菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。
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2017/04/04  日記  遠山の金さん登場

2017-04-04 21:40:38 | (2)日記

2017/4/4 (火) 旧暦:38日 祝日・節気: 清明、上弦 日出 :523分 日没:1804分 月出:1115分 月没:039分 月齢:7 干支: 辛酉 六曜: 仏滅 九星: 一白水星

今日のあれこれ: 遠山の金さん登場


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(遠山景元・晩年の肖像画
Wikipedia


遠山金四郎こと遠山景元は、184044日(天保1132日)、北町奉行に任ぜられた。
当時、天保の改革を推進していた水野忠邦は、剛毅果断な矢部定謙と遠山景元を抜擢して、江戸市中の取締を担当させた。


徳川家斉が大御所として君臨した文化文政時代は、
経済活動が活発になり、生活は豊かになり、社会は反映した。
一方、放漫な財政運営の幕府や諸藩窮乏していた。
政治,経済,文化の中心は上方から江戸に移り,町人文化が栄えた。
芝居や遊郭や稽古事、小説は広く楽しまれるようになった。

天保年間に入ると、全国的な凶作による米価・物価高騰・大飢饉が起こり、百姓一揆や打ち壊しが起るようになり司会が不安定になった。
天保8年には大坂では大塩平八郎の乱が起きている。

天保12年(1841年)に大御所家斉が死去すると、水野忠邦は家斉の寵臣を粛清し、人事を刷新し、幕府内に綱紀粛正と奢侈禁止を命じ、江戸市民には江戸町奉行の遠山景元・矢部定謙を抜擢し、華美な祭礼や贅沢・奢侈はすべて禁止した。

水野忠邦の改革は、下記のようなものだった。
・株仲間の解散による物価引下げ
・人返し令による農民を帰農させ、生産力向上を狙った
・上知令による幕府領の増大

遠山・矢部両町奉行名は、上申書を提出し、過度な統制の見直しを進言したが、水野忠邦は急進的に改革を進めようとした。
忠邦は矢部南町奉行を失脚させ、鳥居耀蔵を任に当たらせた。
株仲間の解散・価格統制・貨幣改鋳を行ったが、急激な改革は経済・社会の混乱を引き起こし改革は失敗することになった。

遠山と矢部両町奉行は、市民の立場も理解したため、江戸の町人の人気が高かった。

世の中の変革期には、家柄・血筋ではなく、時代が要請する能力を持ったものが時代に呼び出されることになる。
遠山も矢部もそのように時代が呼び出した人物だったと言える。




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