菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。
散歩する道筋は、日本酒、俳句、本、音楽、沖縄、泡盛、カメラに...etc

2015/01/01  一年の計 「桃李不言 下自成蹊」

2015-01-01 23:50:00 | (11)随想・思想


一年の計は元旦にありと言われる。
今年は、自分自身の身の処し方に注意を欠かせない年になっている。

元旦に考えたことは、「桃李不言 下自成蹊」。
読み下せば、「桃李もの言わざれど、下自ら蹊を成す」。

司馬遷の史記の李将軍伝賛に出てくる言葉だ。
『余睹李將軍悛悛如鄙人、口不能道辭。及死之日、天下知與不知、皆爲盡哀。彼其忠實心誠信於士大夫也。諺曰、桃李不言、下自成蹊。』

意味は、桃や李は言葉を使って話すことはないが、美しい花を咲かせ、美味しい実をつける。
花を見に、実を獲りに人々が木の本に通うようになるので、桃李の下には自然に道ができる。


この諺が、今年にピッタリだと思う。
常に振り返ることにしたい。

隠棲の許される年でないのなら、社会に出る意味を考えなければならない。

言葉は必要ではない。
行為が重要だ。
だが自分だけが満足すれは良いものではない。
それは、必要条件であって充分ではない。

行為の結果が、他の人の喜ぶものでなければならない。
此処のところは相当に難しい。
良かれと思っても、言葉か足らなければ理解されない、結果が不十分であれば喜んでは貰えない。
言い換えれば、評価に見合った努力が必要になる。

この辺りの機微を常に念頭に置いて、自らを律する必要がある。
という言い方は受け身だ。

諺の説くところに 自らを律したい。




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2014/10/11  ノーベル賞天野浩教授  憂きことの尚この上に

2014-10-11 22:48:27 | (11)随想・思想


ノーベル賞天野浩教授は、人柄によりマスコミに引っ張りだこだ。

3人の受賞者は、それぞれ個性が違う。
赤崎教授は85歳の年齢を感じさせないジェントルマンで品格を感じさせる人、中村教授は怒りの人、天野教授は最も若いが気さくで嫌がらない人。

そのためか、マスコミは天野教授を追っている。
本人ばかりではなく、母親も奥さんも京大生の娘までも取材している。
その報道を見ていると、天野教授の人柄が次第に解ってくる。

外国の空港や朝ホテルから出てきた時の突然のインタビューにも嫌な顔をひとつせずにこやかに答えている。
プライバシーに関わるような質問にも、飾らなくフランクに答えている。

あるインタビューで座右の銘を聞かれ、色紙に書いて準備していた。
見て成る程と感じさせられた。

「憂きことの尚この上に積まれかし
            限りある身の力試さん」


と書かれていた。

聞いた記憶はあるが、誰の言葉か判らなかったので、調べてみた。

山中鹿之介説もあるが、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った故事に寄せて語られるもので、違うようだ。
熊沢蕃山説は、この歌が蕃山全集に収録されているそうなので、蕃山の言葉と考えるのが順当だろう。


熊沢蕃山は、江戸初期の陽明学者である。
京都に生まれ中江藤樹の門に入り陽明学を学ぶ。
長じて岡山藩池田光政に仕え、藩政改革を行い藩政の確立に取り組んだ。
しかし、守旧派の家老と対立し、官学であった朱子学の林羅山からは批判を受け、岡山藩を致仕することになった。

京都に戻り、私塾を開き、次第に名声が高まった。
名声を得るに従い幕府から監視されるところになり、京都所司代から追放されることになった。
その後も幕府の迫害は51歳から73歳まで終生終わること無く続き、藩に幽閉・蟄居させ活動を封じ込めた。
蕃山は、岡山藩致仕後、幕政に対する批判を続けていたためである。

陽明学は、知行合一の原理があり、学問としての知識にとどまることなく、実践を伴う実学であることが要求される。
時の為政者にとっては、変革者の思想である陽明学は邪魔なものに違いない。
蕃山は、幕末期の藤田東湖、吉田松陰、勝海舟に影響を与え、幕府瓦解に繋がったのは歴史の当然の帰結かもしれない。


困難にめげること無く最後までやりぬく意志を呼びかけるこの歌は、天野教授が失敗の状況下に却って、青色LEDの方法を見つけ出した支えとなった。
陽明学は現代でも有効な学問といえる。

この歌を読んでいて、西洋にも同じような考えがあることを想い起こした。

カミュの「シジフォスの神話」とニーチェの「超人」だ。
シジフォスは無意味という不条理に反抗する態度を語っている。
「神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。」

ニーチェは、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思(「かくのごときが人生か、さらばもう一度」)でもって行動する「超人」を説いた。


下世話な話で言えば、普通の人間は3回でめげる。
3回受験に失敗した、3回告白したが実らなかった、3回就活にしくじった、3日連続でパチンコに負けた、ダイエットに3回挑んだが元の木阿弥になった...

甘やかされてなんでも与えられて育った意気地のない人間は、この歌を朝から晩まで呪文のように唱えるか、紙に書いて額に貼るかした方が良い。

現状打破するには、それが一番だ。




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2013/09/10 不老不死の紅海月

2013-09-10 20:30:00 | (11)随想・思想


TV
で紅海月(べにくらげ)を取り上げていた。
紅海月は不老不死なのだそうだ。

「ベニクラゲ@新江ノ島水族館」

http://youtu.be/lyHjG9DckQc


普通、クラゲは老いてくると水に溶けて消えてしまう。
このベニクラゲは違う。
老化が進むと、底に沈み、やがて卵に戻り、また成長するそうだ。
つまり、浮かんでは沈みしている内に、時は流れ老いて行く、その果てに玉子に還る。

ニイチェは、永劫回帰の世界にあって、「かくのごときが人生であるか、さらばもう一度」という運命愛の思想を唱えた。
だが、ニイチェが考えるのは個体の生命ではない、生き方・考え方のことだ。
個体の生命が、繰り返し生き続けることが超人ならベニクラゲこそ超人になってしまう。

中国の古代皇帝は不老不死の薬を求めたそうだが、人間にとって不老不死が望ましいことだろうか。

人間が、老いの果てに、赤ん坊に戻るとしたら、意識や記憶はどうなるのだろうか。
意識や記憶が引き継がれないのであれば、それは別の命と考えたほうが自然だ。不老不死とは違った世界だ。

ベニクラゲが二度目の生をどう考えているのかは、本人に聞いてみないとわからないが、多分何も考えはないのだろう。ただ漂って終わってまた繰り返すだけなのだ。
それが生命の本質だといえば言えるが。

人間くらい知能が発達すると、生命の本質から逸脱してしまう変な生命体になる。

日本だけでも年間の自殺者数は3万人を超えている。
原因や背景や理由は様々だろうが、要するにもう生きていたくないと考えて自死を実行するのだ。
実行しないがそう考えている人は何倍もいるだろう。

ニイチェの運命愛は哲学として理解はできるが、不老不死は経済学の世界では、薦められない。
有限の地球で、人間が今の60億から60兆人の人口になったらどうするのだろう。

太陽系以外に移住できる時代が来ればともかく、美しい地球に不老不死は厄災をもたらすだけだろう。

長く生きた老婆が、もうそろそろお迎えに来て欲しいと独り言をいうことがあるが、それは老いの果ての知恵なのだ。


【データ】
ベニクラゲに関心のある人は、以下のサイトが詳しい。

「ベニクラゲ研究室」

http://www2u.biglobe.ne.jp/~moozoo41/index.html




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2013/02/15 2013の春隣

2013-02-15 23:30:00 | (11)随想・思想


教えを受けた女性が急逝された。享年85歳。
本当に突然の死だった。
入浴中に心筋梗塞を発症し、静かな死だったそうだ。

生前、ある人の死に際して、あの人は信心深い人だから、周りの人に迷惑をかけることもなく、サッと亡くなった。
自分もそうしたいと語ったことがあるそうだが、その通りの最期だった。

初めてお会いしたのは、今は昔。
ご主人は、温容溢れる笑顔で、青二才の私に温かい言葉をかけてくださった。
お隣に座っていたその人は、若い頃から曖昧と韜晦の中にいた世間知らずの若者の私を導かれようと思われたのだろう。
“人を愛するとか幸せにするとかは、相手の欠点も含めてのことよ”とおっしゃった。

それから幾星霜。
世間知らずの私も、それなりに人生の道筋を歩んできた。
だが、あの言葉の境地には遠く及んではない。
言葉の重さが、次第に重くなるばかりだ。

告別式の会場には、故人を偲ぶため幾枚かの写真が展示されていた。
ご主人と台湾旅行の写真。あの日のように二人並んで静かに座っている。ご主人の大らかな優しい笑顔は記憶のままだ。
友達との中国の石窟仏や香港での写真。最愛のご主人を亡くされた後は、悲しみを癒すために海外によく出かけられたようだ。
昨年、12月の家族一同での食事会の写真。孫やひ孫に囲まれて、中心に静かに座っている。

一番下に女学生時代の写真があった。
戦前の女学校に入学した際の写真だろうか。
制服の下に白いブラウスを着て、斜め左に視線を上げている写真だ。
写真館で撮影したものだそうで、素晴らしいポートレートだ。
まだ幼さの残る可愛らしい顔の輪郭と頬、視線は斜め上遠くを見上げている。
焦点の定まった黒い瞳と引き締まった眉には、可愛らしい顔立ちではあるが、未来への強い意志が感じられる。
この写真の少女は、まだ生きている。今にも写真から抜けだして、羽ばたきそうな力を放射している。

お気に入りのスーツとスカーフを身につけたその人は、柩の開かれている覗き窓の下で安らかな顔をしていた。
長患いせずに忽然と世を去ったためなのか、思う通りの死のためなのか、実に静かな顔をして眠っている。
死化粧をしたその顔は、美しくさえある。髪は上品なシルバーグレイに変わっているが、小さく引き締まった可愛い顔は女学生時代のままだ。
黒い瞳は閉じられているが、まあるい顎の辺りには柔らかい意志が漂っている。
女学生時代のその人が目を閉じて眠っているようだ。

その夜は、春の雨にしては、バシャバシャと落ちる強い雨だった。
急を聞いて駆けつける車のワイパーは、跳ね除けるようの雨を振り払っていた。
拾骨の日は、春らしく柔らかな雨が、降っては止み、止んでは降っていた。
時間を待つ火葬場の窓から見える裏山には、山茶花が葉よりも多く紅い花を咲かせていた。

その夜、浅い眠りから覚め、眠ることができなくなった私は、昔のことばを思い出していた。
こころを整理するために、知らず追悼の句を考えていた。



・逝く人の少女時代よ春隣



・若者に贈ることのは春隣



・迷う夜に明くる朝来る春隣



・まじまじと雪降る夜の死化粧



・吹雪の夜去りて朝に春隣



・白骨となる日も雨降り春隣



・白骨と魂拾う春の雨



・焼き場裏山茶花紅く雨の中




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2012/06/20  御堂筋を歩いてシャンゼリゼ

2012-06-20 22:50:00 | (11)随想・思想


橋下市長が、御堂筋を人が集い歩く街に変える企画を明らかにした。

道路のビルは、入居企業の窓が立ち並ぶ光景は親しみがわかないし、特に足を運び歩いてみたいと思いもしない。
そんな街並みがどの都市にも溢れている。

お洒落な商店が、入り口を開放し、明るいカフェには人が集まりにこやかに話し合っている。
通りの街路樹には風が吹き抜けている。
そんな光景の街並みであれば、二人なら勿論一人でも足を運んで歩いて見るだろう。
何か素敵なことに出会えそうな気がして。

都市を活性化するには良い方法だ、世界の成功体験を迷うこと無く取り入れ実行することは良いことだ。
まず、変わることが必要なのだから。

この企画には、もう応援歌が用意されている。
前にも紹介した「御堂筋を歩こう」だ。


http://youtu.be/8ZWCvfo00iA


この詩を口ずさみなから、みんなが御堂筋をそぞろ歩けば、もうシャンゼリゼになる時は、すぐそこだ。

御堂筋を歩こう!!

『橋下市長、御堂筋「シャンゼリゼ」化作戦を検討
2012
620日(水)16:17

大阪市の橋下徹市長が、メーンストリート・御堂筋のにぎわい作りのため、沿道のオフィスビル1階にカフェやブランドショップなど商業テナントが入居した場合、ビルの固定資産税を軽減する優遇策を検討していることがわかった。

集客施設を積極的に誘致し、パリ・シャンゼリゼ通りのような「歩いて楽しいストリート」にしたい考えだ。

梅田と難波を結ぶ御堂筋(約4キロ)の沿道には、大手銀行や生保会社などのビルが並ぶ。ただ、1階部分は銀行窓口や会社事務所が多く、夜間や休日には人通りが少なくなるなど、「にぎわいに欠ける」と指摘されていた。

市によると、市街地活性化の固定資産税優遇策は、浜松市や埼玉県志木市などで1階部分に店舗を置く建物の新築、増築の場合に5年間、軽減しているケースがあるという。』
(YOMIURIONLINE)




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2012/04/02  130年の無意味  高田純次(その1)

2012-04-02 21:08:47 | (11)随想・思想


今、高田純次が人気らしい。
そのテキトーさが愛されているそうだ。

彼の面白さは、意表に出るところにあると思う。
意表とは、意の表言い換えれば、外を意味している。
だから、意表とは意の外・予想外となる。
「意表に出る」とは、相手の予想外の言動をして、思いがけないところに姿を現すこととなる。

我々は、常識を前提に暮らしている。
だから、差し障りの無い天気の話を話題とする。
大阪では、多少のツッコミも許されるだろうが、東京では個人的なことに立ち入るのは非常識になるだろう。

我々は常識人として、周りの人と差支えが生じないように、言葉を選び・行動をしている。
だが、これは日常生活を平穏に過ごす方法であるが、楽しいことでは必ずしも無く、疲れることでもある。

家庭でも仕事でも地域でもあらゆる人達との間で、常識と規則と暗黙の前提の中で生きている。
これは不可避なことだ。これがなければ、人間関係も社会も思いがけないことばかりになり、安心して暮らせなくなってしまう。

高田純次は、TVの画面の中で意表に出て、見る人を驚かせ、笑わせている。
当意即妙で放つ、彼の放言には裏側から見た真実が隠されている。

少し前の記事だが、彼の放言には奥の深さが感じられる。

高田純次、「意味なく130歳まで生きる」老後プランもテキトー節
?2012115() 20:40 映画.com

clip_image002ボンドガール風美女からキス!

俳優の高田純次が1月15日、都内で行われた「Mr.ビーン」こと英人気コメディアン、ローワン・アトキンソン主演作「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」のイベント試写会に出席。

英国諜報部“MI7”日本支部長、コードネーム「気休め部長」に任命された高田は、「ジョニーとは目が2つ鼻が1つ口が1つというのと、調子の良いところは似てるかな。決して見て損はさせない映画。得させるかもわかんないけど」といつもの適当ぶりで笑わせた。
...
高田は、「下手すると本家よりお金をかけているんじゃないか。お調子者のスパイが見ているうちに本当に強いんじゃないのかと思えてしまう。寝ないで見てねって言っても、スピーディで寝かせる暇がない」とアピール。また、「色々と登場するスパイ用品が面白い。異常なスピードで動く高速車いすが出てくるんだけど、あれ欲しいな」と興味津々だった。

偶然にも、本作の公開日に65歳の誕生日を迎える高田。“報酬”としてボンドガール風美女たちから両頬にキスを受け、「今年の目標はただ生きること! 人生はどれだけ長くではなくどういう風に生きるかが大事とかよくいわれるけど、僕はただ意味なく130歳まで生きるつもり」と舌を出してにやけていた。

「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」は1月21日より全国で公開。
』(映画.com

人間五十年と謡い踊った信長は、49歳の絶頂期に図らずも死んだ。めくるめくような勝負の日常を生きた信長は、老後を生きることはなかった、その意味で信長は幸せだった。
日本人の平均寿命が、女性が86歳、男性が約80歳の今日。老後の問題は切実な問題だ。
昔のように、還暦を迎えて孫たちに囲まれ笑って隠居を暮らすことは、今では不可能だ。

老人問題は医療や年金の問題としては語られているが、 いつまで続くかわからない「老後」をどのように生きるかについては、語られること無く避けて通られている。

人生に意味があるかと言う命題は重いが答えることはできる。
だが、老後は意味があるかと言う命題は、同じように重いが答えられるだろうか。

常識の中で多くの老人は、無駄なご飯は食べないように、生きて意味のあるようにしたい、旅行やおしゃべりや趣味を楽しんで、ボランティアや地域の奉仕活動に参加したいと思っている。
これが答えになるかどうか?




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2012/04/02  130年の無意味  高田純次(その2)

2012-04-02 21:06:07 | (11)随想・思想


無意味を生きると言う言葉で、思い浮かべるのはやはりニーチェだ。

神が死んだ後の世界は、無意味が永遠に回帰し続いていく世界だ。
ニーチェは、永劫に回帰する虚無を超克する姿として「超人」を描き出した。

ニーチェは、著書に書いている。
「最大の重圧。??もしもある日、またはある夜、悪魔が君の淋しさ極まる孤独の境涯につきまとい、こう君に告げたとしたら、どうだろう??『お前はお前自身が生きてきたこの人生を、もう一度、いや、幾度となく繰り返さなければならないだろう。そこには新しいものは何もなく、あらゆる苦悩、快楽、思想、嘆息等、お前の人生における無数の大小の事件の一切が、お前自身に回帰してくるのである。しかも一切が同じお膳立てと順序とに従って??つまり、この蜘蛛も、あの木の間をもれる月光も、さてはこの瞬間も、この自分自身も、また同様に回帰しなければならないのである。存在の永遠の砂時計は、たえず巻きもどされる??それと共に微塵にすぎないお前もひとしく回帰するのだ!』(よろこばしき知識)

永劫に回帰する無意味と孤独、これが世界だとしたら、どうすれば良いのか。
永劫回帰は、老後問題とも重なっている。

『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、ニーチェは、日常生活において、当たり障りのない人間関係の維持に汲々としながら生きている受動的態度の一般大衆を「畜群」と呼んでいる。
それに対して、超人は、永劫回帰に回帰する無意味な人生に立ち向かう確立した意思を持った「超人」を唱えた。

ニーチェは、超人になるには、精神の三段の変化が必要としている。
「わたしは君たちに精神の三様の変化について語ろう。すなわち、どのようにして精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、獅子が小児となるかについて述べよう。」と言う。

駱駝の精神とは、最も重いこと、重荷に堪える精神である。
重荷を負って砂漠へ急ぐ駱駝のように、おのれの身に担う心のありようだ。

孤独の極みの砂漠のなかで、第二の精神への変化が起こる。この段階は、獅子の精神となる。
獅子は、外から命じられて動く動物ではない。自分の意志と勇気を持って自分の思うがまま行動する精神である。
獅子の精神は「汝なすべし」に従うのではない、「われは欲す」に従うのである。

精神の第三段階は、幼児の精神である。
幼児の精神とは、古いことは忘れ、今を「然り」として自由に遊戯する存在である。
幼児は、汚れのない心で、新しい遊びをはじめる。幼児の精神は、すべてが新しく開始され、創造的な活動が行われる現実肯定の精神である。

無意味な130年の生を生きることは、易しいことではない。
駱駝のように重い荷物を背負い、獅子のように勇敢に孤独に立ち向かわなければならない、いつまで続くかわからない同じような日々を、然りと肯定し、伸び伸びと遊んでいかなければならない。
ニーチェに従えば、「畜群」のままでは130年の無意味には耐えられない。
こんなに辛い老い・孤独・つまらなさが現実ならば、早くお迎えに来て欲しいと願うのが普通の老人なのだろう。
130年の無意味を生き抜くためには、精神の三段階を経た超人として生きる必要がある。

高田純次は、馬鹿なことを言い予想外な行動をして、見る人を笑わせている。だが、簡単に傷ついたりする軟な心の持ち主ではないことは確かだ。

舌を出しながら、「今年の目標はただ生きること! 人生はどれだけ長くではなくどういう風に生きるかが大事とかよくいわれるけど、僕はただ意味なく130歳まで生きるつもり」と高言する高田純次は、ひょっとすると超人なのかもしれない。

gooランキングに「生で聞いてみたい、高田純次の名ゼリフランキング」がある。


(1位)   こんにちは。いつもステキな高田純次です。
(2位)   キミ、松嶋菜々子に似てるって言われない? 言われないの? じゃぁ、似てないんだね。
(3位)   パリは寒い時に行くとイイよ。行ったことないけど。
(4位)   オレはイタリア語がペラペラなんだけど、意味はわからないんだ。
(5位)   変態もずっと続けていくと変態じゃなくなっちゃうよね。
(6位)   この前ナンパしたら娘の同級生だったよ。
(7位)   僕は人の話を聞かないんじゃなくて、人の話に興味がないだけなんだ。
(8位)   あなた、何かスポーツやってたの? え!? やってないの? やっぱりね。
(9位)   キミ、イケメン好きじゃないの? じゃあ、僕のことは好きになれないね。
(10位) 一度言ったことはすぐに忘れるんだ。
(11位) 『ジャスコ』って女の子? あ、スーパーの名前なんだ。
(12位) あれ? オレ、この前、どこに行ったっけ? キミ知らない?
(13位) オレはパソコンは苦手だけどボディコンは得意だよ。
(14位) オレは『ストレス』っていう言葉をさっき初めて聞いたよ。
(15位) オレは格好をつけてないつもりなんだけど、カッコよさがにじみ出ちゃうんだ。
(16位) オレはトシだからオーラのかわりにオナラを出すんだ。
(17位) 上司って言うのは、悪口を言われるためにいるようなものなんだよ。
(18位) オレが都知事になったら、都民全員でピクニックに行こうと思ってるんだ。
(19位) オレは1947年生まれなんだ。(いくよなめるよ)って覚えてほしいんだ。
(20位) 汚しちゃいけない服の時にかぎってカレーうどんが食べたくなるんだ。





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2012/04/02  130年の無意味  高田純次(その3)

2012-04-02 21:03:10 | (11)随想・思想


高田純次は、今65歳である。130歳までの人生の丁度中間点だ。
高言通り、65年後130歳まで高田が生きているかどうかはわからない。だから、彼を嘘つきと決め付けることも超人と認めることも今は出来ない。
今後の65年の歳月が証明する問題だ。

高田純次とは関係無い番組だが、少し前のTV番組で、ある老人のホームレスを取り上げていた。

テレビ朝日系列のスーパーJチャンネル
2012
37日(水)16:5319:00放送分だ。

『路上の医師団と呼ばれる特定非営利活動法人のささしま共生会は名古屋市内をまわりホームレスたちの安否確認を行なっている。250代の男性と60代の女性が倒れているのが相次いで見つかった。医師団が気にかけているホームレスは長年交差点に住み続け、説得にも応じない。ホームレスにとって冬を生き抜くことが最大の試練。

河川敷に暮らす97歳のホームレスの男性は秋の台風で大雨にさらされたときもなんとか生き抜いた。男性は近くの団地に住む男性に本をあげる変わりに差し入れをもらっているほかに会話が何よりも楽しいのだという。以前ホームレスの男性は小中学生からの襲撃に遭ったが、近隣住民とのコミュニケーションで襲撃から身を守っている。

おととし出会ったホームレスの男性が通うのはささしま共生会ひだまり。医師は病気を早期発見できる施設だと思っていると話す。

97
歳のホームレスの男性が姿を消して24時間後、取材陣が訪れると布団で休んでいた。布団から這い出しどこかに出かける様子。無料で乗れる敬老バスに乗り、 競輪場を訪れた。50円で入場でき、暖房もきいている競輪場で過ごすのが冬を乗り切る秘策。競輪で勝った友人に食事をおごってもらっていた。男性はギャンブルにははまってはいけないと忠告し、130歳まで生きたいと語ってた。』

97
歳の男のホームレスは、寒い時間は布団にくるまり過ごしている。
太陽が上り、暖かくなると、無料敬老バスに乗り、50円で入場できる競輪場に行き、暖房の効いた場所で時を過ごす。それが彼の日常だ。

97
歳でありながら、杖をつくこともなく、自分で歩き、バスに乗っていく。
インタビューの受け答えもしっかりしており、ボケては居ない。
冬の厳寒の時期、布団の中とはいえ、寒さはこたえるはずだ。
普通の感覚の人ならば、1週間も耐えられないだろう。
この点だけでも、すごい人だが、インタビューに答えて話した言葉は、パンチ力がある。

何と130歳まで生きると語っている!!。

高田純次はまだ65歳、このホームレスは97歳、超人への道を32歳もリードしている。
彼こそ、最も超人に近い人なのかもしれない。

延々と続く常識の日常に、疲れてしまう時がある。
無意味な毎日の連続に気力が萎える日が来ることもある
そんな時「生きることに意味があるのだろうか」との思いが浮かぶこともあるだろう。

他の生命を犠牲にして、無駄飯を食っている自分に意味はあるのだろうかと考えることは、「汝なすべし」に従うことであり、獅子の精神ではない。「われは欲す」に従うのが獅子・超人の態度なのだ。

そんな時、高田純次のテキトー哲学と97
歳のホームレス心に浮かべるのはどうだろうか。




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2012/03/16  セルフネグレクトと1.99

2012-03-16 23:50:00 | (11)随想・思想


「セルフネグレクトと1.99」の題は、何のことかと思う人が多いはずだ。

NHK
のニュースで、セルフネグレクトを取り上げていた。
セルフネグレクトという言葉は、初めて聞いた。
日本語では、自己放任と表現するらしい。

番組は、社会福祉に携わる人達が、孤立した老人たちに支援を行なっているという内容だが、セルフネグレクトという言葉には、嫌な響きがあると感じた。

『セルフネグレクト-社会-2011626

高齢者で、体調管理、医療、最低限の衛生状態の保持、金銭の管理などを拒み、食べ物やごみなどを放置し、自分の健康や安全を守ろうとしない状態。自分自身でそうしたことを拒否する場合と認知症などでそうしたことを守ろうとする能力がなくなっている場合とがある。放置しておくと孤独死に至ったり、「ごみ屋敷」などになってしまうこともある。地域看護学が専門の帝京大学教授の岸恵美子らの研究グループが200912月~101月に実態調査を行い、地域介護の拠点である全国の地域包括支援センター4038か所に調査票を送って1064か所から回答を得た。それによると、499か所のセンターで計1528人がこうした症状に陥っているという結果が出ている。センターの保健師や看護師らは問題に気がつけば医療や介護を受けるように勧めるが、「放っておいて」と拒まれることが少なくないという。センターの職員がヘルパーなどを頼むようにと勧めたものの本人が拒否、風呂で水死し2日後に発見された70代男性のような例もある。10年ほど前から医療・福祉の分野で研究テーマとして取り上げられることが多くなっている。
[
新語探検 著者:亀井肇 / 提供:JapanKnowledge ]

ネグレクト(neglect)は、 無視すること。ないがしろにすること。という意味だ。
番組で、孤立している老人のアンケートの例を紹介していた。
ある老人は、「人様の世話になりたくない。世話になるくらいなら、首をくくって死ぬ...」と答えている。

これは、ネグレクトと言う表現が正しく当てはまるのだろうか。
この言葉は、個人の尊厳に対して軽蔑的な語感を持っている。

自分は、人の世話にはなりたくない、自立して生きたい。自分で自分の世話ができなくなったら、その時点で生きることを止めたいと考えることがネグレクトなのだろうか。

楢山節考の世界は、絶対的な窮乏の中では、老いた世代は若い世代のために自ら捨てられることを容認する世界だ。
自分が社会的に無用の存在になり、無駄だと自覚する時、生きることをやめるのは寧ろネグレクトではなく自覚的な行為である内容だ。

永井荷風は、汚い部屋で孤独死をした。
身寄りが居なかったわけでもない、助けを求めることはできた。彼は貧乏でもなかった。
だが、荷風は人の助けを求めなかった。汚く散らかった部屋で、誰に看取られることもなく一人死んだ。
荷風の死に方を、セルフネグレクトと言う軽い言葉で片付けたくはない。

自覚的な死は、日本人にとって馴染んできた生き方だった。
芭蕉も良寛も正三も最後は看取られて生を終えたが、考え方はそうではなかった。
芭蕉は、旅の途上漂泊の中で死ぬこと夢に見ていた。
良寛は、死ぬ時は死ぬが宜しく候と手紙に書いた。
正三は、死んだら死体は野の中に置いて、狼に食べさせれば良いと語っている。

助けを求めている老人は、助けなければいけない。
これは、社会福祉の対象だ。
自覚して生きている老人を、ネグレクトと呼ぶのは失礼千万だ。


1.99
は、世帯人数の数字だ。

『東京都全体の1世帯あたりの人数は1.99人 統計開始以降、初めて2人を下回る

東京都全体の1世帯あたりの人数が1.99人となり、初めて2人を下回った。
東京都の住民基本台帳に基づく調査によると、201211日時点の1世帯あたりの人数は、1.99人で、統計を取り始めて以来、初めて2人を下回った。
1957
年の調査開始時には、4.09人だった1世帯あたりの人数は、その後、減少し続け、23区に限っては、2005年にすでに2人を下回っていた。
世帯あたりの人数が過去最少となったことについて、東京都は、高齢者の単独世帯が増えていることが、大きく影響しているとみている。
一方、世帯数は、調査開始以来、一貫して増え続けていて、2011年に比べて、44,192世帯多い、6368,485世帯になった。』(FNNニュース)

この記事は、高齢者の一人暮らしの増加が原因と書いているが。
TVのニュースでは、実際は、若い世代の一人暮らしが、東京で多いことが、東京が全国最低の数字になっている原因だとしていた。

一人暮らしをしている適齢期の男性は、インタビューに答えて話した。
“家に同居人が居るのは嫌だ、耐えられない”

社会問題として取り上げるのならば、老人のセルフネグレクトより、適齢者の一人暮らし問題を取り上げるべきだ。

こちらの方は、ネグレクトの表現に値する内容なのだから。
日本の将来を考えることもなく、若い世代を作り出すことから目を背けて、一人暮らしが気侭だ・自由だと考えるのは、日本の将来に対するネグレクトだといえる。
その考えは、自覚あるものではなく、単なる我儘の類だ。

今の日本は、考え方が逆になっている。
老人より若者が危ないのだ。
社会福祉の担当者は、若い一人暮らしを訪問して、その生活スタイルが自分及び日本の未来を崩壊させる危険なことなのだということを説いて回るべきだと思う。

物事の道理が見えない、ただ我儘な若者こそ社会問題なのだ。


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2011/12/09 一人遊び

2011-12-09 23:35:06 | (11)随想・思想


ニュースで「一人遊び」用のサービスが増えていると報道していた。
 居酒屋メニューでは一人前の鍋、一人専用カラオケ店、ゴルフの一人参加、一人焼肉、一人旅パック商品...


世の中のサービースが、一人を前提にしていない状態が続いてきた。飲み屋でも鍋なら2人以上とか宴会なら4人様~とかで一人ではサービスの提供が得られなかった。今では一人前の鍋メニューがあるそうだ。


一人専用のカラオケは、カラオケの練習とか、歌い込みとか、自分のジャンルに集中したいとかの需要がありはやっている。


退職後会社の仲間から外れてしまった人は、ネットで申し込みをして、ゴルフ場に同様に集まった他人とラウンドする。


これまでは団体で行動していた。旅行は職場・地域・同窓会の団体旅行、飲み会も団体の宴会だった。店側も団体であれば、量を捌けるので商売として効率が良かったので、一人の客を相手にすることは考えなかった。考える必要がなかった。
 だが、時代が変わり楽しみは団体ではなく個人で行う人が増えてきた。団体客が少なくなってきた今、店側もお一人様を相手にせざるを得なくなってきたのだろう。


旅行に関しては、お一人様は、もう相当に広がりを持っている。
ネットで見ると、国内だけではなく海外旅行も一人で出かける人は多く、各社が商品を提供している。
 海外旅行が好きな人との話を聞いても、多くの高齢の女性が世界中を旅して回っているとのことだ。


今まで集団で行動して来た人も、一人で行動しなければならなくなることは、必ず起きる。退職、離婚、死別、転勤、災害...
 だから、お一人様行動は特別なことではなく誰にでも機会が開かれている不可避なことなのだ。
 だから一人で行動することも慣れる必要がある。


自発的お一人様も已むを得ずお一人様も一人を前提にしたサービス・商品があれば便利なのだから、世の中がお一人様に顔を向けてくれるのは良いことだ。


コンビニの発達が、個人で暮らすことを可能にしている現実があるのであらゆるサービスがコンビニ化していると考えられる。
 だから、お一人様でも何も困らない時代になっていくのだろう。


だが、個人の立場から離れ社会的に見ると、日本はこれで将来大丈夫だろうかと危惧を感じないわけではない。
 若い世代では「恋人いない」が半数も居り、中年では離婚が増え、老年では死別が避けられない。
 世の中がお一人様が主になってしまったら、それはやはりどうかと思わざるをえない。


女性学、家族社会学の上野千鶴子は、シングル女性が老後の人生を積極的に満喫することを説いた「おひとりさまの老後」(法研)を書き、男性には「男おひとりさま道」(同)を書いた。
 女性に比べ、男性はお一人様に弱いそうだ。地位・肩書き社会の心理構造から抜けられず虚勢を張りがちだから相手にされなくなるのだ。


上野は、「ひとに弱みをみせられる、かわいげのある『男おひとりさま』になって、機嫌良く生きる」ための10箇条を提案している。


【男おひとりさま道 10カ条】
(1) 衣食住の自立は基本のキ
(2) 体調管理は自分の責任
(3) 酒、ギャンブル、薬物などにはまらない
(4) 過去の栄光を誇らない
(5) ひとの話をよく聞く
(6) つきあいは利害損得を離れる
(7) 女性の友人に下心をもたない
(8) 世代のちがう友人を求める
(9) 資産と収入の管理は確実に
(10) まさかのときのセーフティーネットを用意する


かなりハードルが高そうな条件だ。
これができる人なら、少なくとも離別は避けられるはずだが、どうだろう。


 

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2011/11/21 ブータン国ワンチュク国王のメッセージ

2011-11-21 22:18:50 | (11)随想・思想


ブータン国が何処にあり、どんな国かよく分からなかったが、新婚旅行を兼ねて来日された国王夫妻は、爽やかな言動により日本国民に対し大きな国際親善を実現された。


 



(マカマカ より転載)


東北の被災者には立ち上がる勇気を、子供たちには心の龍を育てよ、慶大生には携帯電話より絆と決断力をとメッセージを発信され、感銘を与えた。


組織を束ねるものの重要な役割は、下位者への明確なメーッセージであることがよくわかる訪日だった。


台湾を除けば、隣国には敵対心を持った国ばかりなので、隣国との関係は、心休まらないものがあるが、親日国というのは、本当に快い。


国民総生産(GNP)ではなく国民総幸福量(GNH)を大切にするという国王のメッセージは、それだけで国民の気持ちを慰めるものがある。
 仏教の考え方に基づいた価値観を前提とした政策は、教育・医療は無料にしている。
 国民だけではなく、犬などの動物、虫や花の命まで大切にする国民性を作り出しているそうだ。
 欲望が自己増殖する資本主義社会の価値観ではなく、「足るを知る」ことによる欲望の制御が社会的に行われることは、日本でも必要なことだ。


ブータン国は、長い歴史を持った国だが、今のような平和な国が昔から続いてきたわけではなかったようだ。
 チベットから攻撃され、イギリスに占領されたことも、歴史にはあるようだ。
 参照Wikipedia。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3


インドと中国に挟まれたブータンは、インドとは友好的な関係だが、中国はブータンにもちょっかいを出して揉めているようだ。
 中国は、領土を奪う帝国主義よりブータンの「足るを知る」ことを学ぶべきなのだが。



『<ブータン国王夫妻>日程終え帰国
2011年11月21日(月)13:00


 国賓として来日していたブータンのワンチュク国王(31)とジェツン・ペマ王妃(21)が20日、日本でのすべての日程を終え、関西国際空港から帰国した。


 国王夫妻は15日に来日。皇居での歓迎行事や宮中晩さん会に出席、18日には東日本大震災の被災地、福島県相馬市を訪問し、犠牲者に祈りをささげた。【山田泰正】』(毎日。Jp)


『金閣寺の美を堪能=ブータン国王夫妻―京都
2011年11月19日(土)12:03
 国賓として来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃が19日朝、京都市北区の金閣寺を訪れ、古都の秋を堪能した。あいにくの雨の中、夫妻は赤と紫の和傘を差しながら庭園を歩き、金閣に安置された座像を参拝。金閣について国王は「ビューティフル」と感想を口にした。


 有馬頼底住職(78)によると、国王は「地球上ではどこかで戦争をしている。仏教の力でそれが収まれば」と話し、王妃と世界平和を祈願して鐘を突いた。


 また国王は「世界遺産を維持していくのは大変でしょう」と話し、チベット仏教の手書きの美しい曼荼羅(まんだら)を住職にプレゼントしたという。』[時事通信社]


『<ブータン>国王来日に感慨深く 亡夫が農業指導、最高称号 妻、宮中晩さん会へ
2011年11月16日(水)18:00


 ヒマラヤの王国ブータンで農業指導に尽力し、同国民にもよく知られている故西岡京治さんの妻里子さん(75)が16日、来日中のワンチュク国王夫妻とともに宮中晩さん会に出席する。金銭的な豊かさの指標となる国民総生産(GNP)ではなく「国民総幸福量(GNH)」を提唱する同国。里子さんは「経済の価値だけが全てじゃない。日本はもう少し、本当に不幸な人を減らせるのでは」と感じている。【池田知広】


 互いに山が好きだった西岡さんと里子さんは1961年に結婚。64年、西岡さんは海外技術協力事業団(現国際協力機構)による最貧国支援計画の一環で里子さんとブータンに行き、高収量をあげる野菜栽培の指導や米の品種改良に努めた。59歳だった92年に現地で病死するまでいかに農民が豊かになるかを考え、実行してきた西岡さん。生前の80年には、英国の「サー」にあたるブータン最高峰の称号「ダショー」が与えられた。外国人への授与は初めてだった。


 「お金の使い方がわからなくて食べ物を手に入れるにも苦労しました」という里子さんも、子供ができて帰国するまでの11年間、現地で暮らした。驚いたのは自給自足と物々交換の生活が成立していたこと。人々は勤勉で、秩序が保たれていた。


 外務省によると、ブータンの1人当たり国民総所得は2000ドル(約15万4000円)足らずだが、05年の国勢調査では国民の97%が「幸せ」と回答した。


 GNHは当時の国王だったワンチュク国王の父が72年に提唱した。日本では最近になってその考え方をもてはやす声がある一方、「貧しい国特有の理論」という意見もある。里子さんは「GNHはドル支配の世界で『お金はなくても豊かに生活している』という国王の世界へのメッセージだった。経済成長を経た日本は今、『お金のない人はだめな人』になっているのでは」と指摘する。


 西岡さんの死後、西岡さんらがまとめたブータンの植物や農業についての書籍に加筆し、15日に改訂版が完成した。国王が日本にいる間に届けるとともに、宮中晩さん会にはブータンの民族衣装「キラ」を着ていくつもりだ。里子さんは「この50年でブータンが立派に変わって国王が日本の宮廷に招かれるのは、ちょっとうれしい気持ちです」と笑った。
』(毎日。Jp)



 

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2011/11/07 直径400mの小惑星

2011-11-07 22:05:06 | (11)随想・思想


御岳の山頂で、流星群を見たことがある。
流星は、隕石が大気圏内に入って、燃え尽きる際の、光の輝き。
 次々に落ちてくる隕石は、命あるものの様に燃え尽きていく。

 

以下の動画で流星を見ることができる。
「Time Lapse Perseids Meteor Shower 2010 ペルセウス座流星群」

http://youtu.be/OjKrSIAcvH8

たが、中には燃え尽きること無く、地上に到着するものがある。
それが隕石だが、イメージとしては燃え残りの小さいものだ。
しかし、流星は小さいものばかりではない。

 

メキシコのユカタン半島付近には、直径約10kmの巨大隕石が落下したと考えられている。
 誰もその様子を見た人はいないが、科学的知見により、事実であることは間違いない。

 

この隕石は、直径が10kmもあり、隕石の落下と言うより、小惑星との衝突といったほうが、正確だろう。

 

そして、この衝突が恐竜の絶滅の引き金になったと考えられている。
 約6500万年前の中生代は大型爬虫類の時代でsり、地上では恐竜が、空中では翼竜が海中では首長竜や魚竜などが繁栄を謳歌していた。
 小惑星との衝突を機に、これらの大型爬虫類は絶滅し、小型の鳥類と哺乳類が生き延びて、現在の種の世界に繋がっている。

 

直径400mの小惑星との衝突は、人類にとって未曽有の大災害になるが、必ずしも「想定外」と言えないのは、恐竜の絶滅で明らかだ。

 

今回は、無事に通り抜けたので、事無きを得たが、将来はわからない。

 

『直径400mの小惑星が接近、衝突の恐れなし
2011年11月4日(金)19:36

 

 米航空宇宙局(NASA)は、直径約400メートルの小惑星が日本時間9日午前8時28分、地球に最接近すると発表した。

 

 月より少し近い、上空32万4600キロ・メートルを通過する。
 地球に衝突する恐れはないが、複数のレーダー望遠鏡で注意深く観測を続けるという。
 この小惑星「2005YU55」は、球形で、表面は炭よりも黒く、18時間に1回の速さで回転している。

 

 同程度の大きさの小惑星が地球に接近するのは、1976年以来35年ぶり。次は2028年に別の小惑星の接近が予測されている。』(YOMIURI ONLINE)

 

この記事を読んで、恐ろしいことは、大地震は1000年に1回だが、小惑星の接近は35年振りだとのことだ。宇宙のレベルでは35年の時間は一瞬だ。この次は、17年後だと言う。

 

地球に接近する小惑星に対し、人類が手をとりあって立ち上がらなければならない日がやってくるのは、映画の中の夢物語ではなく、近い将来のことかもしれない。

 

 

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2011/09/23 5分間の波乱万丈 もしくは 見果てぬ夢

2011-09-23 23:10:11 | (11)随想・思想


人間は夢を見て生きている、だが現実は夢とは異なる。
夢なくして生きるのであれば蟻のように生きるしか無いし、夢ばかり見ていればナマケモノのように生きるしか無い。
人は夢と現実の狭間を行ったり来たりしながら生きている。


だが、人によって夢への態度は一様ではない。


ある競技会での光景の話である。
その競技は相手と戦って優劣を決める競技ではなく、4人の審判が点数をつけて評価し、点数の高い者から順位が決まる競技だ。
 優劣を決める競技でも僅差の場合は判定になるが、この競技の場合は最初から複数審判の評点で結果が決まることになる。


その点ではフィギュアスケートに似ているが、スケートの場合は規定と自由両種目で争うことになるが、この競技は規定だけである。
 空手の型の競技に似ているといえる。


その人は、60才以上のクラスの最初の組の出場者だった。
3人一度に競技が開始されると、最初から目を引いた。
歩幅が広いのである。身体の動きが大きいのである。
ダイナミックであり、テンポも速い。他の二人とは明らかに違う演技スタイルになっている。


この競技では、歩幅は重要なファクターだ。重心の移動・膝の角度など細かく規定がされており、基準が満たされないと減点の対象になってしまう。
 歩幅が広いと、腰を低くしなければ、重心の移動も膝の動きも制御が難しく、強靭な脚力も必要になる。だから、歩幅も腰の高さも自分の技能・体力に合わせて適当なものにする必要がある。
 他の二人は、見るからに常識的な安全運転の演技を行っている。


この競技種目には、体力を要する山場が2ヶ所ある。
ひとつは、片足で立ち、もうひとつの足は上に蹴り上げる形を取るところ。
もう一つは、片足でしゃがみ込み片脚を前方に伸ばす、次に重心を前に伸ばした足に移していき、重心を移し終えたら、その脚で片脚立ちになり、もう一方の脚の膝を上に引き寄せる姿になるところである。


全国大会のトップレベルの選手であれば、上げる足は顔の高さまであげられるし、しゃがみ込み、脚を前に出す場合は伸ばした脚が地面に付く程度まで腰を下げることができる。
 だが、地方大会のこの競技会ではそのレベルは高すぎるし、増してや60才以上のクラスでは体力的に難しい。
 無難に行うには、脚は腰の高さぐらいまでで蹴り、しゃがみ込む高さは膝の高さぐらいまでにするのが一般的だ。


彼の演技は進み、ついに、山場に差し掛かった。
どうなるか見ていると、片足で立ち片足を上げて蹴る動作では、まず腰の高さまであげ、次にもう一段高く胸ぐらいまで上げた。その瞬間後ろにバランスを崩しよろめいてしまった。次に、なんとか持ち直し、今度は脚をゆっくりと下ろさなければならないのだが、上げすぎた脚をドスンと降ろしてしまった。
 上げるまでに100%以上の脚力を使い切ってしまったので、ゆっくり下げる時に必要な脚力が残っていなかったのだった。


次の山場が来る。
その人は、低くしゃがみ込み脚を前に出すと、もう一段脚を前に出し、ポーズを決めた。全国大会で活躍する選手のようにである。
問題は次にやってきた。
 前に伸ばした脚に重心を移し、立ちががらなくてはならないのだが、余りに広く足を開いてしまったので立ち上がれなくなってしまった。どうするかとハラハラドキドキして見ていると、立ち上がる前に、後ろの脚を一度地面に着地してしまった。
やってしまったのである。


見せ場で見事に決めるという夢を彼は追い求めた。
そして見事に決めた。
 あの高さまで上げる・地面まで這うことは、そのポーズを取ることすら難しい。ポーズが出来ることでさえ日頃の精進が推し量れるのである。
 
だが、彼は夢から現実に帰ってこれなくなってしまった。
静止画の写真ならば、決めた瞬間だけだから、見事に決まっている。だが、問題は競技が動画であることだ。
 演技は、始まりから終りまでの5分間、淀みなく流れるように続いていかなければならない。


リスクを物ともせず、彼は夢を追い求めたが、その夢の後を続けられなかった。


演技が終り、審判が採点を表示する時が来た。
4人の審判は、点がわかれた。
8.3の点数を出した審判もいたが7点台の審判の方が多かった。
最終得点は7点台になってしまった。
 後ろで演技を終えた選手は、リスクを避けて脚も高く上げず、地に這うことはせず膝の高さで無難に纏め、最終得点8.3だった。


その後も、多くの選手が登場し演技を行った。
だが、彼ほどハラハラさせた選手はいなかった。


競技会は終わった。
表彰式では1位から3位までの選手が賞状を受け取った。
その中に彼の姿はなかった。


競技会が終わってみると、一番印象に残っている選手は、リスクを恐れず夢を追い求めて手に入れかけたが失敗してしまった彼だった。
 他の演技者の演技は思い出すことはできないが、彼の演技は記憶に残っている。
 その波乱万丈の5分間は、ドラマに満ちていた。
 夢と現実の狭間で格闘している姿は、愚かしくもあるが神々しくもあった。
 最も印象的な演技が最高だとすれば、彼こそ最高の演技者だった。


考えてみると、彼は既に小説の主人公だった。
セルバンテスの描いた不朽の名作「ドンキホーテ」である。


騎士道物語を読み過ぎて妄想に陥った主人公が、自分を伝説の騎士だと思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語。


年老いてからも夢や希望、正義を胸に遍歴の旅を続けるドン・キホーテの姿は、世界中の人々に多くの感動を与え続けてきた。


35キロまではいつもトップだが、その後山場で失速して優勝できなかった若いマラソン選手が、失敗の繰り返しの後、またオーバーペースで失速と思われたレースで、最後まで走りきりテープを切ることは起きることだ。不断の努力と闘志がそれを可能にしたのだ。


若ければ、いつかは失敗せずに演技できる力を身につけることができるかもしれない。
競技した彼は、60才を超えている。おそらくトップでテープを切ることはないだろう。
 だが、彼は夢を見る人である。失敗を恐れることもなく、人からは狂っていると思われながらも挑戦し続けるだろう。


見果てぬ夢を追い求めて



 

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2011/05/08 バラの食物繊維はバナナの10倍超

2011-05-08 21:09:26 | (11)随想・思想


薔薇の花は、まず見て楽しむ物。
次に、香水にしたり、リキュールにしたり、お菓子にしたりする。


 



(あいあいパーク より転載)


薔薇の花を食べるということはあまり行われていない。
食物繊維がバナナの10倍と言われるとその気になったりするが、薔薇の花を大量に食べることを考えるとためらいを感じる。


業者が香水のために使うのは良いこととしても、自分の湯槽を薔薇で満たしたり、花を食べるということは残酷な気がする。


もう間もなく薔薇の季節だ。
薔薇の花の美しさに見とれる日は近い。



『食べられる花、食べられない花の違いは?
2011年5月8日(日)10:00


食卓を鮮やかに彩るエディブルフラワー。いわゆる「食用花」である。日本では刺身のつまに使われる食用菊が最もポピュラーだが、じつはほかにもさまざまな種類の花が食用に栽培されている。


ちなみに日本での一大産地は愛知県の豊橋市。なんと全国シェアの9割を占める。当地では1967年から様々な品種のエディブルフラワーを開発。1980年代にはサラダなどに食用花を使う「イタめし」ブームに乗じて、シェアを伸ばしたという。


だが、どんな花でも食べられるわけではないらしい。食文化研究化でエディブルフラワー教室「ローズ ガーランド」を主宰する久木倫子さんによれば「エディブルフラワーにはビタミンやミネラルがバランスよく含まれ、様々な薬効があることが古くから知られていますが、なかには人間の体に害を及ぼすものがあります」とのこと。


そこで「食べられる花」と「食べられない花」を久木さんに仕分けてもらった。


「食べられる花はバラ、カーネーション、ホウセンカ、スナップドラゴン、プリムラ、カレンジュラ、ダイアンサス、ナスタチューム、パンジー、コスモスなど。ちなみにバラはバナナの10倍以上の食物繊維、ホウセンカはトマトの30倍以上のビタミンCを含みます。ほかの花も総じて栄養価が高いですね」


うーん、花のポテンシャル、結構あなどれないものがあるぞ。では、逆に食べられないのは?


「アネモネ、キョウチクトウ、けし、とりかぶと、水芭蕉、水仙、しゃくなげ、レンゲツツジ、キキョウ、すずらん、ラナンキュラス、ルピナス、福寿草、クリスマスローズ、浜木綿、おしろいばな、クレマチス、ひがんばな、ロベリア、オダマキ、シキミ、アンスリウム、ベラドンナ、イヌサフラン、オトギリソウ、アザレアなどです。これらの花には毒性があり、人体に害を及ぼすため決して食べないでください」


上記以外にもキケンな花々は意外と多いらしい。また、食べられる種類であっても、花屋で売られている切花には保存のための薬品が含まれ、人体に害を及ぼす場合があるそうだ。また、道端や公園に咲いている花は排気ガスや農薬などで汚染されている可能性が高い。


「きれいな花には毒がある」ケースも多いので、ご注意を!
(榎並紀行/アイドマ・スタジオ)
』(R25編集部)



 

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2011/01/19 トップの能力と品性

2011-01-19 21:47:21 | (11)随想・思想


リーダー、組織を動かす人の要件は能力だ。
会社の人事制度も能力主義だ。能力があり結果を出す人が評価されることになっている。
 頑張って結果を出した人が評価されるのは、一般論としては良いし、組織の運営方法としても必要なことだ。
 門閥、血縁、生まれが重視される組織は未来がない。それに比べれば能力主義が望ましい。


だが、組織のトップ、リーダーの要件を考えると、能力主義では危ない。
 会社でも官庁でもそうだが、組織のリーダーが問題である場合が多々ある。


公私のけじめがつかない人が、何故かリーダーになっていることがある。
 その背景には2つの理由がある。


その1
 能力がある人は頭の回転が早く、実行力があり、交渉にも長けている。だから、結果を出しやすく、仕事もできる。
 能力の高い人は目標が高い。だから高いところまで行くことができる
 目標が高いということは欲が深いということの裏表だ。


その2
 現在の組織は、一応民主的に運営されている。生まれ・血筋は一応関係ないから、組織の中での人気で決まる。
 能力のある人間は、人気の獲得と維持に長けている。
現在の組織は、「神輿に乗る人担ぐ人」である。若い時には、上司の神輿を担ぎ上司の人気を得る。ピラミッドを上がるに連れ、自分の神輿の担ぎ手を用意する。学閥、人間関係、出身、趣味etc関係づくりのためには努力を惜しまない。


最後の一つの椅子取りゲームに勝つには、2つを徹底した上に、競争相手を蹴落とす術策に長けていることも必要だ。
 此処が、問題なところだ。


最後の要件に問題がある。
人間が強欲で、強権的で、いやらしい性格の人間が最後の椅子座る結果になる。言い換えれば、最後の要件に品位は必要ないのだ。
 これが問題なのだ。最後の椅子に座るリーダーには品位が必要なのだということを、組織の人間は念頭から離してはいけない。


共産主義・社会主義の理想と現実の喩えようもない落差は、この問題が解決できないからだ。
 人間の問題が解決しない以上、共産主義・社会主義は制度としては機能不全の制度と言わざるをえない。


自由社会でない国家のリーダーは、品位のない人間ばかりだ。
冷戦が終わった後は、特にその傾向が強まっている。


品性がありそうな人物は、周恩来、ゴルバチョフぐらいしか思い浮かばない。



『大量の金塊持ち逃げか=チュニジア前大統領夫人―仏紙
2011年1月18日(火)00:03


 【パリ時事】仏紙ルモンド(電子版)は17日、チュニジアのベンアリ前大統領の夫人が同国脱出直前、チュニジア中央銀行から金塊1.5トンを持ち出したもようだと報じた。仏大統領府が得た情報に基づくもので、AFP通信も、同日の市場価格で6500万ドル(約53億6600万円)に相当するなどと伝えた。


 同紙によると、前大統領夫人は14日の脱出直前、自ら中銀に赴き、金の延べ棒を出すよう要求。中銀総裁は当初拒否したが、前大統領からも圧力を受けて最終的に同意した。前大統領夫人はチュニジア脱出後、ドバイ経由でサウジアラビアに入ったとみられる。』[時事通信社]


世界では、まだこんな事が事実として起きている。
この国の大統領もその夫人も能力のある・実行力に長けた・仕事の出来る人達には違いない。
 そうでなければ、独裁者にはなれないのだから。


中東諸国には、このような独裁政権が多いそうだ。
チュニジアの飛び火は、次に何処に向かうのだろう。


 

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