喉が痛む中、新幹線で講演の会場に向かう途中に書いています。
僕がこの一年あまりの中で、いろんなことをしてきて、いろんな人々とすれ違い、いろんな人々と話してきました。
おそらく見も知らぬ人たちと、これだけ多く話すことになるとは、僕の人生でも、やはり他には考えられない経験です。
こうした経験を通して、ずっと疑問があります。
多くの人々が、あまり自分の命を守るということに、そんなに重きを置いていないのです。
というか、僕に語らいかける人々の話を聞いていても、みなさん、ご自身の都合や症状のお話はされるのですが、
自分の命をどう守るのかということについて、そんなに重視されていない。
あんまり自分の命のことを考えていない。
これは老若男女問わず、似たような状態です。
僕はなんなんだろうと考えています
「死が怖い」という感情はあると思います。「病は嫌だ」という感情も。しかし、命を守るという積極的な問いかけが少ない感じがしています。
もうちょっと書くと「生きたい」という内面の強いエネルギーを感じられる人がほとんどいない。
これは、本当に不思議なことです。
おかあさんたちが、まだ放射能を防御することに一生懸命なのは、まだこどもの命を守りたいという熱意はあるのです。
こどもに対しては、このことを意識しているほとんどのお母さんの思いはあると思います。
しかし、それも自分には向いていない感じを受けます。母という役割の義務のため、子に意識を集中している。しかし、自分に対しては薄い。
生物として、さらに人としても、自分の命への思いが本当は希薄なことを特に感じます。
「放射能防御」「健康被害からの回避」ということを強く言うと、僕が生に執着していることをおかしいというような言説があるようです。
生きるという事や命ということに、人間がこだわらなくなったことの方が僕には本質的におかしいと思います。
もし、命や生きていくことに拘らないなら、あなたたちが何に拘っているのかという事です。
家、ローン、金銭、所得、地位、会社、肩書、ステイタス、世間体、仕事、対人関係。大体こんな話ではないでしょうか。
こうしたものは個別にはいろんな問題があるとは思います。
でも、僕からみれば「命を守る」「生きていく」ことよりも大切なことはほとんどありません。
僕の考えが、今の日本人の多くの人には、まだ「奇怪な話」と受け止められています。
多くの日本人たちは、自分の命も守る意識も強くなく、生きていくことに敏感ではないのだろうと僕は思います。
これは、安定的な社会が数十年を経過し、その体制が固まった中で、循環している澱みのようなものだと考えます。
新しい流れをいろんな形でおこすことにためらいがあり、そのまま状況に流されていくことしか、多くは解決策を持たないのだろうと理解しています。
その中で澱んでいれば生の実感は希薄になり、命を守るということそのものが、ドンキホーテの所業のように見えてくるのかもしれません。
命を守ること=病院にお金を払うことやより有名な病院に行くこと。こうした図式だけの人も多いと思います。
相談の電話を聞いているとさらに強く感じます。
どうしても自分の命を守りたい、生きるという強い思いがないと、子供たちの命も守れるとは僕は思えません。大切な人の命も守れません。
自分を守らない人間が、他人を守れるレベルに達しているのかは、根本的に難しいと僕には思います。
命を守ることを我執という言い方をして、批判する愚かな人々もいます。
こういう人々がすべての欲を捨てて、無欲になって、生きているのであれば、まだ議論の余地がありますが、大概の場合において、他の日常に絡め捕られているだけです。話にもなりません。生きることよりも、緩やかな日常だと思い込み、ただ日々をごまかしているだけです。
自分の命に拘らず、子供のような大切な人の命に拘らず、違うものに固執しているだけです。
意識が浮揚することがあります。命や生きることを実感できない場合。離人症ほどひどくはないかもしれませんが、非常に軽度にはそれに近い状態です。こうした放射性物質の危険が存在するエリアでは、その危険そのものを直視したくないですし、ごまかして過ごしたいという深層心理は当然働きます。こうした中で、おこりやすいのが自分の中での意識を、身体から少し離してしまう在り様です。すこし浮揚している。その方が気持ち良いから。意識と体がゆるやかにしかつながっていないので、体の変化が微細には意識されなくなります。意識しにくくなります。
被曝エリアである関東・南東北で、こうした無意識のスタンスを、潜在下でとっている人は多いと僕は思います。だから、いろんな微細なシグナルを見落とす可能性も強まる構図です。
浮揚した意識をきちんと自分の身体性に引き戻すこと、そして微細な自分の肉体の変化を確認すること、自分が何者であるのかを確認すること、それゆえに、自分の命を守り、自分は生きていくのだという事。自分が生きていくことは、さらに、子供は当然として、自分にとって、大切な人が生きていくことも必要なのだと、はっきりと自覚すること。子供も含めて、他者との本質的な関係の構築は、その相互認証・相互関係でしかありえないということ。勿論、自分が生きるという事と密接に連関しているということ。自分が生きることは、大切な人も生きること。自分の命を守ることは、大切な人の命も守ること。
それを支えあうのが、時に「家族」であったり、また「社会」、そして本来は「国家」であるべきはずという事。
僕はこうしたことを考えながら移動しています。それでも、多くの人に書いている意味が伝わらないだろうなとも思っています。
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「関東・南東北の被曝エリア(東京全域を含む大半のエリア)にいる皆さんは、放射性物質の少ないエリア、できれば愛知県から西のエリアに、移住するべきです。妊婦、子供、未成年、妊娠可能な女性は優先して移住すべきです。他の皆さんも極力移住してください。被曝から一年が経過しています。初期被曝は深刻で、慢性被曝の影響がさらに危険です。食物、飲料のみならず、吸気による被曝も軽視できません。回避する方法は限定的です。あなたやあなたの家族の命が何よりも大切です。一刻も早く移住してください。」
「健康被害と思われる事象が顕著にあらわれている方は、僕までメール下さい。事故発生当時の行動記録や数値データなどを細かく教えてください。問い合わせの内容も書いてください。健康被害の状態を皆で共有化し、事態の推移をあきらかにしていく作業が最も必要です。nagaikenji20070927@yahoo.co.jp」
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講演会は、岡山市、広島市、呉市が6/16(日)と17(土)で新たに開催決定。
開催日:
2012年5月27日(日)
開催場所:
稲城市立iプラザ ホール
最寄駅:
京王相模原線「若葉台駅」北口から徒歩2分
料金:
予約した場合は1000円
(中学生以下無料。必ず保護者の付き添いが必要です。)
中学生未満のお子様は、コメント欄に人数・年齢をご記入ください。また、小さいお子様で席不要の場合【席不要】とご記入ください。
時間
チケット早期引き換え 11:00-1:00まで調理室にて。
13:10 チケット販売・受付
14:00 開演 16:30 終了
駐車場:
駅前のため無し 障害者スペース2台あり。車でご来場の方は近隣にパーキングがございますのでそちらをご利用ください。(有料)
備考:
メールインターネットが出来ない方の為に電話受付開始しました。
※出れない時がありますので再度おかけ直しください。
保育の受付締め切りました。
開催日当日は混雑が予想されます。
稲城市内にお住まいの方はWEBよりお申し込み時のコメント欄にチケットお届けと書いて下さい。チケットお届けいたします。後ほどメールまたは電話いたします。
必ず電話番号を記載してください。
なるべく、グループでまとめてお願いします。
ほか、変更がある場合 更新します。
主催:
稲城 放射能から子どもを守る会
http://www.tokyo-inagi.com/
共催:
放射No!拡散防止ネットワーク
ごみ焼却を考える会InTama
http://blog.goo.ne.jp/tama-gareki
後援:子どもと未来をつなぐ会
「松阪における瓦礫と放射能のこと」放射性物質に繊細すぎる市民ですみません。
(※「放射性物質に繊細すぎる市民」とは、市長がよく表現される言葉です。)
『 ほんとに松阪大丈夫?日本の未来はどうなりますか? 』
『 これから三重県はどうなるの? 』
日時 2012年6月1日(金) 午後6時~8時30分
会場 松阪市産業振興センター
三重県松阪市本町2176 (センターの3階です)
(0598-26-5557)
交通アクセス JR 近鉄 松阪駅より より徒歩12分
※ 駐車場が少ないので満車の際には松阪市役所(会場まで徒歩3分)
又は、市民病院の駐車場(会場まで徒歩6分)へお止めください。
参加費 事前申し込み 1000円 当日 1300円 (小学生以下無料)
申し込みと問合せ先 nanadaisaki@docomo.ne.jp
(電話でのお問合せ) 0598-20-8778 古川
※ お申し込みの際は、お名前 ご連絡先 参加人数 をご記入ください。
※ 小さいお子様を連れの方は、お膝の上でお願いします。
主催;七代先の子孫ことを考えて今を生きる会 協賛:放射能防御プロジェクト三重
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【6/16(土)「わたしたちが岡山へ逃げてきた理由」木下黄太講演 in 岡山】
◎日時:2012年6月16日(土) 14:00~16:00 (開場13:30)
◎会場:岡山市勤労者福祉センター (体育集会室)
岡山市北区春日町5-6 TEL086-233-8311
◎料金:前払い800円 当日1,000円(中学生以下無料)
◎託児:受付終了
※近隣の一時保育をご利用ください。すぐ近くの保育園などであるそうです。
◎お申込み
http://kokucheese.com/event/index/37227/
◎お問い合わせ
メール:info★rdp-okayama.net ★を半角の@に変えてください
TEL:090-4170-0736 中山
◎主催:放射能防御プロジェクト 岡山
◎協賛:さよなら原発1000万人アクションin岡山実行委員会/あかいわエコメッセ
◎後援:岡山市教育委員会/赤磐市教育委員会/財団法人おかやま環境ネットワーク
/山陽新聞社/朝日新聞岡山総局/毎日新聞岡山支局/産経新聞社/RSK山陽放送/
TSCテレビせとうち/OHK岡山放送/FM岡山
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広島にいてもひとごとではない放射能汚染
「健康にはただちに影響はない」
「基準値内だから問題ない」はほんとう?
「震災がれきを受け入れて痛みを分かち合」って大丈夫?
自らも東海村JCO臨界事故の直接取材による被爆体験があり、東日本大震災以降、独自の取材を進められ情報を発信されている木下黄太さんに現状をお聞きします。
【6/17(日)昼 木下黄太 講演 in広島 】
13:00~15:00 (開場12:30)広島市南区民文化センター2階 スタジオ
広島市南区比治山本町16-27 082-251-4120
広島会場申込:http://kokucheese.com/event/index/38422/
【6/17(日)夕 木下黄太 講演 in呉 】
18:30~20:30(開場18:00)呉市広民センター5階広公民館大会議室
呉市広古新開2丁目1-3 0823-71-2151(JR新広駅前)
呉会場申込:http://kokucheese.com/event/index/38324/
◎参加費両会場ともそれぞれ:前売り900円 当日1200円
※申込サイトでご予約の上、当日、会場にて前売料金をお支払いください。
※予約の方で満席の場合は、当日券の販売は行ないません。
※託児は応相談。
◎主催:木下黄太氏広島講演実行委員会(ヤマムラ・アラカワ・キムラ)
協賛:放射能防御プロジェクト中国&放射能防御プロジェクト岡山
個人的には、皆はずっと健康で、放射能で体がやられるってことがどういうことかわかってないんだと思いました。私は昔大学生のときに体調を崩して、症状から白血病や甲状腺異常、慢性疲労症候群を疑いましたが、医者に見切りをつけ、中国に行って漢方で直しました。中国の漢方の権威の病院に連れて行ってもらいました。だるくて寝ながら手を動かすのもしんどい状態で10年は苦しみました。だから今回も怖い。もう一回あのしんどい状態をやるのかとおもったらもうたまらない気持ちになります。
一部の人たちは放射能を考えるときにもういつ死んでもいいとか気軽なことを言っているけど、一言言いたい。簡単に死ねません。そんなに簡単に死ねなくて拷問を受けてるみたいにつらい日々を長く過ごすのです。体調を崩すとはたいがいそういうことです。
もちろん、ここのサイトをご覧になっている方に言うよりも他の方たちに言うべき内容なのですが。私もだんだん心が折れてきて周囲に言う勇気がくじけてきています。
木下様お体ご自愛ください。心からお願い申し上げます。木下様が日本の希望の星です。とにかくお体を大事になさってください。
そのようになる原因には、いろいろな電子機器類などがあげられるのですが、放射性物質は最たるものと感じています。
木下さん、体調が悪いようで心配です。
白血病と同じような症状が出てきているなんて、とにかく防御に励んでくださいね。
今日の内容は、とても共感しました。
私は避難者の一人ですが、この一年同じようなことを私も何度も考えました。
私の周りは何で恐怖を感じないんだろう?何で病気が怖くないんだろう?
なんで、生きたい!と思わないのだろう??と。
私は・・・複雑なことは良く分かりませんが、とにかく怖い気持ちと、何としてでも生き残らなければ!
という本能の気持ちで九州に避難移住しました。
どのくらいの放射線量なのか?とか・・・今後どのように変化していくのか?とか・・・
そんな数値的なことをのんびり考える余地は無く、とにかく「早く逃げなきゃ!」という本能だけでした。
でも、避難し終わって周りを見渡すと、そんな人は誰一人いず、
私って・・・生きることに対して誰よりも強い執着心があるのかも・・・^^;・・と考えたりもしました。
でも、これって・・・本能の部分なんですよね。
心のどこかで「何でも良いから、とにかく逃げろ~!!」という声がして、それに従ったまでです。
生きることへの執着心は、今の人生にどれくらい真剣に向き合っているのか?にも
共通してくると思います。死ぬ瞬間まで真剣に生きて行きたい!と考えているのか、
周りの流れに乗って、楽に生きて行きたいのか、
そもそも、何で生きているのか?と真剣に考えてこなかった人に
生きるとは?などという問題をいきなり突き付けられても、思考停止だと思います。
私は・・・個人的な考えですが、どんな環境になっても最後の最後まで行きぬきたいと思います。
どん底の環境になっても、必ず幸せになれる自信があるからです
それも設備を担当している業者さんが実名で告発したり、米ロン・ワイデン議員の書簡を出したり、
小出さんのコメントもあれば東電の松本氏の個別インタビューさえ取り付ける。
(参考資料:「みんな楽しくHappyがいい」さんの文字起こし)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1925.html
先日は毎日新聞が原子力安全委員会の秘密会議の話を独自に記事として取り上げ、
その日の夜に報道ステーションは話題に上った飯田氏をゲストとして呼んでいます。
(参考資料:「みんな楽しくHappyがいい」さんの文字起こし)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1924.html
北九州の試験焼却は残念ですが、流れが少しづつ変わってきていることも事実だと思います。
(再掲)
福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描 (Unknown)
2012-02-12 20:23:21
7時のNHKニュースで2号機の内温上昇を報道した後、続いて
「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」(内閣府原子力委員会 委員長 近藤駿介)
が存在したことについて取り上げていましたね。
「素描」の詳細に関してはEX-SKF-JPさんの2012年2月4日付のポストを参考にして頂くとして。
参考:EX-SKF-JPさんポスト(2012/2/4)
( http://ex-skf-jp.blogspot.com/2012/02/blog-post_5776.html )
木下氏が2月8日に書かれていた意味が何となく伝わっていました。
「一部メディアの伝え方が数ヶ月前の報道の仕方よりも微妙に変化しています。」
「シナリオ」を書いた「近藤駿介」さんがいかなる方か検索すると以下のYouTubeがヒットしました。
参考:YouTube「「火事場は見てるだけ」原子力委員会 近藤駿介」
( http://www.youtube.com/watch?v=dd-IYW_jC0k )
原発事故を火事場と例え、「自分たちの仕事は火消しではない」と言い、
同じく答弁に立った委員長代理の「鈴木達治郎」さんは4月26日の火中の最中だというのに
ニヤニヤとにやけて答弁に立つ姿を見ていると、
「真の冷温停止」はまだまだ先の事と実感できると思います。
そういえば近藤氏と鈴木氏は今回の秘密会議の中心ですね。
実は同じようなことを自分も感じていました。
“生”への執着と言ったらいいのでしょうか、そういう感覚が現代の日本人には根本的に薄れている気がします。
また、東京などで暮らしていると、うつになりやすいです。
特に福島後は、エネルギーが低くなりすぎて私事ですが何度もうつになりました。
安全神話、自分の考えを主張することへの恐れ、何とかなるという根拠のない安心感、それに加え、軽度または重度のうつ。
それらまたはそれ以外の何かによって、少し前の学校教育のテーマにもなっていた“生きる力”というようなものがそがれてしまったのではないかと思っています。もちろん、ここに至るまで、何十年も本当の力をそがれ続けてきた民族ですから、そんなことだけではないのでしょうが。
ニュージーランドに移住して後は、一度もうつにはなっていません。私達もこちらでの将来がしっかりと決まっているわけではないのですが、エネルギーだけはとても健全であると感じています。
これまで友達に移住をすすめても誰ひとりとして動く人はいませんでした。
今は祈るばかりになってしまっています。
メディアによって日本の福島はすでに終息したかのように思わされている日本で、
しっかりと目を開けて、決断されていくのは大変なことかと思いますが、
何よりもまずは自分の命を大事にしていただきたいと思っています。
これ以上の共通点はありませんよね。
理由は、自由とお金を全部自分で使いたい。
子どもがいたら大変
旅行にもいけない、おしゃれなお店もいけない・・・など。
40過ぎたら、したいこともなくなるから、出産を考えるかな。でも、一人で十分(どうせ不妊で産めないでしょう、その頃には・・)
こうやって自分本位の生き方をしている人が、
命に執着するとは思えません。
快適な生活への執着が半端内のです。
自分本位の残念な人たちが多いゆえ、ガレキも拡散されちゃうのだと思います。
みんなが20代で結婚・出産、子どもをたくさん産むって国・時代だったら、こんなおかしなこと絶対起きなかったと思うのに!