純粋さ切なさの奈保子さんの歌声が聴ける日を夢見て・・・
(当ブログはご本人とは無関係です)
河合奈保子・Pure Dream
28年前
ある方が掲示板に28年前のことを投稿されていて、それに触発され私も投稿してみたいと思います。
28年前の1981年10月6日の新聞記事です。新聞記事の出来事はその前日の10月5日のことです。
河合奈保子さんがTV番組収録中の事故で大けがをしたというものです。当時、このニュースを知った(事故当日の、ザトップテンの出演取りやめが番組内で知らされたことで知りました)ときは、一瞬頭の中が真っ白になってしまいました。でもそのときは、40日以上にも及ぶ入院生活が必要になるほどの重傷とは思いもよらず、次週の歌番組で姿を見られるだろう位にしか考えてませんでした。
「第一腰椎圧迫骨折」、状況が悪ければ麻痺も残るかも知れなかったような事故で、幸いにも復帰を果たしてくれました。
この時は東京から遠く離れた場所に住んでおり、回復を遠くから祈ることしかできませんでした。
やはり、このころのことは私の心の中に強く残っています。
■朝日新聞:81/10/6 朝刊(縮刷版より)
■読売新聞:81/10/6 朝刊(縮刷版より)
奈保子さんのこの件に関することは、著書「わたぼうし翔んだ」に詳しく記されています。このブログでも紹介させていただきましたが、この闘病生活を通して奈保子さんが様々なことを見つめ直して、改めて自分の進むべき道を認識したのだろうと思います。
発売当初、私はこの本を読んでおらず、最近になって読みました。
奈保子ファンの多くの方は読んでおられるとおもいますが、もしまだなら一度読んでみる価値は十分にあると思います。
■奈保子さんのこの時のシングル曲
・ムーンライトキッス (YouTubeの検索結果にリンクしています)
■復帰後のシングル
・ラブレター (YouTubeの検索結果にリンクしています)
この2曲には私も特別の思いがあります。
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■掲示板
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こちらにはずいぶんとご無沙汰しており、申し訳ありません。
今年になって読んだ日刊スポーツによると、
退院記事に
「心配された妊娠不能なのど後遺症はなし」と書かれています。
マヒだけでなく、このような事も後遺症として考えられたわけですね。
この記事を読んだとき、お子さん2人にも恵まれ、本当によかったと思いました。
ちなみに同じ退院の記事内に
「12月にはストック曲から、新曲ラブレターもでる。(7月に録音済み)」とあります。
これもBOX1が出た今となっては・・・
よく隠し通せたなあと思いました。
そうですね。何の後遺症もなく回復できたのは本当によかったと思います。
>「12月にはストック曲から、新曲ラブレターもでる。(7月に録音済み)」とあります。
発売当初は、入院前の録音として通していたのでしょうね。
83年の「わたぼうし翔んだ」では、入院中に抜け出してレコーディングしたとあり、B面の「No No Boy」はJEWEL BOXにストックであると書いてましたね。
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