試行錯誤のあげく結局モノラル音質が一番劣化が少ないという結論に・・・。
当時ライブでやったのほとんど変えずに再現してるので我ながらかなり腐臭が
漂うように感じる中身ですが、その当時の感じをまんま残しておきたかったので。
お笑いはもうやめてしまいましたが、この「GO・JO」という屋号で吉見くんと10年近く
人知れず活動していました。

望んで人知れずやってたわけではないですが
最後まで「ごじょ」と正しく読まれることも少なく専ら「ごーじょー?」と呼ばれ続けて終わったこのグループの活動を個人的
にどこかに残しておけたらいいな・・と考えヒマな時間にせこせこ作りました。
大昔の映画出演やちょこちょこテレビに出してもらってた「Z-BEAM」というグループを
懐かしんで訪問してくれる方々に混じってこの「ごーじょー」時代を思い出してコメント
を残してくれるホントにごく少数の(笑)人たちに向けたオリジナルコンテンツです。
舞台の臨場感には遠く及ばず、素人が手探りでこしらえたものなのでアレですが、ニュアンス
だけでも何とか再現できたらいいかな、などと。
今回上げたのは通常のと少し毛色が違ったものですが、あと2本くらい上げてみる予定です。
予定です。ええ、予定ですね。個人的なアルバム整理の感覚なんで。
ブログ更新さぼってたからその分面倒くさいことやります、みたいな。。。
【貼り付けたのより少し音質がいいやつ?】
ここから20代でお笑いをやっていた頃にお世話になっていたプロダクション人力舎の玉川社長がお亡く
なりになられた。
所属を離れてからは15年以上没交渉でしたが親しみやすい朴訥な東北なまりと一貫した軸のブ
レなさが印象的な方でした。
63歳だったとのことで、最初に出会ったときの玉川社長の年齢が今の自分の年より若かった事
を今更知って驚いています。。
心からご冥福をお祈りいたします。合掌。
なりになられた。
所属を離れてからは15年以上没交渉でしたが親しみやすい朴訥な東北なまりと一貫した軸のブ
レなさが印象的な方でした。
63歳だったとのことで、最初に出会ったときの玉川社長の年齢が今の自分の年より若かった事
を今更知って驚いています。。
心からご冥福をお祈りいたします。合掌。
コメント (1) |
先日映画タイアップの携帯電話動画サービスのCM撮影で、織田裕二サンとお仕事を
させてもらった。
以前の記事にも書いた、せつなくやるせない最後の会話以来18年・・約20年ぶりの
邂逅。
以前に共演させてもらった時はお互い20代。今や日本を代表する大物俳優の一人に
なった織田サンの記憶に私のことなんぞ片隅にも残っているハズもなかろうとタカを
くくっていた。
撮影中もし気づかれたら「えへへへ・・・思い出していただいて光栄でやんす、旦那ぁ」
と頭なんぞかきながら改めてご挨拶でもしよう・・・なんて気楽に構えてまして。
でも、スターは当方が想像するような薄情な人ではなかったんですよ。。。
当日撮影現場。たくさんのスタッフがいる中、セリフ回しをブツブツ練習する私の前に
突然柱の死角からヌッと現れ満面の笑顔で「お久しぶり!!お元気そうで!!」と肩
抱かれるは握手もされるはで、恐縮やら嬉しいを通り越してプチパニックになってしまった。
事情を知らない周囲のスタッフさん達は局地的に盛り上がる様子をポカ〜ンと見守ってて
・・・あれは、ある種異様な空気だったというか。
「いや、あの・・あれ、その・・まさか覚えてもらっているとは思ってな・・あわぅ」
「しどろモドロ」という音が体全体から聞こえてきそうな動揺ぶりにまともな言葉を返す
こともできず「やっべえぇぇ・・・先に挨拶するべきだった。。。相当まずい。」という後悔の
念を抱きつつサクサク撮影は進んだんです。
果たして18年前同様余計な雑談をすることもなく、最後にワンカット残っている私より先
に織田サンは撮影終了、別れ際再度握手を交わし「じゃ。また!」と颯爽と去って行った。
「じゃ。また。」
次の「また」は果たして訪れるのか。。。
中18年・・・このペースで行くと次回ご一緒させていだく頃には、私は年金受給資格者。。。
「こぼれ話」(docomo動画CMサイト)
「何かがこぼれ出てた話」(ブログ過去投稿記事)
させてもらった。
以前の記事にも書いた、せつなくやるせない最後の会話以来18年・・約20年ぶりの
邂逅。
以前に共演させてもらった時はお互い20代。今や日本を代表する大物俳優の一人に
なった織田サンの記憶に私のことなんぞ片隅にも残っているハズもなかろうとタカを
くくっていた。
撮影中もし気づかれたら「えへへへ・・・思い出していただいて光栄でやんす、旦那ぁ」
と頭なんぞかきながら改めてご挨拶でもしよう・・・なんて気楽に構えてまして。
でも、スターは当方が想像するような薄情な人ではなかったんですよ。。。
当日撮影現場。たくさんのスタッフがいる中、セリフ回しをブツブツ練習する私の前に
突然柱の死角からヌッと現れ満面の笑顔で「お久しぶり!!お元気そうで!!」と肩
抱かれるは握手もされるはで、恐縮やら嬉しいを通り越してプチパニックになってしまった。
事情を知らない周囲のスタッフさん達は局地的に盛り上がる様子をポカ〜ンと見守ってて
・・・あれは、ある種異様な空気だったというか。
「いや、あの・・あれ、その・・まさか覚えてもらっているとは思ってな・・あわぅ」
「しどろモドロ」という音が体全体から聞こえてきそうな動揺ぶりにまともな言葉を返す
こともできず「やっべえぇぇ・・・先に挨拶するべきだった。。。相当まずい。」という後悔の
念を抱きつつサクサク撮影は進んだんです。
果たして18年前同様余計な雑談をすることもなく、最後にワンカット残っている私より先
に織田サンは撮影終了、別れ際再度握手を交わし「じゃ。また!」と颯爽と去って行った。
「じゃ。また。」
次の「また」は果たして訪れるのか。。。
中18年・・・このペースで行くと次回ご一緒させていだく頃には、私は年金受給資格者。。。
「こぼれ話」(docomo動画CMサイト)
「何かがこぼれ出てた話」(ブログ過去投稿記事)
三沢光晴選手の訃報を知ったのは、昨日久しぶりに再会した大学時代の先輩
とサシで飲んでる最中だった。
その先輩は今は業界を去ってしまったが、以前はプロレス団体で故ジャイアント
馬場さんや三沢社長の片腕となりスタッフとして仕えていた人。
メールの着信をみていた先輩が対面に座している私に唐突に呆けた顔で言った。
「三沢サン死んじゃった・・・」
相当酔いも回っていた私は一瞬何を言ってるのか理解できなかった。
やがて私の携帯にも続々といろんな友人から事故についてのメールが届き始めた。
ショックで酔いが醒める・・・というのは小説やドラマ的な表現であって、ショック
がどれだけでかくても醒めない時は醒めない。醒めるにはしこたまアルコールが入り
過ぎていた。その分感情の高まりが激しくなったのか、訃報を聞いて色々詳細を知る
うちにボロボロ涙が出てきた。もっともっと世間にその凄さが届いてほしい人だった。
だから悔しくて涙が出た。
天龍サン、アニマル浜口サンらと並んで、この人を悪くいう話を聞いたことがない。
タブーやルールを破ったり、枠からはみ出そうとする「ヤンチャ系」は男としての
色気を発散しやすくてカッコよく見えるが、筋を重んじて他人に迷惑をかけずルール
の中でクオリティの高さを追求してゆく姿は年齢を重ねた人間だからこそ共感できる
最高のかっこよさ、色気がある。
90年代の全日本プロレスのリング上はそんな「かっこよさ」が具現化された空間だった。
ジャイアント馬場さんに「レベルが高すぎて解説できない」と言わしめた作品が6m
四方の舞台で連発されていた時代。
そんな奇跡の空間の象徴として、命を削るような技と芸術的な攻防を小橋、川田選手ら
と共に見せ続けてくれた人が、タイガーマスクから素顔に戻った三沢選手だった。
故ジャンボ鶴田サンとの激闘、生涯一度だけ実現した小川直也選手との試合で見せた
しびれるような「大人さばき」のプロレス、故サムソン冬木サンとの友情・・・。
数え上げたらキリがないがリング内外の言動行動が我々ミドルエイジのファンにとって
いちいちカッコイイ人だった。
「ノア中継」の合間に流れてたCMで、しわがれた聞き取りづらい声で棒読み芝居の
寸劇も披露していた。あの「やらされてる感」丸出しの馴染まなさ加減がまた、昭和の
昔に多かったまだテレビずれしてない頃のプロスポーツ選手を見ているようで、微笑ま
しくもあり大好きだった。もう残ってるのは野球の野茂サンくらいか。
繰り返すが、悲しいという以上に悔しくて仕方がない。若いから尚更だ。
ジャイアント馬場サンが逝去された時とはまた違った例えようのない喪失感。
大変なショックを今受けているが、自分の中で感情が消化できてないからインター
ネットやスポーツ新聞で詳しく知ろうという気が起きない。
今朝起きてひどい二日酔いで、久しぶりにゲロを吐いた。
吐いた後、惰性でつけたテレビのスポットニュースで三沢選手の訃報が伝えられる。
吐き足らず、またムカムカしてきて吐きに行く。戻ってまたテレビ見てチャンネル換え
たら、また三沢選手のニュース。
「2代目タイガーマスクとしても活躍した、プロレスラー三沢光晴さんが・・・」
紋切り型の紹介をぼんやりと聞きながら、でもやっぱり泣けてきて鼻の奥がツーンとなる。
ツーンで頭もさらにガンガン痛くなる。ゲロのため酸っぱくなった口の中をゆすいだ。
泣けて流れた涙を人差し指でワイパーのようにはじいて拭ってみた。
あの人が試合中よくそうして汗を飛ばしてたように・・・・・・。
今はショック大きすぎて簡単に冥福なんて祈れない。
とサシで飲んでる最中だった。
その先輩は今は業界を去ってしまったが、以前はプロレス団体で故ジャイアント
馬場さんや三沢社長の片腕となりスタッフとして仕えていた人。
メールの着信をみていた先輩が対面に座している私に唐突に呆けた顔で言った。
「三沢サン死んじゃった・・・」
相当酔いも回っていた私は一瞬何を言ってるのか理解できなかった。
やがて私の携帯にも続々といろんな友人から事故についてのメールが届き始めた。
ショックで酔いが醒める・・・というのは小説やドラマ的な表現であって、ショック
がどれだけでかくても醒めない時は醒めない。醒めるにはしこたまアルコールが入り
過ぎていた。その分感情の高まりが激しくなったのか、訃報を聞いて色々詳細を知る
うちにボロボロ涙が出てきた。もっともっと世間にその凄さが届いてほしい人だった。
だから悔しくて涙が出た。
天龍サン、アニマル浜口サンらと並んで、この人を悪くいう話を聞いたことがない。
タブーやルールを破ったり、枠からはみ出そうとする「ヤンチャ系」は男としての
色気を発散しやすくてカッコよく見えるが、筋を重んじて他人に迷惑をかけずルール
の中でクオリティの高さを追求してゆく姿は年齢を重ねた人間だからこそ共感できる
最高のかっこよさ、色気がある。
90年代の全日本プロレスのリング上はそんな「かっこよさ」が具現化された空間だった。
ジャイアント馬場さんに「レベルが高すぎて解説できない」と言わしめた作品が6m
四方の舞台で連発されていた時代。
そんな奇跡の空間の象徴として、命を削るような技と芸術的な攻防を小橋、川田選手ら
と共に見せ続けてくれた人が、タイガーマスクから素顔に戻った三沢選手だった。
故ジャンボ鶴田サンとの激闘、生涯一度だけ実現した小川直也選手との試合で見せた
しびれるような「大人さばき」のプロレス、故サムソン冬木サンとの友情・・・。
数え上げたらキリがないがリング内外の言動行動が我々ミドルエイジのファンにとって
いちいちカッコイイ人だった。
「ノア中継」の合間に流れてたCMで、しわがれた聞き取りづらい声で棒読み芝居の
寸劇も披露していた。あの「やらされてる感」丸出しの馴染まなさ加減がまた、昭和の
昔に多かったまだテレビずれしてない頃のプロスポーツ選手を見ているようで、微笑ま
しくもあり大好きだった。もう残ってるのは野球の野茂サンくらいか。
繰り返すが、悲しいという以上に悔しくて仕方がない。若いから尚更だ。
ジャイアント馬場サンが逝去された時とはまた違った例えようのない喪失感。
大変なショックを今受けているが、自分の中で感情が消化できてないからインター
ネットやスポーツ新聞で詳しく知ろうという気が起きない。
今朝起きてひどい二日酔いで、久しぶりにゲロを吐いた。
吐いた後、惰性でつけたテレビのスポットニュースで三沢選手の訃報が伝えられる。
吐き足らず、またムカムカしてきて吐きに行く。戻ってまたテレビ見てチャンネル換え
たら、また三沢選手のニュース。
「2代目タイガーマスクとしても活躍した、プロレスラー三沢光晴さんが・・・」
紋切り型の紹介をぼんやりと聞きながら、でもやっぱり泣けてきて鼻の奥がツーンとなる。
ツーンで頭もさらにガンガン痛くなる。ゲロのため酸っぱくなった口の中をゆすいだ。
泣けて流れた涙を人差し指でワイパーのようにはじいて拭ってみた。
あの人が試合中よくそうして汗を飛ばしてたように・・・・・・。
今はショック大きすぎて簡単に冥福なんて祈れない。
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