那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

見性体験記(続き)

2017年01月03日 | 

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。                                                               http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい

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2017年01月02日 | 八王子五行歌会

 

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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  今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html   入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい

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そういうわけで、この本は私の人生を変えた一冊である。
本当に全力を尽くして、私は毎日坐禅を組んでいる。いつか「見性体験記」が書けるようになりたいものだ。

 この文章を書いたのは2003年の8月である。2016年の2月、本当に見性体験記を書いているとは・・・実に感慨深い。(引用文には書いてないが、生まれて初めて坐禅を組んだ後、住職に「本当に坐禅は初めてですか?とても初体験の人とは思えない」と誉められた事実は記しておく)
 いずれにせよ、最初の参禅から僅か10日でこのような劇的な体験をしたわけだ。自分でも読み直しながら、凄まじい変化だなぁ、と思う。
特に夢で某新興宗教のカリスマ的指導者という「影」(具体的には最も嫌いな同性の人物として現われる無意識に抑圧排除された否定的人格)と統合したというのは私にとって物凄いことである。ユングは影との統合により「個性化」(自己実現)に飛躍する、と書いている。僅か10日で無意識の有り様が180度変換したのだ。
 また庭の池が泥水から清くなり新築の家になった、というのも凄い。少し話が難しくなるかもしれないが、唯識論では、眼、耳、鼻、舌、身、意の六識の奥にマナ識とアラヤ識という無意識の領域があり、それはどうしようもない根本的な煩悩とエゴイズムから成り立っている、と説く(詳しく言えばアラヤ識は「真妄和合識」といい、煩悩と仏種が混在している)。その根本的な煩悩を浄化(転識得智(てんじきとくち))すれば悟るというのだが、唯識説ではその修行は気の遠くなるような期間を要し、この世では悟れないことになっている。それほど難しい無意識の変容を僅か10日で遂げているのである。
 なお、私は数息観(呼吸の出入りを心で数える)も随息観(呼吸の出入りを見つめる)も一回目の指導で楽に出来た。後述するがこれは稀有のことらしい。だからそれ自体は簡単だったのだが、『無門関提唱』に山本師が、一呼吸30分になる、と書いているのを真に受けて、せいぜい30秒ぐらいしか息が持たない自分の呼吸法を変えようと苦しんだ。常識的に考えればそんなことはありえない。呼気が細くなると「息を吐きながら吸う」ことが出来るようになるので、おそらく玄峰師はその要領を掴んでいたのだと思う。

 ともかくこういう事情で私は最初の坐禅で快感を得て約2年間その禅寺に通い、家でも坐禅を続けた。
 その寺の住職によれば修行中の僧の読書は許されない、とのことだったが、私は熱心に禅に関わる本を買って読んだ。この手記を書くまでは「20~30冊は読んだはずだ」と思っていたが、本棚を整理するついでに数えたら80冊以上の禅書があった。
 また、直接的な禅の本ではないが、縁起説や一念三千論を証明するための補強として読んだ脳科学、宇宙論、量子論の本も30冊を超えている。私は熱中すると周りが見えなくなるので、いつの間にかそれだけの本を読んでいたのである。
 こういう風に知識を貪欲に取り入れて納得しながら理解を深めていくことを「理入」といい、もっぱら坐禅修行に打ち込む方法を「行入」という。理入を批判する人もいるようだが、納得しないと信じられないタイプの人間は大いに読書すべきだと私は思う。
特に私の場合、理論から納得する手立てとして『唯識のすすめ』(岡野守成)が大変に役立った。もちろん書籍だけでなくネット上の禅関係のサイトも片っ端から読んでいった。

 それで参禅初体験から1ヶ月以内に面白いことが起こった。
住職の話を聞いても、どの本を読んでも、「我執」が良くないのだから、それを消して「無我」になれ、と書いてある。それで坐禅中に「本気で無我になろう」と決意して一座組んでみた。そうしたら確かに「我」は消えたが、魂が抜けた亡霊のようになり、あるいは催眠術にかけられた人のように正気を失い、丸一日不快感に包まれてしまった。これはどうしたことだ、と思い、翌日師家さんに質問のメールを出した。
当時私はネットで探した在家禅のサイトを2つ「お気に入り」に登録していた。一つは曹洞宗系の「三宝教団」、もう一つは臨済宗系の「人間禅」である。それぞれ師家さんがいて私の質問に丁寧に答えてくれた。どちらの師家にメールしたかは忘れてしまったが、その事情を報告すると「あなたには坐禅の才能があります。我執は消しても意識は凛然と保って、張り切った坐禅をしてください」とアドバイスをもらった。
師家さんが「才能がある」といったのは、魂が抜けるほど無我に集中できる資質を指したものと思えるが、これは前述した自己同一性拡散という病理と、異常な集中力が坐禅において有利に働くからだ。私の場合、自意識を自在に動かしたり消したりすることができるのである。
 このアドバイスは有難かった。そうか、野球では打席に立つときに無我になれ、というが、文字通り無我になればバットを振ることすら出来ない。無我というのは「たとえ話」なのだ、と気付いた。しかし、我執や自意識を消したあとで、凛然として私を見ている何者かの主体は何と呼べばいいのだろうと悩んだ。見性体験をした今は、それは「仏性である」と断言できるが、私の場合一つ一つに名前をつけて整理していかないと前に進めないので、この疑問は長く残った。そんな具合で丸2年は自宅近くの曹洞宗の寺に通いながら自宅でも修行するという日々が続いた。

思い出したことがあるのでこのついでに書いておこう。
理入の過程で「クリティカル・ブッディズム」という学派と出会い、これは本当に修行の邪魔になった。結論から言えば、見性体験のない学者たちが、一切の神秘を信じず、ひたすら科学的合理主義で仏教を批判する、という前提そのものを間違えた立場に立ち、多くの論文を書いているのである。しかも困ったことに、彼らの主張は一種のブームになって現在では仏教学の主流になっているのだ。
彼らは、たとえば縁起説(全ての存在は条件と原因、因果律と共時性などの関係性の上に仮に姿を見せているだけであり、それは常に変化し続け、もの本来の自性などない、という仏教の根本思想)から見れば、如来蔵思想(人間は本来仏性を持っているという説)や天台本覚論(如来蔵思想が中古日本で発展したもので、極端な場合人間はそのままで仏=無作三身如来であると説く)は仏教ではない、と主張する。これはいわゆる大乗仏教の伝統的理論を根本から否定するものであり、理の当然として原始仏教以外は認めないという傾向に陥る。実際は原始仏教と言っても「釈迦」という存在が伝説だったことは故・中村元博士の研究で明らかである。
興味のある方は子細に研究すれば分かるのだが、この主張は「言葉の抽象化による意味論的曖昧さ」の上に成り立った説であり、縁起説を「無」「不定」と断定し、如来蔵思想を「有」「定」と粗雑に断定して、絵に描いたような二項対立の図式化をしてしまったための誤解である。真実は二項対立を超えたところにあるということが分かっておらず、所詮は悟れなかった学者たちの戯論(けろん)、愚論である。当然そういう学派は「永遠の生命」など頭から否定する。言うまでもないことだが、永遠の生命を説かない宗教など宗教とは言えず、それは単なるの思想・哲学に堕する。
今は見性の後なのでこのような下らない学者の説に惑われることはないが、当時は苦しんだあげく「三宝教団」の外池禅雄師に質問のメールを出した。すると外池師はわざわざ手紙をしたためられて丁寧に答えていただいた。要約すれば、学者の説に惑わされてはならない、悟れば生命が永遠であることが分かる、釈迦は断見(死んだら魂は消えるという見方)も常見(死んだら魂が残る)も両方否定している、と書かれてあった。
私は何度もその手紙を読み直し、つまり悟ってみないと何も分からないのだ、学者の説に惑わされずひたすら修行しよう、と誓った。

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