昨日は朝から雨ふり、細い雨が一日降り続いていました。
広瀬川の柳も開いたばかりの華穂が雨に濡れて揺れてました。
でもきれいですね。ヤナギの花は。秋から冬、茶色になっていた枝まで薄緑になって…
大学の構内を傘を差さずに走り抜けて行く女性がいました。けっこう濡れちゃったろうな…
大学からいったん家に戻って、別な用事を片づけに出かけました。その帰り、黒田人形店をのぞいたら、五月人形が並んでいました。
これは、小黒三郎さんの組木の五月人形です。面白いです。
小黒さんの五月人形には武将や武者はいなくて、力持ちの金太郎さんが主役なんですね。
真田幸村の兜ですね。六文銭の飾りがついてます。
でも、なんで端午の節句にはさ、幟を立てて、鎧や兜を飾るのかな…
これは織田信長だっけな。
面白い説を聞いたことがあるんです。戦国時代から武将の屋敷では5月ごろになるとしまっておいた幟旗(のぼりはた)や甲冑や兜を長持ちから出して、幟は屋敷の中に立て、兜や家中の武具は座敷に拡げて虫干しをしたんだそうです。この武具の虫干し行事と端午の節句の祝い事が重なりあって、後世、幟旗や吹き流しを立て、鎧兜を飾る風習になったっていうのですけど、ほんとうかな…
これは家康みたい。
もう一つ信じてよいかどうかわからない説があります。江戸時代に入って太平の世が来たら、武具をつくり売る仕事をしていた人たちの仕事が減って困窮したんだそうです。その中に知恵のある奴がいて、武士以外の町人にも武具を売りつけようってんで、もともと戦場で使う幟旗や鎧兜を端午の節句の飾り物として製造・販売したら、大当たり…、この説もほんとうかな…
この細長いつくりは前田利家でしたよね。
まあ、よく分からないけど、いいよね、5月人形って。
子どもの頃、三河町の正幸寺の前にあった丸山染工場、今ごろから武者絵を描いた幟を馬場川に流して、糊抜きしてたいね。川岸から水に揺れる幟を見てたよね…
そうそう、前田利家のこの細長い兜、『鯰尾兜』っていうらしいですよ。魚のナマズの尾の形を模して、大地を揺るがすナマズの力にあやかろうとしたと伝えられてます。戦国時代からナマズは地震と結び付けられていたんですね。
これは、スズメノエンドウだいね。花が咲いてる。雨の水玉もついている。
本当はね、甲冑から連想して着るものの名前の植物探しながら歩いてたんです。スズメノカタビラ探してたけど見つからないでたら、同じスズメつながりを見つけたんです。
くだらないことで歩いてたら、雨の中を見回りから戻ったご近所猫が<あほっ…>って言ってました。きれいな梅です。これも雨に濡れてました。
夕食は、春キャベツのスープと紅茶豚と春野菜の盛り合わせになりました。新タマネギ、春ニンジン、春キャベツ、ピーマン、パプリカ、それと菜の花の浅漬けです。
似てるでしょ、こちらはさ、遅いお昼に食べた『ヤギカフェ』のハヤシライスなんです。十穀米のご飯を十種類以上の野菜たちがきれいに取り囲んでいるんです。
紅茶豚の盛り付けで、ヤギカフェのマスターの真似をしてみたんです。パクリなんです。
<あんね、紅茶豚のタレはパクリでないんですよ。テレの材料は比率で覚えてるらしいんですよ、おヒゲはさ。煮切り酒2:減塩しょうゆ2:砂糖1:ごま油1:食酢1の比率でよく混ぜ合わせるんですよ。量? 量はさ、豚肉の塊500gに対して、煮切り酒大さじ4杯、あとは比率でね。
そうそう、おヒゲはさ、紅茶豚にはケニアって種類の紅茶を使うんです。今から7年前、新聞のコラムで紅茶豚扱ったとき、広瀬川のほとりの紅茶屋『リバティー』の美喜江さんのお世話になったんです。今でもこちらで見られますよ、7年前の若かったキキと美喜江さんの姿が、もちろん紅茶豚のつくり方も…>
直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。ときどき登場いたしますんでよろしくご贔屓いただきますようお願い申し上げます。
74回を迎えます今春の美登利会は、4月9日前橋市民文化会館大ホールで開催いたします。昨春の舞台の様子はコチラです。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください