか、男の泣き方に相応しい擬声語も考え出さなくてはならない。
 また、泣きの様式も、女性のように8種類の決まった形があるわけではないので、これも男性向けに考案しなければならないし、それらをどう使い分けるのかも決めておく必要がある。問題が山積みだ。正直なところ、この件からは手を引きたいと思っていた。

「まったく厄介な仕事を引き受けちまって、泣きたい心境だよですたい」
 大阪で女性に取材した帰りに、博多の中洲にあるキャバクラ(地下鉄箱崎線・空港線中洲川端駅から徒歩5分)に寄って、キャバ嬢のひとりに愚痴をこぼしたら、彼女も男の涙に興味を感じたらしく、いろいろ訊いてきた。
「嬉し涙って流したことあるのですたい?」
「そういや、ないねえばい」
「じゃあ、永吉さんの人生で嬉しいことがなかったってことよねですたい」
「嬉しいことか……何にもなかったような気がするなぁ。辛かったことか腹が立ったことか恥かいたことしか思いつかないよばい」
 自分の幸薄き人生を顧みると、急に悲しくなってきて涙が溢れ出した。私が思わず腕で涙を拭うと、キャバ嬢が手を叩いた。
「それよ。その泣き方、男らしいわですたーい!」
 そうだ。これが男泣きというものだ。私はこの、腕で涙を拭う泣き方を「アスタラビスタ様式」と名付けた。女性と対等になるためには、様式をあと7種類も考案しなければならないが、とにかく第一歩は踏み出した。

 店を出たものの、まだ飲み足りなかったので、足を延ばしてもう一軒、仙台にある馴染みのノーパンしゃぶしゃぶ店(地下鉄南北線勾当台公園駅から徒歩5分)に行った。そのついでにシャブ嬢に訊いてみた。
「あのさ、キミ、男の涙って、どうおもうだべ」
「そうねぇ。男泣きはヴァイヤ・コンディオス様式で見るのが最高よねだべ」
 愕然とした。仙台ではすでに男の泣き方が様式として確立していたのだ。私は居ても立ってもいられなくなり、いつも持ち歩いているタッパーに、残ったしゃぶしゃぶ肉を詰め込み、ジョッキのビールを水筒に移して店を飛び出した。

 笑ってやってくれ。私は自分が男泣き様式の創始者として、重い十字架を背負っているつもりでいたのだ。私がそんなお節介をしなくても庶民は必要があれば、どこの誰がということもなく自らそれを生み出すものだ。
 庶民という一見野放図な群は、本人達も気づかないうちに個々がひとつの細胞となり、相互作用し、時代の要求に応じようと、あたかもひとりの人間であるかのように行動する。私は迂闊にもそれを失念していたのであった。


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 亡き父親の事業を30歳という若さで継いだ桃山大吾氏が遺体で発見されたのは早朝だった。
 廊下を掃除しようと2階に上がった住み込みの家政婦が、若社長の部屋のドアが半開きになって、そこから人の腕が突き出ているのを見つけた。
 不審に思った家政婦が部屋の中を覗くと、若社長が全裸で横たわっていた。
 放蕩息子の不行状を知っていた家政婦は「またか」と思ったが、それが血溜まりの中に上半身を沈めているのを見て、いつもの女出入りとは少し違う何かを感じ、「こんなところで寝ていたら風邪を引きますよ」と揺り動かしたが反応がない。脈拍がないことと瞳孔が拡散していることから死亡を確認し、警察に連絡したということだった。
 
 幸い、窓ガラスをぶち破って部屋に入って来たスズメたちが、テーブルの上に散らかったパン屑をついばんでいた以外は、ほぼ現場は保存されていた。
 犬川巻警部は、まず、第一発見者の家政婦から話を聞いた。
「生きている桃山大吾氏を最後に見たのはいつですか?」
「大吾さんはいつも自室で夕食を召し上がるので、食器を下げにこの部屋に入った時に見たのが最後です」
「それから遺体を発見するまでは、2階には上がらなかったんですか?」
「上がったけど部屋には入りませんでしたよ。殺したのはあたしじゃありませんからね!」
「いやいや、そうは言ってません。でも何をしに上がったんですか?」
「大吾さんが大きな声で何やら怒鳴ってらっしゃる声が下まで聞こえたから、そっと様子を見に行っただけですよ。もう12時近かったと思います。しばらく立ち聞きはしたけど、部屋には入ってません」
「大吾さんは何を言っていたんですか?」
「電話をしてたようなんですけど、外国語みたいで何を言ってるのかは分からなかったですね」
「電話? でもこの部屋には電話機はありませんよね。それに携帯電話も見当たらないし」
「あら、ほんとだわ。でも、あたしが殺したんじゃないですよ!」
 家政婦は逃げるように1階に降りて行った。
 桃山氏は、少なくとも前夜の12時頃までは生きていたということになる。

 次に、テーブルの前の椅子に腰掛けていた木の人形に訊いた。
「社長とはどういう間柄だったんですか?」
 人形は微動だにしなかったが、警部の問いに対して、テレパシーで答えた。
《間柄も何も、僕はただ社長さんの話を黙って聴くだけの人形ですからね》
「人形さんは、何時頃からこの部屋にいらしたんですか?」
《先代の社長さんが死んでからだから、もう1年以上ここに座りっぱなしです》
「じゃあ、事件の一部始終はごらんになったわけですね」
《僕はこの通り眼をつむった人形なので、見てはいませんけど、音や声は聞きました》
「是非それを聞かせてください」
《わかりました。僕はウドの大木から作られた人形なので、聞いたことを正確に再現することができます》
 人形は、録音を再生するように、事件発生時の状況を再現した。
 しばらくは、桃山氏の愚痴を聞かされる。好きで会社を継いだのではないこと、会社の実権を握っているのは副社長で、自分は傀儡に過ぎないことなどを語っていると、ドアをノックする音がした。氏がドアに近づく足音、そしてドアを開ける音がして「貴様、太平洋が」と叫ぶ若社長の声に続き、何かが床に倒れる音が聞こえ、それから後は何の音もしなくなった。
「なんだ、これだけか。所詮ウドだな」
《人形にあんまり期待しないでください》

 警部は次に、この部屋で飼われている柔らかい太陽に聴き取りを試みたが、やはり畜生だ。何を訊いてもただグニャグニャと輝いているだけだった。平べったい馬もただの畜生だった。ザリガニにはすでに死んでいた。窓ガラスに張りついていたヤモリはガラスの外側にいたので事件とは関係ないと判断し、聴き取りはしなかった。



 桃山氏の家族である母親と弟は、息子であり兄である人物が2階で死んでいると聞いて、びっくりしていた。
 警部は、まず夫人から話を聞いた。
「全裸で死んでいるのですが、脱いだ衣服が部屋にないんです。いつも衣服はどこにしまってらしたんですか?」
「ああ、あの子の部屋にはしょっちゅう女性が訪ねて来ていたので、すぐに対応できるようにと、自宅ではいつも全裸でいたんです」
 続いて、次男の省吾に訊ねた。
「お兄さんが誰かに恨みを買っていた様子はないですか?」
「僕が恨んでます。経営の才能も情熱もない兄貴じゃなくて、僕が会社を継いていれば、副社長の一派に会社を牛耳られることもなかったんです」
「昨夜の12時から朝まで、弟さんはどちらにいらっしゃいましたか?」
「そんなこと、警察の人に言えるわけないじゃないですか」

 警部が手掛かりを捜して殺人現場となった部屋を歩き回っていると、携帯電話の着メロが聞こえた。曲は『東京ブギウギ』。警部の携帯の着メロは『東京ドドンパ娘』だから、ちょっと親しみを覚えたが、それがどこから聴こえてくるのかが分からない。
 音のする方向をたどると、遺体が握っているバナナに行き着いた。警部がそのバナナを取り上げると着メロは鳴り止んだ。バナナが携帯電話になっていたのだ。



 どういう構造になっているのか調べるために、そのバナナの身の部分を少しづつ先端からほぐしてみたが、最後までバナナだった。これはつまり、バナナの形をした携帯電話ではなくて、携帯電話の遺伝子を組み込んだバナナかもしれないと警部は推理した。試しに、その一片を食べてみたが、味は普通のバナナだった。しかも美味い。あまりに美味いので全部食べてしまった。
 警部がしばらくその場に佇んでいると、また着メロが鳴った。今度は美空ひばりの『リンゴ追分』だった。
 どこから聞こえてくるのかは曲名ですぐに分かった。テーブルの上のリンゴだ。ただ、どのリンゴか分からない。ひとつひとつ耳に当てて、音を発しているリンゴを見つけた。



 警部は、そのリンゴのどこがスピーカーか分からないが、とにかく耳に当てて「もしもし」と言った。
《→●+※^^; #》
 アジアのどこかの国の言葉のように聞こえたが、理解できないので、しばらく黙っていたら、また、
《△:%ToT*=》
 という意味のわからない言葉が聞こえた。応答のしようがないので、黙っていたら切れた。



 司法解剖の結果、桃山大吾氏の死因は、鋭利な刃物で胸を刺されたことによる失血死と判明した。
 凶器と見られる果物ナイフはテーブルの上に載っていた。普通なら、証拠隠滅のために犯人は凶器を持ち去るものだが、わざわざ遺体から数歩離れたテーブルの上に置いてあったということは、敢えて殺害をアピールしているかのようだった。



 そしてもうひとつ解剖で判明したのは、氏がタタール人(韃靼人)だったということだ。これについて、母親の桃山夫人は、
「生まれた時から、この家で暮らしてきたのに、あの子がタタール人だったなんて。まったく気がつきませんでした」
 と、驚きを隠さなかった。
 ということは、家政婦が聞いた外国語も、警部が携帯から聞いた外国語も、タタール語の可能性がある。

 木偶人形。タタール語。携帯電話化した果物。ザリガニ。スズメ……
「!」
 警部の頭の中でそれらの点が、突如として線になった。
「こいつは、まったくの盲点だったな」
 
 翌日、事件の解決を祝したパーティが桃山邸で行われた。
 出席者は桃山夫人と次男の省吾、家政婦の赤袴小町、故桃山氏のセックスフレンドたち、そして犬川巻警部の85人だった。
「兄貴が死んでくれたので、会社とセックスフレンドは僕が引き継ぎます」
 省吾は力強く語った。
「でも省吾さん、お兄様に恨みを持ってらしたあなたが犯人だったなんて、意外性がなくてクソ面白くもありませんでしたわよ。ねえ奥様」
「赤袴さん、不謹慎ですわよ」
 夫人が家政婦をたしなめた。
「殺人事件なんてのは、だいたいクソ面白くもないもんですよ」
 そう言って、警部はワインをひと口すすった。



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 私は来月56歳になる。大の字に寝転んでいやだいやだと駄駄をこねても56歳になるものはなる。日本人の平均寿命が男性56歳、女性2,487歳だから、順当に行けば私は来年の3月までには死ぬだろう。
「死」については道理を悟っているつもりだったが、その茫洋たる影が地平線の彼方に姿を現す距離になると、気もそぞろになる。しかしそれは恐ろしいからではなく、自分のこれまでの人生にまったく満足していないからだ。東京ディズニーランドでほとんど何のアトラクションも楽しまないまま閉園時間が近づいてきたような気分だ。



 200社以上の求人に応募したが1社にもひっかからなかったという、思わず眼をそむけたくなるほどムゴたらしい実話がある。その人が履歴書を買うのに投じた大金が、メモ用紙にしかならない紙に変わってしまったことを考えると胸が痛む。履歴書破産という言葉が流行語大賞を受賞する日は近い。
 企業なんてものはみんな、個人のエゴが拡張されることによって出現した伏魔殿なのである。その企業にとって何の利益ももたらさないことには眉毛1本動かさない。そんなものに振り回されて一度しかない人生をスポイルしてはならない。

 企業に雇用されてする仕事だけが仕事だという考えを棄てないと、現下の経済状況では遠からず死ぬると思ったので、個人事業主、つまり自営業者として生活の糧を得る道を暗中模索しながら五里霧中を彷徨った。それを存命中に実現することができれば、まあ終わりよければすべてよしと、不敵で素敵な薄笑いを浮かべながら頓死できるかもしれない。
 そこで私は自営のサンドヰッチマンを生業にしようと考えた。「おいらは賛同一致マン」という、イムパクトがあり、かつ示唆に富んだキャッチも既にできている。といっても、街中でよく見かけるサンドヰッチマンは念頭にない。彼らは店なり企業なりに雇われているわけで、自営業者ではないからだ。

 自営業としてのサンドヰッチマンというのは、作詞作曲、歌、伴奏、ステージ設営、チケット販売、ダフ屋を全部ひとりでやるミュージシャンのようなものだ。つまり、広告主を探して注文をもらったらプラカードをデザイン、製作して首から提げて歩く。それらをすべてひとりで行う。それがこの大不況時代のサンドヰッチマンのあるべき姿なのだ。
 売り上げが伸びれば、広告主からの注文も増えて、自分の稼ぎも増える。だから、雇われサンドヰッチマンのように、プラカードをぶら下げてはいるが、イヤフォンでラジオの競馬中継を聴いているというわけにはいかない。知恵を絞って通行人の視線を集めようとするだろう。
 だから芸のある人は有利だ。ギターの弾き語り、ジャグリング、アクロバット、角兵衛獅子、ろくろ首、眠り男、タコと人間の混血女、燃え盛る建物からの脱出など、人目を引く大道芸を持っていれば宣伝効果は倍増する。
 広告も従来のようにローカルな遊興施設や店舗ばかりではなく、一流企業の広告も担当できるようにならなければサンドヰッチマンの地位は向上しない。私の当面の目標はソフトバンクだが、いずれは、JRやトヨタ、国土開発、王子製紙、NATO、シーシェパード、 パンダチーズ、などにも営業をかけようと考えている。

 サンドヰッチ「マン」というくらいだから動かなければならない。憂愁の面持ちでその場にじっと佇んでいるサンドヰッチマンをよく見かけるが、立っているだけなら茶柱でもできる。多くの通行人に広告を見てもらいたいのならできる限り広範に歩き回らなければならない。それに、繁華街ばかりを歩いていてはダメだ。人は都会だけではなく、山奥にも離島にも住んでいるのだ。

 私の夢は、鉄板に一流企業の広告を彫り込んだプラカードを提げて鳥取砂丘を歩くことだ。ずっしりとした鉄の重みで足をくるぶしまで砂に埋めながら歩く。サンドヰッチマンとしてこれ以上の喜びがあるだろうか。何とか寿命の尽きる前に実現させたいものだ。

 この計画をここで発表したために、雨後の筍のように模倣者が次々と現れてくるだろう。私にもう少し余命があれば隠密裏に計画を進めてパイオニアを目指していたはずだが、もし志なかばで倒れたら誰かに引き継いでほしいとの願いから、敢えて明かした。
 近い将来、世界中の街や村で、農耕地や干拓地で、樹海や珊瑚礁でサンドヰッチマン、いやサンドヰッチメンの姿を見ることができる世の中が来ることを願ってやまない。



 サンドヰッチマンの将来像を描いてみたが、私にはひとつだけ守りたい、過去からの遺産がある。それは《サンドヰッチマン》という呼称の由来となった、その様式だ。
 プラカードはあくまで、体の前と後ろに提げる。最近では手に持ったり、オリンピックで選手団を先導するネーちゃんたちのようなスタイルでプラカードを掲げるサンドヰッチマンが多いが、そのせいで「サンドヰッチ」のイメージが薄れて「プラ持ち」という身も蓋もない呼称が生まれてしまった。
 そして、山高帽に燕尾服。現在ではこの伝統を守っているサンドヰッチマンにお目にかかることはない。だいたい服装に気をつけているサンドヰッチマンがいなくなった。サンドヰッチの中身が穴の空いたジーパンと踵のすり減ったスニーカーでは、そんなもの誰が食べようと思うだろう。

 無闇に過去を拒絶しても新しいものは生まれない。いくら新しいものを創造するといっても、目玉を四つにしたり、乳房を膝につけたりはできない。天から授かったものを使ってやり繰りするしかないのだ。
 というわけで読者諸賢には、サンドヰッチマンが山高帽に燕尾服という様式を踏襲するしかないという、抗い難い理(ことわり)をご理解いただけたと思う。


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