菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。
散歩する道筋は、日本酒、俳句、本、音楽、沖縄、泡盛、カメラに...etc

2017/02/28  日記

2017-02-28 19:25:00 | (2)日記

2017/2/28 (火) 旧暦:23日 祝日・節気:  日出 :612分 日没:1735分 月出:710分 月没:1917分 月齢:1.5 干支: 丙戌 六曜: 仏滅 九星: 二黒土星

今日のあれこれ: 今日は、利休忌、織部の日。

2
28日はお茶に縁のある日だ。

千利休は、天正191591)年228日、豊臣秀吉の勘気に触れ切腹した。

切腹の前日、遺偈を書いたとされる。

「人生七十 力圍希 咄
吾這宝剣 祖仏共殺
提ル我得具足の一太刀
今此時そ天に抛


禅僧柴山全慶は、この遺偈に関した書の中で、中国12世紀の禅僧韓利休の詩を紹介しているそうだ。

「人生七十力囲希
肉痩骨枯気未微
這裡咄提王宝剣
露呈仏祖共殺機


詩の内容は兎も角、名前利休の一致と詩の一致は、どう考えたら良いのだろう。

利休の遺偈は、真筆なのだろうか?
歴史の話は、わからないことが多い。

織部の日は、岐阜県土岐市が制定した日だそうだ。
1599(慶長4)年のこの日、千利休亡き後の豊臣秀吉の茶頭・古田織部が、自分で焼いた茶器を用いて茶会を開いた。この器が後に織部焼と呼ばれるようになった。」
というのが理由だそうだ。
織部焼というのは緑色の釉薬で、和風の焼き物の代表的なものだ。

利休は、秀吉により切腹を命じられたが、古田織部は利休亡き後秀吉に寵愛された。
秀吉亡き後、織部は関が原の戦いでは徳川につき、存続したが、慶長20年(1615年)大坂夏の陣では豊臣方に内通したと咎められ、切腹した。

茶人は、安楽な人だというイメージは今のもので、権力者の側にいて活躍した利休も織部も切腹しているのは因果を感じさせる。


利休の遺偈は、禅語臭くて解りにくい。
死にあたって、簡素なわび茶の立場に立つ利休が本当に書いたのかと思う。

現在の家元制度の基盤を築き上げ千家茶道中興の祖といわれる表千家7代の如心斎の辞世の方が解りやすい。

「生也天然 死也天然
畢竟如何 天然々々




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2017/02/27  日記  春近し

2017-02-27 20:07:25 | (2)日記

2017/2/27 (月) 旧暦:22日 祝日・節気:  日出 :613分 日没:1734分 月出:632分 月没:1813分 月齢:0.5 干支: 乙酉 六曜: 先負 九星: 一白水星


今日のあれこれ: 季語 春近し・春隣

clip_image002
(まゆふぉん@ゲームで冒険が大好き♪
https://twitter.com/mayutantann
より転載)



『春隣: 春近し、明日の春、春信、春まぢか、春とおからじ
晩冬
晩冬には寒さが緩む日が多く、春の訪れを感じることが多くなる。
春の隣は春が近いということ。春がもうすぐそこまで来ていること。春の気配。春を待ちわびる気持ちに立った季語。』
(季語と歳時記)



春近し・春隣の俳句:



・伊勢湾に白き帆のあり春隣  大橋淳一



・絵馬の山天満宮に春近し  夏目満子



・オムレツの丘がきらきら春近し  山元志津香



・あやとりの子供となりぬ春隣  天 野きく江



・縁側のおひるごはんや春近し  林裕美子




今日は、関東は寒かったようだが、東海地方は春の陽射しが明るく射した。
それでも、午後になると、風が出始め、陽射しも盛りを越え冬らしさが戻った。

天気予報でも、3月は平年より温かく、春らしだが感じられると話していた。

春隣は晩冬の季語だから、今日使うのは遅いが、今年の冬は晴れても冷たい北風が吹き続け、春らしさは感じられなかった。
感覚としては、昨日今日が春隣、春近しだ。

俳人たちも、春隣・春近しの季語を使って、心を弾ませている。
心が自然に弾む季語は良いものだ。





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2017/02/26  東京マラソン  3分台の走りは圧巻

2017-02-26 23:20:00 | (22)格闘技・スポーツ


今年の東京マラソンはコースが変更され、タイムが出やすい高速コースになった。

そのためか、タイムを狙う世界の一級選手がエントリーした。
世界記録を狙うと言っていたウイルソン・クプサングは、言葉通り、最初から飛ばし、途中までは世界新のペースで走った。
最後は独走し、3分台の国内最高記録を出し、圧勝した。

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日本選手も若手が台頭し、将来の芽が感じられたのは良かった。

8分代前半の井上も良かったが、11位に入った設楽が面白かった。
最初先頭集団着いて行き、無謀な走りで、35kmから先潰れるだろうと思ったが、最後まで走りきったのは立派だった。
初マラソンで積極果敢な走りで9分台は評価されるべきだ。


キプサングの優勝インタビューの時、身体の違いがわかった。こめかみに血管1本が浮いて見える、脂肪は全くない。
筋肉は足は勿論、腕や肩にも確りついている。

軽くするために細いだけでは駄目だ。
スタミナとスピードの両立には筋肉が必要なことを証明している。
上半身の筋トレを相当しているのではないかと思う。

日本のマラソンは、キプサングから学ぶことが必要だ。



『キプサング、国内初の2時間3分台で優勝!井上が日本勢トップ8位
スポニチアネックス2/26() 11:15配信

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東京マラソンで2時間3分58秒のタイムで初優勝を飾ったキプサング

東京マラソンは26日、都庁前~東京駅前の新コースで行われ、男子は前世界記録保持者のウィルソン・キプサング(34=ケニア)が初優勝。世界新記録には届かなかったが、日本国内のレースで初の2時間3分台となる2時間3分58秒の快記録をマークした。今夏の世界選手権(ロンドン)選考会を兼ねる日本勢では、井上大仁(24=MHPS)が日本勢最高の8位に入った。

【写真】東京マラソンには著名人も多数出場。沿道の歓声にこたえる林家たい平

今大会からより平たんなコースに変わったことから、デニス・キメット(33=ケニア)が14年ベルリンで記録した2時間2分57秒の世界記録を超える「2時間2分50秒」を狙うと宣言していたキプサング。その言葉通りに序盤から引っ張り、世界記録を上回るハイペースでレースを展開。東洋大時代に箱根駅伝で活躍したマラソン初挑戦の設楽悠太(25=ホンダ)が日本人トップを快走し、こちらは日本記録を大きく上回るペースで折り返し地点を通過した。

終始先頭集団を快走するキプサングは、ペースメーカーが外れた30キロ過ぎには14年の大会覇者ディクソン・チュンバ(30=ケニア)とトップを並走。35キロ付近でチュンバを引き離すと、その後はややペースは落としたものの、そのまま独走で東京駅のゴールテープを切った。優勝タイムの2時間3分58秒は、09年の福岡国際でツェガエ・ケベデ(30=エチオピア)がマークした2時間5分18秒を超える日本国内での最高記録となった。

設楽は30キロ過ぎからペースを落とし、徐々に追い上げた井上が38キロで逆転。井上はアフリカ勢には及ばなかったものの、2時間8分22秒で日本勢トップの8位に入った。山本浩之(30=コニカミノルタ)が2時間9分12秒で10位、設楽は2時間9分27秒で全体11位、日本勢3位と健闘した。』(スポニチアネックス
)



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2017/02/26  日記  今日は何の日  2・26事件

2017-02-26 22:14:30 | (2)日記

2017/2/26 (日) 旧暦:21日 祝日・節気: 朔 日出 :615分 日没:1733分 月出:553分 月没:1709分 月齢:29.12 干支: 甲申 六曜: 友引 九星: 九紫火星

今日のあれこれ: 2・26事件

昭和11年(1936226皇道派の陸軍青年将校が1,483名の下士官兵を率いてクーデターを実行した。
今日の東海地方は晴れたが、81年前の東京は雪だった。

事件の詳細は以下Wikipedia参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E9.99.B8.E8.BB.8D.E7.9C.81

事件を引き起こした青年将校の立場から見ると、心情的には理解できる点もあるが、クーデターとか政治的な側面から見ると、事件後の政治体制の周到な準備もなく行き当たりばったりの事件と考えざるを得ない。

青年将校の誤算は、天皇陛下の怒りだった。

君側の奸を討って天皇親政の国家改造論を実現することを夢想した青年将校に対し天皇陛下は、明確な意志を持ったリアリストだった。

早朝、本庄侍従武官長が参内すると、天皇陛下は大元帥の軍装に着替えておられ、早く事件を終息させよと言われた。

事件が鎮圧された29日までの間、軍部の対応は迷いが在ったが、天皇陛下は一貫して暴徒を鎮圧せよと言われている。

青年将校たちの意を受けた川島陸軍大臣が参内すると
“今回のことは、精神の如何を問わず、不本意である。速やかに事件を鎮定するように”と言われた。

ところが、陸軍は陸軍大臣告示を出し、青年将校におもねるような態度を取った。
「決起の趣旨については天聴に達せられあり、諸子の行動は国体顕現の至情に基づくものと認む…」
これを聴いた青年将校は、事成れりと喜んだ。

天皇陛下は、暫定内閣も認めず、現行体制での速やかな鎮圧を指示された。
統帥部は、甲府他の部隊を東京に呼んだ。

この間、天皇陛下は
“朕、自らが近衛師団を率いて、その鎮圧に当たらん”とまで言われたそうだ。

天皇陛下の意志は、迷っていた軍の考えも討伐に変えた。
賊軍になれば大義は失われることは明らかだ。

青年将校たちが天皇の意志を忖度できなかったことが、彼らの悲劇だったと考えられる。




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2017/02/25 禁煙拡大 健康増進法の改正 賛成

2017-02-25 22:05:05 | (16)時事・世相


受動喫煙対策を盛り込んだ健康増進法の改正案が検討されており、居酒屋や焼き鳥屋等の小規模飲食店も禁煙にする方針だそうだ。

飲食店や一部の議員から反対意見が出ているらしいが、是非実現して欲しい。

酒の香りや料理の匂いがわからなくなる煙草の煙は、百害あって一益なし。

酒をこれから楽しもう、美味しい料理をいただこうとする時、隣でタバコを吸われると、がっかりすると同時に怒りがこみ上げる。
自分は、酒も料理も楽しんだから、一服かもしれぬが、こちらはこれからだ。
自分さえ良ければ、他人の迷惑など考えなくても良い人間がタバコを吸うのだ。
法律で取り締まらなければ、客も店もタバコを止めやしない。

後退させること無く、是非実現してもらいたい。


『小規模居酒屋、例外とせず=「飲食店禁煙」法案で検討―厚労省
時事通信2/25() 10:08配信

「飲食店は原則禁煙」などの受動喫煙対策を盛り込んだ健康増進法改正案をめぐり、厚生労働省が小規模な居酒屋や焼き鳥屋も例外としない方向で検討していることが25日、関係者への取材で分かった。


厚労省は飲食業界などの反発を受け、未成年が原則立ち入らない床面積が約30平方メートル以下の小規模なバーやスナックは例外とする修正案を検討している。

ただ、居酒屋や焼き鳥屋は酒類を提供する一方、家族連れや外国人観光客も多く訪れるため、レストランやラーメン店などと同様、喫煙室の設置も可能な屋内全面禁煙が必要と判断した。例外の範囲を広げ過ぎると、規制の実効性が失われることも考慮した。

厚労省は今国会への法案提出を目指しているが、自民党内で「小規模な飲食店はやっていけない」などの反対意見が根強く、調整が難航する可能性もある。 』
(時事通信)





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2017/02/25  日記  ジョルジュ・ドンの生まれた日

2017-02-25 21:03:52 | (2)日記

2017/2/25 (土) 旧暦:129日 祝日・節気:  日出 :616分 日没:1732分 月出:512分 月没:1607分 月齢:28.12 干支: 癸未 六曜: 大安 九星: 八白土星

今日のあれこれ: ジョルジュ・ドン(Jorge Donn)の生まれた日

ジョルジュ・ドン(Jorge Itovich Donn)は、1947225日、アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれている。

5
歳にバレエを始め、15歳の時にモーリス・ベジャール主宰の20世紀バレエ団の公演を見て、後を追いフランスに渡り入団し、才能を開花させた。

彼が有名になったのは、ラヴェルの「ボレロ」の踊りだ。

まずは見てみよう。
14
50秒と長いが、通してみることをお薦めする。
15
分を費やす価値のある踊りだ。


Jorge Donn, Bolero-1982.

https://youtu.be/m5CFJlzlGKM


音楽「ボレロ」と一体になった人間の身体の動きに魅せられる。
ボデービルの人工的な筋肉美とは違う踊りが生んだ肉体の弾む美しさだ。

45
歳の死と共に、肉体は滅んでしまったが。ドンのボレロはレガシーとして生きつづけるだろう。


【データ】

公式サイト
http://jp.jorgedonn.com/index.html


ジョルジュ・ドン
Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%B3



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2017/02/24  ZUMBA音楽  Otra Noche Contigo

2017-02-24 20:45:10 |   ZUMBA音楽


Otra Noche Contigo
ZIN66に収録されている。
ZUMBA Fitness
のオリジナル曲である。

最近、ZUMBA Fitnessのオリジナル曲の動画はyoutubeで見ることができなくなった。

登録されても、削除されてしまうからだ。

Otra Noche Contigo
と言う名前の曲は、ZUMBA以外の曲もいくつかあるので、それらばかりは出てくる。
今日探したら、一つ見つかった。


"Otra Noche Contigo" ZIN vol. 66

https://youtu.be/ZcpIFyYbw-E


歌詞も探したが、勿論見つからない。
Otra Noche Contigo
と言う題名は、「またの夜をあなたと一緒に」と言う意味だ。


この動画も、また削除されるかもしれない。

こんな状態が続くと、ZUMBAは、世界のZUMBAファンの支持を失う日が来るかもしれない。



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2017/02/24  日記  今日の言葉 民主主義

2017-02-24 19:58:36 | (2)日記

2017/2/24 (金) 旧暦:128日 祝日・節気:  日出 :617分 日没:1731分 月出:429分 月没:1508分 月齢:27.12 干支: 壬午 六曜: 仏滅 九星: 七赤金星

今日のあれこれ: 今日の言葉 民主主義

オスカー・ワイルドの言葉

clip_image001

CNN.co.jp
http://www.cnn.co.jp/photo/l/419875.html
より転載)


「民主主義とは、人民の人民による人民のための脅しにすぎない。」

原文は
Democracy means simply the bludgeoning of the people by the people for the people.

となっている。

Bludgeon
と言う言葉の意味は、
1
a 〈…を〉こん棒で打つ.

b 〈人を〉(棒などで)殴って〔…の状態に〕する 〔to.
bludgeon a person to death 人を打ち殺す.

c+目的語+補語〕〈人を〉(棒などで)殴って〈…の状態に〉する.
bludgeon a person senseless 人を殴って人事不省にする.

2
〈人を〉強制して〔ある行動を〕させる 〔into.
bludgeon a person into agreeing 人に無理やり同意させる.」(英和辞典・和英辞典- Weblio辞書 英和辞典・和英辞典)

なので、the bludgeoningは「脅し」より強制とか無理強いの方が適当ではないかと思う。
書き換えれば
「民主主義は、人民の人民による人民のための無理強いを意味するにすぎない。」となる。


最近の日本で、気になる現象は、SNSの存在により炎上が起きることだ。
これは、仲間内ではLINEによる個性の圧殺、いじめ、集団の掟の強制につながる。
社会では、警察官や先生や社員の言動に対し、多数意見であるかどうかわからない大きな騒がしい声が個人・企業を攻撃する炎上に繋がる。

民主主義というのは、みんな同じ顔をして同じことを喋るのっぺらぼうの集まる社会ではなくて、それぞれの個性が尊重される社会を意味するものだとすれば、オスカー・ワイルドの言う通りだ。

民主主義を生きるには、我が道を行く意思と人からの圧力に耐える勇気が必要だ。




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2017/02/23  ZUMBA音楽  Parate by Tony J

2017-02-23 22:26:30 |   ZUMBA音楽


Parate
Megamix56に収録されている。

この曲について、調べたがわからない。
今まで調べた中で最も彷徨った曲の一つだ。

Parate
から辿っても、迷路でそれらしい道はない。
Tony J
なる人を追っても、政治家や学者や音楽とは関係ない人ばかりが登場する。アーティストも出てきたが、soulJazzで同じ人とは思われない。

Official Video
など見つかりそうもない。

兎に角、スタジオの動画でも良いから、曲を聞いてみよう。

Mega Mix 56 "Parate" Latin Urban Choreography by Aksana

https://youtu.be/IcjKWl1QTeY



Parate
の歌詞を探したが、勿論見つからない。
Parate」は、スペイン語で「止まれ」、「立ち上がれ」と言う意味のようだが、歌詞がわからないので歌の内容もわからない。


彷徨った挙句、諦めかけた時youtubeでは、出てこなかった、次の動画を見つけた。

PARATE- ZUMBA FITNESS 2017, TONY JR- L&M TONY JR MARLONT RHENALS

https://youtu.be/N0spRtGVYMk


この動画の最後に、情報があった。
TONY JR DE LAS SALAS」という文字が見えた。

これをキーワードに検索すると、次の動画が見つかった。

TONY JR - SIN TU AMOR

https://youtu.be/DxUGXQBdRT8

チャンネル登録名を見ると、Tony Jと書かれている。
このチャンネルが糸口になり、道がひらけた。

Tony J
の公式サイトに行き、経歴を見ると、
Tony J
はアメリカのフロリダ州在住のラテン・アーバンのスター。
彼はコロンビア出身で、父親はコロンビアの有名なミュージシャン、Antonio Manuel De Las Salasだった。
音楽に囲まれて育ち、ラテン系ジャンルの様々なジャンルの音楽(ダディ・ヤンキー、ピットブル、アルカンジェル、Jバルバンなど)を聴き、音楽の才能を開花させた。

早くも12歳で、サルサ、メレンゲ、クンビア、ヴァレナートなどの様々なラテン系ジャンルの曲をライブで演奏した。

16
歳で4曲のオリジナルソングを録音している。
年齢は若いが、音楽の経歴は長く、これからの活躍が期待されるアーティストと思われる。


【データ】

Tony J
に関心のある方は、下記サイトで情報を得る事ができ、他の曲も聴くことができる。

公式サイト:
http://www.tonyjmusic.com/#home-1-section


twitter

https://twitter.com/MusicTonyJ


Instagram

https://www.instagram.com/tonyjofficial/


Sportify

https://open.spotify.com/artist/7ipuqpDiN80vqVa42Tk40j


youtube

https://www.youtube.com/channel/UCOaLQY-UpKGwhX3e0eAYbOg


google+

https://plus.google.com/+TonyJr




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2017/02/23  日記  皇太子浩宮殿下 ご誕生の日

2017-02-23 19:30:00 | (2)日記

2017/2/23 (木) 旧暦:127日 祝日・節気:  日出 :618分 日没:1730分 月出:343分 月没:1411分 月齢:26.12 干支: 辛巳 六曜: 先負 九星: 六白金星

今日は、皇太子殿下のご誕生の日。
1960
(昭和35)年223日、今上天皇皇后両陛下のご長男として誕生され、229日に命名の儀において昭和天皇が浩宮徳仁(ひろのみや なるひと)と命名された。

両陛下は、旧来の皇室の慣例にこだわられず皇太子を養育された。
専任の養育係をおかず、両陛下自ら手元に置き養育をされた。
ご養育の様子は国民に報道され、新しい皇室像の形成に繋がり、皇室と国民の関係を親しく・近いものにされた。

57
歳の誕生日にあたり、皇太子は記者会見をされている。
今上陛下のご退位の問題があり、政府が検討を進めているが、次の天皇である皇太子のお言葉にも充分耳を傾ける必要がある。


(全録)皇太子さま、誕生日に先立ち記者会見」

https://youtu.be/yYtI-IF30Eo


大切なお言葉なので、長文だが全文を転載する。

『【全文】皇太子さま 57歳の誕生日記者会見
ホウドウキョク2/23() 13:17配信

(天皇陛下は昨年8月に公表された象徴の務めに対するおことばで、即位後に象徴天皇としてご自身が歩まれてきた道や、高齢となった天皇の在り方についてお考えを表明されました。表明に至るまで、殿下は天皇陛下のお考えをいつ、どのような形でお聞きになり、表明されたおことばをどのように受け止められましたか。
今後、天皇、皇后両陛下にどのようにお過ごしになっていただきたいかという点もお聞かせください)

「昨年88日の天皇陛下のおことばを、私は、愛知県での公務を終えた後の名古屋駅で厳粛な思いで伺いました。
天皇陛下のお考えをいつ、どのような形でお聞きしたか、というお尋ねについては、何か特別な場でそういったお話があったというわけではありませんし、私自身は折に触れて陛下のお考えを直接お聞かせいただいたり、あるいは、そのお姿やお話しぶりから推し量ることもございましたので、明確にいつどの機会にどういった形でということを申し上げるのは難しいと思います。天皇陛下には、御即位以来、長年にわたり象徴天皇としてのお務めを果たされる中で、そのあるべき姿について真摯に模索してこられました。今回のお考えは、そうした模索と熟慮の結果を踏まえ、また、内閣を始め主な関係者とも御相談なさった上で、おまとめになられたものであろうと思います。
思い返しますと、私が初めて両陛下の御公務に御一緒させていただいたのは、恐らく、私が4歳で、陛下が皇太子でいらっしゃった昭和39年の東京オリンピックではなかったかと思います。それ以来、ボーイスカウト、ジャンボリー、高校総合体育大会、冬季スケート国体など、そういった行事にお連れいただきましたが、その度に、両陛下が一つ一つの行事を大切に思われ、真摯に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりました。
ですので、今回、陛下がおことばの中で「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」と御案じになられていることに、とても心を揺さぶられましたが、同時に陛下のお気持ちがそこに至った背景につきましては十分お察し申し上げていると思います。
私といたしましては、陛下のお考えを真摯に重く受け止めますとともに、今後私自身が活動していくのに当たって、常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたいと思います。
また、両陛下の御健康を御案じ申し上げつつ、両陛下には、お身体をお大切になさり、末永くお元気でいらっしゃることを心から願っております。それとともに、これからは、御自身のためにお使いになる時間をもう少しお取りになれるとよろしいのではないかと思っています。」



(政府が設置した有識者会議で象徴天皇の在り方について議論が重ねられており、国民の関心も高まっています。次期皇位継承者である殿下ご自身は象徴天皇とはどのような存在で、その活動はどうあるべきとお考えでしょうか。殿下が即位されれば皇后となられる雅子さまの将来の務めについて、お二人でどのようなお話をされておられますか)

「象徴天皇については、陛下が繰り返し述べられていますように、また、私自身もこれまで何度かお話ししたように、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。陛下は、おことばの中で「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました。
私も、阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には、雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ、被災された方々から直接、大切な人を失った悲しみや生活面での御苦労などについて伺いました。とても心の痛むことでしたが、少しでも被災された方々の痛みに思いを寄せることができたのであればと願っています。
また、ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが、そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております。

このような考えは、都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。
昨年の8月、私は、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に、戦国時代の16世紀中頃のことですが、洪水など天候不順による飢饉や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が、苦しむ人々のために、諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰般若心経のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが、そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。
私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います。
私が、この後奈良天皇の宸翰を拝見したのは、88日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。
時代は異なりますが、図らずも、2日続けて、天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。

私がここ10年ほど関わっている「水」問題については、水は人々の生活にとって不可欠なものであると同時に洪水などの災害をもたらすものです。このように、「水」を切り口として、国民生活の安定、発展、豊かさや防災などに考えを巡らせていくこともできると思います。私としては、今後とも、国民の幸せや、世界各地の人々の生活向上を願っていく上での、一つの軸として、「水」問題への取組を大切にしていければと思っております。
また、私のこうした思いについては、日頃から雅子とも話をしてきており、将来の務めについても話し合っていきたいと考えております。」



(ご家族について伺います。雅子さまは式典への出席が増えるなど着実に活動の幅を広げられました。殿下が感じられた雅子さまの変化や現在のご体調についてお聞かせください。愛子さまはこの1年、両殿下とのお出ましが増える一方、体調を崩され学校を長期欠席されることもありました。春には高校進学を控える愛子さまのご様子、進学や皇族としての活動など今後に寄せられる思いについてもお聞かせください)

「雅子は、治療を続ける中で、体調に気を付けながら、努力と工夫を重ね、公私にわたってできる限りの務めを果たそうとしております。その結果、昨年は、式典への出席回数も増え、また、4月の神武天皇二千六百年式年祭の儀や、6月の岩手県での復興状況視察、8月の「山の日」記念全国大会など、公的な活動を、少しずつではありますが、一つ一つ着実に積み重ねてきており、それがまた本人の自信にもつながり、活動の幅が広がってきていることを、私としてもうれしく思っております。
また、東宮御所内での仕事などでも、私をよく支えてくれておりますし、愛子が体調を崩した折を始め、母親として愛子の成長を見守り、導いてくれていることに、心から感謝しております。このように、雅子は着実に快復してきておりますが、一方で、依然として体調には波もありますので、引き続き焦ることなく、慎重に少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います。国民の皆様には、これまで雅子に温かく心を寄せていただいておりますことに、改めて心より感謝の気持ちを表すとともに、引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。

愛子については、先生方や多くの友達に囲まれ、中学校生活の最後をとても有意義に、そして楽しく過ごしているようです。一時期体調を崩したこともあり、皆様に御心配をお掛けいたしましたが、雅子の支えもあり、今はふだんどおり学校生活に戻っております。
また、昨年は、夏休みの機会に、神武天皇山陵の参拝や、「水を考えるつどい」、「山の日」記念全国大会など、様々な行事や場所に3人で出掛けることができました。こうした機会を通じて、皇族としての務めについての理解を深め、また、自覚と役割を学びつつあるように思います。4月からは高校生になり、新たな環境に身を置くことになりますが、今後とも、機会を捉えていろいろな経験を積んで、人として、また、皇族の一員として、健やかに成長していくことを願っております。天皇皇后両陛下には、日頃、私ども家族を温かくお見守りいただいておりますことに、心から感謝申し上げます。」



(皇族方の減少や高齢化が進む中、皇室の現状や将来の在り方についてどのようにお考えでしょうか。両陛下の負担軽減や皇族方による公務の引継ぎ、分担についての殿下のお考えもお聞かせください)

「皇室の現状についての御質問ですが、男性皇族の割合が減り、高齢化が進んでいること、また、女性皇族は結婚により皇籍を離れなければならないということを前提とした場合に、皇族が現在行っている公務をどのように引き継ぎ、どう分担していくべきかという点は、将来の皇室の在り方とも関係し、大切な問題であると思います。そして、皇室の将来の在り方に関しては、私は、以前にも申しましたけれども、その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってきていると思います。
過去から様々なことを学び、古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと考えております。公務の引継ぎや分担につきましては、お仕事の一つ一つを心から大切にしてこられた陛下のお気持ちを十分に踏まえながら、私を始め、皇族が適切に役割を担っていくことが重要であると思います。
一昨年から、こどもの日と敬老の日にちなんでの施設訪問を両陛下から秋篠宮と共に受け継がせていただきましたし、昨年は、小中学校長の拝謁及び国際緊急援助隊・国際平和協力隊の接見を私が引き継がせていただくことになりました。
また、昨日まで、陛下の名代として第8回アジア冬季競技大会の開会式に出席するため、北海道を訪れておりました。
私としては、今後とも、引き継がせていただいた公務を大切に務めながら、少しでもお役に立つことがあれば、喜んでできる限りのお手伝いをしてまいりたいと思っています。なお、皇室の制度面の事柄については、私が言及することは控えたいと思います。」

(この1年を振り返り、印象に残った公務や社会、皇室の出来事についてお聞かせください)

「この1年を振り返ると、昨年と同じように、国内外で多くの自然災害が発生し、各地で人々に大きな被害をもたらすとともに、多数の方々の命を奪ったことを、とても残念に思います。日本では、4月に発生した熊本地震により、被災者は今なお不安を抱えながら生活を続けておられると聞いております。8月末に東北地方と北海道を襲った台風10号による大雨は、北海道や、震災からの復興という険しい道のりを歩む岩手県に大きな傷跡を残しました。世界に目を向けても、エクアドルやイタリアなどで地震が発生し、それぞれ数百名が亡くなられるなど、人々の生活に大きな影響を与えています。こうした災害により、不幸にも犠牲になられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。
東日本大震災の発生から今年の3月で6年となりますが、昨年6月、復興状況視察のため岩手県を訪れました折には、着実に復興が進んでいることを実感すると同時に、引き続き仮設住宅にお住まいの方々が御苦労を重ねながら日々暮らしていらっしゃることを伺い、心が痛みました。被災された方々が1日も早く安心して暮らせるよう、被災者お一人お一人の御健康と幸せを祈りながら、今後とも、雅子と共に、被災者に寄り添い、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います。

そのほか、国内の出来事としては、7月下旬、神奈川県の障害者施設が襲われ19人もの尊い命が失われた事件に、大きな衝撃を受けました。また、高齢者による交通事故のニュースや子供を含む格差の問題もよく目にするようになったと感じており、気に懸かっております。
日本国外でも、依然として世界各地でテロ事件が頻発しており、難民の問題もいまだ解決の糸口が見えておりません。そのような中で、リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピック大会では、難民選手団が結成され、人々の拍手に応えて明るい表情で入場行進をしている姿には、安堵と喜びを覚えました。
現在の世の中で、特に子供やお年寄り、障害者といった社会的に弱い立場にいる人々が犠牲になっていることは、とても残念に思います。全ての人が広い心を持って、お互いを尊重し合い、こうした弱い立場にある人々を含め、皆が安心して暮らせる社会を構築するために、地域社会、さらには国際社会全体が一つになって知恵を出し合い、協力していくことが、より一層求められる時代になっていると感じます。

明るいニュースとしましては、夏のリオデジャネイロでのオリンピック・パラリンピックにおける日本選手団の活躍や、長年にわたるオートファジーの研究を評価された大隅良典博士のノーベル生理学・医学賞受賞などがありました。
世界の中で日本人がそれぞれの分野で高く評価され、あるいは、世界の第一線で活躍していることの証であり、とてもうれしく思います。

皇室の出来事としては、やはり昨年10月に三笠宮崇仁親王殿下がこう薨去されたことが思い出されます。三笠宮殿下には、私が学生だった時代、歴史研究のお話を伺い、研究者としての心構え、姿勢を学ばせていただいたことを感慨深く思い出します。また、私のみならず、雅子も愛子も、本当によくしていただきましたので、改めて、これまで私たちに寄せていただいた御厚意に感謝申し上げるとともに、心から御冥福をお祈り申し上げます。

また、我が国皇室と関係の深かったタイのプミポン国王が崩御されたことも、悲しい出来事でした。タイ王室の方々とタイ国民の皆様に対して、心から哀悼の意を表したいと思います。印象に残った公務についての質問ですけれども、地方や都内での式典や視察、東宮御所内での行事など、いずれもそれぞれに特徴があり、
印象深いものでしたので、特にこの公務と挙げることは難しいと思います。この週末に訪れた北海道を含め、地方訪問では、暑さや寒さの厳しい時もありましたが、長い時間沿道に立ち並び、いつも、私や、雅子も一緒の時には私たち2人を、温かく笑顔で迎えてくださった方々のお気持ちを、とてもうれしく思いました。また、視察先や東宮御所での行事などで、若い世代の方々とお話をする機会がありますが、皆さんが、目を輝かせながら自分たちの進みたい道を力強く語られるのを見て、とても心強く思いました。
なお、この1年間、私たち家族としては、活動の幅を広げることができた1年ではなかったかと思います。先ほどもお話ししましたように、雅子は、治療を続けながら、努力と工夫を重ね、岩手県での復興状況視察、長野県での「山の日」記念全国大会、岐阜県での農業担い手サミットのほか、賢所での神武天皇二千六百年式年祭の儀や、都内での式典にも数多く出席するなど、公的な活動を少しずつですが着実に積み重ねることができました。
また、愛子も、8月の「水を考えるつどい」の機会に初めての式典参加を経験するなど、様々な行事に3人で出掛けることができました。
国民の皆様が私たちを温かく見守り、また、支えてくださったことに、改めて心から感謝いたします。」

(ホウドウキョク Fuji Television Network




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2017/02/22  日記  春疾風

2017-02-22 19:22:00 | (2)日記

2017/2/22 (水) 旧暦:126日 祝日・節気: 猫の日 日出 :620分 日没:1729分 月出:255分 月没:1318分 月齢:25.12 干支: 庚辰 六曜: 友引 九星: 五黄土星

 

今日のあれこれ: 季語 春疾風、春嵐

 

「“暴風”春の嵐・・・各地に影響 空港で停電や欠航も(17/02/20)

https://youtu.be/EV9egUo_yzM

 

 

 

『春疾風(はるはやて)

三春

子季語: 春荒、春嵐、春はやち

関連季語: 春の風、春一番

解説: 春の烈風のこと。冬の西高東低の気圧配置がくずれ、低気圧が東海上に抜けるにともなって荒れた天気となり、ときには嵐となる。』

(季語と歳時記)

 

 

 

春疾風、春嵐の俳句:

 

・一木へ林へ森へ春疾風  小山徳夫

 

・園児らの黄帽子の列春疾風  岩淵彰

 

・嘉手納基地檳榔樹打つ春疾風  宮城菊子

 

・願はくば心の掃除春嵐  早崎泰江

 

・春嵐雲押しのけし夕明り  野口年江

 

 

20日は、全国的に春の嵐、昨日は晴れたが冷たい風が吹き寒い日だった。

今日からまた天気は下り坂、明日はまた荒れ模様だ。

 

23日にかけて各地で強い風

低気圧や前線の影響で、日本付近は等圧線の間隔が狭く、荒れた天気になるでしょう。22日は南よりの風が吹き、最高気温は各地で平年より高くなります。北陸では4月中旬並み、東北では4月上旬並みの所もあるでしょう。23日は南よりから西よりの風に変わる見込みで、特に北海道や関東南部で強い風に注意が必要です。雨は23日の午後にはやむ所が多くなるでしょう。」(tenki.jp

 

この季節は冬と春、北風と南風の戦いが繰り返される。

闘いの場は戦場で荒れる。

春の穏やかな日和は、すぐにはやって来ない。

 

が、いずれやってくる。

 

心の荒れ模様も同じかもしれない。

汚れやゴミや塵を吹き飛ばしてしまえば、スッキリと綺麗になる事ができる。

 

23日には夕明りがやってくるかどうか、まだ判らない。

期待することはできる。

 

 

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2017/02/21  日記  今日が誕生日 石垣りん

2017-02-21 20:43:57 | (2)日記

2017/2/21 (火) 旧暦:125日 祝日・節気:  日出 :621分 日没:1728分 月出:204分 月没:1230分 月齢:24.12 干支: 己卯 六曜: 先勝 九星: 四緑木星

今日のあれこれ: 今日が誕生日 石垣りん

今日のあれこれは、誕生日とした。
誕生日のデータを見ると、数多の人の中に石垣りんの名前があった。
他の人より石垣りんと思って書くことにした。

後で、念の為確認すると、既に過去の記事で取り上げていたことが判った。
好きな詩人だから誕生日も忌日も記事にしていた。

2008/02/21 日記 石垣りんの生まれた日」
http://blog.goo.ne.jp/nabanatei/e/286a75997f2d9569dcab8bfe643fec5f


2008/12/26 日記 詩人石垣りんの忌日」
http://blog.goo.ne.jp/nabanatei/e/c17401087caa0f2576d0bd094e547f96


それでも、他の人ではなく石垣りんを取り上げたい。

石垣りんはは、1920(大正9)年221日~2004(平成16)年1226日を生きた。
大正・昭和・平成を生き、亡くなった時84歳だった。

人は、時代を背負って生きる。
幼少期、彼女の人生は平らだったとはいえない。
4
歳の時に実母を関東大震災の後遺症で亡くし、父は結婚を繰り返し、妹や弟が増えた。
14
歳の時、日本興業銀行に事務見習いとして就職、18歳の時事務員になった。
日本が戦争に負け、焼け野原になった1945年、25歳だった。
その後、生活を支える担い手として銀行で働き、亡くなるまで詩を書き続けた。



『くらし』

食わずには生きてゆけない。

メシを

野菜を

肉を

空気を

光を

水を

親を

きょうだいを

師を

金もこころも

食わずには生きてこれなかった。

ふくれた腹をかかえ

口をぬぐえば

台所に散らばっている

にんじんのしっぽ

鳥の骨

父のはらわた

四十の日暮れ

私の目にはじめてあふれる獣の涙。



結婚もせず、父親の介護、兄弟姉妹の生活を支えて過ごした人生を、人は不幸だと思う。

だが、石垣りんはこう書いている。
1920年(大正9)東京・赤坂生。生家は薪炭商と牛乳屋を営む。4歳で母の死。次に迎えた母の妹も、共に30歳で逝去。3人目の母は17歳の時、離婚。4人目の母は、定年の前年の1974年死去。生母は関東大震災時、子供を庇うため落ちてきた鴨居を背中に受け止め、後に腹膜炎発症し死去。

青春時代は、戦争、不景気、飢えの時代。自分も母達と同じく早世して子供に同じ思いをさせたくないと、結婚を望む気持ちはなかった。

昭和9年(1934)高等小学校卒後、日本興業銀行へ事務見習(給仕)として入行。

20
代は、文芸誌の投稿、同人雑誌発行と、書くことと読むことに熱中して大東亜戦争へと進む。召集礼状の来た弟に「おめでとうございます」と頭を下げた軍国乙女であった。戦後、父病気のため私(石垣りん)の定収入が一家の大黒柱となる。父存命中は、父の度重なる結婚を父だけの責任として批判し続ける。四度目の母他界後、親戚の「おまえのお母さんが死んだのが悪かった」の言葉で、母の死が父の不運の重大な原因だったと悟る。

自分がいれば家族は最低餓死はしないだろうとの気負いから、家庭に執着した。私が独立して家を離れていれば父母は心労もなく、兄弟は自立したはずである。

親類は独身のまま年をとった私のことを家の犠牲になったというが、それは逆。なによりも家庭が大好きだった。どこよりも大事な、どこへも行きたくないほど良い場所だった。親や兄弟の生活が私の前に立ちはだかった時、それに背を向けて生きようとは願わなかった。それが私にできる唯一の前向きの姿勢だった』(家庭の詩)


石垣りんは、結婚はしなかったが、家庭は在ったと言い、家族の犠牲ではなかったと言う。

そして、人の心を撃つ、珠玉の詩篇を残した。



【データ】

石垣りん Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E3%82%8A%E3%82%93


石垣りんの詩

http://www.izu.co.jp/~jintoku/isigakirinsisyuu.htm#sijimi



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2017/02/20  日記  歌舞伎の日

2017-02-20 20:05:06 | (2)日記

2017/2/20 (月) 旧暦:124日 祝日・節気:  日出 :622分 日没:1727分 月出:112分 月没:1146分 月齢:23.12 干支: 戊寅 六曜: 赤口 九星: 三碧木星

今日のあれこれ: 今日は何の日 歌舞伎の日

2
20日は、色々な日に指定されている。
歌舞伎の日、旅券の日、普通選挙の日、アレルギーの日、尿もれ克服の日、交通事故死ゼロを目指す日、愛媛県政発足記念日とされているそうだ。

今回は歌舞伎の日を取り上げる。


clip_image001
(秋華洞スタッフブログ
https://www.aojc.co.jp/staff_blog/2012/10/30/post_238/
より転載)



2
20日が、歌舞伎の日とされる由来は、慶長12年(1607220日、江戸城内でお国が将軍徳川家康や諸国の大名の前で歌舞伎踊りを披露したことによる。

「かふきをとり」という名称が初めて記録に現れるのは『慶長日件録』に、慶長8年(1603年)56日の女院御所での芸能を記録されていることによる。
この頃には、お国達の一座の踊りが「かぶき踊」という名称で呼ばれていた。

それから、現在に至るまで、時代の変化とともに浮沈を繰り返しながら、現在に至っている。
現在のような、形式になったのは明治以降と言われている。


私見では、今は、歌舞伎役者の社会は梨園と呼ばれ、何か一般社会より上流階級のように取り扱われる傾向があるが、どうかと思う。
名跡を継ぎ努力をしないでも、ちやほやされる人間は勘違いする人間になる。
世の中の規範に外れても許されると思う馬鹿が育ちやすい。
十八代目中村勘三郎の浮名や十一代目市川海老蔵の乱行は記憶にあたらしいところだ。

ただ、若手の中には将来性を感じる者もいる。
四代目市川猿之助や中村獅童は歌舞伎の多様性の伝統を受け継ぎそうな気がする。
客を惹きつける技量も備えている。

中村獅童はNHKの番組に、現在登場している。
先日、隈取の実演をしていたが面白かった。

『趣味どきっ!
中村獅童の いざ歌舞伎へ
放送局:NHK Eテレ

毎週火曜日、中村獅童が案内役となってさまざまな切り口から、歌舞伎の楽しさ、面白さを伝える入門番組。全8回放送。

※毎週木曜10151040 NHK総合、翌週火曜11301155 NHK Eテレで再放送



【データ】

歌舞伎 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E

お国の江戸初期から現代に至るまでの、時代の変遷を知ることができる。
歌舞伎が伝統芸能でありながら、常にその時代を取り入れて変化しながら、続いてきた経緯が理解できる。



歌舞伎美人(かぶきびと)
http://www.kabuki-bito.jp/



松竹
http://www.shochiku.co.jp/



歌舞伎

給料BANK(歌舞伎役者の給料)
https://kyuryobank.com/geino/kabuki.html
給料の他CM出演など別途収入は個人差がある。


かっこいいオヤジ。com
http://cool-father.com/kabuki/
歌舞伎座興行収入、役者の年収





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2017/02/19  日記  白魚

2017-02-19 19:58:20 | (2)日記

2017/2/19 (日) 旧暦:123日 祝日・節気: 下弦 日出 :623分 日没: 1726分 月出:019分 月没:1106分 月齢:22.12 干支: 丁丑 六曜: 大安 九星: 二黒土星

今日の季語: 白魚

「なつみがきプロジェクト白魚漁&白魚料理」

https://youtu.be/boxuAJt2Yzk



「【踊り食いやってみた】白魚(シラウオ)の踊り食い!」

https://youtu.be/zwSDIhCPxFs




『白魚(しらうお、しらうを)
初春
子季語: しらお、しろお、王余魚、銀魚、白魚網、白魚舟、白魚汲む、白魚火
解説: 春の訪れを告げる小魚。生のうちは半透明だが、蒸したり煮たりすると真っ白になるので白魚という。近海魚で、春先に産卵のため川へ上がるところをとらえる。おどり食いにする素魚(しろうお)は、ハゼ科の別種。
来歴: 『毛吹草』(正保2年、1645年)に所出。
文学での言及: 月も朧に白魚の篝も霞む春の宵 河竹黙阿弥の歌舞伎「三人吉三郭初買」
実証的見解: 白魚は、シラウオ科の魚の総称で、北海道から九州の沿岸域、河口付近、汽水域に棲息する。大きさは十センチ前後になるが雌のほうがやや大きい。二月から五月にかけて川に上り産卵し、産卵後は死んでしまう。』
(季語と歳時記)



白魚の俳句:



・小旗立て漁師一人の白魚舟  青木由芙



・かたまつて白魚に色生れけり  樋口英子



・手に掬ふ白魚の水翳りもつ  大森井栖女



・水と化すあはひの色に白魚かな  佐藤みほ



・水なのか白魚なのか水なのか  内藤呈念



・水に透く白魚にして影持てる  泉田秋硯



・水に溶けまいと白魚泳ぎをり  木村淳一郎



・硝子器の白魚水は過ぎゆけり  芝川百合子



・しらうをのはかなきいのちすすりけり  三由規童



・白魚のみごもりしまま透きとほる  宮坂恒子




白魚は、春を告げる魚だそうだ。
小さな透明な魚体は水の中では、水に溶けてしまって居る。
黒い目だけが生命の主張をしている。

魚は大きければ、捌いて刺身にしたり、煮たり焼いたりするのだが、白魚はそれができない、汁の具にしたり、卵とじにしたり、天ぷらにするのが一般的だ。

白魚にはもう一つ踊り食いの食べ方がある。
生きたままの白魚をポン酢に入れ、苦しがって跳ね回るのを喉に流し込む食べ方だ。

俳人たちも、白魚の透明な姿を儚いものとして詠む。
色があるのか無いのか、青いのか、影なのか...
動く生命を、見つめている。

酔狂な人は踊り食いをする。
芝川ははっきり書いていないが、過ぎたのは彼女の喉だろう。
三由ははっきり書いている。

踊り食いは動画にもあるように、時季にはパックを手に入れれば、可能だ。
唐津市の川魚料理の老舗飴源は、活白魚の全国配送を時季24月に行っているようだ。
http://www.karatsu-kankou.jp/gourmet/detail/155/Gourmet

個人的には、鮑の残酷焼とか魚の生きた姿造りとか踊り食いは好きではない。
苦しむのを見ながら食べる趣味はないからだ、センチメンタルだが嫌なものは嫌だ。

白魚は早春に産卵のために陸に近づくのだろう。
雌は身体一杯に卵を抱えているのだろう。
宮坂の句を読んで、吉野弘の「I was born」を思い出してしまった。




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2017/02/18  「今日の季語」から「今日のあれこれ」へ

2017-02-18 23:55:00 | (1)始まり・菜花亭日乗


「今日の季語」から「今日のあれこれ」へ衣更えをすることにした。

日記の題材は、最初の2年間は花、2009520日から「今日の季語」になった。
季語を介して俳句を楽しみ、生活を彩る季節を実感するのが目的だった。
79ヶ月近く、毎日季語を題材に日記を書いてきた。

季語は、毎年季節とともに繰り返される。
季語は無数にあるが、生活に根ざした季語は、流石に限られているように思えてきた。

そこで、20日から、日記の素材を「今日のあれこれ」とすることにした。

今日は、昨日に続く日。
今日は、明日に続く日。
昨日には生きられない、明日にも生きられない。
今日しか生きられない人間にとって、今日にまつわるあれやこれやを題材に日記を書きたい。
勿論、季語も俳句もあれやこれやに入るが。

過去→現在→未来と続く流れの中で、今此処に立って、あれやこれや思いの儘に彷徨うことにしたい。

素材は、なんでもありだが、何の日、歴史、言葉、忌日・誕生日、旬、花、季語などなど何がなんだかわからないことになるかもしれない...




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