心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

英陵

2016-07-22 | 地方旅行
ここ2・3日は雨が降って少し過ごしやすいですが、この雨も局地的に豪雨と
なるなど、気になる降り方をしています。豪雨とくれば、土砂災害が起きる
のが心配になりますね。
一昨夜は地震が相次ぎ、少し不安な気持ちを抱いてしまいましたし、何事も
ない平穏な日々が一番です。


今日は英陵のご紹介です。
韓国滞在も終了が迫っていた6月4日、前々から行きたかった英陵に行きました。
行き方は江南の高速バスターミナルか東ソウルバスターミナルからバスで一時間
半程度、目的地の驪州(ヨジュ)バスターミナルからは市内バスの本数が少な
そうなのでタクシーにしました。(バスターミナル前に乗り場がありました。)

英陵入口の説明板に世宗の業績についてまとめてあったので、この日の報告の
トップの写真にしようと写してきました^^




英陵は世宗大王と昭憲王后を合葬した陵だ。世宗大王は朝鮮朝第四代の
王として1418年に王位につき、1450年崩御したので在位32年、
54歳だった。

世宗大王は我が国歴史上最も偉大な聖君としてハングル(1997年ユネス
コ世界記録遺産登録)を創製し、測雨器、渾天儀、日時計、など科学器具
を発明し製作した。
雅楽を鼎立し北方の野人を征伐し、四郡と六鎮を開設し我が国の国境線を
鴨緑江と豆満江に確定し、日本の対馬征伐を行い国防を固めた。
学問を尊び学者を育て、活字を開発し月印千江之曲:仏陀の功徳を讃える
歌、龍飛御天歌:朝鮮の建国を讃える歌、農事直説:農業技術集、三鋼行
実図、八道地理誌、釈譜詳節:釈迦一代記、醫方類聚:医学百科事典など
数多くの書物を発刊した。又農業を奨励し民を愛し善良な聖徳が天のよう
に高かった。

英陵は元来ソウルのホン陵の西側にあった物を叡宗一年(1469年)に
驪州へ移した。
世宗大王の偉大な業績を崇慕しその偉業を今日に継承して民族文化創造の
基礎とすべくと1975年から1977年にかけて世宗殿を新築し境域を整備し
現在の様になった。



世宗大王については、中学だったか高校だったか世界史で隣国の朝鮮時代の
王であリ、訓民正音(ハングル)を作った人であるという認識はありました。
文字を発明!、それ自体凄い事ではありますが、取り立てて関心を持つには
至りませんでした。ぺ・ヨンジュンが家族(ファン)に韓国文化を紹介する為
に執筆した『韓国の美をたどる旅』で、今まで知らなかった世宗大王の多面
的な人物像を知り我然興味が湧きました。

ハングル創製だけをとっても、漢字を信奉する臣下との熾烈な闘いがあった
こと、執拗な反対派も切り捨てたり抑圧したりせず徹底して論争をし「動機と
過程、結果の全てがすばらしい成功例だ」という。

西洋でルネッサンスが花開いていた丁度同じ時期、朝鮮では世宗大王主導の
もと朝鮮ルネッサンスが花開いていたのです。

では具体的に彼が作らせた物を見てください!

渾象(星の位置の測定器)


簡儀(高度と方位、昼と夜の時間を精密に測定する一番代表的な天文観測器)


日星定時儀(日時計と星時計の機能を一つにした時間測定器)


小簡儀(簡儀の小型版、移動に便利)


天平日晷(日時計)


天平日晷(日時計)


定南日晷(日時計)


仰釜日晷(一番良く使われた日時計)


観天台(天文観測台、別名簡儀台)


圭表(一年の長さが正確に何日であるか-365日1/4、また24節気を調べる道具)


↑の部分


(発明はまだまだ有りますが、一部省絡。他分野の発明は屋内展示場である
世宗殿にあります。今日のご紹介はここまでとします。)続きます。















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2 コメント

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興味津々 (Fs)
2016-07-24 13:49:21
元天文少年だった私としてはこれは見に行きたいですね。興味津々、面白そうです。
ソウル市内の陵は、「宣陵 靖陵」しか見に行っていません。
陵墓にこのようなものが展示されているというのは、そのこと自体に興味があります。
屋内展示も是非拝見したいです。
Fsさん、こんにちは (はる)
2016-07-24 16:22:05
世宗大王の陵墓は、テーマパークのように楽しいものでした。
また王の陵墓としても、他は見ていませんが、多分広さ格式ともに他の追随を
許さないものだろうなと想像しています。

この後の報告もお読みいただけたら嬉しいです。

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