那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

薩摩義士

2012年11月03日 | 歴史
この急激に寒くなった時期、過労の上、食欲が湧かない生活を続けているせいか、熱が出てきた。今日はブログを休もうと思ったが、ごく簡単に歴史の話をする。

赤穂義士については誰でも知っているが、薩摩義士を知る人はあまりいない。以下、関連するURLを紹介する。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E7%BE%A9%E5%A3%AB
http://www.mirai.ne.jp/~tuyoshi/matome.html
http://www.mirai.ne.jp/~wakita/osclub/manga/index.html

簡潔に説明すると、幕府から薩摩藩に激流で建設が困難な橋を作れと命令が降りる。
その結果、藩が用意した資金と期限をオーバーしたために、責任を感じた藩士52人が切腹した、という史実である。

いまなら公共事業という名目で血税をつかい、談合で建設会社が請合い、色んな人が儲かる仕組みになっている。(公共事業の談合に関しては、大企業の寡占を防止するという点からは日本人の生み出した知恵の一つだと思うので私は全否定はしない。完全な自由競争にすると大資本のみが残って中小企業が潰れてしまう)

ところで当時は事情が全く異なり、こういう事業にしても参勤交代のように、幕府が諸藩を弱体化させる手段だったので、藩は自腹を切って引き受け、なるべく安い予算で素早く工事を終わらせる必要があった。

ところが予想を上回る難工事だったために、水死者は出る(確か33人)、予算もオーバーするで、完成したときに、その工事を指揮し自らも手伝った薩摩藩士は藩主に対して責任をとり、なんと52人が切腹した。

要するに、年末調整でやらなくてもいい工事をやって予算を使いこなさないと次年度の予算がでない、などという馬鹿げた無駄遣いと丸っきり逆のシステムで、例えば八王子市が、いついつまでに○○億円で笛吹市の橋を作れ、と命じられて建設課の職員が対応し、予算と時期をオーバーしたために、八王子市長に申し訳ないと職員全員が腹を切って責任をとった、というような話である。

赤穂義士のように有名ではないが、後世まで語り継ぎたい史実と思う。


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