1992年4月20日ねっとわあく死刑廃止第8号より
申し訳ないですが、私の時間の関係で、興味が出た部分のみ抜粋します。筆者の方のお名前はイニシャルにするか、もしくは、載せません。でも、弁護士とか有名人、政治家、公的機関の役人、本人の許可がとれていたら載せます。それと、私がここに載せたからと、内容を私が全部理解してるとか、全部私の頭の中に入ったわけではないので、ご容赦ください。それと、誤字脱字もご容赦ください。
ありがとう バダンテールさん
死刑廃止が大きく動いた八日間の軌跡
3月1日(日) 午前9時55分、成田空港に到着、パレスホテルへ。昼食は東京会館ロビーで、打ち合わせを兼ねてフォーラム実行委メンバーと、サンドイッチをつまみながら懇談。エリザベート夫人もにこやかに同席。「健康上特に注意することは」との問いにバダンテール氏、「私はテニスをやらないから大丈夫だ。」(ブッシュ来日の記憶がまだ新しい時でした。)
3月2日(月)
午後2時記者会見。「62パーセントの世論の反対をフランスではどう乗り越えたのですか。」との質問に、「フランスに限らずヨーロッパの他の国々でも議会は、未来に向かって勇気をもって道を開くという役割を果たしました。」 午後3時半より法曹会館で歓迎レセプション。多数の死刑廃止関係者と面談。
3月3日(火)
午前、最高裁長官、法務大臣を表敬訪問。午後はジャーナリストを集めての懇談会。拷問禁止条約の批准を訴えるなどの段階を踏んだ運動への示唆もありました。
このあと、時間があれば港合同法律事務所でフォーラム実行委の普段の姿をおみせしようという企画がありました。レセプションに感激した藤井さんは、「パタンテールさんに食べていただこう」と徹夜で得意の郷土料理を準備。しかしバダンテール氏の疲労がつのり、実行委訪問は中止。メンバーはNHKニュース21のインタビューを見ながら、料理(おいしかった!)を平らげました。 TV特集は、いずれもイマイチ。NHKは資料だけは豊富で、パタンテール氏の国会演説(ねっとわあく前号の表紙写真と同じ、激烈なもので、死刑を廃止した時の氏の気魄がよくわかりました)、アンリ裁判の記録フィルムを見ることが出来ました。
3月4、 5 日
バダンテール夫妻、京都、奈良へ。
3月 6 日 (金)
朝、フォーラム実行委は法務省前ビラまき。
夫妻は午前、東京着。早速、12畤より国会議員懇談会。衆議院本会議中にもかかわらず30名の議員が参加、国会内部での関心のたかまりを感じさせました。
3月7日 (土)
いよいよ本番です。実行委は朝8時45分に集合し会場準備にとりかかります。午後2時、開会。1階座席は8~9割埋まり、人の流れは2階席へ。司会の岩井信さんと中山千夏さんの語りの後、ひとくちアピール。政府への死刑廃止要望書を有志が提出した仙台弁護士会の馬場さん、カトリック正平協の五月女さん、平和と人権・仏教ネットワークの酒井さん。各界で死刑廃止の輪は更に広がります。
バダンテールさん講演。「話すと止まらない」氏が、通訳をはさんで少し話しづらそうにも感じました。民主主義国では死刑廃止が大勢を占めていること、死刑には犯罪抑止力がないこと、…繰返し、語られてきたことですが、各国の実例と氏の体験を踏まえてのお話は、あらためて私達に確認と決意をせまります。
オペラシアターこんにゃく座の歌(宮沢賢治の詩による)は、よく練れた音楽性でなかなかのものでした。バダンテール夫妻も観客席に座って鑑賞。「警備は?」「こんなこと打ち合わせになかった」と実行委は右往左往。
休憩時間は、1階ロビーの書籍販売、2階展示場に人々が集中。しかし集まった全国の仲間との交涜の時間が、もっとほしかったですね。第二部。再審交涜会によるアピールは、死刑確定者53+1(控訴取下無効申立て中)名をそのまま舞台に表現。死刑囚の存在を強く印象づけました。(本文島谷さんの報告参照)名古屋の矢野さんは、9月27日名古屋フォーラムへの参加を呼びかけました。結びは、バダンテール氏を囲んでのシンポジウム。
安田さんの名司会で、志賀節自民、土井たか子社会各議員と団藤重光、加賀乙彦各氏が、それぞれぞんぶんに死刑廃止への理念と決意を語りました。フィナーレの前には、執行命令にサインせずに終わった左藤前法相のメッセージも読み上げられました。全てのスケジュールが終わって、虎の門の「居酒屋」で行なったお別れ会は、百七十名の参加。夫妻の席の正面には、この会を主催したフォーラム青年団が、何とフランス語で『バダンテールさんありがとう一私達が青年のうちにきっと死刑を廃止します』。「私達の生の姿を見ていただこう」として果たせなかった3日夜の願いが、別のかたちで実現したのでは。翌朝、成田を発つ時、バダンテール夫妻は、「友情に満ちたとても楽しい会合だった。」と言われ、「死刑廃止の祝賀会にはまた、会いましょう」と、何度も手をふいってゲートに向かわれました。(T・記)
抜粋以上