那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

見性体験記(続き)

2017年01月30日 | 

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

 

また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。(今月の「春名先生を囲む会」は天候不良のために中止となりました)

 

今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。  http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html                                              入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込むこと。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記すること。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込んでください。

 

★禅宗と日蓮宗の二股を掛けるのは矛盾ではないか

私の場合は全く矛盾を感じない。その理由を簡潔に言えば、禅宗は(大般若祈祷会以外)祈祷・祈願をしないからその分を私は日蓮宗で補っているのである。
祈祷・祈願をしないというのは一面からみれば、実に素晴らしい宗教観である。良寛さんが地震にあったとき、知り合いから見舞いの手紙をもらい、それに返答した文章は余りに有名なので引用しよう。

災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。

 ここまでの心境になるのは大したものである。さすがは良寛さんだ。私も見性後はいつ死んでも構わない心境になっている。しかし、良寛さんのように仕事もせずにお布施で暮らし、弟子の尼さんと愛欲に浸って人生を楽しむような生き方は、私個人は憧れるが、現実には許されない。私が世捨て人になってしまえば一家は路頭に迷うだろう。そういう過酷な現実の中で生きている人間は、往々にして自分の努力ではどうしても解決できない困難にぶち当たる。そのときに自然の感情として祈りや願いの心が芽生える。禅はそういうとき良寛さんのように諦観するが、日蓮は「祈り」によって困難を突破しようとする。
参考までに日蓮の『祈祷抄』から有名な一節を引用しよう。

大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず

だから私は現実社会に生きる一人の人間として必然的に法華経曼荼羅に祈祷・祈願するわけである。
難解な教学の話は省略するが、禅宗が強調する「縁起説」と日蓮が理論的支柱にした「一念三千論」とは双子の兄弟ようなもので、ちょっとだけ力点の置き方が違うだけだ。だから教義の上でも何の矛盾も感じない。
日蓮自身も『一念三千法門』の中で「智者は読誦に観念をも並ぶべし。愚者は題目計りを唱ふとも此の理に会ふべし」と記している(観念とは坐禅のこと。理とは一念三千のこと)。もっとも日蓮は「禅天魔」と言って最終的には禅宗を否定するのだが。

★やはり坐禅は毎日やるべきではないか

 様々な書物に「一日に5分でも10分でもいいから坐禅しなさい」と書いてあるが、私は別の考えを持っている。
今の私は最初の5呼吸ぐらいで三昧に入れるが、普通の人は20分を過ぎたあたりから心が落ち着き三昧の喜びを味わえるようになる筈である。だから、未だ法悦感に至らないままの状態で座を解いても意味がない。
一座(一柱)が大体40分前後に決められているのには理由があり、ちょうどそれぐらいの時間が法悦感の絶頂になり、もう少しこのままでいたい、というところで終わるのである。それ以上組むと集中力が途切れるだろう。私は寺の行事で二座続けて座ったことがあるが、二度目は足が痺れて集中できなかった。
 だから初心者はやるからには40分前後はきちっと組むべきだ。
また最初に書いたように、私は土日は基本的に坐禅をサボっているが、それでも見性を得ることができた。ああ坐禅がしたい、と欣求渇望する気持ちで月曜を迎えると、組む前から嬉しくてしかたなくなる。恋人と会うのだって、少し間を空けたほうがワクワクするように、坐禅も少しは間を置いたほうが効果的だと私は思う。
但し、歩行禅は常に行ったほうがいい。
サラリーマンのように毎日40分坐禅を組む時間が取れない人でも歩行禅は出来るし、電車やバスの中で丹田呼吸をしながら瞑想することも出来る。

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