猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

水キムチがそろそろ仕上がる日曜日は上泉町から朝倉町へ、無駄足を楽しんじゃいました

2017-08-21 05:36:47 | あんじゃあない毎日

朝食をしていると伯母さんの食べる手がピタッととまります。窓の外に集まってくるスズメたちに目を奪われて見入ってしまうからなんです。昨日の朝はとりわけたくさんのスズメが集まって食事をしてました。
集まってくるスズメの多くが巣立ったばかりの幼鳥です。胸の羽毛がまだ真っ白、ネクタイみたいな黒い模様ができてないんです。

 塀の上にも集まってます。巣立ち後の短い間なんですけど、かわいい幼鳥の姿がたくさん見られます。
そうそう、私のバックやなんかを雨の中拾って交番へ届けてくれた親切な方と連絡がとれました。今日、お会いすることにしました。ありがたいことです。

 

 昼過ぎ、田んぼ道を走って上泉の食の駅まで、富士見町の石田製麺製乾麺を買いに行きました。田んぼの稲は間もなく出穂です。出穂を控えて、ずいぶんしっかりしてきているみたいに見えるのですけれど、8月に入ってから、ちゃんと晴れた日は2日だけ、ちょっと天道さんが顔出した日を加えても、20日間で5日しか晴れ間を見られていないのです。
日照不足が心配です。全国的には、あちこちで、『いもち病』とか、『開花しても花粉ができない』とか、嬉しくない話が出始めているみたいです。前橋の田んぼはあんじゃあないのかな…

  上泉から東片貝町、野中町、天川大島町を抜けて朝倉町まで走ることにしました。
途中の休耕田、鳥がちょこちょこしてるんでチドリかなって、違ってました、ハクセキレイでした。
信号待ちしてたら、道端にカエルです。ニホンアマガエルですね。鳴いてません、空は雲で覆われてますけど、雨は心配ないみたいです。

  ニラの花ですね。ゴマの花ですね。両方ともきれいです。
国道50号線を横断して南へ行くと天川大島町に入ります。この辺りからは、物心ついたばかりの記憶の残っている地域になります。

 

 天川大島町の通りです。区画整理がされて、直線的な道路がちゃんとつくられて、すっかり住宅地になっています。この辺りが住宅地になり始めたのは私が高校生のころからです。それまでは、桑畑の拡がる農村地帯でした。

 天川大島町の住宅地を抜けると両毛線の踏切に出ます。この踏切は私が子どもの頃からありました。まだ、両毛線は単線、土手の上に線路があって、よく上がっては線路に耳を付けて遠い列車の音を聞いてたもんです。蒸気機関車に曳かれた客車や貨車が轟音を響かせて走ってたんです。
この線路に上ると、赤城山がよく見えました。桑畑の拡がる中に、焼き場のツタの絡まった煙突と、野中の変電所の送電線が見えるんです。桑畑では、ドドメを摘み、ハタケシメジを探したりしてたんです。

  線路端に草ぼうぼうの空き地があります。看板が立っていて『売り払い予定地 群馬県』ってありますけど、物件番号が消されています。きっと、もう入札が執行されて買い手が決まったんだと思います。
この空地は、数年前までは田んぼでした。住宅地化したこの辺りでは珍しく残されたまとまった水田だったんです。県立勢多農林高等学校の実習田でした。なんで学校から遠く離れたこんな場所に実習田があったのかは知りません。でも、生徒たちが田植えをし、草取りをし、稲刈りをしていた姿は覚えています。

 

詳しいでしょ、この辺りのこと。
両毛線の線路は、今はコンクリートの擁壁で線路への立ち入りができません。昔は緑の土手でした。どっからでも線路にあがることができたんです。その土手の下に、私の家族が暮らしてた戦災住宅が立ち並んでいました。前橋空襲で住む家を失った人たちのための急ごしらえの公営賃貸住宅だったんです。で、この線路は、私の遊び場だったんです。

  もう当時の面影はほとんど残っていません。
記憶と重なるのは、水路、細い路地…、でも水路は三面コンクリートになってしまっていますし、路地にも塀が立てられてしまって、共同井戸を中心とした生活の面影は全くありません。
6畳と4畳半の部屋、土間の台所と汲み取り便所、一軒はそれだけ、それが二軒の長屋づくり、そして、8軒に一つの共同井戸、朝起きると水汲みから始まる暮らしだったんです。でもね、暑い日には井戸端で水浴びができたし、わいわいガヤガヤ、賑やかだったんですよ。

ここから、昔、前橋藩の刑場のあった松並木の入り口で前橋古河線を越えていくと朝倉町へ出られるんです。

  朝倉町には坂を登ります。この坂は、旧利根川の川岸の自然堤防の坂なんです。けっこうな坂道です。
猫に会いました。顔見知りでないので、おびえてます。見つかってまずかったなって顔してます。

坂を登って振り向くとこんな風景です。晴れていれば赤城山がしっかり見えるはずです。
天川大島の戦災住宅からは、桑畑の向こうに大きな丘として見えてたんです。その丘の上で、住宅が建設され始めた風景が見られるようになった頃、私は戦災住宅から清王寺町の家へ引っ越したんです。

  朝倉住宅団地の建物の多くは建て替えられましたけど、今も古い公営住宅の建物が少し残っています。まだ住んでいる皆さんもいます。
そんな通りを走ってたら、前を猫が横切って行きました。

 

 そいでね、なんでこんな方まで走ってきたのかというと、肉屋さんを見に来たんです。ほら、『肉のチャンピオン』が閉めちゃったじゃないですか、それで、肉屋探しをしてるんです。
JAファーマーズの精肉コーナーも輸入肉を扱っていませんから悪くはないのですけれど、でもね、発泡スチロールのトレイに窮屈に載せられて、ラッピングされて長い時間置かれてる肉ってのは好みでないんです。長いこと、肉屋で肉買ってるものですから…
で、青井食堂の浩美さんが推薦してくれた肉屋さんを見に来たんですが、日曜日はお休みでした。また来ます。

 

 天川原町の二子山です。蝉の声が聞かれるかなって、寄ってみたんですけどダメでした。昨日はあまり恵まれてなかったです。
でもね、万事うまく行く暮らしなんてありっこないんです。不便な中で、うまくいかないことがあっても、笑って暮らしてりゃそれであんじゃあないんです。昨日もまちであった人に言われました。
「いつも颯爽と自転車に乗って、若々しいですね、健康のためですか?」
「そんなんじゃないです。ただ、自動車運転免許証というのを取らなかっただけなんです」
「えッ、車の運転しないのですか?」
「しないのでなくて、してはいけないだけです」
「それは、ご不便なことで…」、理解できないって顔してました。分かっていただけなくてもかまやあしないんですけど…

 

 これはね、伯母さんとユキ子さんの昼食につくったそうめんの冷やし中華風です。野菜の方が麺よか多いのが特色です。

   夕食は、突然稲荷ずしが食べたくなって、作っちゃいました。それと、鶏肝と野菜のしょうゆ焼き、お椀は、庭で採れたトマトとミョウガの卵とじです。いつもとちょっと違った感じの夕食になりました。

 

  そうそう、水キムチです。左の写真は漬け込んだ時のです。漬け液は重湯を冷ましたものですから白濁して中の野菜や梨が見えてないです。
右のは、常温で丸一日、冷蔵庫でまた一日置いたものです。白濁していた漬け液が澄んできてるでしょう、中の野菜や梨が見えてます。こうなれば間もなく出来上がりです。今日には、お友だちに届けられると思います。それにさ、大島梨をいただいたんで、今日、明日にでもまた漬け込もうと思います。

無駄足したけど、あんじゃあない日曜日になりました。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
師匠は祖母の初代若柳吉駒、今は伯母の二代目吉駒の下で修業しております。来春の美登利会は75回目の節目を迎えます。4月8日に開催いたしますので、引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

 

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