菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。
散歩する道筋は、日本酒、俳句、本、音楽、沖縄、泡盛、カメラに...etc

2017/10/21  信長公ギャラリー in みんなの森 岐阜メディアコスモス

2017-10-21 23:03:00 | (13)散歩・お出かけ


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(永禄10)、織田信長が稲葉山城の戦いに勝ち、斎藤龍興を敗走させた。
信長公は、小牧より本拠地をここに移し、天下布武の事業に乗り出し、今までの「井口(いのくち)」から、「岐阜」に地名を改めた。

今年は、信長の岐阜入場から、450年になることを記念して岐阜市は「岐阜市信長公450プロジェクト」を行っている。

詳細は、公式サイト参照。
http://www.nobunaga450.jp/

このプロジェクトの一環として、「信長公ギャラリー」が開催されているので、見に行ってきた。
閉塞した時代に風穴を開け、日本を大きく動かした信長の足跡は大きい。


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岐阜駅に到着したら、信長公に拝謁しなければならない。

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褪せることのない金色の色の似合う男は、信長公しかいない。
秀吉も金ぴかと言われるが、信長には遠く及ばない。

今日も、颯爽と輝いておられる。

「信長公ギャラリー」は、みんなの森で開催されている。
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入り口を入ると、すぐ右手が会場になっている。

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有り難いことに、入場無料だった。


入り口を入ると、信長公の出迎えをいただいた。

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鎧を着用し、緋色のマントを身に纏った信長公らしい姿だ。

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実に格好よい。
顔を見て驚いた。
まるで生きている。

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実に精巧で、皮膚など本物と見紛う程リアルだ。
これが動いたら、もう本物の信長公だ。

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年放送のNHK大河ドラマで信長に扮した高橋英樹をモデルに作成されたそうだ。

以下撮影禁止以外の展示の写真を掲載する。

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劇場では公演が行われるそうだ。

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岐阜城では信長公居館の発掘調査が行われている。

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発掘調査結果に基づいて、CGによる再現映像が作成されている。
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居館にフロイス以下客人が拝謁に来ており、信長は自らおもてなしをしたそうだ。
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会場の一角では信長公グッズが販売されている。
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作成された信長公居館のCGが公開されている。
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コントローラーを使い、自分でCGを操作して楽しむことができる。

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操作者は、画面に登場する一匹の蝶になって、居館内を飛んでいき、中を見学することができる。

想像の世界のCGだと思われるが、濃姫の部屋は艶やかで美しい。
安土桃山の天井画、障壁画が輝いている。


岐阜市に行かれたら、一度足を運ぶことをお薦めする。
何より入場無料なのが素晴らしい。



【データ】

みんなの森 岐阜メディアコスモス

http://g-mediacosmos.jp/



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2016/06/16  生島足島神社(長野県上田市) その1

2016-06-16 23:10:00 | (13)散歩・お出かけ


生島足島神社は、現在を貫いているパワースポットだった。

県道65号を上田城址に向かい車を走らせている途中に、生島足島神社があった。
目的地ではなかったが、時間もたっぷりあり、急がない時間が旅の目的なので、ふらりと立ち寄った。

広い駐車場に車を停め、神社に向かうと、大きな池があり、神社の池であった。

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入り口には朱色鮮やかな鳥居がある。
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昔ながらの石碑に加えて、ケバケバしくさえ感じられる白地赤枠に黒文字の表示がある。歴史と今が共存している。

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創建は明らかではないが、歴史書では806年まで記載があり、1200年の歴史を有する。

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朱の大鳥居を入るのは、外国人でなくとも気分を興奮させる。

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鳥居の横は、池であり、柵の下には鴨が休んでいる。

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参道にいた鴨が、案内してくれるので付いて行くと、大木の下に仲間が2羽。パーティーでもあるのかもしれないが、遠慮して参道に戻った。

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参道には、歴史を感じさせる、大木がある。
大木の存在の説得力は大きなものがある。

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厄年の表示と厄除けのお祓いの案内がある。
こうしたことは商業的には宣伝広告だが、精神生活では導きの糸だ。

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その先には、中門があり、これがまた朱色鮮やかだ。
奥の方には、時節柄茅の輪が設置されている。

先客が茅の輪くぐりをしている。

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茅の輪のくぐり方が書かれているのは親切だ。
作法は、茅の輪を入り、左を左巻きに回り、中央に入り、次に輪の右を右巻きに回り、中央から入ると書かれている。

作法通り行い、中に入る。

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左側、池の中に御本社(上宮)がある。
中には入ることは出来ない。

左側には、安産の祈願所子安社がある。
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拝殿の前には、2本の樹が有り、注連縄が渡されている。夫婦なのだろう。

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上田地区も酒処、拝殿左には、化粧樽が奉納されている。
新しい物が展示されており気持ちが良い。


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安全祈願のお参りをする。

神楽殿
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夫婦欅
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大木だが、中は空洞になっている。

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上の方は葉が生い茂っており元気だが、根本の空洞を見ると台風は大丈夫だろうか。

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2016/06/16 生島足島神社(長野県上田市) その2

2016-06-16 23:05:00 | (13)散歩・お出かけ
奥に歌舞伎舞台の建物があった。
長野県の文化財に指定されている建物だ。
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中に入ってみると、歌舞伎とは関係がないが、パワースポットだ。
中には内部全体に、生島足島神社に伝わる古文書のうち起請文が、掲示されていた。
2,3枚のものでがなく、膨大な数の起請文が張り巡らされている。

内部の撮影は禁止されているので、写真は撮れなかったので掲載はできないが、武田信玄を中心とした武将たちの起請文が張り巡らされた建物の中には、戦国時代末期を生きた武将たちの思いが充満していた。

掲示されているのは、原本ではなく写真であるが、実物の写真は毛筆書きもあって訴える力を持っている。

中心には上杉謙信と戦っていた武田信玄が、戦を前に神社に収めた願文が掲示されていた。
永禄二年に奉納された願文だが、当時、謙信としのぎを削る戦いを続けていた信玄の思いが伝わるものだ。
永禄二年といえば、今川義元が信長の奇襲により、想定外の戦死を遂げ、戦国の世の非常を世に知らしめた前年である。

信玄は、すべての人事を尽くした上で、残るは神頼み。ただ祈るだけでは無く、謙信に勝利の暁にはお礼に10年間社殿の修理費として「毎歳青銭十緡」を奉納すると書いている。

これを読んでいると、明日の知れぬ時代を生きた武将たちの今を生きる思いが感じられる。
写真といえどこれらの起請文・願文はこの思いを感じさせるパワーを持っている。
膨大な古文書が醸し出す戦国の武将たちの思いは、昨日も、今日も、明日も、同じように生きている今の人間を覚醒させるものがある。

(帰って、調べてみると、上田市が生島足島神社の古文書のデータベースを公開していた。
関心のある方は、【データ】に記載したリンクを利用し、本物の持つ力を感じて欲しい。)


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ここには載明学校・下之郷学校があった碑が建てられているが、説明はない。

駐車場近くには、本殿を火災から守った欅が保存されている。
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昭和35年のことだそうだ。
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現在の正面の反対側に鳥居があり、今は西鳥居と呼ばれている。
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昔はこちらが、正面の入口だったようだ。

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入り口右の石柱には、海軍大将 東郷平八郎と揮毫されている。
この神社が武将のための神社であることが理解できる。

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その奥には立派な石碑があるが、内容は読めなかった。

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こちらから入ると、境内の順路が書かれている。
こちらから入ると、生島足島神社の本来の参拝ができるかもしれない。


思いがけなさが力を与えるものだが。フラリと寄った生島足島神社は、パワースポットだった。
勢いを失っている時、ここに来て、起請文を読めば、明日のために今を生きる力を得られる。



【データ】

生島足島神社は、長野県上田市下之郷にある神社。式内社。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
所在地: 386-1211 長野県上田市下之郷中池西701
電話: 0268-38-2755


式内大社 生島足島神社公式ホームページ

http://www.ikushimatarushima.jp/


Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%B3%B6%E8%B6%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE


umic
(上田市マルチメディア情報センター)
紙本墨書
生島足島神社文書
http://museum.umic.jp/ikushima/index.html




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2016/05/22  風薫る信長公は金色に

2016-05-22 23:02:43 | (13)散歩・お出かけ


今日は、久しぶりに岐阜の酒の会に参加した。
岐阜駅に到着すると、件の如く駅前の信長公像に参拝した。

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今日30度を超えた岐阜市。
公園の日陰のベンチには、涼しさを求める人達が憩っている。
子どもたちは噴水の水と遊んでいる。


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雨の日も、冬の北風の日も雪の日も、信長公は凛として前を向いている。


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そして、いつもの様に金色に輝いている。


・風薫る信長公は金色に



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2016/04/12  苗代桜(岐阜県下呂市和佐)

2016-04-12 22:16:47 | (13)散歩・お出かけ


先日、下呂まで出掛けた帰り、苗代桜を見てきた。
岐阜県の名物桜は、臥龍桜、荘川桜と伴に苗代桜も挙げられる。
国道からそう遠くないところなので、気楽に立ち寄ることが出来る。

国道を左折し、5分ほど走ると、苗代桜の表示があり、迷うことはない。
近くには、苗代桜を守る会が運営する有料駐車場(300円)があり、車を停める心配もない。

駐車場からは、歩いてすぐの距離だ。
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田んぼには水がはられて、苗代の名の通りの環境だ。

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水の豊かな村のようで、川が流れている。
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各家の庭には2m四方の池が作られている。
覗き込むと魚が買われている。鯉だ。
養魚用の池のようだが、規模が小さいので、自家消費用に飼っているのだろう。

 
桜以外の木も花が満開だ。

 

 

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花があり、水があり、静けさがある。
山村らしい佇まいだ。
冬は厳しい寒さだろう。

 



川を渡ると、苗代桜の看板がある。
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『苗代桜の名前の由来は、その美しい桜の開花を待って、里人が苗代(稲の苗を作るための田)の準備を始めたというところから名づけられ、別名を暦桜(こよみざくら)とも言われています。
下呂市の和佐地区、大和橋を渡った小丘に2本が寄り添うように立っています。樹齢約400年といわれ、うち1本は樹高30m、目通り周囲4m、他の1本は樹高25m、目通り周囲3mで、樹勢は今なお盛んです。苗代桜は、もとは3本の姉妹ザクラでしたが、昭和27年に1本が枯死し、現在2本が残っています。
見頃は4月上旬から中旬です。

 
県指定              天然記念物
 
指定年月日      昭和431111
 
所在地              下呂市和佐
 
所有管理者      和佐区
』(下呂たび)


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水の張られた田の先に、桜が見える。

満開の時期には、ライトアップも行われるそうで、夜になれば次のように、苗代田の水面に桜が美しく映るそうだ。

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(花見特集2016
http://sp.jorudan.co.jp/hanami/spot_229.html
より転載)

今年のライトアップもまだ間に合う。

『☆ライトアップのお知らせ☆
 
期間:201647日(木曜日)から14日(木曜日)
15日・16日は開花状況によりライトアップを行う
 
時間:1830分から2130
その他:駐車場、トイレ、バザーあり(バザーは7日(木曜日)から14日(木曜日)まで)
』(下呂たび)

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樹齢400年の桜は、本人の生命力は勿論必要だが、それを守ってくれる人々が、大切にしてくれるから毎年毎年花を咲かせ続けることが出来る。

毎年毎年の繰り返しが、400年続き、名物ザクラが生まれる。


【データ】

下呂たび
http://www.city.gero.lg.jp/kankou/node_7779/node_29741/node_29908/node_30078



苗代桜
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%97%E4%BB%A3%E6%A1%9C




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2015/12/13 今日の信長公

2015-12-13 20:30:00 | (13)散歩・お出かけ


久しぶりに岐阜の酒の会に参加するために岐阜駅に到着。
駅を出たら先ず信長公にご拝謁させていただくのが、決まり事だ。

駅のデッキに出ると快晴ではなく、梅雨時のような空だ。
その空の下、変わること無く信長公は金色に輝いておられる。

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公の前には、家族連れの子供、若者のグループが信長公を見上げ、写真を撮っている。

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世事に関わっていると、様々な厄介事に巻き込まれる。
世の中には色々な人がいる。表面だけ取り繕う口先人間、裏表のある蝙蝠男、傍観するだけの評論家、見て見ぬふりする知らぬ顔の半兵衛、嫉妬深い男、嫌がらせ好き人間、自己顕示欲のナルシスト...

そんな人間たちの中にいれば、心ならずも振りかかる火の粉は払わねばならない。
続いて止むことのない些事に引き回されて、時間も心も費やされて余裕をなくしている。

そんな日々をぬけ出すための日本酒の会への参加だ。

こうして信長公の前に立つのは、公の力をいただくためだ。

毎日が戦争の明け暮れで、平時ということのない信長公は、日夜命がけで生きておられた。
天下布武の旗印の前には、戦い続けて勝ち続けるしか方法はない。
あらゆることに腐心の限りを尽くした公の心の負担に比べれば、自分の腐心など針の先ほどでもない。

金色に輝く信長公の下に立ち、公を見上げる。
命をかけて腐心の限りを尽くせという公の言葉が聞こえてくる。




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2015/06/17 黄昏の信長

2015-06-17 23:50:00 | (13)散歩・お出かけ


酒の会に出る前に、信長公へご機嫌伺いに参上した。

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雨は降ってはいないが、梅雨らしい曇り空だ。

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梅雨だからといって、気分が下がる信長公ではない。
光輝き、意気軒昂だ。

これだから、元気をいただくことが出来る。

駅の回廊のベンチに座って、暫く超越的な時間を楽しんだ。

今日の季語は、「夏の月」だった。
梅雨の曇り空で、月は出ていない。
そう言えば、信長公に叱責されるだろう。
“そちの眼は、何も見えぬのう
雲の上に輝いている月が見えぬのか”


・信長や雲の上なる夏の月


・金色の信長見れば夏の月


・信長の輝き永遠や夏の月



・たそがれて信長光り夏の月





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2015/03/14  桜開花600度の法則

2015-03-14 21:29:55 | (13)散歩・お出かけ


桜開花600度の法則というのがあるそうだ。

天気は変わりやすく荒れているが、月末から月初にかけて桜は開花するだろう。

出店業者は勿論素人でも桜がいつ咲くかは大問題だ。
お花見の日取りの決定だ。

毎日が日曜日の人は良いが、働いている人は土日しか日程を使えない。
幹事は、満開の日に土日を持ってくる力はないにしても、当日桜の花が咲いていないのではお花見の風情を楽しめない。
当日、花の咲く枝の下で花筵(と言っても今ではブルーシートだが)に座り、花を見上げながら花見酒を酌み交わす、これが幹事に求められることだ。

花の開花日について、幹事にとって耳寄りな情報がある。
トレンド総研は、「桜開花の「600度の法則」に関するレポート」を公表している。
http://www.trendsoken.com/report/local/1332/

桜開花の600度の法則というのは、
21日以降の毎日の最高気温を足し上げ、その累計値が600度を超えた日に桜が開花する」とするもの。

この法則がどの程度の精度があるのかが問題だが。
なんと、2014年、昨年の愛知県の開花日をピッタリと予測している。
東京、京都も的中で、他の地点も数日の誤差だそうだから、土日を決めるのに力強い情報になる。

有難いことに、自分でデータをとらなくとも
Walkerplus
とサントリー金麦がタイアップして、桜開花600度のサイトを用意してくれている。

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http://hanami.walkerplus.com/cp/

これで、年度末年度初めの悩みが一つ解消できる。



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2014/12/01  今年の紅葉

2014-12-01 20:35:00 | (13)散歩・お出かけ


週末に、PENTAX Q7を連れだして、紅葉を見に行ってきた。
愛知県の紅葉も今が盛りの場所もあるが、盛りを過ぎた場所もある。

香嵐渓のような有名な紅葉の場所に行くのは、大変だ。
何時間も渋滞の渦に巻き込まれた上に、駐車場を探すのに疲れてしまう。
だから距離は遠くても、タイムマップでは近い、あまり有名でないところに行くほうがよい。
紅葉が見られればよいのだから。

禅の修行道場でもある古刹は、観光ポイントであるので見物客はそれなりにいる。
だが渋滞はないし駐車場に困ることもない。

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俳句が詠むように、川と池、水のあるところに、多くはないが紅葉が植えられている。

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季語「紅葉且つ散る」そのままの光景が広がっている。

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目を上げれば紅葉。

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目を下げれば、紅葉の絨毯。

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古木の苔の緑と紅葉と池に映る雲と空。

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一風吹く前の一時ばかりの美しさだ。

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絨毯は川に沿って敷かれている。

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奥手の紅葉は、緑がかった黄色から枝先の紅までの変化を見せている。
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日当たりの紅葉は、紅と黄が錦を織りなす。

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塀の上に目を移すと、椿を借景に紅葉が輝いている。
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PENTAX Q7+PENTAX-06 TELEPHOTO ZOOMは、意外に難しい。
手ぶれ補正機能ははあるのだが、ボデーもレンズも軽いのでぶれやすい。
もう一つシャープな感じがしないのは、ぶれているかもしれない。

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紅葉と苔に映える光のコンビネーションが美しい。

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本堂前の開祖お手植えの大銀杏も黄葉し、黄色の絨毯を作っている。

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ある年、地上の黄葉をお坊さんが送風機を使って掃除していたが、今日は週末なので観光客のために掃除していないので、綺麗に見ることが出来た。


明日から強い冬型の天気になり、北からの季節風が台風並みの20mにもなるらしい。

花に嵐の例えもあるが、紅葉にも嵐がやって来る。
「紅葉且つ散る」は、その前に演じられる一幕のだけの美しい舞台だ。

今年の紅葉を見ることができてよかった。




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2014/07/16  Blue Night 信長

2014-07-16 23:30:00 | (13)散歩・お出かけ


岐阜に来ると、駅前の金色に輝く信長公に参拝することにしている。

像自体、歴史的に価値があるものでもなく、信仰の対象でもないが、マントに身を包んで睥睨する信長公は偶像の名に値する。

いつもは昼だが、今日は夜。
到着する前から青い夜の帳に立つ信長を期待していた。
岐阜駅について駅前のデッキに立つ。

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想像通りのBlue Night信長だった。

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夏の暑さにも負けない姿からは、元気を貰えそうな気がする。

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行き場のない、時間を持て余した若者たちが、所在なげに座っているのは、似つかわしくない。

信長公からは、時間と闘いながら自分の道を突き進む活力を受け取る事が可能だ。




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2014/03/10  愛宕神社 (東京都・港区)  その1

2014-03-10 23:10:00 | (13)散歩・お出かけ


昨日の朝5:00に目覚ましを鳴らして起きた後遺症なのか、今朝も5:30に目が覚めてしまった。
昨夜眠ったのは日付が変わってからなのでもう少し寝たほうが良いのだが、覚めたものは仕方がない。

チェックアウトの10時までの時間を利用して散歩することにした。
ホテルの直ぐ裏が愛宕神社なので、参拝に行くことにした。

愛宕神社は、京都市右京区の愛宕神社を総本社とする神社で、愛宕を冠にした社名は全国に約900社もあるそうだ。
だが、この愛宕神社は歴史も有り、昨日今日出来た神社ではない。

ホテルを出て直ぐに、矢印の案内表示がある上り坂を行くと愛宕神社と表示されている。
舗装された車が利用できる道を登っていく。
山を螺旋状に登る道を歩いて行くと、上から背広を着た会社員風の人が降りてくる、この上に住宅があるのだろうか。
暫く行くと、北風を避けるように身をかがめコートの襟を立てた女性が降りてくる。この人も仕事場に向かっているようだ。

ひたすら歩いて行くとNHKの放送博物館があった。
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博物館の裏には東京タワーが見える。
時代の移り変わりにより、歴史的なものに位置づけを変えられている。

道路の左が愛宕神社の入り口になっていた。
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境内に入って行くと、由緒書きがある。
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愛宕神社の由来
【主祭神】 火産霊命(ほむすびのみこと)〈火の神〉
【配祀】 罔象女命(みずはのめのみこと)〈水の神〉
大山祇命(おおやまづみのみこと)〈山の神〉
日本武尊(やまとたけるのみこと)〈武徳の神〉
【境内末社】 太郎坊神社、福寿稲荷神社、弁財天舎、恵比寿大黒社
【創建】 1603年(慶長8年)
【海抜】 26メートル
【境内地】 1750坪(愛宕山面積は6千坪)

伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月まいり と書かれている。

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年大御所家康により建立された愛宕神社は、長い歴史の中で江戸の大火、関東大震災、東京空襲で消失したが、都度再建されてきたそうだ。
現在も、御殿の屋根の銅板の葺き替え工事を行っているのでシートで覆われている。

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手水舎が整備されている。

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きれいな水が龍神様の口から流れていて、身を清めることができる。

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手を洗い清めを済ませて、本殿に向かう。
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本殿の前の門は、朱の漆が綺麗だ。
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屋根裏も朱の総漆に、葵の御紋。

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扉にも葵の御紋。
手入れは行き届いている。

右手にカバンを下げた30前後のビジネスマンがやってきて参拝を済ませた。
奇特な方だと思ったが、その理由は後で判った。

境内には、泉水があった。
山の上なのだが、水が常時流され、濁ることもなく、清らかだ。
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踏み石を踏んで近づくと、緋鯉が見えた。
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優雅に泳ぐ鯉に目をやっていると、鯉達が集まってきた。
餌をくれると思ったのだろう。
見ているだけの人だとわかったのだろう、やがて鯉たちは戻っていった。

2014/03/10  東京・港区 愛宕神社 錦鯉たち」

http://youtu.be/nSkgtCZR3wY

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2014/03/10  愛宕神社  (東京都・港区)  その2

2014-03-10 23:00:00 | (13)散歩・お出かけ

中の方に回りこむと、櫻田烈士愛宕山遺跡碑が建っていた。
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大老が暗殺された事件の犯人たちの碑が、なぜ徳川所縁の神社に?
と違和感があった。

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碑の裏に回ると銘文があった。
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(万延元年)の桜田門外の変を実行した水戸藩浪士が、襲撃の前に愛宕神社に集結し、祈祷を行った由来によるものだ。

建立したのは当時の東京市長大久保留次郎。
皇紀二千六百一年は昭和16年、真珠湾攻撃が年末に行われた年の開戦前夜、戦意高揚期の石碑だ。



本殿側には、将軍梅と表示されている梅の古木がある。
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これは、講談にもなって世に広く知られている曲垣平九郎の手折の梅の木だ。

史実に基づく話は、愛宕神社のサイトにも紹介されているが、ここでは「原始物狂の実践哲学!?(旧 伊達と酔狂!!)」の記事のほうが面白いので紹介したい。

『古典の世界 その1 曲垣平九郎 寛永三馬術 誉れの梅花 愛宕山
2008/9/24() 午後 9:49
http://blogs.yahoo.co.jp/two_four_six_o_one/25170222.html

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境内には、顔を出すと曲垣平九郎になることができるパネルが用意されている。


近くには招き石なるものがある。
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なんだかよくわからない石だが、撫でると福を招くとのこと。
上に手を乗せると寒気で冷たいが、人に撫でられ続けて実に滑らかになっている。

本殿から手水舎の方に歩くと、これが本来の参道で、石段に通じている。
石段の上に立ち、下を見下ろすと地上の大鳥居が見え、現在の道路に繋がっている。
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実に急な階段だ。
石段の幅も広くはない。
老人では、この石段は降りられないだろう。

折角なので降りてみることにした。
途中、静かな神社に賑やかな中年の男女半々の4人組とすれ違った。
中国人だった。

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下に降りて、道路から石段を振り返ると、正式な参道が見える。

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写真をとっていると、若いビジネスマンがやってきて、石段を登り始めた。
周囲を見回すこともなく、慣れた通勤路のように坦々と石段を登っていく。
最後には中国人を追い越してしまった。

曲垣平九郎が、馬でこの石段を登り降りして梅の花を将軍に献上し、生駒藩主と曲垣平九郎は将軍家光から武勇を褒められ、刀一振りを賜った。
この故事によって、この石段は出世の石段と呼ばれるようになった。
ビジネスマンの姿が多いのは、縁起を招くためだった。
確かに、毎日成功を祈ってこの石段を登れば、道が良い方向に開けていくのは確かなことだ。

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降りたら登って帰らなければならない。
数を数えながら登ると、85段だった。
これくらいであれば、休むことも無く息切れもなく登ることは可能だ。
しかし、馬に乗って登ることは?

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登り切って、下を見ると、登る時とは全く違う。
考えただけでも恐怖を感じる。
馬に乗って登る事は出来ても、降りることは可能とは思えない。
これが、現場での素直な印象だ。

帰って、愛宕神社のサイトを見てみると、この疑問への回答が書かれていた。
『なお、実際に神社にみえた方は男坂をごらんになって、
「こんな石段を馬が上れるわけがない。曲垣平九郎の話は講談だからウソだろう」
と思われるのですが、江戸以降にも男坂を馬で登り降りすることにトライをして、成功している方が何人かいらっしゃいます。

   
明治15年・石川清馬(セイマ。宮城県出身)
   
大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬のために最後の花道をつくった
   
昭和57年・渡辺隆馬(ワタナベ リュウマ。スタントマン)「史実に挑戦」というテレビの特番で。
   
この番組では石川五右衛門は本当に大凧に乗って逃げたのか、なんていうのもやりました。

神社では、男坂を馬で上下するのに成功された方の絵や写真を見ることができます。
また、曲垣平九郎が献上したと言われる梅の木は、拝殿前の左手にあり、神社の四季を美しく彩っています。』

人間の能力は鍛錬次第だということが、実感できる。
男坂の石段の上に立って、毎日鍛錬を日々続ければ、それが成功への道に繋がっていく...


【データ】

愛宕神社オフィシャルサイト

http://www.atago-jinja.com/



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2014/03/09  子規庵

2014-03-09 23:10:00 | (13)散歩・お出かけ

 

JR鶯谷駅に程近い子規庵は、俳人のメッカなのだが、今では鶯谷駅から日暮里までの線路沿いに続いているラブホテル群の中に埋没してしまっていた。

 

 

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正岡子規

wikipediaより転載

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F

 

 

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子規庵は、子規が東大を退学、日本新聞社に入学してから、故郷から母を呼び寄せて生活し、その死まで活動の場であった場所である。

句会・歌会が開催され、その後の俳句・和歌の世界の中心になった人達が集った場所である。

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今日は、日曜日なので休館のためなかに入ることは出来ない。

 

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掲示板に貼られている句は、右より

 

・いたつきに名のつき初(そむ)る五月雨

 

・汽車過ぐるあとを根岸の夜ぞ長き

 

前田別邸内の小家を借り住みて

・加賀様を大家に持って梅の花

 

病間あり

・椅子を置くや薔薇に膝の觸るゝ処

 

五月雨

・五月雨や上野の山も見あきたり

 

 

【子規庵データ】

財団法人 子規庵保存会

110-0003

東京都台東区根岸2-5-11

TEL・FAX.03-3876-8218

HP

http://www.shikian.or.jp/index.html

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2013/10/04  秋葉原から湯島聖堂へ (その1)

2013-10-04 23:20:00 | (13)散歩・お出かけ


午前中今日一番の用件を済ませた後、秋葉原に出てカメラとタブレット端末の最新機種を手にとって見る。

カメラは今月中旬以降新製品の発表が予定されているが店頭にはまだない。
タブレット端末では、Windows8のものが見る。RTAndroidと変わらないので、PCと同じソフト環境で使えるものが良い。

カメラは、デジイチではLUMIX GX7、コンデジではLUMIX LF1を手にとって感触を確かめた。
GX7は性能的には一番好みに近いが、手にとった感じが締りがない感じで、精密機械らしいきりっとした感じがない。中の余裕がまだ相当ありそうだ。
LF1は、次第にその良さがわかってきた、ボデーサーズからすればLVF20万ドットはやむを得ない。手にとった感じも中味が小さなボデーにギッシリの感じだ。

タブレットは、NEC、富士通の新製品がでていたが価格が高い、Microsoft SurfaceOfficeが搭載されており、文句はないが、重量がやや重い。タブレットで1kgは重い。
触ってみた感じではASUSVivoTab Smart ME400C ME400-WH64DXが機能と価格と重さのバランスが良いように感じた。

買う気はないので、冷やかしだけだが、取っ替え引っ替え手にとれるので秋葉原は面白い。

遅い昼食を取ってから、次の目的地銀座に向かう。
歩いていると周辺案内図が目に入った。
見ていると湯島聖堂の文字が目に入った。

本では何度も登場して、頭のなかではイメージがあるが、実際に行ったことはない史跡だ。
群馬の地酒は、夕方までやっているので急ぐことはない。
歩いてすぐ行ける距離なので、行ってみることにした。

角を右に曲がると、木立が見えた。
近づくと紫の幟が風にはためいている。
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『徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。

大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と?大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び()大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。』(湯島聖堂)

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敷地内に入るには大きな門から入る。
扁額には高仰と書かれている。
右側の案内に入場料を確認したが、入場無料だった。
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「仰高門 -ぎょうこうもん-
鉄筋コンクリート造。平家建。切妻造り。
延面積10.73m2、昭和10年(19354月竣工。
仰高門-仰高とは、「論語」子罕第九「顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。」による。
曲阜の孔子廟では、西方にある。一般見学者用の入り口になる門。
上野林家の先聖殿創建時には無い。元禄3年、湯島移築の際には見える。」

素養にかける筆者には、「顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。」が解らないので調べてみた。
読み下しは、「顔淵(がんえん)、喟然(きぜん)として歎(たん)じて曰(いわ)く、之(これ)を仰(あお)げば弥(いよいよ)高(たか)く、之(これ)を鑚(き)れば弥(いよいよ)堅(かた)し。」
で孔子の徳を讚えた言葉だ。
訳せば、「顔淵がため息をつきながら讃嘆していった。先生の徳は高山のようなものだ。仰げば仰ぐほど高い。先生の信念は金石のようなものだ。鑚(き)れば鑚(き)るほど堅い。」ということだそうだ。

事務所・売店になっている建物を右に見ながら進んでいくと、大きな孔子像が立っている。

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「孔子銅像

昭和50年(1975)中華民国台北市 ライオンズ・クラブからの寄贈。
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3日除幕式を挙行した。
丈高15[4.57メートル]重量約1.5トンの孔子の銅像は世界最大。」

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台湾は、孔子の銅像まで日本にプレゼントしてくれている。本当の友好国だ。


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有教無類も解らないので帰って調べてみた。
『「衛霊公第十五 427
・原文-
子曰。有教無類。
・讀下-
子日わく、教え有りて類無し。
・通釈-
孔子云う、「人は教育によってどうにでもなるものであって、生まれつき貴賎の差があるものではない」と。
・解説-
=物事の軽重・ちがい。
誰にも別け隔てなく教えられる。はじめから相手の軽重を問うているわけではない。それでも習得する中身に「類」が生じるのは教えられる側の姿勢と努力の違いである。』(論語百選 より転載)

また、「自分次第」にぶつかる。


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銅像の近くに大きな木が植えられている。
楷の樹 うるし科のとねりばはぜのき。

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「楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で、初め子貢が(孔子の墓所に)植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。

わが国に渡来したのは、大正四年、林学博士白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた。

その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが、性来雌雄異株であるうえ、花が咲くまでに三十年位もかかるため、わが国で種子を得ることはできなかったが、幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので、今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる。

中国では殆んど全土に生育し、黄連木・黄連茶その他(黄棟樹、黄連、蓮連木など)の別名も多く、秋の黄葉が美しいという。台湾では爛心木と呼ばれている。牧野富太郎博士は、これに孔子木と命名された。

孔子と楷とは離すことができないものとなっているが、特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。

昭和四十四年秋日
矢野一郎 文並書」

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2013/10/04  秋葉原から湯島聖堂へ  (その2)

2013-10-04 23:10:00 | (13)散歩・お出かけ
石段を登り切ると、再び大きな門がある。
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「入徳門 -にゅうとくもん-

木造、平家建。切妻造り。延面積14.16m2
宝永元年(1704)建造。
入徳門-入徳とは、朱熹の「大学章句序」「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也。」による。上野忍ヶ岡の林家の先聖殿創建時にも入徳門有り。曲阜の孔子廟には無い。江戸官学・朱子学の影響か。聖堂内、唯一の木造建造物。」

入徳門を入り石段をあがり、杏壇門を入ると大成殿の前に出る。
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杏壇門 -きょうだんもん-

間口20メートル、奥行4.7メートル、入母屋造り。
杏壇門-杏壇とは、山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址のこと。宋の乾興のとき、大殿(大成殿)を後方に移し、教授堂(講堂)の跡地を瓦敷きにして壇(高台)とし、周囲に杏を植え、金の党懐英が「杏壇二字碑」を建立。のちそこに門扉が設けられ、杏壇門の名称が付けられた。」

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建物に囲まれた四角な石の庭に立つと、色は赤くないし龍柱はないけれど、首里城正殿のような感じがする。


「大成殿 -たいせいでん-

間口20メートル、奥行14.2メートル、高さ14.6メートル、入母屋造り。
大成とは、孔子廟の正殿の名称。
宋(北宋)の仁宗のとき命名。
「孟子」万章下「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也。」に基づく。
殿内、中央の神龕(厨子)に孔子像。左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀る。」

「孟子曰、伯夷、聖之?者也。伊尹、聖之任者也。柳下惠、聖之和者也。孔子、聖之時者也。」
読み下しは、孟子曰く、伯夷は、聖の?なる者なり。伊尹は、聖の任なる者なり。柳下惠は、聖の和なる者なり。孔子は、聖の時なる者なり。

「孔子之謂集大成。集大成也者、金聲而玉振之也。金聲也者、始條理也。玉振之也者、終條理也。始條理者、智之事也。終條理者、聖之事也。」
読み下しは、孔子を大成を集むと謂う。大成を集むとは、金聲[な]らして玉之を振[おさ]むなり。金聲らすは、條理を始むるなり。玉之を振むとは、條理を終うるなり。

大成殿と言うのは、中国でも日本でも孔子廟の正殿の名称として統一されている。

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杏壇門から下の入徳門方向を見る。
先ほど石段に座ってスマホを操作していた女の子は消えていた。
後から来た中年の夫婦は、大成殿の中庭に入っていった。

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入徳門を右に行くと、もうひとつの入口に向かう。
入口の外は、車が行き交う幹線道路で、日常の喧騒が渦巻いている。

史跡の中は、石塀に囲まれて静かな空気が流れている。
建物と石塀の間の何もない空間にも歴史の重みを感じることができる。


江戸時代は、孔子を中心とした関学が学問の基礎だった。
その学問の根底には人間の人格の陶冶が据えられていた。
社会のリーダーたる武士は漢学の素養をもとめられたし、町民は心学や女大学で人の道を説かれた。

日本人が秩序正し行動を、大震災の災害の中でも取ったことに対し世界が賞賛した。
日本人の行動の基礎にあるのは、仏教や儒教や心学などの教による人格とか品性を重んじる志向性だ。

現代の中華人民共和国の汚職・腐敗・公害の垂れ流しなどに見られる自己中心主義、自分さえ良ければ人のことや世の中のルールなどどうでも良いと考えている様子は、共産主義や社会主義やマルクスや毛沢東といった思想が人を統御できない事を示している。
この意味で、現代中国で必要なのは儒教のような気がする。人間の品性の鍛錬・修行を常に念頭に置く社会的リーダーが存在する社会体制を考える必要がある...

など取り留めもないことを想いながら、高仰門をでた。


【データ】

湯島聖堂
史跡公開 :入場無料
公開時間:
・午前9時半~午後5時まで(冬季は4時)
・土,日曜,祝日には大成殿公開 (午前10時~閉門時間まで)
閉館日:
             
・夏季休業 81317日の5日間
・年末休業 122931日の3日間

公式サイト

http://www.seido.or.jp/




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