猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

前橋の路地 第2回 猫が手招く昭和町の路地

2017-09-16 06:09:49 | 前橋の路地

昨日の午前中、野暮用で群大病院近くまで出かけました。で、『前橋の路地』第2回ができました。昭和町3丁目の路地です。

 

前橋の路地 第2回 猫が手招く昭和町の路地

  城東町4丁目に越してくる前は、昭和町3丁目で暮らしていた。ちょいと事情があって、友人の持ち家を借りていた。
昭和町も路地の多いまちだ。なぜかはよく分からないけど、前橋の北部は市街地とすると新しいまちだということと関係しているかもしれない。
この辺りの小学校の設立年を調べてみると、一番古いのは敷島小学校が1873年(明治6年)である。その次につくられたのは若宮小学校で1935年(昭和10年)に敷島小から分離してつくられた。岩神小学校は戦後の児童急増期1953年(昭和28年)の設立だ。ということは、前橋の北部地域は63年間にわたって敷島小1一つで間に合っていたわけだ。
そんな、少々時代を経過した新開地の面影が、昭和町の路地になお残っているのかもしれない。

 なんて思いながら、学童保育をしている利根川教室の前まで来た。この近くには書家で群大の教授をしておられた故米倉大謙さんのお住まいがあった。子牛ほどの大きさの、セントバーナード犬がいつも駐車場でゴロゴロしていた。

 利根川教室の先、市道は左にカーブしているが、白いフェンスで囲まれた小さな庭の脇に、ヒトが通れるだけの路地が真っ直ぐに続いている。見れば、路地の入口で猫が「こっちコイ!」と呼んでいる。

 この道は、昭和町時代に一緒に暮らしていたレギュラーダックスのパティーと歩いた道だ。真っ直ぐ行くと群大病院前へでる。医学部のキャンパスを抜けて下小出町を抜け、敷島公園の方まで一緒に歩いた。帰りには、総体道路に面した『ケーキハウスさとう』でお茶をした。この店は、今はもうない。
パティーの代わりに猫が先導してくれる。先導といっても、身勝手にずんずん行ってしまう。猫はヒトを待たない。

先に四つ角が見えて、手前に彼岸花が咲いている。猫は、ヒガンバナの咲いている向かい側のフェンスの中に入り込んで行ってしまった。
慌てて追ったけど、猫の姿はもうなかった。代りに、削り節の良い香りが流れていた。猫の残り香か…

   彼岸花を過ぎて、四つ角に出る。角の左に『おかべ』というそば屋がある。良い香りはこの店の厨房から流れて来ていた。
店の外壁にメニューがたくさん貼り出されている。私が昭和町で暮らしていたころには、まだ店はなかった。「猫がいるそば屋さんだよ…」って話も聞いたことがあるのだけれど、まだ入ったことはない。

 路地はその先群大病院前まで続いている。以前は明和高校や明和短大の学校施設や寄宿舎が並んでいた。今は、別の法人に渡って新しい建物が立ち並んでいる。
「恭一君、明和高校は大変良い学校です」、高校時代に世話になった川村さんという社会科の先生は退職後に明和高校で教鞭をとっていた。たまたま出会った私にこう言っておられたのを覚えている。理由は忘れてしまった。その明和高校は今はもうない。

 
               前橋の路地 第2回おしまい                              

 

 昨日は15日、広報と回覧を配布する日でした。市役所から支給される『敬老祝い金』を配るという仕事もついてきました。

  「おはようさん! 働かなくても稼げるいい話もってきたよ!」、丸幸クリーニング店の店先です。ここんちの夫婦は80歳、祝い金1万円を夫婦してもらえるんです。
「なにさ、働かなくて稼げるって…」
「これこれ、おじさんの分と二口ね、こっちにさ、受領印捺してちょうだい」
「え、こんなにもらえるの、いいの?」
「だから言ったじゃない、働かないで稼げるいい話って…。次回は88歳だからね、そん時も1万円ずつ」
「またもらえるんだ!」
「88は可能性大だいね。そん次は難しいぜ、100歳、10万円。がんばってみてね…」
「ガ、ガァ・ハァ・ハァ・ハァ・ハァ・ハァ…………」
ここ以外はさ、「おめでとうございます。市からの祝い金です。お納ください」ってまじめにやりましたんでご心配なく。ほんと、丸幸さんだけです。
写真は、残ってたプラムリーアップルをジャムに煮たんです。

 それから用足しに出て、昼食は『ヤギカフェ』のレッドトマトカレー、皿の中にダムができてるんです。ダムに貯まったカレーソース、少々辛めです。楽しくておいしいカレーです。

 

   家に戻ったら、キキがおやつのおねだりなんです。昨日のおやつは、鶏のささみ、湯煎して細かくフレークにしてあげます。
それから、にわか菜園の収穫、まだ、トマトとピーマンが採れるんです。ありがたいです。
おやつを食べ終えたキキはすやすやお昼寝してました。

それで、青井食堂のおばさんにトマトのお裾分け届けに行ったら、軽井沢に出かけている伯母さんとユキ子さんから電話、「夕飯、一人増えますからよろしく…」だって。急遽献立変更になりました。

 

   生湯葉でしょ、金時草とトマトの酢の物でしょ、牛肉のたたきでしょ、ここまでが前菜…

  野菜の素揚げです。ズッキーニ、ナス、庭のピーマン、サヤインゲン、パプリカ、ゴーヤ、それと豆腐は素揚げでなくて素焼きです。
これに、甘めの肉味噌、牛挽肉入りのトマトソース、おろしポン酢と三つのソースを用意して、好みのソースで食べてもらいました。

 〆は、梨の水キムチ、ちょい早めですけど仕上がってました。
お客さんするんなら、もうちっと早めに知らせてくれるとあんじゃあないのですが、間に合いました。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
師匠は祖母の初代若柳吉駒、今は伯母の二代目吉駒の下で修業しております。来春の美登利会は75回目の節目を迎えます。4月8日に開催いたしますので、引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

それから、東京新聞社主催の『推薦名流舞踊会』(国立大劇場・9月23日)に出演させていただきます。清元「卯の花」をつとめます。

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2 コメント

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Unknown (くろ)
2017-09-16 11:44:30
なつかしい道ばかりです。

敷島小学校はそんなに旧いのですか。

でも、考えてみれば、路地って、
果てしなくたくさんあるのですね…
変遷もいちじるしいけれど。
路地の変遷 (ヒゲクマ)
2017-09-17 16:02:52
前橋で一番最初に設置された小学校は桃井小で、明治5年に群馬県第一番小学区の厩橋学校として開校してます。その次が敷島小で、次が明治7年開校の中川小です。明治の初めにできた学校はこの三つです。
そして、大正12年に城南小、昭和2年に城東小、このころに前橋の「旧市街」と呼ばれていた地域が形成されたんでっすね。学校の変遷を見ると、まちの拡がりが見えるんです。


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