那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

私が哲学を止めた時の話

2017年07月16日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(既に増補改訂版を購入された方には決定版を無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。これからは医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込んでください。

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私が今は無き早稲田大学第一文学部に入り、文芸専攻の授業で本当に受けたかった授業は論理学と詩学だった。しかしそのような授業は無かった。文学や芸術に関する授業を除いて私が受けたのは心理学を二つ、哲学を三つである。総じて私の獲った授業の採点は非常に極端だった。好きになった授業はすべてAであり、つまらないと思った授業には一回目のオリエンテーション以外出ないので、不可(CやD)ではなく、FやGと評価されていた。

私が獲った哲学の授業は、東大の名誉教授の平川彰先生が教えてくれた東洋哲学(如来蔵思想の原点である「大乗起信論」を読解するゼミ)、名前は忘れたが相当の奇人が教えてくれた西洋哲学(実存主義)、またも名前は忘れたが分析哲学の三つだった。分析哲学が私が受けたかった論理学に一番近いので熱心に授業を受けたが、朝早い授業だったために内容はほとんど覚えていない。但し、大学院に入ってから構造主義の勉強をするときにこの授業は役に立った。特にロラン・バルトの著作はフランス人とは思えないほど明確で理路整然としている。(ポスト構造主義になると、フランス人特有のお喋りとハグラカシに堕してしまう)

実存主義の授業を受けた時に、哲学というものは一つのアングルから世界像を切り取るものだと分かった。このためにかなりの無理な解釈が生まれてしまう。例えば実存主義は「人間は自由に拘束されている」(つまり次の行動は自分の意思次第でどうにでもなる)というが、例えば今夜、銀座のクラブで遊びたいと思ってもお金がなければ不可能である。また強くなるために合気道の道場に通いたいと思っても月謝を払う力が無くては不可能である。さらに、サルトルは「音楽でもアンガージュマン(社会参加)」出来ると言っているが、言葉のない純粋な音楽が何らかの主義主張を行って社会参加できるはずが無い。実存主義は60年代の新左翼の理論的支柱だったが、私の眼には非常に楽観的なブルジョワ哲学だとしか思えなかった。

平川先生が教えてくれた大乗起信論では、インド哲学の緻密さと煩瑣さがよく分かった。言おうとしている結論は分かるのだが、そこに至るまでの論理構成が異常に緻密なのである。私の長女が高校生の時に、大学に入ったら東洋哲学を学びたいというので、大乗起信論を渡したところ、1週間ほどで読み終えて、私と同じことを言っていた。或る時、平川先生に祈りの効果や予言などを教える授業は無いのですか?と聞いたところ「私の授業は宗教哲学だが、宗教現象学がその分野を取り扱っている。天理教の初代の中山ミキの力はすごかったが二代目以降はダメになった」と教えてくれた。

おそらくどこの大学でもそうだと思うが、特に早稲田の場合は授業が終わると必ずコンパがあった。要するに理由を付けては飲みたいのである。実存主義のコンパに参加した時に、同じ授業を獲った仲間たちが、酒を飲みながら、2時間もの間「意識とは何か」を議論しているのを見て、私はきっぱりと哲学を止めることにした。こんなくだらない議論をしても世の中のためには何の役にも立たない。ただ行動のみが世の中を変えるのである。

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