長崎めぐみ教会 tearoom 2

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人生の保証書

2017-07-15 20:44:17 | ひつじかい日記(2)

2017年7月15日(土)


「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古い者は過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。」

Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation; the old has gone, the new has come! (NIV)



🌸



だいたいに於いて、そうだけど、
明日の説教を前にして、
「これさえなければ、、、」と思う。

明日の説教が重く心にのしかかり、
今日も、ひとりゴロンとベッドに寝そべって、天井を仰いでいると、
ふと、神学生のころにした悔い改めの時のことが思い出された。

27歳で神学校に入学した私にとって、
見るもの、聞くこと、全てが新鮮で、心に響いた。
その頃、関西聖書神学校には、
小島伊助という老聖徒がご健在で、
視力はかなり落ちていて、
誰かの介助がなければ、授業にでてこられることはできない状態だった。


キリスト教の基本教理について、
私たち新入生を前にして、
ヨハネ第一の手紙1章の
「その罪を口で言い表して告白するならば、神は真実で正しい方であるから、
その罪を赦してくださる」のみことばから、
罪の悔い改めについて、
「あなたたちの中で、罪の悔い改めを、
まだ、だれとも一緒に声にだしてしたことがない、
という人がいるならば、
その人は、伝道者生涯のどこかで、やっていけなくなる時が来るでしょう」
と。
師の視力では、私の顔を見ることはできなかったでしょう。
しかし、私の心にこの言葉は楔のようにさされ、
結局、私の神学校三年間は、
誰かと一緒に声に出して、
罪の悔い改めをする、ということが、
大きな課題になった。



三年生の秋、
来春の派遣を前にして、
私は、神さまから示されるまま、
ある一人の方と一緒に罪の悔い改めの時をもつことになった。
決して、人に言いたくないと固くにぎりしていた心の深みも、
全て、ご聖霊が導かれるまま、
明け渡された状態で、流れる涙の中で祈った。

介助してくださった方が、
その時、どのようなみ言葉で祈ってくださったか思い出さないが、
その後、応接室をでて、
見た空の青さだけが心に焼き付いた。


偽りの自分が暴露されて、
その方は私をどのように思っただろうか。
その方が介助者でなければ良いとも思ったが、
神さまが示された方がその方だったから、
私は、その方を通して、
自分が、たとえ辱められても、神さまに従ったという思いしかその時はなかった。


さっき、
ベッドにころがって、天井を見上げながら、
「あの方はそれで私のことをどのように思われたかはわからない、
あの方と悔い改めて、損をした部分もいくらかあっただろうと思う、
しかし、
私はそのことを通して、
神さまからの人生の保証書を確かに受け取っていたんだ、」
と言うことを、
ふつふつと確信できた。
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