菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。
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2014/04/06   鈴木正三の骨

2014-04-06 21:05:11 | (25)鈴木正三について


昨日の中日新聞夕刊に、鈴木正三の遺骨が坐像の中に収められていることが確認された記事が掲載されていた。
没後百回忌にあたり納められたとの記録もあるそうだ。

この記事を読み、これを縁とし、長らく空になっていたカテゴリ「正三について」の最初の記事にすることにした。


正三は空理空論になりがちな哲理には重きを置かなかった。日常の生活をおくる上での実践に重きを置き、平明な言葉で民衆を導いた。

正三の実践思想は、今でもその力を失っていないが、仏道の世界では民衆を導く師も組織もないようだ。
残念なことだ。

禅に対する関心は、世界に広まっているのだから、正三の教えに心を打たれる人は多くいるはずだ。

仁王禅といっても、仁王様の真似をすることだけが方法ではない。
先ずは、煩悩と戦う気迫と勇猛精進が仁王の形をとるだけなのだから、本末を転倒させてはいけない。

禅師が正三の教えを説いてくれる場があれば良いのだが。



「鈴木正三像内部に遺骨 豊田、江戸の禅僧
2014/4/5 夕刊

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内部から骨が見つかった鈴木正三の木製座像=愛知県豊田市教委提供

徳川家に仕えた元武士で、日本で初めて職業倫理を説いたとされる三河出身の禅僧、鈴木正三(しょうさん)(一五七九~一六五五年)をかたどった江戸時代前期の木製座像の内部に骨が納められていたことが、愛知県豊田市教委が行ったCTスキャナーによる画像解析調査で分かった。所蔵する豊田市の恩真(おんしん)寺には、像に正三本人の遺骨が入っているとの言い伝えがあり、これに沿う発見。市教委や専門家は、像を正三と同様の存在として祭るために弟子らが納めたとみている。

座像(市指定文化財)は生前の一六四五年に作られ、高さ五十三センチのヒノキ製。頭部を取り外すことができ、胴体内部に円筒形の木箱(直径九センチ、高さ十センチ)が入っていることが過去の調査で知られていたが、中身は確認されていなかった。

市教委は詳しい研究のため、木箱を取り出し、国内で数少ない文化財専用のエックス線CTスキャナーがある九州国立博物館(福岡県)に撮影を依頼。画像を解析した結果、薄い布か紙で包まれた骨が入っているのが確認された。部位は不明だが、細長い形をとどめた骨や、竹筒に入った骨の破片もあった。

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木箱には正三の名が墨書され、付属の和紙に「宝暦四(一七五四)年に各地の僧侶が集まって百回忌を営んだ」との記述がある。調査に協力した椙山女学園大の見田隆鑑(みたたかあき)講師(仏教美術史)は「記述の通り、百回忌で遺骨を納めたと考えるのが自然だろう。体の一部を入れることで像をより本人に近い存在にしたかったのではないか」と話す。

仏像や肖像彫刻に遺骨、遺髪を入れるのは、供養や像の価値を高める目的があるとされる。有名な例では、愛知県岡崎市の滝山(たきさん)寺にある聖観音菩薩(ぼさつ)像に源頼朝の歯や髪が納められていると伝えられ、歯と見られるものが確認されている。

豊田市教委は、像が現在も地元で信仰の対象であるため、木箱の封を解いての調査はしない意向。今回の調査結果は、六月に刊行する新たな市史で発表する。(河北彬光)

<鈴木正三> 現在の愛知県豊田市足助地区で、徳川家康に仕えた武士の長男として生まれる。自身も家康や秀忠に仕え、関ケ原の合戦、大坂の陣を戦ったほか、警護役である江戸幕府の大番を務めた。42歳で出家し、現在の豊田市山中町に恩真寺を創建。布教活動の傍ら多数の著書を残し、代表作「万民徳用」で自らの職業に励むことが仏教の道につながるとの職業倫理を説いた。島原の乱で荒廃した九州・天草に移住し、多数の寺社の再建にも尽力した。」
(中日新聞プラス
http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=170174&comment_sub_id=0&category_id=112&from=news&category_list=112&pl=2618020176

より転載)


【データ】
鈴木正三 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E4%B8%89



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