菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。
散歩する道筋は、日本酒、俳句、本、音楽、沖縄、泡盛、カメラに...etc

2011/08/07 「棟方志功 祈りと旅」展 (於 愛知県美術館)

2011-08-07 23:07:57 | (10)美術・写真・工芸他

愛知県美術館で開催されている「棟方志功 祈りと旅」展を見てきた。
 
(棟方志功 文春写真館 あのとき、この一枚 より転載)


 
「弁財天妃の柵」
1965年/1974年摺 紙本・木版墨摺彩色 棟方板画美術館蔵


「棟方志功 祈りと旅」展は、初期から晩年に至るまでの広範な作品が展示されており、棟方志功という人間とその創りだした作品の大きさに圧倒されて眩暈がするほどの展覧会であった。
 見る機会が限られる全長26mの大作も展示されており、棟方志功を観る上では、見逃せない展覧会だ。


この展覧会は、4部構成になっている。
第一部 祈り
第二部 津軽
第三部 旅と文学
第四部 文人画家の多彩な芸業


「祈り」では、青森で「ゴッホ、ゴッホ...」と言い続け、「風邪でもひいたのかと」からかわれた時代の大正末期の油彩画から、海外で認められて国内でも評価が高まった出世作から昭和30年代の作品。


第二部 津軽
昭和30年代後半の故郷・青森を題材にした作品。
棟方の作品には郷土の青森が色濃く反映している。原色の華やかな色彩はねぶた・凧絵の世界に通じている。


第三部 旅と文学
棟方は自分の作品を「柵」と名付けた。
「柵というのは、垣根の柵、区切る柵なのですけれども・・・・・・私の「柵」はそういう意味ではありません。字は同じですが、四国の巡礼の方々が寺々を廻られるとき、首に下げる、寺々へ納める廻札、あの意味なのです。...
 一柵ずつ、一生の間、生涯の道標をひとツずつ、そこへ置いていく。作品に念願をかけておいていく。柵を打っていく、そういうことで「柵」というのを使っているのです。」と語っている。
「柵」品は、棟方志功の人生そのものなのだと語っている。
 実際の旅も行い、奥の細道を含め海道シリーズを残している。


棟方は思想・文学に心を動かされると、その感動を作品に表現した。文学者との関わりは切っても切れない太い線で結ばれている。
谷崎潤一郎、吉井勇、岡本かの子、草野心平...。


第四部 文人画家の多彩な芸業
棟方は、板画を中心としたが、幅の広い創作活動を行った。人から愛された棟方は、他の芸術家との交流から、陶芸、小説・雑誌の挿絵、油彩画、書など多彩な作品を残している



第一部 祈り
 





「二菩薩釈迦十大弟子(にぼさつしゃかじゅうだいでし)」
昭和14(1939)年/昭和23(1948)年一部改刻/昭和42(1967)年摺
紙本・木版墨摺 屏風六曲一双 棟方板画美術館蔵


棟方が世界に認められた作品である。
釈迦十大弟子を左右の菩薩が挟んでいる。
力強い弟子と優しい菩薩、屹立した佛の道と柔らかい寛恕のバランスが、目に快く力強く映る。


 
「柳緑花紅頌(りゅうりょくかこうしょう)」より「侘助の柵(11月)」
昭和30(1955)年/昭和33(1958)年摺
紙本・木版墨摺 屏風六曲一隻 棟方板画美術館蔵


彫りと浮かしの画面構成が気持ちが良い。
単色だが画面からは、原色の花や鳥や音楽まで聞こえてきそうだ。


 
「華厳譜(けごんふ)」より「風神の柵」
昭和11(1936)年/昭和13(1938)年摺
棟方板画美術館蔵


風が画面を吹き抜けている。



その他、「大和し美し」「華厳譜」「善知鳥板画巻」など民芸運動と関わりのある作品が展示されている



第二部 津軽


 
「飛神(とびがみ)の柵(御志羅(おしら)の柵)」
昭和43(1968)年
紙本・木版墨摺彩色 棟方板画美術館蔵


棟方が晩年までアトリエで愛蔵した「飛神(とびがみ)の柵(御志羅(おしら)の柵)」は、色彩と音楽、躍動し跳ね回るねぶたを思い起こさせる。


棟方の作品は、構図的には、左右上下のバランスが安定感を感じさせる。


 


第三部 旅と文学



「鍵板画柵(かぎはんがさく)」より「大鏡(おおめがね)の柵」
昭和31(1956)年
紙本・木版墨摺 屏風二曲一隻 棟方板画美術館蔵


谷崎潤一郎の鍵の挿絵。
鍵ほど小説世界と挿絵が融合一体しているものはないだろう。



 
「流離抄」より「獅子窟の柵」
昭和28(1953)年
紙本・木版墨摺彩色 屏風二曲一双 棟方板画美術館蔵


流離頌は、棟方志功が吉井勇から頼まれて歌31首を板画にした作品。
「酒にがく 女みにくし このごろは 心しきりに 獅子窟にゆく 」。


保田與重郎が、こんなことを書き残しているそうだ。
「昭和二十七、八年、谷崎潤一郎氏が棟方さんに彫ってくれとたのんでいたころである。
吉井勇氏から自分の歌を彫って欲しいとたのまれた。
吉井氏の意向を彼に伝えたところ、彼は、吉井さんと谷崎さんはどちらが年齢が上だろうか?と聞いた。
私は「多分、吉井さんが上かな」といった。
年が上なら敬意をはらって、それでは吉井さんの歌を彫らねばならんと、
棟方さんは考えてくれたようで、「流離抄」などの歌が板に彫られた。
これが昭和二十八年の「流離頌」である。
谷崎氏と吉井氏は、実際はどちらが年長者だったか、いまだに私は知らぬ。」


谷崎と吉井から同時に愛されるとは、棟方も幸せな男である。



 
「谷崎歌々板画柵(たにざきうたうたはんがさく)」より「吾妹(わぎも)の柵」
昭和31(1956)年
紙本・木版墨摺彩色 屏風二曲一双 棟方板画美術館蔵
「茅淳の海の鯛を思はず伊豆の海にとれたる鰹めしませ吾妹」


画面左端の吾妹が見返り美人のように振り返り蛍を見る構図の
「すゞみにと川邊にいづる吾妹子に蛍も添うてわたる石橋」
の柵も良かった。


 



 
「東海道棟方板画(とうかいどうむなかたはんが)」より「由比 海工事(ゆい うみこうじ)の柵」
昭和38(1963)年
紙本・木版墨摺彩色 棟方板画美術館蔵


 


第四部 文人画家の多彩な芸業


 
「不来方板画柵(こずかたはんがさく) 詩:宮沢賢治」より「雨ニモマケズの柵」
昭和27(1952)年
紙本・木版墨摺 2柵 棟方板画美術館蔵


宮沢賢治の雨ニモマケズの板画。
棟方という人間を考えながら雨ニモマケズを読むと、一層詩の深さが伝わってくるような気がする。


「ソシテ忘レズ」という詩句を棟方は彫るのを忘れてしまったと板極道に書いている。


 
「小説『行人』挿絵 小説:夏目漱石」
昭和47(1972)年 倭絵(紙本・彩色)
全16図のうち5図を展示 棟方板画美術館蔵


漱石晩年の作にも菩薩様をイメージしたのだろうか?


 
「青苔日厚(せいたいにっこう)」
昭和34(1959)年
紙本墨書 棟方板画美術館蔵


棟方の書は、能筆ではないが面白さにあふれて、存在感と迫力に満ちている。
 絵も板画も人間もそれは一貫している。


 
胡須母寿花頌 
昭和49年倭絵(絹本・彩色)棟方板画美術館蔵


この柵品は、夫人であるチヤへの愛と感謝が込められているという。
 棟方の婦人像は、写真ではなく浮世絵でもない。豊満な姿は肉感的でもあるが菩薩様のようでもある。
 人間であると同時に仏様でもある不思議な婦人のイメージだ。


【感想】
(1)この展覧会の棟方志功柵品の質と量は圧倒的だ。見逃すことはできない充実ぶりだ。
 全長26メートルに及ぶ「大世界の柵」は、見逃すと見ることが難しい柵品だ。
(2)棟方志功は柵品も面白いが、人物も面白い。人物と柵品が切り離せなくなるほど一体である。
 片目の視力を失った志功は、なお一層見える片目を板に擦りつけるようにして彫刻刀を振るう。それは人によっては悲壮そのものだが志功はそうではない。
 心に浮かぶことを念仏のように口ずさみながら刀を動かしていく。
 仕事をすることは辛いことではない。志功にとって楽しいことなのだ。百姓・漁師が仕事をする時に歌う民謡は働くことと切り離すことはできない。志功が刀を振るう時、音楽が自然に口から出る。
 青森県の民謡の「弥三郎節(やさぶろうぶし)」だ。
嫁いびりの悲しい歌だが、志功は悲しくは歌っていない。柵品を創りだす喜びの歌を歌っている。時には第九も口ずさんだそうだ。


<弥三郎節の歌詞>
一つアエー
木造新田(きづくりしんでん)の下相野(しもあいの)
村の端ずれコの弥三郎エー
ヤリャ弥三郎エー


二つアエー
二人と三人と 人頼にで
大開の万九郎から嫁貰らた
ヤリャ弥三郎エー


三つアエー
三物揃えて 貰らた嫁
貰ってみだとどこア 気に合わね
ヤリャ弥三郎エー


四つアエー
千草朝草 欠かさねど
遅ぐもどれば いびられる
ヤリャ弥三郎エー


五つアエー
いびられはじかれ にらめられ
日に三度の 口つもる
ヤリャ弥三郎エー


六つアエー
無理な親衆に 使われて
十の指コから 血コ流す
ヤリャ弥三郎エー


七つアエー
なんぼ嫁でも つくしても
頭さ油コも つけさせね
ヤリャ弥三郎エー


八つアエー
弥三郎家コさばり 日コァ照らね
藻川林コさも 日コァ照らね
ヤリャ弥三郎エ~


九つアエ~
ここの親達ァ 皆鬼だ~
ここさ来る嫁ァ 皆馬鹿だ~
ヤリャ弥三郎エ~


十つとアエ~
隣り知らずの ぼた餅コ~
嫁さ食へねで 皆かくす~
これも~弥三郎エ~!


Youtubeに解説付きの動画がある。聞きたい人はどうぞ。
「清野・弥三郎節」
http://www.youtube.com/watch?v=Qhevd4RLni0&NR=1


棟方の仕事を描いた動画もある。
「棟方志功の世界(昭和45年放送)」
http://www.youtube.com/watch?v=f2OuWgXDCRg


棟方志功は幸せな人だ。
生きることと仕事が1枚の版画のようになっている。
「新潟信濃川分水の柵」には、次のような文字が刻まれていた。
「人類の為 國乃為メ 万象ニ 天意を覚ル者ハ幸ナリ」


関屋分水を苦労して完成させた先人を讃えた文句だが、そのまま棟方志功にも当てはまる言葉た。



(3)今回多くの作品を見て感じたことは、大作より中作位が棟方の世界がよく現れている。
 26mの大作は迫力を感じるが、棟方らしさは少ないように思った。
 特に、吉井勇、谷崎、宮澤賢治、草野心平、岡本かの子の詩歌を彫った作品は、歌の世界と棟方の板画が一体となったわかり易さがある。
(4)この展覧会は疲れた。じっくり見ていて出た時4時間が経過していた。途中疲れたのでソファで30分休んでいたが、じっくり1枚1枚見ていると相当な時間がかかることは間違いない。
 疲れるが、お薦めの展覧会である。


【データ】
、「棟方志功 祈りと旅」展
会期: 2011年7月9日(土)―9月4日(日)
会場: 愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
開館時間: 10:00-18:00 金曜日は20:00まで
      (入館は閉館の30分前まで)
休館日: 毎週月曜日
    (ただし7月18日[月・祝]は開館)7月19日[火]
観覧料: 一般 当日1000円(前売・団体800円)
高校・大学生: 当日700円(前売・団体500円)
(愛知県美術館サイトに割引券がある。
http://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/index.html

【主催】 愛知県美術館、朝日新聞社、メ~テレ
【後援】 愛知県、岐阜県、三重県、名古屋市各教育委員会
【協力】 (財)棟方板画館、(株)安川電機


棟方志功について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F



 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2010/12/23 NHKドギュメンタリー中島潔「風の画家 いのちを描く」

2010-12-23 23:47:34 | (10)美術・写真・工芸他

NHKが風の画家中島潔を再び取りあげた。
前回は、5月にクローズアップ現代で中島潔の清水寺の襖絵にある彼の生きてきた過去と襖絵、特に鰯の絵である大漁との関係を取り上げた。
これについては、以下の記事に書いたが、いつも知的で冷静な国谷キャスターの涙が感動的だった。


2010/05/31 クローズアップ現代「風の画家・中島潔 "いのち"を描く」
http://blog.goo.ne.jp/nabanatei/e/3f12ca352fce7f605c8cea87eec2cc5b


今日は、ヒューマンドギュメンタリーと言う番組である。
前半戦は、清水寺の襖絵と中島潔の生きてきた時間との関係を取り上げ、画家と絵を掘り下げている。この部分は、クローズアップ現代と重なる。


5年の歳月を掛けて完成した襖絵は46枚で構成される大作である。
 前回は、その中で「大漁」に焦点を当て、中島潔と若くして亡くなってしまった母との心の繋がりを描いたため、他の襖絵は画面に多くは登場しなかった。


今回は、全てではないが、大漁以外の襖絵も紹介された。
これは、良かった。
特別展示は8月にも行われたようだが、次回は何時展示されるのだろうか。


 


 



 


 
向かって泳いでくるいわしの大群を見つめる少女は、鰯の一匹一匹の命を見つめている。
 先頭の鰯の眼には月の光が宿り、天に向かって泳いでいく。


クローズアップ現代と同じように、若くして亡くなった母への満たされぬ愛と妻の死からわずか2ヵ月後に再婚した父への憤り。
 故郷を捨て家を飛び出し、温泉堀の仕事をしながら絵の勉強を独学した中島にとって故郷は悲しみと怒りの場所だった。


中島は本の挿絵等を描いたが、画壇から認められることはなかった。若い時代は個展を開くことができないほど絵の世界でも無視され続けた。



これらの原体験が中島の絵に常に色濃く滲んでいる。



風に吹かれている儚げな少女は中島の投影。


 
常に側にいる子犬の「うめ吉」は中島の母親ウメ子の分身。


 
画面に漂う郷愁は、悲しみと怒りの場である故郷への満たされぬ感情。



番組の後半は、クローズアップ現代の後を取り上げている。
5年に及ぶ襖絵に精力を使い果たした中島は完成間際体調の不調を感じていた。


人間ドッグを受診した中島は肺に影があることを告げられ、精密検査を受ける。
 結果は肺がんだった。


鰯や動物に仮託して生命を描いてきた中島は、がんの宣告を受け自分の命を見つめることになった。


右の肺1/3を切除する大手術をうける際、胸の切開により右手にしびれの後遺症が残る可能性があることを医師から告げられる。
 右手は画家の生命である。
中島は、カメラにつぶやく、生きているうちには色々なことがある。


麻酔から覚め、呼びかけられた中島は、右手が動く動いていると酸素マスクを着けたまま話す。




 
手術が無事終わり、転移が無かった中島は病室の窓から空を眺める。
 あの夏の雲のように力強いものを描かなければいけないと考える。


1ヶ月後まだ手術の痛みの残る右腕で、雲の絵を描きはじめる。
完成した絵が下の「空」である。

 
少女が見つめる夕焼け空と雲。
朝には夜が来る。夕焼けには明日が来るという。


峠に立つ少女の構図は、生きることの困難さも描いている。
中島は言う。
峠は登っているときは、空まで続いているように見える。だが、登りつめると、其処は空ではなく、下りの道が始まり、次の峠に続いていく。
 峠も生きることと同じように厳しいもの。



生前母に報いることができなかった中島は「大漁」を母に捧げて思いを遂げ、再婚した父親を許すことができずこだわり続けた自分の愚かしさに気づいた中島は生きることはどうしようもないものだと語る。


嘗て悲しみと怒りの場所でしか無かった故郷・佐賀に帰り、母の墓参と手術のために延期になっていた母校の小学校を訪れる。



 
子供たちに、中島は大切なことを2つだけ話しますと言う。
・優しいこと
・人の気持が解ること
この二つが出来れば、生きて行くことに負けることはない。


 
家を飛び出し、故郷を捨てたとき、中島はこの海岸から、母へ書いた手紙を投げた。


その海岸にたって、故郷の海と空を見上げる。
故郷の海は全部空と一緒になるといい、スケッチブックにデッサンを始める。


次のモチーフは、故郷の海と空。
中島は、襖絵の峠から次の峠にまなざしを向け始めた。
そこには、一体となった海と空が大きく広がっている。



 


中島の語る峠の話を聞いていて、長谷川きよしの「古坂(いにしえざか)」を思い出した。
目に浮かぶイメージは絵も歌も同じだ。



『古(いにしえ)坂
   作詞 寺井玲子
   作曲 長谷川きよし


古坂を荷車ひいて
男が一人 登って行くよ
もう少しで 坂を登りつめて
向うへ 下りて行く
もう 見えなくなった
荷車のあとを 風だけ吹いて
追いかけて行く


あの峠の向うは
瀬戸の蒼い海か 讃岐の山か
いつも見てる あの女の子は
向うへ行きたいのだろう
古坂は 風だけ吹いて
地蔵も寒いと 泣いているだろう


あなたは 向うへ下りて行く
わたしは こちらを下りて行く
古坂を下りて行く


外食餅売りが長い売り声を
休めて 汗をふき
海を見てみようと 腰をおろした
樹陰の小さな岩場
スニーカーの女の子
六百年の樹陰だ


粋に別れた あいつと別れた
もう馴れっこの わたしが
粋に別れた


笑って別れた 娘と別れた
野良仕事に行く父親が
笑って別れた


仕方がないと 小町と別れた
粋な旅役者が 仕方がないと
別れていった


だまって別れた 姉さんと別れた
解散した子分どもが
だまって別れた


泣き泣き別れた お父と別れた
身売りの娘が
泣き泣き別れた


秋風の吹きはじめた
古坂を みんなそれぞれ
別れていった


からすが一羽 枝にいた
すずめも 二、三羽 枝にいた
古坂の古松に
ひからびた蛙も枝にいた


古坂なんて どこにもない峠
そのくせ みんなが知ってる峠
だってね みんなそれぞれ
あなたの中の
古坂を 越えて行くのさ』



古坂は、Youtubeでは登録が無く聞けないが、以下で一部だけ視聴できる。


http://www.7netshopping.jp/cd/detail/-/accd/1300353847



 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2010/05/31 クローズアップ現代「風の画家・中島潔 “いのち”を描く」

2010-05-31 23:58:10 | (10)美術・写真・工芸他

現代の世界・社会を鋭く追う「クローズアップ現代」だが、今日はすこし違っていた。
癒しの番組だった。
 芸術・宗教・こころ・人間・いのち・生の営み・輪廻...生命が生きることを取り上げていた。


最も印象的なシーンは、知的で美しく、いつも常に冷静な国谷キャスターの目から流れた一筋の涙だった。


『クローズアップ現代「風の画家・中島潔 "いのち"を描く」
放送日 :2010年 5月 31日(月)
番組HP: http://www.nhk.or.jp/gendai/


郷愁あふれる童画で知られる"風の画家"中島潔さん。5年をかけた46枚のふすま絵が先月清水寺で公開された。独学で学んだ画家としては極めて異例の挑戦。その世界に迫る
出演:
日本画家…中島潔,  【キャスター】国谷裕子』(NHK)



『風の画家・中島潔 "いのち"を描く
(NO.2897)内容紹介


 


  


日本画壇で異彩を放つ"風の画家"中島潔(67)。NHKみんなのうたなどで親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、源氏物語や詩人・金子みすゞの世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。その中島が、「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。京都・清水寺の成就院で4月末、公開された。日本画の伝統とは無縁の画家が、1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。中島は、ここで、終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、過去何度も描いてきた金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年をかけてひたすら描き続けたイワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。』(NHK)



中島潔は知らない画家だった。
故郷や子どもを描いてきた画家で、画面には風がながれているので「風の画家」と呼ばれているそうだ。


日本画の正統からは外れている画家だ。
芸大卒業海外留学の道を歩んではいない。
画壇からは離れている。
 劇団で言えば、梨園ではなく地方廻りの大衆演劇だ。


5年前清水寺に今迄の自分の画業を集大成したものを書かせて欲しいと志願し、46枚の襖絵を完成し、清水寺成就院に奉納した。



NHKは襖絵が完成する前から、熱海にある中島潔のアトリエにカメラを入れ、製作現場を撮り続けてきた。
 完成してから、国谷キャスターがアトリエを訪問し、中島にインタビューを行う。


国谷キャスターは質問する。
"中島さんにとって、このアトリエはどんなところですか"
中島は、答える。
"自分の画きたいものを此処で画かなければ後で後悔する
五年間自分の集大成を画いてきた場所、全てを描ききった。
今ではもう入りたくない場所である"


完成した46枚の襖絵は清水寺・成就院に奉納され、4月24日~5月9日まで一般公開が行われた。


46枚の襖絵は、中島潔の画業の集大成である。
見物した男性が息が出来ないと言った襖絵がある。
 今迄の中島の絵とは違った力が描かれており、見る人を圧倒する。
 鰯と子どもをモチーフにした「大漁」である。
若くして幼子を残して自ら命を絶った金子みすずの詩「大漁」を読んで、心を衝かれて描いた絵である。



大漁


 朝焼け小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮(いわし)の
 大漁だ。


 浜は祭りの
 ようだけど
 海のなかでは
 何万の
 鰮のとむらい
 するだろう


中島は、金子の大漁を読んで、ものの見方を教えられた、変わったと言う。


大漁を喜ぶ人間と海の中での鰯の悲しみ。
鰯の弱い命を奪わねばならない人間の業。


中島は、これまで3つの「大漁」を画いてきた。


 
第1作。
大漁の浜辺で、少女は海を見ている。
その中で何万匹もの鰯の弔いが行われている。


 
第2作。
第1作と同じだが、大漁を祝う漁師の家族と鰯が画かれている。


 




鰯の大群が描かれている。
少女は、鰯が流れ去る方向を見つめている。


この第3作は海外では高い評価を受けた。
だが中島は、描ききれなかったと思っていた。
「あまりにも思い入れが強すぎて、鰯を悲しみの中だけに置いてしまった」と言う。


46枚の襖絵を締めくくるのが今回の「大漁」である。


18才で母親を亡くして、2ヶ月で再婚した父親に反発して家を飛び出した、
 母の死をきっかけにして、父親への反発。憎しみが原動力となり絵を描かせた。
 生活をするために絵を描いて生きてきた。


中島は述懐する。
"父親が死んでも自分は動揺しないと思っていた。しかし、実際は違いました。かなり動揺しました。
人間ていうのは結局どうしょうもないこともある。
それでも生きていかなきゃならない
自分は父親が死なないとその事が解らなかった
愚かさというですかね。


第3作は鰯を悲しみだけの中に置いてしまった。命の儚さだけを描くのではなく、今回は命の力強さ・凄まじさ・その輝きを描きたい。"


 
第4作は、襖8枚の大作である。
右から左に、右上から下に、下から左上に鰯の大群が動いている。



少女が鰯が流れてくる方に顔を向けている。
少女の目は鰯の大群、一匹一匹を見つめている。



 描かれている鰯の目は写真で見る鰯の目ではない。
大群の鰯の目は白く、不気味ですらある。


TVの画面は、インタビューから「大漁」作成の最後の場面に戻る。
 左上の最後の一匹の眼を描く。
この鰯は群れの先頭の鰯だ。


中島は語る。
"なるべくきつい顔じゃなくて
すこし優しい顔にした
穏和な顔つきに。"


国谷が中島に聞く
"あの少女は中島さんご自身の姿ですか?"


中島は答える
"そうですね。
(間をおいて)
その鰯を受け止めている表情は私ですね
やっと強く成れたかなと言う思いがしましたかね


前回までは金子みすずの大漁だったが、今回の絵は自分の大漁が画けたかなと思っている
命の輝きを画けた
生まれて死ぬ命だが、死んだから無くなるものではない
命は消えても残り繋がっていく"


国谷が聞く。
"先頭の鰯は穏和な顔つきにした。と話されましたね"


中島が答える。
"この鰯はすべての鰯の気持ちを受け止めて天に向かう。
自分の思いのすべてをあの眼の中に納めた。"


国谷が聞く。
"あの鰯はお母さんではないですか。"
中島がボソボソと答える。
"母親の下に行ってくれればいいですね
(間をおいて)
一番後悔することはお礼を言えなかったことです、母親に対して"


 


中島が語る母への思いを聞いている国谷キャスターの目が突然潤み、涙が一筋頬を伝わって流れた。
このシーンが一番感動的なシーンかも知れない。
この涙が、今日の番組の価値を決めている。


中島が言う。
 
"この場所(清水寺・成就院)は仏様の場所なんですよね
だから届くかなと思って"


大群を率いて、天に向かう先頭の鰯が番組の最後に写される。
 
鰯の目には月の光が映る。




【データ】


<中島潔>
・プロフィール:
1943 満州に生まれる。1歳で両親の故郷、佐賀へ戻る
1961 高校卒業後上京し、働きながら独学で絵の勉強をする
1964 広告会社に就職し、アートディレクターとして数々の賞を受賞
1971 渡欧し、美術学校へ通う
1976 広告会社を退職し、フリーのイラストレーターとなる
1982 NHKみんなのうた等のイメージ画を手がけ、一躍注目を浴びる。初個展開催
1987 ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞
1990 北京で初の海外展を開催
1998 画業30年を記念して、7年の歳月をかけて完成させた「源氏物語五十四帖」を発表
現在 パリに長期滞在しての制作、京都・清水寺襖絵の制作など精力的に活動している 」(SPYSEE より転載)


・「風の画家」に付いては以下を参照。
http://www.ueno-mori.org/special/nakajimakiyoshi/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nobuyoshi65/e/ea8356475644fa08796d556514aba249


・襖絵奉納の記事
『中島潔さん 京都・清水寺にふすま絵奉納


  唐津市厳木町出身で、叙情的な画風が人気の日本画家、中島潔さん(66)が清水寺塔頭(たっちゅう)成就院(京都市東山区)に4部屋46面のふすま絵を奉納し、報道陣に23日公開された。
 
 ふすま絵は「かぐや姫」「風の故郷ふるさと」、詩人金子みすゞをモデルにした「大漁」で構成する。中島さんは2005年春に同寺を訪問し、その際、観音の慈悲の心を絵にして奉納したいと希望。制作が許され、先月下旬に完成させた。
 
 「大漁」にはイワシの大群が描かれ、中島さんは「弱い命ほど一番輝く。それを表現した」と説明。「(ふすま絵には)生きる姿を描いており、悲しいこと苦しいことがあっても、絵を見て一瞬それを忘れてもらえれば」と話した。
 
 成就院は24日~5月9日にふすま絵を公開する。大人千円。 
』(佐賀新聞)


・清水寺・成就院 中島潔氏襖絵展の様子
「京の四季 名勝散策 写真集」
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/9046ca643a559f0a885f81cd9ac05161


中島潔の「成就院ふすま絵」が再展示されるそうである。
ところ:清水寺・成就院
とき:2010年8月6日(金)~8月16日(月)



<金子みすず>
「大漁」他珠玉の詩を残して命を絶った金子みすずは長く埋れていたが、近年再発見された。


Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E3%81%BF%E3%81%99%E3%82%9E


「金子みすヾWorld」
http://www.owari.ne.jp/~fukuzawa/misuzu0,.htm



 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

2010/01/24 NHK日曜美術館 夢の若冲!傑作10選

2010-01-24 23:10:08 | (10)美術・写真・工芸他


先日高島屋の展覧会で見ることが出来なかった若冲の鶏の絵を「夢の若冲!傑作10選」で見ることが出来た。


改めて若冲の眼のすごさを感じる。
孤高の画家・高島野十郎の記事でも書いたが,凝視する眼は風景を写す写真ではない。凝視する中で、対象の本質を映し出しイメージ化する。
 凝視する眼は、対象の本質を描き出す。写実は目に見えないものまで目の前に描き出す。


野十郎と同じように若冲の眼も対象の真実の姿を描き出して、我々の目の前に見せてくれる。



『2010年1月17日放送


夢の若冲・傑作10選


辻惟雄さん(東京大学名誉教授・美術評論家)


鶏や昆虫、花や魚・貝など日常にあふれる何の変哲もない身の回りの生き物たちが、この絵師が描くと生々しく奇妙で、空前絶後の作品へと変化する。江戸時代中期に活躍した絵師、伊藤若冲(1716-1800)。人間や風景には目もくれず、ひたすら生き物を描き続けた若冲は、京都は錦小路の青物問屋の長男として生まれた。商才もなければ嫁を迎えるでもなくぱっとしない旦那だった若冲。しかし、40歳で隠居したのち、いったん好きな絵を描き始めると、瞬く間に誰にもまねのできない天才性を発揮。子犬や虎の毛一本一本が執ように描きこまれ、方眼紙のような升目に描かれた点描的な作品は、「デジタル時代を先取りしたアート」と近年話題となった。


明治以降美術史の上でも忘れられていた若冲は、70年代に再評価され、90年代以降に超絶技巧や奇抜な構成が話題となり飛躍的に知名度が上がった「新しいアーティスト」。「若冲ブーム」とまで呼ばれ、近年の日本美術界の大きな事件として受け止められるまでになった。今年、若冲畢生の「動植綵絵」30幅が戦後初めて東京で一堂に会し、滋賀県のMIHOミュージアムでは新しく発見された「象と鯨図屏風」が評判を呼ぶなど若冲への関心がさらに高まりつつある。


今回の日曜美術館では、その伊藤若冲の名作を一挙公開。名作たるゆえんである「徹底した細密描写」や「徹底したデフォルメ」を描かれた生き物たちを分類し、その魅力の秘密を存分に楽しむ。80で世を去るまでの40年間の「若冲の傑作10選」を紹介。また、各界著名人にインタビュー、若冲の魅力を楽しく鑑賞する。



斉藤環さん(精神科医)
池上高志さん(東京大学教授・複雑系科学)
奥谷喬司さん(東京海洋大学名誉教授・日本貝類学会会長)
伊藤信博さん(名古屋大学 江戸文化研究)
布施英利さん(東京芸術大学准教授・解剖学) 』(NHK 日曜美術館より転載)



 



 


 


真紅の鶏冠、精細な姿。
写真で写したものは風景であって、若冲の眼は鶏の真実を描き出している。




貝の博物誌のような絵である。
精密に描かれた貝は一点一点が貝の図録のようである。
中には深海にしかいないものが含まれており若冲がどうしてその貝を見たのか不思議であるが、江戸の博物学者木村蒹葭堂の貝のコレクションと一致するそうである。



 



 



この屏風は、86000個の桝目で構成されているそうである。
桝目を一つ一つ埋めながら描いていく手法は、CGにも通じるところがある。



 
左の鯨は、鯨は一部を描くことにより巨大な全体を描いている。



 


 


 


 
60種類以上の昆虫・小動物が生き生きと描きこまれている。
若冲の眼はすべての生き物に平等に注がれている。



 


 


 


金比羅様の書院に収められている花丸図は201種類の花が描かれている。
 小さな花まで手を抜かず精密な細心な筆で描いている。


 
傑作選7 果蔬(かそ)涅槃図。
涅槃図の中心は釈迦だが、個の絵は中央に二股大根が描かれ、88種類の果物・野菜が周囲を取り囲んでいる。


描かれた果物・野菜は共通するものが有り、乾燥食品になるものだそうだ。


当時飢饉で食料に困らないように、涅槃図にまとめたと想像されている。


 



 



 軸を下から上に見て行くと、下は川辺を上から見ている。
その上に上がっていくと鮎が泳いでいる。これは横からみている。
視線が上にいくと、最上部の蓮の花は上から見た視角で書かれている。


若冲はピカソに先んじて、平面に複数の視角の絵を描いている。


 



 
どこから見ているのか判らない絵。


 


 



天明の大火で全財産を焼失した若冲は、京都石峰寺の前に住んだそうである。
 石峰寺の域内には五百羅漢の石像が配置されている。
これは、若冲が石工と共に彫り安置したものだそうだ。



 


 


若冲が死の直前に描いた百犬図。
若冲の眼は生きとし生けるすべての生命に対して惜しみなく注がれている。


安産の象徴である子犬に注がれる若冲の視線には生命に対する優しい愛情に溢れている。



【データ】
伊藤若冲の生涯に付いては、Wikipediaを参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E8%8B%A5%E5%86%B2



 


 


 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2009/12/30 日本の美と出会う-琳派・若冲・数寄の心-

2009-12-30 23:40:17 | (10)美術・写真・工芸他


名古屋 JR高島屋で開催中の「日本の美と出会う-琳派・若冲・数寄の心-」を見に行く。


2009年12月28日(月)~2010年1月11日(月)
ジェイアール名古屋タカシマヤ10階特設会場
ジェイアール名古屋タカシマヤ 052-566-1101(代)


細見美術館開館10周年記念展で毎日放送が主催している。
日本美術を幅広く収集している京都・細見美術館の収蔵品から琳派と若冲・北斎らの絵画および茶の湯道具が展示される。


展覧会は3部構成に成っている。
第1部「琳派の花づくし」
第2部「若冲・北斎と江戸絵画の世界」
第3部「数寄の美とかざり」


 



(伊藤若冲 糸瓜群虫図)


目的は、若冲の絵だったが数が少なかった。
鶏の絵は有ったが墨絵で極彩色のものではなかった。
流石に目は爛々と光る鶏たちだったが、赤の踊っている色絵の中の激しい鶏たちはいなかった。


系統的に琳派を理解するには良いが、若冲目的には期待が外れた。


茶の湯道具では,金属製の壺より漆器が印象的だった
室町時代に作られた根来と呼ばれる漆器の厚み・大きさ・おおらかさは印象が深かった。
 現代に作られている薄く小さい上品な漆器とは違って厚さ・大きさ・豊かさの持つ存在感は圧倒的た。
 昔の職人は1000年持たせる実容器を作るつもりだったのだろう。



 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2008/09/04 「古代エジプトの美展」と「細川護煕 美の世界展」

2008-09-04 22:36:54 | (10)美術・写真・工芸他


「古代エジプトの美展」 -松坂屋美術館-
 

『このたび、「イートン・カレッジ/ダーラム大学所蔵 古代エジプトの美展」を開催いたします。本展覧会は、古代エジプト研究に多大な功績を残したイギリスのイートン・カレッジとダーラム大学の所蔵する膨大なコレクションの中から、選りすぐりの品々を皆様にごらんいただき、エジプトの「美」の様式とその創造の根源を堪能していただく企画展です。 紀元前3000年頃に出現するエジプト文明は、ローマ帝国の属領となる紀元前30年までの約3000年間にわたり、ナイルの大国エジプトとして独自の世界を築き上げました。現在目にすることのできるクフ王のピラミッドが紀元前2500年頃にすでに建設されていたことを思えば、その文明の高度な発達ぶりが理解できます。さらに、古代エジプト文明においては、悠久の3000年間をとおして「美」の表現がほとんど変わることなく、ある一定の規範のもとに表現されたということもまた特筆されるべきものです。 本展では、「エジプト文明の芽生え」、「神々の世界」、「偉大なるファラオ」、「ナイルの暮らし」、「来世への願い」、「エジプト美術の遺産」の6部構成とし、エジプトの神話を創り出した世界観やそのもとに繰り広げられる人々の生活、そして死後の世界を信じる彼らの死生観、それらの表現としてのエジプト人の「美」の規範とその創造性について展覧いたします。』(松坂屋HPより転載)


展示品は比較的小さなものが多かったので、スケールの大きさは感じ無かったが、ピラミッドにしても大きなもの。
古くは紀元前4800年まで遡ると言うから、悠久な文明である。現在は紀元まだ2008年である。その2倍以上の時の流れが紀元前のエジプト文明にある。
 ゆっくりとした変化の時代だったのだろう。


人体の像は青もしくは褐色で、一部が動物であったりして、少し違和感のあるものが多いが、1点だけ「シリア人の若者(?)」という白い顔の写実的な像があった。目が生き生きとしていた。

 
 

「細川護煕 美の世界展」
と き 9月3日(水)~9月9日(火)最終日は17時閉場
ところ 南館8階マツザカヤホール


『細川元首相が茶陶個展 名古屋・松坂屋本店
2008年9月4日


細川護煕元首相(右)による陶芸作品などが並ぶ会場=名古屋市中区の松坂屋本店で
 
 

 陶芸家としても知られる細川護熙元首相の作品を集めた展示会「細川護熙 美の世界展」が3日、名古屋市中区栄の松坂屋本店で始まった。9日まで。


 細川さんは1998(平成10)年に政界引退後、神奈川県湯河原町の工房で陶芸活動を開始。茶陶を中心に数々の作品を発表してきた。今回は茶わんや花入れ、ぐいのみなどのほか、掛け軸や額装など200点以上を展示。作品集「晴耕雨読」に掲載した約30点も展示してある。どれも本人が感性の赴くままに表現したといい、玄人をうならせる味わい深いものや、形にとらわれないモダンな作品も。


 この日は細川さん自らが会場を訪れ、陶芸ファンと談笑する場面も。「名古屋は焼き物の歴史があり、多くの方に関心を持ってもらえると思う」と話した。 


◆細川さん、福田首相に同情
 「当事者にしか分からないことがある」-。細川護熙元首相は3日、名古屋市内の百貨店で開かれた個展会場で、記者団から福田康夫首相の辞任表明について聞かれ、こう感想を漏らした。細川元首相は1993年8月、非自民連立政権の首相に就任。ところが、翌年4月、在任1年もたたないうちに退陣し、今回の福田氏の突然の辞任劇と重なる部分が少なくない。


 細川さんは「相当な苦労があったと思う。表に出てこない話もあったでしょう」などと、福田氏の胸中をおもんぱかった上で「総理のポストはそれだけ重い」と自らの経験を踏まえながら同情した。


 現在の政局について、与野党逆転で誕生した細川政権発足前と「部分的に似たところがあるかもしれない」との見方を披露。ただ、「政治について無関心というわけにはいかないが、自分が動こうと思っているわけではない」と話し、次期総選挙や政界再編などに関与する考えがないことを示した。(寺本政司)』(中日新聞)


細川元首相は器用な人である。
陶芸から書までなんでも一通りやって見せてしまう。
焼き物にしても全国各地の焼き物を焼いている。
勿論美濃の志野もあり、信楽あり、黒樂もある。


会場の左半分が展示即売場になっている。
抹茶茶碗が50万円は、高いような気もするがそうでないような気もする。この手のものは思い入れ次第だ。


 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2008/08/31 孤高の画家・高島野十郎

2008-08-31 22:37:16 | (10)美術・写真・工芸他



NHK 教育で新日曜美術館「写実の果て 孤高の画家・高島野十郎」を見た。
 高島の絵は個々には見たことがあるが、評伝的に作品を見たことはなかったので面白く見た。


画家の作品は、作品そのものが持つ力が無ければ作品とは言えないが、作品の背景にある画家の人物・その一生が作品の理解に欠かせないものがある。
 熊谷守一もそうだが高島野十郎はそれ以上かも知れない。


画家だから当たり前だが、当たり前を通り越して、高島は凝視する画家である。

 


   自画像


 写真の高島野十郎は白髪の農夫またはおっとりとした紳士だが、野十郎の凝視する自分は、これである。
写真は写実ではない。写真は目に見えるものを写し取ることであるが、写実は目に見えないものを書くことである。

 


   傷ついた自画像


 24歳の自画像だそうである。絵の目が見ているものは、自我である。


 


  からすうり

 


   流れ


秩父の峡谷を何日も見続けた果てに、ある瞬間流れが止まった。その時、岩は動き始めたと語ったそうである。
野十郎は描いた絵を手元に置き、20年間手を入れ続けたそうである。


 


  雨の法隆寺塔


 この画面では見えないが、絵には上から下へ降る雨が白く糸を引いている。
 この絵も17年間手を入れ続け、漸く銘を入れたそうである。


 


 菜の花


 野十郎75歳の作品。
この絵の菜の花は、すべてこちらを向いて咲いているそうである。
写真ではない写実である。


 菜の花や月は東に日は西に 蕪村


 


 


 蝋燭


 野十郎は沢山の蝋燭の火を書いたがどれ一つ同じものはないそうである。



残されたノートには、「写実というのは、全てを洗い流して、生まれる前の自分になること」書かれているそうである。


ノート末尾の辞世とも見える歌。
「花も散り世はこともなくひたすらに
  ただあかあかと陽は照りてあり」


仏教・禅の境地に通ずるものがある画家である。
その絵を理解するには、画壇にも属さず、妻帯もせず、ひたすら凝視し、描き続けた高島野十郎は、通念の世俗的な現実を越えている事を知る必要がありそうだ。



【データ】
①評伝
『高島野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年 - 1975年9月17日)は、明治後期~昭和の洋画家。流行に迎合せずひたすら写実に徹した画風で、睡蓮や月、蝋燭の連作など、風景画や静物画を主に製作した。蝋燭の絵は久世光彦著の『怖い絵』で、「唸っている」と評されている。

 

経歴
1890(明治23)年、福岡県三井郡合川村(現在の久留米市東合川)の裕福な醸造家の四男に生まれる。本名は高嶋弥寿(たかしま やじゅ)。野十郎とは、『野獣のごとく生きる』という意味のペンネームといわれている。


第八高等学校を経て、親の説得で東京帝国大学でその年に発足したばかりの農学部水産学科に進学、同科を首席で卒業するも恩賜の銀時計を辞退し絵画の道を選び、以降師につくこともなく、特定の美術団体へ属することもせずに、ただひたすら自らの画業に没頭した。


一説によると同郷の先達、青木繁に感化され、画家を志したといわれる。ちなみに青木繁と親交のあったことで知られる詩人の高島宇朗(泉郷)は、野十郎の長兄にあたる。


生涯独身で過ごした野十郎は晩年、東京オリンピック絡みの道路拡張整理に巻き込まれて東京目黒のアトリエを強制立ち退きさせられたのに対し「どうせ引っ越すなら区画整理などない田舎へ」と、千葉県柏市郊外の田園地帯に居を定める一方、フランスを含めた全国各地への写生旅行や巡礼を行い、数回の個展のみを作品発表の場とする清貧の生活を送った。


1975(昭和50)年、千葉県野田市の老人ホームで死去。享年85。』(Wikipedia)



②新日曜美術館「写実の果て 孤高の画家・高島野十郎」
 チャンネル :教育/デジタル教育1
放送日 :2008年 8月31日(日)
放送時間 :午後8:00~午後8:45(45分)
ジャンル :趣味/教育>音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養>カルチャー・伝統文化
 

番組HP: http://www.nhk.or.jp/nichibi/

----------------------------------------------------------------
学歴も家族も捨て、画壇にも属さず、いっさいの名利を求めずにひたすらに「写実」を究めようとした高島野十郎。その孤高の人生と深淵な作品世界を紹介する。ゲスト林英哲
----------------------------------------------------------------

出演:
太鼓奏者…林英哲,
福岡県教育委員会学芸員…西本匡伸,
【司会】檀ふみ,黒沢保裕


 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加