今朝の神戸の空は雪がチラチラ舞っていました。六甲山も雪が降ったんじゃないだろうか。 夜にはこの年末の押し詰まった時に、茨城県近辺でまた震度6の地震が。今のところ、大きな被害は報告はされていませんが、どうか無事でありますように。TVから「東海村」と聞こえてきて「太陽を盗んだ男」を思いだしました。
年末に向けて、2016年の振り返りをするつもりが。。。。
satsukiさんからコメントをいただきました。太平サブローさんがCDを発売したそうなんですが・・・。
『最近ラジオで大平サブローさんが還暦記念にCDを出されたのでゲストで出演されてました。A面はオリジナル曲ですが…
B面は〔いくつかの場面〕です。で少し調べて見たけどわからなくって。
〔いくつかの場面〕は河島英五さんがジュリーの為に書いた曲ですよね?
後に河島さんもアルバムには入れられてるでしょうけど。
ずっ〜〜と前に河島さんの娘のあみるさんが〔いくつかの場面〕は沢田さんもカバーされてます〜と言われてたので…
河島英五さんの曲なんでカバーには違いないですが。
ファンとしては大きく違うように思ってしまいます。
ミスキャストを陽水さんがジュリーに書いたのと同じ様に思ってました。
どうなんでしょうか?サブローさんの歌も良かったです。
でも…書かなくてもわかりますよね。』
サブローさんの歌が聴けます。→http://www.neowing.co.jp/product/YRCN-90261
ミスキャストは陽水がジュリーの為に全編を書き下ろしました。
「時の過ぎゆくままに」が大ヒットしたあとリリースされたアルバム「いくつかの場面」は、全体的に派手なジュリーのイメージはない、割と地味め重めの印象のアルバムです。加藤登紀子さんの「流転」など、聞いた当時は演歌みたい・・と思いました。
1975年の「いくつかの場面」は河島英五さんが、ジュリーの為に書き下ろしたものだと思っていました。ジュリーがカバーしたといういい方には違和感を持ちます。ジュリーの為のジュリーの曲でしょ!そう信じていた。
ピアノのゆっくりした美しい旋律のイントロで始まり、「いくつかの場面があった まぶたをとじれば・・・」 で始まる歌詞は、それまでのジュリーの歩みをそのまま文字にしたに違いないと思えます。タイガースからPYGへ、ソロ歌手へと歩んできたジュリーの人生そのもの。LPに収められているジュリーの歌声は、途中から感極まったように涙声です。ジュリーの脳裏に浮かんで消えるのは、誰の顔?嬉しい場面?哀しい場面?懐かしいどれなんでしょうか。
ファンにはジュリーの様々な心情が思い浮かばれて、こちらの気持ちも同じく熱くなってしまうのです。アルバム表題曲で、シングルにはなっていませんが、コンサートでも度々歌われる「特別な曲」という思いがファンにはあります。
河島英五さんが、この曲をアルバムに入れているのは知っています。太平サブローさんがこのドラマチックな曲をCDに納める気持ちも理解はできます。
生前、河島英五さんは阪神淡路大震災の被災者の為の活動をしていました。川島さんが亡くなった頃だったか、震災の追悼番組で男性アナウンサーが『河島英五さんの曲で「いくつかの場面」という曲がありますが・・・』と話し出したので、思わず私はTVに向かって『違う!それはジュリーの曲!』と叫んでしまいました。
例え作詞作曲は河島さんだとしても、それは大事な大事なジュリーの為の曲なの。
「これはジュリーの為に作られたという確証を探し出さねば」と検索しました。河島さんが自分のアルバムにこの曲を収録したのは、1979年の作品集で、間違いなく75年に発表したジュリーの方が早い。
さらに検索していたら、こんな記述が↓
河島英五は1975年4月「何かいいことないかな」でレコードデビュー。そんなデビュー間もない河島英五のこの曲を、ジュリーはとても気に入りレコーディングしたということです。(河島英五自身のレコーディングは、この時点で行われていませんでした。後にレコーディングしています。)
すでに出来上がっていた作品を気に入ったジュリーがレコーディングした? ジュリーの為の書き下ろしではなかった、という風にとれないこともないけど・・・ う~ん、ビミョウ・・・書かれた方は伝聞で書いているんでしょうか。あみるさんは、カバーと言い切っています。
ここは、ジュリーさまご本人に経緯を語っていただきたいものです。
毎日、楽しく読ませて頂いてます。
この曲は、河島さんがジュリーの為に書き下ろした曲だと思います。
ソースは、当時のジュリーのラジオ番組で「ああいう人がこういうふうに見てくれていたのが嬉しい」と語っていたからです。
推察できるのは、アルバムプロデュサ―が、各人に依頼し
(御存知の様にあのアルバムは、ブレイク前のミュージシャンが多数参加)出来上がった曲のひとつと思います。
【いくつかの場面】はのちに、河島さんがセルフカバーしたと思います。そういえば【あの娘にご用心】ものちにセルフカバーされていますね。
それだけ、ジュリーに期待を込めて作ってくれたと思うと感慨深いアルバムです。
ジュリー枯れの日々、Saoさんのプチジュリー情報に大感謝です。
ありがとうございます。
心がすっきりしました。
やはりジュリーの為の歌なのだ!
知り合いに河島英五さんファンもいないのですが…
遭遇したらそう言います。〔笑〕😜
涙声バージョンになったのはジュリーが海外に行ってる間に加瀬邦彦さんだったと思いますが普通バージョンもあったのに涙声の方に選ばれてたと。
30年以上前にラジオでジュリーが言ってたのをはっきり覚えてます。
今からジュリーのCDを聞きながら
年末掃除しま〜す。
😪
涙声になったのを再録したいとのジュリーの申し入れを大野克夫さんがそのままでと押したとありました。
私の勘違いのようでごめんなさい。
😹
「ジュリーがラジオ番組で・・・・」そうなのですね!有難うございます、スッキリしました(^o^)丿
あみるさんは自分の父親の曲だから「カバー」と言われるのでしょうね。
「いくつかの場面」は、ジュリーの為に書かれたジュリーの為だけの曲だと、これからも確信を持ちました。
でも、これからもジュリーがカバーしたと思われるんでしょうね・・・。
あみるさんは、自分の父親の作品との思いからの「カバー」発言でしょうから仕方がないです。(-_-;)
涙声の収録のお話も有難うございました☆彡
詳しいお話をいただき、有難うございました。「愛を求めて」は毎日欠かさずに聞いていました。
「いくつかの場面」についてのジュリーの話はすでに私の記憶には無くなっていましたが、お陰様で納得ができました。
「いくつかの場面」はジュリーとファンにとって大切な曲であると、声を大にして言いたいです。
素敵なブログいつも楽しみに拝読しています。
「いくつかの場面」について、いそしぎさんとyujiさんのコメントで、ジュリーのこの曲についての当時の言葉を知ることが出来てとてもありがたかったです。
河島英五さんは確か1979年ごろパックインミュージックというラジオ深夜放送のDJをされていて、その番組でご自分が歌ったこの曲をかけたとき、「この曲はジュリーにプレゼントした曲です」と紹介したのを覚えています。私もカセットに録音して何度も聞いたので以前は一字一句覚えていたのですが今は、語句が「プレゼントした」だったか「沢田研二さんの為に書いた」だったかあやふやになってしまいましたが、そういう内容のことを言っていました。
>「この曲はジュリーにプレゼントした曲です」と紹介したのを覚えています」
そうですか!教えていただいてどうも有難うございます。
河島さんがジュリーの気持ちを思い、その心情に沿ってジュリーの為に心を込めて
プレゼントして下さったのですね。
河島さんがセルフカバーされて、ご自分のアルバムタイトルにもなっているのは、
この曲に思いいれがあったこそと思います。今回の事で、いっそう「いくつかの場面」という曲がジュリーにとっても
ファンにとっても、いかに大切な曲であるかという事を改めて強く感じました。