(第一章)から続きます。
【李珍宇・小松川事件について】
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。
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・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。
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・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問われ、に東京地裁で死刑が宣告。
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・二審もこれを支持、最高裁も1961年8月17日(被害者の命日)に上告を棄却し、戦後20人目の少年死刑囚に確定。事件の背景には貧困や朝鮮人差別の問題があったとされ、文化人や朝鮮人による助命請願運動が高まった(自白だけで物証がなく冤罪という説もあった)。
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・1962年8月には東京拘置所から仙台拘置支所に移送(当時東京拘置所には処刑設備がなかったため)
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・同年11月16日に異例のスピード執行された。
第二章の内容を、私の主観も混ぜて説明します。
【中学生の頃の珍宇の印象】
李珍宇の人物像を探るため、著者である小笠原氏は、珍宇の中学生時代の同級生、「東平恒夫」さんと「佐藤芳子」さんと訪ねる(佐藤さんのほうは旧姓)。
李珍宇の中学校元同級生・東平氏からの情報
・李珍宇は、金子鎮宇(しずお)だった。だから東平さんたちは珍宇くんをずっと「金子」と呼び続けている。
・珍宇は、中学生時代、クラスでは別に差別されてなかった。それどころか人望があった。
・珍宇は大人びていた。
・珍宇は周りから推されて、生徒会委員長やクラス委員までやっている(中二で、三年生たちをさしおいて、副委員長になっている)。
・家裁の心理技官は「珍宇は自己顕示欲が強く、自己中だ」と診断しているが、その内容を東平氏は否定している。
・珍宇はとても優しい人で、クラスで一番背の低い東平氏を思いやってくれていた。
・珍宇くんの家は、貧しく、昼はいつもコッペパン1個だった。
・お母さん思いの息子だった。
・首から十字架を提げていた。
・珍宇くんは、大人で優しい子だったが、その十字架を東平氏がふざけてとりあげようとしたときだけ、ムッとした顔をしたらしい。
こんな優しい性格だったため、元同級生の東平氏は、「彼が人殺しなんて信じられない」と言っている。そして、当時、毎日新聞は珍宇くん一家についてこう報道している。
毎日新聞の報道
・亀戸で戦災にあった金子(珍宇くん)一家は、終戦直後に江戸川区の朝鮮人に引っ越してくる。
・そのの世帯の中で、珍宇くんの家が最も惨めだった。
・父親は日雇人夫をしていたが、稼いだ金は酒とパチンコで浪費してしまった。窃盗で数回刑務所に行ったことがあった。
・母親は内職をしていた。主な働き手は、珍宇と彼の兄と母親の3人だった。
・珍宇には、兄と、弟一人と、妹二人、一家が食べていくのに大変だった。
・近所では、珍宇くんの一家は、“偏屈者”と言われ、口をきかなかったらしい
【珍宇の自作小説「悪い奴」って、本当に賄い婦殺人事件がモデルなの?】
珍宇くんは、読売新聞で短編小説の懸賞があったので『悪い奴』と題する小説で応募したが、落選している。それは、賄い婦であった田中せつ子さんの殺人事件(1958年4月20日発生)を下敷きにして書かれているというが…小笠原著書に、その小説「悪い奴」の一部が収録されているが…管理人の私は、読めば読むほど、田中せつ子さんとあんまり関係がない気が…
その『悪い奴』の内容は、“主人公「鈴木」が、同級生の「矢野純子」という子が好き。で、クラスメートに「山田」という性格が悪い男子同級生がいて、最終的に、「鈴木」が「山田」を、とうもろこし畑で絞め殺してしまった。悪い奴をやっつけた!してやったり!”という話。
(ここは管理人の主観ですが…この殺された「山田(男子高校生)」と、「田中せつ子(賄い婦)」さんは性別も違うし、リアルの設定も全部かぶらないと思うし…どこが、「賄い婦・田中せつ子殺人事件」をモデルにしてるんだか?という感じ。そして、その小説を読んでいると、永山則夫の自伝小説と内容が重なるんですよね…。永山の場合は、実在の人物の名前も全部出してしまっていたようですが…「クラスにこういう気にいらない奴がいて、そいつは、xxというあだ名がついていた」とか、「自分の家庭がとても貧しかった」という描写がされているところとか、永山則夫の自伝小説を思い出します。ただ、永山氏はフィクション小説でも、人を殺害するといった話は書きませんでした。)
【珍宇は大芝居を打った?】
珍宇の自作小説『悪い奴』に出てくる「矢野純子」さんにはモデルがいて、そのモデルは、佐藤芳子さん(佐藤は旧姓。以下、芳子氏と呼びます。)
珍宇の中学校元同級生・佐藤芳子氏からの情報
・珍宇は、芳子氏のことを好きだった。ラブレターももらっている。
・芳子氏は珍宇に絶交状を出して、珍宇をフッている。
・珍宇と、芳子氏と、山田という男子、3人は中学卒業時に同じ仕事場を希望したが、珍宇だけ落とされている(おそらく在日差別)。
・『悪い奴』に出てくる「山田」と、実在した山田は、少し似ていた。おそらくモデルだったのだろうが、そんなに、珍宇が憎むべき相手ともいえなかった。
・大柄な珍宇が、クラスで一番背が低い東平氏と仲良くしてたのも、弱者の味方をしたいという意識が働いたのでは。なので、小説『悪い奴』の中で、悪い奴をやっつけたいという正義感が働いたのではないか?
・珍宇が獄中から、芳子氏に宛てた手紙の中に、「今度生まれ変わるときは、こんな自分でない自分に生まれたい」と書いてあった。
・珍宇は、はじめ、芳子氏ではなく、別のお金持ちの女の子に思いをよせていた。しかし、芳子氏のお父さんが結核でなくなり、芳子氏の家が貧しくなると、珍宇は芳子氏のほうに興味を抱くようになった。おそらく、珍宇は人の痛みがわかる人とつながりを持ちたいと思ったのではないか?
・珍宇は15歳のとき、父親にかわってニコヨン(土木作業)に行っていた。そんなに苦しい生活をしていたのに、珍宇は朗らかに同級生たちと接していた。今にして思えば、珍宇は毎日辛さを隠して“演技”をしていたのかも。
・珍宇が冤罪だったとすれば、彼は、壮大な大芝居をうったのではないか?
【「この偉大な力…」の随筆文の謎が解けた】
(第一章)の記事でも記載したが…
その警察が報道陣にみせびらかした珍宇のノートには、「雲も月も星も全部が注視している。見よ、この偉大な力、すばらしい勝利。輝かしい瞳、赤い顔」という一節があり、それがいかにも“殺人犯が書きそうでしょ?”と伝えられたが…
芳子氏が、就職も決まり、家でダラダラと過ごしているところに、突然、珍宇くんと東平氏が訪ねてきて、自分が家でだらけているところを珍宇くんに見られた芳子氏は恥ずかしくなって、顔が真っ赤になってしまったのだという。
それを見た珍宇くんが、「ああ、芳子さんのほうも、僕に対してまんざらでもなかったんだ」と感じ取り、そのあと珍宇くんはノートに、「雲も月も星も全部が注視している。見よ、この偉大な力、すばらしい勝利。輝かしい瞳、赤い顔」と記載した。これが真相。
【珍宇は高校では地味キャラ…そして、在日朝鮮人帰国問題が背景にあった】
珍宇は、中学では、人望があり、活躍したが…小松川高校は、年齢が上になってから入学し、さらに3ヶ月ほどしか通ってなかった上、あまりクラスメートや教員たちの中で、印象が薄かった。
警察は、取調べのさい、「小松川高校在籍者に、真犯人の録音した声を聞かせ、秘密投票を行った」というが、たった3ヶ月しか在籍してなかった珍宇の名を当時の在籍者たちが、書くとは考えずらい。また、珍宇の高校時代の同級生は、「そんな秘密投票なんて知らない」と言っている。
要するに、警察が言っていた『秘密投票』というのは、捜査本部が報道陣に向けて仕組んだプレスキャンペーンと考えていいだろう。
実は、珍宇は、昭和33年(1958年)4月20日発生の「賄い婦殺し事件」の被害者田中せつ子さんの死体の第一発見者だったようです。
トイレに行った珍宇が、トイレの窓から人が倒れているのをみかけ、それを珍宇は父に伝え、父はあわてて妻の下駄をひっかけ、死体のある現場に赴き、そのときの下駄の足跡が現場に残ってしまった。プラス、珍宇が書いた小説『悪い奴』が、珍宇を犯人する格好の材料となってしまった。
また、事件が起きたときの社会的背景も重要で…
「松川事件」の元被告阿部市次がこう言っていたそうだが…
「当時、在日朝鮮人の帰国問題が日程に上がっていたときで、すでにどこかで“高等政策”がねられていて、何らかの形で、帰国問題に水を差そうとする政治意図のもとに、珍宇がひっかけられたのではないか」というもの。
うん、永山則夫の静岡事件と同じく、出てきましたね…国家権力の陰が…
(第三章)に続く
管理人より
私の感情論になるのですが…珍宇の元クラスメート東平氏が小笠原氏に話した、「一審で裁判官が、珍宇に死刑判決を出したあと、珍宇のお父さんが泣きながら彼を追いかけ、看守から制止された」という話が、悲しかった。こういうのを聞くとね、難しい理屈とか、思想とか、そういうのを抜きにして、「死刑制度っていやだなあ」…って“生理的に”思うんだよね。
で、やっぱり、李珍宇関連のワードを検索すると、まあ、ネット右翼やら嫌韓やらのブログやサイトがヒットしまくりました→嫌韓の一例
「在日朝鮮人である李珍宇は、女を殺して死姦したあとに、なんとそれをネタにして小説にして読売に応募したそうだ!」なんて、書いてあったが…嫌韓たちは、珍宇の書いた小説『悪い奴』を実際に読んでないで悪口を書いてるよね。それは、死刑存置派が、ろくに永山則夫関連書籍に目を通さず、ネットの噂だけで永山則夫情報をパスしあうのと同じ現象ですね。死刑存置派も、嫌韓も、「ネットで見ました、ネットで聞きました」の本嫌いだもんね。