風雲!戦国不動産

お城は大好物!

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

熊本城主だより

2013年04月24日 | 登城!!
何を隠そうあまりに好きすぎて何口も払って熊本城主になってるワタクシ。
だてに「熊本城が自分的ナンバーワン!」と豪語してないw

城主には時々、城主だよりというものが届く。



やや、金の無心か? というのは冗談だけど
今回は馬具櫓と続塀の復元工事をしているというお知らせだった。



ワタクシは参勤交代で江戸にいる城主ならぬ埼玉在住の城主。
おまけに飛行機大嫌い。好きすぎるお城とはいえホイホイ登城は出来ない。
松江は車で行きましたが、熊本は車では登城前に軽く死亡・・Σ(゚ロ゚;)

次回、登城する際は3泊くらい熊本城付近に泊まって
毎日朝から晩まで熊本城に居つくつもりで行く気合い。

他の城攻めをしながら「わが城」に戻る軍資金(!)の用意をするのは大変ですw



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ザ世界遺産 高野山

2012年06月08日 | 名所!!
和歌山城の後は世界遺産真言宗高野山に行ってきました。

うちの母などは弘法大師びいきなのであちこち行っていますが
イワシの頭も信心派のワタクシは本場精進料理と武将の墓がお目当てw

福知院


精進料理をいただくお寺です。時間がなくてじっくりみれませんでしたが
由緒あるお寺らしく有名な武将の所持品らしきお宝なども展示されていました。

精進料理


精進料理と言ったらゴマ豆腐! 福井の永平寺とかも有名ですが・・。

肉はありません


もずくに野菜のてんぷらに・・梅干しの天ぷらにはびっくりΣ(゚Д゚||;)

肉はないけどお腹はいっぱい


豆乳鍋にがんもどきの煮つけ、そして白いご飯と御味噌汁、お漬物。
肉はなくても量を食べるとなかなかお腹いっぱいになります。
でもワタクシ肉食系なので毎日は結構です。肉も魚もある懐石が好きです。

コレハカレサンスイデスカ?


真言宗ですがお庭は枯山水風・・仏教は全部「禅スタイル」と思う外人がいるのも納得w

高野山のメジャースポット


高野山の中心部にある金剛峰寺。超有名なお寺です。高野山来たらみんな寄ります。
ワタクシも一応寄っておきました・・が、人多すぎて何だかよくわからない!!

外人さんいらっしゃ〜い


外人さんが多いのが気になりすぎて・・世界遺産ってすごいわ〜
同じく世界遺産の姫路城より白人率が高いのもちょっとした驚きです。

不思議な世界


熱心な信者さんが大きな声でお題目? お経を唱えているのがすごかった。
お経を読めるってかっこいいですね。普通のおにいさん風の人がすっと立って、
突然どでかい数珠を手にまき、渋い声でお経を唱え始めるシーンも何度も見ました。
普通のその辺にいるカジュアルなかっこの男性。どこかの御坊さんとかなのかしら?
佛教大学出た坊さんの跡取りとかそんな感じの。信心なしのワタクシですが
びっくりするけどお経読めるってなんだかかっこいいなと思いました。

でも金剛峰寺はどうでもいいんです。ワタクシが用があるのは奥ノ院!

武将のお墓満載なんです!!


金剛峰寺から2キロくらい離れた高野山の奥・・だから奥ノ院かと思っていたら
弘法大師のいるところはどこでも奥ノ院というのだそうです。

まずは武田信玄と勝頼親子のお墓。


メジャーからマイナーまで、はたまた近現代の著名人まで多くのお墓があります。
全部じっくり見てると帰れなくなるのでメジャーのみじっくりお参りします。

お墓と言っても武将の場合骨が埋まっているとは限りませんが、
お墓は偲ぶ人のためにあるとも言いますから気もちの問題ということで。


謙信の霊廟


重要文化財なんだとか。あちこちにガイドさんを頼んだ団体さんがいるので、
ワタクシは近くによってちゃっかり一緒に説明を聞いておりましたw
謙信の遺言だかによって建てられた霊廟だそうですよ。
場所が奥まっているので地図を見て道沿いを歩いているだけだと見落とします。

妄想の世界に入りかけ・・


政宗君のお墓。ワタクシはお城の次に武将の銅像とお墓が好きというか
見て回るのが趣味なのですが、お墓を見ると骨があるなしはともかく、
本当にその武将がいたんだなという実感がよりリアルになってきます。
あちこちの城に行って、イケてるところでは武将の直筆の大額とか
使っていた軍配やら軍旗やらも見てるので実感はとっくにしていますが、
お墓を見ると人生の終わりまで見た気になるんでしょうかね・・墓フェチですw

歴史が決めたこと


石田三成の墓。敗戦の将は奥まったところにあったり規模が小さかったり・・
気の毒だと見るか、それでも奥ノ院にお墓があることでよしと感じるか人それぞれ。
ワタクシは石田三成嫌いじゃありません。抹殺されずお墓があってよかったと思いました。

ご利益のほどはいかに?


奥ノ院 超パワースポットと言われているらしいです。
大殺界のワタクシにはうってつけ。マイナスイオンパワーも炸裂な感じです。

天下人のお墓


秀吉のお墓は大きいです。一族分あるので敷地が大きい!!
でも墓石がいまいちしょぼかったので「?」な感じがしました。

わたしは好きです。


明智光秀のお墓。これまた道からそれたところにひっそりと・・
しかも向きも変で何だか気の毒になりました。三成より奥まってましたし。

順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元

正しい順序と逆の順序には一本の道しかないのであろう。
人の大道(人の守るべき正しい道)とはなんであろうか。
五十五年の夢が覚めたような今、心の源に到達したような気がする
私はいま土へと帰るが、己の生き方に悔いはない。

何しろ信長が一番ですがだからといって光秀が嫌いではないんです。
辞世の句。清廉潔白で品があってわたくしはとっても好きです。
次に好きなのは謙信の辞世の句。秀吉のはあまり好きじゃないです。

過ぎたる者


忠勝君のお墓もみつけましたw 忠勝と清正・・そういえば清正の墓なかったわね。
わたくしの戦国2大ヒーローです。幸村?・・イケメンイメージじゃなくていいんですw

トリはやっぱり


信長で!! ワタクシ的超カリスマ。骨なんて間違いなくありません。
そして墓は他にもたくさんあります。京都の大徳寺も前にお参りしてますし。
秀吉より低い場所にあったのが地味に納得いきません(笑)

弘法大師の奥ノ院


念のため弘法大師さんにもお参り。こっから先は撮影禁止なんです。
信者の方には弘法大師の眠る聖なる場所にあたるそうです。


高野山から埼玉の自宅まで車で12時間かかって到着は朝の4時Σ(゚Д゚)!
飛行機嫌いのワタクシに車で行けるお城はもうそうそう残されていません。。

さて次はどうしよう?



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大阪城、岸和田城、和歌山城に登城!

2012年05月11日 | 登城!!
ゴールデンウィークは関西方面に出陣しました。

他にめぼしい城がなく行きづらい和歌山城に登城するため大阪経由を選択。
午前1時に埼玉出発→7時到着で颯爽と登城開始です。

ここだけでもわかるメガキャッスルっぷり


日本100名城54番大阪城。

外堀埋め立てられてコンパクトにされちゃった残りだけでこの規模。
メガキャッスルΣ(゚Д゚)! どんだけデカい城だったんだと改めて思う。
見えるのは六番櫓。横矢がかかった凄まじい石垣が素晴らしい!
徳川勢が何が何でも外堀埋めたかった理由が少し分かる気がします。

超割愛


中国語とか何語とか何語とか・・外人の団体さん多いすねΣ(゚Д゚||;)
それ以外にも人がすごくて・・久々に超有名デカ城に行ったので忘れてましたw
観光客の頭ばっかり映るから写真撮る気が失せて遺構を目に焼き付けながら天守へ。
天守もすごい人でした。展示物ほとんど見れませんでした。GWに行ったの失敗。

太閤さんちょっと意地悪そう


豊国神社に寄ってみました。秀吉の銅像がありましたがちょいと意地悪そうです。
イメージするより威風堂々すぎる銅像で天下人オーラは出てる気がしますがw

天下人にあやかりましょう


せっかくだから軽く挨拶していくことにします。死んだおばあちゃんにすぐに
お礼に来れないところでお願いごとをしちゃいけないと言われたワタクシ。
本気のお願いは憑いていると信じている自分の左肩・・守護霊に頼んでますw
結構効いてると思うのは思い込みが激しいからでしょうか?

プラス思考で行こう!


秀吉を意地悪そうだと言ったからでしょうか・・人生初の「凶」を引きました。
ワタクシ何を隠そう今年大殺界の女。このタイミングで「凶」って辛すぎる・・。
でも今年もう半分終わるし。末吉とか微妙な吉よりこっちのがいっそスッキリだわw
旅行よろしいって書いてあるし。無くしたものとかないし。待ち人いませんしΣ(゚Д゚)!

ちなみにワタクシ大阪城内にいる間にたこやき違う店で買って2パックも食べました。
人生で大阪初上陸だったので(!)一応食べといた方がいいのかなと思ってw

岸和田城


思ったよりもいいお城でした。小雨がちらついてるけど攻略の証に登城ポーズをw
岸和田ってお祭りとかでワイルドなイメージあるけど城はとっても品がありました。

曇天なのがつくづく残念


石垣は本物。積み方の異なる石垣が見られて素晴らしい!
佇まいも一般的にイメージする日本のお城の風情があって来てよかったわ。

和歌山城


日本100名城62番 和歌山城。暴れん坊将軍吉宗が部屋住み時代にいたお城です。
和歌山城は江戸時代になってから建ったお城。今の天守も復興されたもの。
戦国の雰囲気はまったくないので御三家のお城は優雅でお品がある感じです。
復興された味気ない天守の中を見るよりこの角度の方がワタクシは好き。
お城の決めポーズっていうんですかね。日本の城って素晴らしいと思う瞬間です。

すぐに元を取りました


ズームレンズを買ってよかったと思うのはこういう写真を撮る時。
遠すぎる位置からでないと取れない角度は写真にするとゴマ粒見たいになるので
ズームレンズがないとただの風景撮ったみたいになってしまいます。

お城マニアにはバズーカでも打つのかと思うような望遠レンズを持ってる方も。
ワタクシももう少し倍率の高い(お値段も高い)のを買えるといいのですが。


城攻めの後は高野山に行って武将の墓参りをします。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

新発田城に登城!

2012年03月02日 | お城関連の史跡
日本100名城31番 新発田城に登城!



利用した駐車場の関係で二の丸からの登城。
平成16年に復元された三階櫓が目に飛び込んできます。
三階櫓はT字型になった3つの入母屋屋根に3匹の鯱が乗った全国唯一のもの。
午後の日差しが強くて櫓の白壁に反射する光が目に刺さるわ〜

新発田城の天守相当だった三階櫓はなぜT字型の屋根なのか分かっていないそうです。
左側の青い壁の向こう側が自衛隊の駐屯地。昭和28年から本丸の大部分と二の丸が
自衛隊の敷地となり、映画「八甲田山」のロケで使われたとガイドのおばちゃんが言っていた。
明治政府が絡むとろくなことがないというのはよく思うけど、自衛隊もなぜに?と思う。



旧二の丸隅櫓は二ノ丸北部にあった乾櫓を昭和34年に解体修理を行って
本丸鉄砲櫓跡の現在地に移築したもの。なまこ壁がおしゃれw
ここから三階櫓を眺めるアングルは切込接ぎの石垣の長さも感じられ素敵!
寛文8年(1668)の大火で城のほとんどが焼失し、翌年の地震で石垣が崩れたため、
当時最高の技術であった切込接ぎと算木積みで積みなおされているのだそうだ。



本丸表門に着きました。当時の橋はいざという時切り落とせるよう木橋だったという。
表門は享保17年(1732)に再建された櫓門。桁行9間(約16.3m)、梁間3間(約5.4m)。
年代を超えてきた重厚な色の柱や梁が年季を感じさせる堂々たる門構え。



本丸表門を入ったところに建つ初代藩主、溝口伯耆守(ほうきのかみ)秀勝の像。
藩主に恐れ多いからと当時の人は箒(ほうき)のことを「なで」と呼んだのだとか。

新発田城は元々、鎌倉御家人佐々木加地氏の一族である新発田氏の居館があり、
戦国期に新発田重家が上杉景勝と7年に渡る抗争の末に敗れ、天正15年(1587)落城。
慶長3年(1598)秀吉の命により、加賀大聖寺から溝口秀勝が6万石で入封し築城を開始。
3代藩主、宣直の頃(1654)に完成するが、50年以上の歳月をかけて築いた城は、
二十数年後の寛文8年(1668)の大火で焼失することになる・・・おお切ない。




次は辰巳櫓。二層二階入母屋造、本瓦葺。平成16年に三階櫓と共に復元されたもの。
堀部安兵衛の父である中山弥次右衛門が管理責任者を務めていたが、
櫓の焼失の責任を取って浪人。安兵衛は家名再興のため江戸に出ることとなった。

赤穂浪士は好みじゃないから忠臣蔵の話や主役級の人の名前は知っていても、
その人たちのバックグラウンドなんて知らないから、こんなところで名前を聞いて
ちょっとびっくり。堀部安兵衛が藩祖、溝口秀勝の曾孫だというのにも驚きw



礎石が見えるようガラス張りになった床。ガイドのおじさんの説明によると、
礎石に柱が建っているのがイメージできるようガラス板を利用して柱が映るように
しているのだとか。素敵なアイディアだと思ってちょっぴり感動しました。



手前から辰巳櫓、本丸表門、旧二の丸隅櫓が並ぶ本丸南面の3ショット。
青空が映えそうな・・夕方になってきて陽が落ちかけた頃なのが残念。
新発田城は周囲に湿地が多く、城の周りにあやめがたくさん咲くことからあやめ城とも、
加治川の堤を切って周囲を水浸しにする設計がされたため浮舟城とも呼ばれたそうだ。



謎に包まれた3匹鯱を最後にもう1度見て新発田城登城終了。


2012年も2か月終わったのにワタクシのエントリーはまだゴールデンウィークΣ(゚Д゚)!

次はようやく夏の登城〜福知山城からスタートですw



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

村上城に登城!

2011年11月01日 | お城関連の史跡

驚異の3連続エントリーですw GWの話題はもうちゃっちゃと片付けますよ。



通りから1本入ると住宅街を抜けて突如、登城口出現の村上城跡。
駐車場も狭いんだけど城址碑、その駐車場の超端っこにポツーン・・Σ(゚Д゚)!
隣は育英会の建物、前は路駐の車。車の間に割り込んで撮影するの一苦労。
育英会の脇にちらっと見える石垣は当時の一文字門枡形の一部なんだそう。



狭い駐車場の一角からすでに一文字門跡。本丸への入り口になる門で、
当時は全面を枡形として石垣を積み、その上に塀を回して冠木門を附属させた
二重構造の門構え。山頂に行くには一文字門を通らなければならないため、
城攻防の最後の拠点になる場所ということで大きく厳重な門だったそうだ。

といったことが書いてある案内板を読んで周りに残る石垣を眺めたけれど、
たとえば先だって見た松本城の太鼓門枡形の高麗門が冠木門になった
バージョンみたいのしか思い浮かばないのよね。予想図とか見てくればよかったわ…orz



一文字門跡のすぐ後ろから登城口となる七曲道の始まり。
印刷して持ってきた登城図にもがっつり載ってるつづら折りの坂。
7回か8回折れてるけど、見た感じ傾斜は緩そうな感じ。



ご丁寧に都度都度がっちりつづら折り(´Д`)
急な傾斜じゃないけど距離が地味に長いのは結構だるい。
なんたってワタクシは運動不足。健康診断では中年のオッサンのごとく、
中性脂肪が基準をちょっぴり超えてしまう今日この頃・・。



躍動感あふれる後から来た子にあっという間に追いつかれ・・



ほんの十数歩の駆け上がりにて軽く死亡・・Σ(゚Д゚)!
ひとりでぜえぜえしてますがなにか。おっさん達にもぬかされました。



三の丸の虎口にあたる四ツ門の石垣が見えてきました!! 
(どんだけ苦労して登ったんだって感じだけどたかが20分くらい)
写真は四ツ門手前から七曲り側を振り返って見たところ。
七曲りを登ってくる敵を狙い打てる感じだから、ワタクシみたく、
ホッと一息なんかついてたら登った甲斐なくあの世行きは確定w



で四ツ門跡。ワタクシの乏しい想像力ではいまいちピンと来ないのですが、
この門は三の丸、二の丸、居館、井戸と4方向封鎖できる構造だったのだとか。
門跡を入って左手(北側)が三の丸跡、右手(南側)が二の丸、本丸、天守跡。
限られた時間で後悔ないよう、まずは大本命の天守跡に向かうべく南へ。



迂回路を通って外枡形の御鐘門跡を曲がったところ。
石垣の保存状態が素晴らしいです。七曲り登ってきてよかったw

村上城は室町時代に本庄氏が地頭として入り城を築いたのが始まりと言われる。
その後、勢力拡大した本庄氏は戦国時代には上杉謙信とも戦うものの、
家臣となって上杉家の会津移封に同行。堀秀政の家臣、村上頼勝が入封し、
本庄城から村上城へ改称。現在の遺構である近世城郭に大改修されたという。

戦国時代には土塁や木柵で出来た根古屋式の中世城郭だったというから、
残っている石垣や遺構は基本、村上城に改称された以降のもの。
でも割と時代古いし山にあると藪や苔といったオプションが追加されるので
時が止まったような雰囲気がある。登らなきゃ見れないし感じられないもんね、
と毎度毎度、ヨロヨロしながらうっとりしてしまうので、懲りずに登るのだw



二の丸から見上げる出櫓台跡石垣 withブルーシート・・Σ(゚Д゚)!
「激」見どころの石垣なのにこの状態残念すぎる。
ただこんな状態ながら遠目からでもかなりの存在感があって、
近づくにつれ迫ってくるような迫力は感じられました。



ようやく本丸冠木門跡。外枡形と内枡形を持つ超ディフェンス構造。
枡形の上、本丸自体真四角じゃないからあちこちの櫓を合わせて死角なし。
横から上から前からついでに明後日の方から・・生きて出られぬ感満載。



天守跡にて。弁当広げてる人が多すぎていい写真が撮れなんだ・・。
村上城は舞鶴城とも呼ばれていたということで城址碑はこれ。
どうしてありがちな別名の方で建てちゃったのか首をかしげるw



標高130mの臥牛山に築かれた村上城。山頂の本丸から村上市街を眺めます。
山城から見る下界の風景って当時を思い浮かべやすく爽快だから好き。
見渡す限り山しか見えない山城もあるけど、やっぱ城下が見える方がいいわ。


この後も石垣にうっとりしながら約1時間・・マニアックになるので割愛w

次は新発田城でスタンプをもらいます!!!!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

上山城に登城

2011年11月01日 | 登城!!


羽州の名城 上山城に登城!

しかし。温泉に来たついでらしい観光さんがたくさん・・
チェックイン時間とかぶる頃合いでの登城は失敗だったようです(´Д`)
長谷堂城跡に行って妄想した方がよかったなと後悔してみたりw

せっかく来たので郷土資料館になっている模擬天守の中へ。
展示品は上山や蔵王についての資料や出土した土器とか、
上山出身の冗談みたいにでかい力士の実物大人形とか・・・微妙。



模擬天守だろうと城に桜の風景って非常に美しい。
と言いつつ模擬天守と言われると総工費いくらだったのかな?と
すぐに公共事業を考えてしまうワタクシはかなり悲しいw



立派な模擬天守が建っているのは二の丸跡。
土岐氏が建てた幕府ににらまれる奥州の名城と呼ばれた天守は
どんなだったのだろう? 小高い場所にあるから美しく目立っただろうね。



散り際・・というか葉桜なりかけの桜の木立から。
桜の木が立っているあたりは微妙に土塁と空堀が残っています。



ちなみに・・表はこんな感じΣ(゚Д゚||;) 
駐車場降りた時はちょっとびびったしw


今日の登城はこれまで。明日は新潟に向かいます。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

山形城に登城!

2011年11月01日 | 登城!!
日本100名城10番 山形城に登城!

まだまだ今さら〜なGWの登城記録をお送りしておりますΣ(゚Д゚||;)



結構車が多かったため駐車場ポジション取りを間違えてしまい、
人波について歩いたらうっかりトンチンカンな場所から登城Σ(゚Д゚)!
南大手側からいきなり本丸一文字石垣と大手橋を見てしまいましたw



空堀の立派なこと・・さすが57万石!!
山形城では現在、お城の歴史的価値を見直して、御殿や土塁、堀などを復元し、
将来的には史跡公園として整備しようとしているそう。
山形城は敷地内に大きな運動場があるんだけど、史跡公園になる頃には、
これらも撤去されるというから、オール復元でもそれはそれで楽しみな。
まぁ先は長そうだから足腰丈夫で長生きしとかないといけないねw



東大手門広場に建つ最上義光像。長谷堂合戦で陣頭に立つ勇姿がモチーフ。
長谷堂城の戦いは関ヶ原で西軍の敗戦を知った直江兼続を追撃する最上君と、
上杉軍の殿を買って出た傾奇者前田慶次・水原親憲の激戦で有名。
最上君、陣頭に立って追撃したけど兜に鉄砲くらったという。お茶目じゃないかw

関ヶ原で徳川方につき57万石の大名となった最上君。57万石は全国第5位。
実高は100万石だったと言われる領地に、義光は三重の堀を巡らせた山形城を築いた。

勇ましいけど策略家でもありダーティなイメージが付きまとう最上君。
政宗ファンには評判悪いけど、ワタクシはきらいじゃないw
しかし騎乗の武将像ってのはゾクっとしますね。かっこよすぎてw



たいがい入場料を取られる櫓もここは無料公開。山形市なんて太っ腹!!
パンフレットもたくさん置いてあって色々もらえるのも素晴らしい!!
スタンプもここでゲット。とても綺麗に押せたので満足満足。



いつでも見られるわけじゃないらしい二の丸東大手門櫓。
ちょうど公開中。今回は待っても待っても待っても待っても
人がちょろちょろ門をくぐってくるので無人シーン撮れなかったの残念w



櫓内を見学した後は櫓門をくぐって本当はここから登城するはずだった
二の丸大手門へ。くぐって枡形から見る櫓門。木造本瓦葺き、入母屋造り。



逆走ははなはだ調子が狂うもの。内枡形から高麗門をくぐって数歩歩いてから
クルッと振り向くとザ・山形城なシーンが見られるのよ。逆から来たおかげで調子悪いわ〜



パンフレットの写真とか青空で超〜櫓が映えるんですけどヽ(`Д´)ノキー!

別名、霞城と呼ばれる山形城。
関ヶ原の頃、富神山の麓から様子を伺っていた直江兼続が、
10日経っても霞がかかって城が見えなかったことから
霞城と呼ぶようになり、現在まで残っているのだという。

ちなみに橋の下は線路。パンフレットなど公的な資料の全景が入った
イケてる写真は線路の中にある中洲的な土手から撮っているらしい。
高圧電線が通っていると看板があり素人には手が出せないのがミソ。



せっかく逆走したので近くにある最上義光歴史館に寄りました。
歴史館の前には噴水のある池と外人さん風の彫刻のある風景。かなり洋風。



ここも無料なの。結構な展示品があるのにタダ!!
長谷堂合戦図屏風とか、最上義光の書状とか、連歌巻とか、刀剣や甲冑も。
それに例の・・ほら銅像にあった長谷堂で陣頭に立って鉄砲ぶち込まれた兜。
信長から拝領したと伝えられる三十八間総覆輪筋兜(弾傷つき)までも
ガラスケース越しにだけど間近で見られるのだ。写真撮れなくて残念だけど。

ワタクシは人がいなかったので入り口で見た実寸大最上君を脳内抹殺し、
勝手に様子の素敵な武者姿を妄想しつつ、かぶりつきで見ておきましたw



で、帰りがけ・・入り口にある実寸大最上君を見て苦笑い的な? 

・・なんで踊ってんの? 実寸大なら虎将らしい方がよかったよぅ。

愛娘、東国一の美少女と言われた駒姫も父と一緒に実寸大で出現!!
駒姫は豊臣秀次の側室として三条河原で処刑されちゃったのよ。
最上君必死の嘆願で秀吉に尼になることで許しをもらえたのに、
中止命令がちょっとの差で間に合わず・・気の毒なお姫様なの。


さぁ山形城の次は今夜の宿がある上山温泉の上山城へ!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

米沢城に登城!

2011年10月12日 | お城関連の史跡
ついにゴールデンウィークの登城編 Σ(゚Д゚)!



上杉30万石 米沢城に登城!
現在は本丸部分が上杉神社となっている米沢城跡。
堀を渡った入り口にはドーンと控える石灯籠。
米沢城登城と言い張るのが若干、苦しい感じの展開ですw



おい、そこのとうもろこし屋台、空気読めヽ(`Д´)ノキー!

橋際まで寄り過ぎだっちゅうねん。

旗を入れてナイスビューを撮ろうとするとどうやっても微妙に
「とうも」の風情ない文字が入って残念な写真になっちゃう。

桜満開の季節。大震災がなければ桜祭りが開かれていたらしきこの日。
祭りは中止になっても予定していた屋台はそうはいかないらしく、
参道の両端や堀端はこれでもかというくらい屋台目白押しΣ(゚Д゚)!



上杉神社(ワタクシにとっては米沢城址)の幟旗。
謙信はここに住んだことないけど血が騒ぎます。



神社の入り口には謙信の銅像が・・しかしちょっぴり残念な感じだ。

間近で見られるのと、面構えとどっしり感がある分の迫力はあるけど、
ワタクシは春日山城の頭巾をかぶった謙信像の方がかっこよくて好きですw
だってどう見たってほっぺのお肉が垂れ下がりすぎじゃない?



どんだけ仲良しだw

NHK大河「天地人」の時に建てられた景勝君と兼続君の仲良し像もあります。
しかもほっぺ垂れすぎな上杉謙信の像よりも通りに面したところにw
大河は見ないワタクシ。天地人も1秒たりとも見たことはありませんが・・。



なんとなくお参りもしとこっかw



資料館があるので立ち寄ります。基本写真撮影NG。
上杉家と言っても鷹山公の時代が多かったかしらね。
米沢では謙信より景勝より鷹山公の方がスーパースターなのよ。

そんな中、サービス的に設置されたこのコーナーは撮影OK!
懸り乱れ龍と刀八毘沙門の旗が見ると意味不明に気分が向上しますw



で、その上杉鷹山公。

なせば成る なさねば成らぬ 何ごとも 成らぬは人のなさぬなりけり

上杉鷹山は120万石から30万石に減封された関ヶ原以来、苦しい藩経営で
火の車となっていた米沢藩を質素倹約や殖産興業で立て直した名君。
ケネディ大統領が「日本で一番尊敬する政治家」として名を挙げた人。



堀に桜・・お城はこうじゃなくっちゃ。



せっかく米沢まで出張っているので上杉家廟所にも寄とこっか。

藩祖謙信から12代斉定公までが埋葬されている米沢藩主上杉家の墓所。
昭和59年、全国大名墓所としては5番目に国の史跡に登録されたそうだ。
謙信の、景勝の、鷹山のお墓があるというのに人がいなすぎてびっくり!
高い杉の木立に囲まれてひっそり静寂・・独特な雰囲気があります。

入場料は300円。高いのか安いのか微妙な感じは正直ありますw



謙信の遺骸は景勝の移封とともに会津若松、米沢へと遷されて、
一時はさっき見てきた米沢城址(上杉神社)の御堂に安置されたものの、
景勝逝去の時、この場所で火葬にして廟を建て位牌を納めたそうだ。

他の藩主の御廟より奥まったところにある謙信の御廟は流造(ながれつくり)。
左の2代景勝 右は3代定勝の御廟。どちらも入母屋造り。無駄な装飾はなし。
昔は廟屋の前後や参道の両側に家臣が献奉した石灯籠が1500基くらいあったそうだ。



実際には謙信の遺骨は高野山にあり、ここにあるのは分骨らしいのだが・・
でも上杉好きにとってはある意味リアル聖地。お参りしながらどさくさに紛れ
「大好きです」と乙女の恋心もこっそり告白w どんなお参りだΣ(゚Д゚)!



次は上杉家・直江兼続の菩提寺になっている林泉寺にやってきました。

ワタクシが訪れたのはGW後半のこと。震災の影響で石灯籠などが崩れ、
米沢林泉寺も4月は拝観が出来ない状態だったそうだ。

門東町にあった家老職、竹俣家にあった門を明治になって移築した山門。
竹俣家に建っていた頃、藩主の鷹山公がくぐったそうです。



こちら米沢の林泉寺は景勝公が30万石に減封されて米沢に入った際、
謙信公の遺骸や文書、宝物と一緒にこの地に移されたのだという。
春日山林泉寺に比べると境内は決して広くないけど本堂はかなり立派。

拝観料は本堂と宝物館見るのに300円。境内拝観するのに100円。
米沢の林泉寺の宝物館はたいそう充実している上、本物ばかり。
それで300円って安い。ちなみに境内拝観料の100円ってのは
上杉セレブ達の廟所・・つまりお墓の見学代。価値観がよく分からないw

撮影禁止なので写真が一切ないのが寂しいところだけど、
中には謙信や兼続直筆の書や直江兼続夫妻の位牌や毘沙門像とか・・
越後から持てるだけ持ってきちゃいました的なものを含む貴重なお宝が満載。
寺院ルールで仏様に手を合わせた後、お寺の方の詳しい説明を聞くことも可能。
おばちゃん達は感動の様子で拝聴。ワタクシ時間ないので挨拶して自由見学。



本堂の拝観を終えてルート通りに進むとまず直江兼続と船さん夫妻のお墓です。
天地人以降に立てるようになったと思われる旗で存在感ばっちりw

独特のお墓の形は「万年塔(堂)」といってこの地方にしかないものだそうだ。
直江兼続の考案だと言われ、有事の際は取り外して積み上げることで防塁にし、
直江家の家紋を表す三つの穴は銃眼として使えるようになっているんだって。
水害時は中が空洞なので土を詰めて土嚢にも出来るんだとか・・恐るべしw

他にも謙信・景勝に仕えた豪勇の武将、甘粕備後守景継の墓、
武田信玄の六男、武田大膳太夫信清の墓、その信清の姉で勝頼の妹である菊姫。
上杉景勝の実母(上杉謙信の姉で長尾政景の妻)仙洞院のお墓、
上杉鷹山公の側室、お豊の方のお墓など上杉セレブのお墓目白押し。


米沢をがっつり堪能して、ついでに米沢牛も食べて次の城に向かいます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

松本城に再登城!

2011年09月13日 | 登城!!
お盆休みに弾丸ツアーを決行したっていうのにボケボケ今頃GWの話題よ・・。



GWだったのに朝8時前に乗り込んで奇跡的に人のいない松本城に登城!
ワタクシ通算5度目の登城ですが、いつ来ても家族連れやら団体さんやら外人さんやら・・
ひどい時なんか、あなた。天守入るのに1時間半待ちとかもザラなんでございますよ。



8時半の開城と同時に入ったので人はまばら・・隣で写真撮ってる人の姿がない
グレート松本城なんて素晴らしい!! かっこいいったらありゃしない!!



右から小乾天守、渡櫓、天守、辰巳付櫓、月見櫓・・完璧!!
しかも色は黒。白亜の城もいいけれどワタクシは黒い城のが断然好き。



入城前に撮った堀越しの松本城・・なんて男前なんやw

美しい人により美しく見える角度があるように城にもナイスビューな角度がある。
松本城は多くの人がそうであるようにワタクシも外から見るのはこの角度が一番好き。
ちなみに唯一好きな俳優さんジュードロウは斜め横顔が一番好きΣ(゚Д゚)!
天守の窓から顔出している観光さんとかが一切いない大満足な鑑賞ですw



並ばないで、しかも中ガラガラ状態でお城の中を見ることが出来ました。
連子窓の同じ高さのところばかり黒ずんでいるのは手の脂。
年季の入った連子窓。明暗のはっきりした感じに時代を感じる。



四階、書院造の御座所。戦闘用の城だから閉鎖的な空間が多いけど、
ここはこれまでの階とは違って柱が少なく広々で窓も四方にあるので明るい。
有事の際に城主の居室になるので鉋がけされた柱や漆喰の壁もあり
手斧(ちょうな)がけの跡が残る他の階よりだいぶ丁寧な感じ。



松本城は勾欄が無く半間の廊下を回して戸が閉まるようにした寒冷地仕様。
その窓のところに人が群がり、部屋の中ほどには上を見上げる人が固まり・・

その目線の上にあるのが梁の上に祭られた松本城を守る二十六夜神様。

1618年正月、天守番川井八郎三郎の元に二十六夜様が現れ、
「我を天守の梁の上に祭り、毎月26日に三石三斗三升三合三尺の餅をついて供え、
それを藩士全員で分かち合えば国が豊かになる」と告げた。
お告げは藩主に伝えられ明治維新に至るまで毎月続けられてきたという。

なんで城主じゃなく天守番に?とか細かいことを気にしてはいけないw



上方が尖った特殊なアーチ型になった窓は花頭窓。男前な城のチャームポイントだw
禅宗建築として鎌倉時代に伝わったものが城郭にも取り入れられるように。
松本城では乾小天守4階に2箇所、辰巳附櫓2階に2箇所設けられている。
実践想定の男前な面構えにひそかな遊び心のかわゆげな演出w
そんなに大きなものじゃないけど外から見ても存在感は抜群!



書院造、船底造りの天井が風雅な月見櫓にやってきました。
北・南・東にある舞良戸を外すと3方吹き抜けになってとても開放的。
舞良戸(まいらど)は框の間に板を入れ、舞良子と称する細い桟を
小間隔に取り付けた板戸のこと。世の中が平和になった頃・・・
三代将軍家光を迎えるために増築されたので天守とは違い穏やかな表情。
ちなみに月見櫓があるのは岡山城と松本城だけなのだとか。



漆朱塗りの高欄つき廻縁が黒い城のアクセントになっている感じで。
櫓から見る月は美しいそうです。月が・・というよりも
この雰囲気の中で月を見るという風情そのものが美しいんだろうね。



天守を堪能した後は太鼓門も見ておきます。
1871年(明治4)に取り壊されて、平成11年に復元された太鼓門。
一の門と二の門、その間に枡形があり、門台北石垣の上に
太鼓と半鐘が置かれた櫓があったことから太鼓門と呼ばれたそうだ。
外堀に面した二の門は高麗門。一の門の巨石を見に入って見ます。



二の丸側にある一の門や櫓門。総間口10m本瓦葺の堂々とした構え。
左にある巨石は玄蕃石と呼ばれるもの。高さ4m、周囲7m、重さ22.5tΣ(゚Д゚)!
築城工事の際、石川康長(玄蕃頭)があまりの大きさに不平を訴えた人夫の首をはね、
はねた首を槍先に刺して叱咤激励したことからこの名前がついたのだそうだ。

重機のない時代・・城は駆り出された人夫の血と汗と涙の結晶でもあるのね。



この太鼓門も最初に入った黒門も、そして復元されていない大手門も
城内へは枡形を通らないと入れない仕組み。大手門は無理だろうけど、
2つ復元されているから当時の雰囲気がより感じられてよいです。


やっとGWの初日分がアップできました。
GW分・・まだ7城分プラスアルファあんのにどうしよう…orz

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

川越本丸御殿に登城!

2011年07月26日 | 登城!!
4月の登城を今頃更新・・さぼりすぎだろ。

修築工事の終わった川越本丸御殿に登城しがてら小江戸川越を散策してきました。
灯台下暗し…たいして遠くもないのにじっくり見たことのない川越。
今回は『エコ登城』なので万歩計をつけて気合いを入れて歩きます。



まずは川越城大手門跡に建つ川越市役所へ。
本丸御殿に行くなら大手門跡からってのもいいかなと思ったし、
太田道灌の像もあるというので話のタネに見ておくことに。
交差点の角のとってつけたようなスペースに脈絡なくどーん!
どんな大手門だったのか全くわからないけど写真右手に進むと当時は
外曲輪、八幡曲輪、二の丸・三の丸そして本丸となっていました。

太田さん・・ちょっぴりちんちくりんな感じがするのはワタクシだけかしら?
写真でしか見たことないけど日暮里駅前の騎乗の像や東京フォーラム前の像、
岩槻市役所とかにある像は堂々とした佇まいで英雄らしさ満載なんだけどなw



近づいてみた。

やっぱり太田さん、ワタクシのイメージとは違うみたいΣ(゚Д゚)!
銅像って違和感を全然感じないのと「・・おや?」みたいな2種類があるね。

太田道灌は室町時代の武将で扇ガ谷上杉家の家宰として関東平野を駆け回り、
負けなしの戦歴を誇る文武両道の名将と言われ人望も厚かったそうだ。
道灌の活躍で扇ガ谷上杉家は関東管領山内上杉家を凌ぐ勢いになると、
恐れた山内上杉顕定は「道灌が謀反を企てている」と扇ガ谷上杉家正に讒言。
道灌はその言葉を信じた主君家正に糟谷の館(伊勢原市)に招かれ暗殺された。享年55歳。

道灌は死に際「当方滅亡!!」と叫んだという。(扇ガ谷上杉もこれまでという意味)
その後、両上杉家は何度も戦いを重ね、最後は北条氏の前に滅んでしまう。

アフォな主君に仕えると尽くしてやっても馬鹿を見ちゃうね・・
下剋上の世の中、太田さん謀反した方がむしろよかったのかも?

文武の他、築城の才もあり、江戸城・河越城・岩付城の縄張もした太田道灌。
川越市開府の始祖と仰がれて川越市役所前に今こうして銅像があるそうです。



本丸御殿方面に行く前にほど近い逆方向にある時の鐘を見ておきます。
室町時代の妄想からいっきに江戸時代に頭を切り替えますよw
大通りから小江戸を演出中の路地に入るとすぐ時の鐘が見えてきました。

岩槻城登城の時に見た時の鐘もそうだったけど、
川越の時の鐘も住宅街の中に突如、現れる感じでw
でも町全体で小江戸な城下町風情が演出されてるから素敵ね。
蔵造りの町並みとして有名な一番街や菓子屋横丁はこの先に続く。
小江戸川越観光の人気スポットだけど朝早いので観光さんの姿なしw



時の鐘から再び、太田道灌さんのいる川越市役所に戻り、
本丸御殿方面へ向かいつつ途中にある川越城中ノ門堀跡を来ました。
今日は万歩計つけてるから元気よくバリバリ歩くのだ。ワハハ。

通りに面した住宅街に挟まれた状態で突如出現する川越城中ノ門堀跡。
川越城の堀跡として唯一の遺構となるもので、2010年の春に復元された。
中ノ門堀はさっき見てきた市役所のところにあった西大手門から侵入した敵が
本丸方向へ向かうのを防ぐために造られたもの。当時、他に2つ堀があり、
合わせて3堀でがっちりガードしていたらしい。写真向かって左方向が本丸。



ちっさいわ〜思ってたよりだいぶw

現在、残っている堀跡は18mなんだとか。それでも唯一の堀跡だからありがたや〜
西大手門(写真右手)から攻めて来た敵は勾配60度の堀面(写真右側)が登れない。
もたもたしてるところを狭間から弓や鉄砲で嫌と言うほど狙い撃ちする作戦。

・・・見学、以上Σ(゚Д゚)!



中の門堀からまっすぐ行けば本丸御殿だというのに途中の小道をちょいと曲がり、
先に富士見櫓跡を見ることに。地図はなくても野生の勘で何となくたどり着く。

富士見櫓も住宅街の中に違和感ありありにどーんと現れる感じで。
櫓跡(写真奥の階段がある小山)の目の前に川越城田曲輪門跡の石碑。
なんだか超〜適当な感じで、夏なんか草ボーボーなんじゃないかと思われる。
川越城の貴重な遺構だというのに放置プレイされている感じが満載ですw



櫓跡には登れるんだけど、登っていいことがありそうな気がしない。
しかしたいして高くないので登って降りて数分だと思い直しいざ参る。

川越城には城の中央に太鼓櫓、東北の隅に虎櫓、本城の北に菱櫓、
そして南西の富士見櫓と4つの櫓があり、一番高台にあったこの富士見櫓は
天守の代わりに使われていたと考えられているそうだ。
大して高くないけどこの上の櫓なら当時は富士山丸見えだったんだろうね。



やっぱりね・・登りきったら中途半端に工事してますよ的な。
富士見櫓はそれらしき図面なんかも見つかっていてずいぶん前から
復元予定が持ち上がっているというけど結局、進んでないようだ。
2階だか3層だかの櫓だったらしい。復元されたら見てみたい。



ようやく本日の大本命、川越本丸御殿にたどり着きましたw

日本100名城19番 川越城に登城! ・・てか御殿だけどΣ(゚Д゚)!
でもそんな小さいこと気にしちゃだめ。思えば武田神社だってそうだった。
同じ埼玉にありながら修復工事完了を待って満を持しての登城なんだから。



めっちゃドヤ顔な感じしますw

大唐破風と大ひさしのついた立派な玄関、渋さと品格があります。
川越17万石の威風漂う本丸御殿。川越城唯一の遺構で貴重な建物。




玄関で靴を脱いであがり受付で拝観料を払って100名城スタンプをもらいます。
掛川城の二の丸御殿と同じく、庭に面した廊下を歩いて部屋を見て廻ります。
掛川城の二の丸御殿は廊下に畳が敷かれ部屋も広かった。
欄間なんかも部屋によってはとっても凝った作りだったけど、
川越本丸御殿は余計な飾りがなさそげで質実剛健な超武家風。

何も足さない、何も引かない・・潔くって男らしいわ!
政務を行う場だし、お堅い印象の松平さんだから当然かw



庭も渋い。財政難でコストパフォーマンスを重視したってことは・・ないないw

川越本丸御殿は嘉永元年(1848)藩主松平斉典が造営したもので、
玄関と大広間、移築復元された家老詰所のみが現存している。
家老詰所は明治維新後、福岡市の福田屋の分家に移築され昭和62年まで
母屋として使用されていたものを川越市が貰い受け、当時に近い場所に
移築復元したそうだ。移築とかされてなければ重文だったかもしれない。

川越本丸御殿は嘉永元年(1848)藩主松平斉典が造営したもので、
玄関と大広間、移築復元された家老詰所のみが現存している。
家老詰所は明治維新後、福岡市の福田屋の分家に移築され昭和62年まで
母屋として使用されていたものを川越市が貰い受け、当時に近い場所に
移築復元したそうだ。移築とかされてなければ重文だったかもしれない。



家老詰所で政務に励む家老3人衆・・うつむきがちで何やら難しい顔。
あれ、やっぱ財政難だった? 家老たちが見どころにひとつなんですw



一見、この肌色にこのメイクって何だか悪役ちっくですが
真面目で頑固一徹、忠義な家老が真剣に思案中ってところでしょうか?



家老の間の廊下天井。きれいに修復されているのが分かります。
どこに行っても思うけど修復する大工さんは本当にすごい!!
現存として存在しているのはメンテナンス出来る人がいればこそ。


は〜たくさん書いて頑張ったw
登城してすぐ書かないと感動が薄れちゃうね。

反省反省・・・もう間もなく8月になろうっつうのに
ワタクシ4月から5月にかけて登城した全7城もまだ溜め込んどります。。

ちなみにお盆にも11城回る無謀な計画立て中・・どうすんだ?


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

佐倉城と千葉城に登城!

2011年06月21日 | 登城!!
日本100名城20番 佐倉城に登城!



杉山城に続き、また地味な城跡です。

まずは自由広場横の三の丸空堀から。大きくて立派な空堀。
明治時代は陸軍連隊が駐屯してたから改変されちゃってるんだって。
今はのっぺりしてるけどもっと起伏があったりしたかもしれない。




開国の父、堀田正睦さん(1810〜1864)の銅像。
わたくし幕末はとんと不勉強で教科書+薩長新撰組程度の
知識しかなく全く知らなかったですが有名な人らしいですね。
佐倉藩に西洋の学問を奨励し、幕末期の老中として
動乱の日本を開国に導いた佐倉藩主なんだそうです。
重臣クラスで堀田○○守とか耳にするけど、佐倉城主も家名だけで、
実際、堀田さんよく知らなかったのが現状。勉強になりましたw




ひたすら空堀を見ながら本丸入り口までやってきました。
木造本瓦葺、二階造り、梁間四間、桁行八間の一の御門。

佐倉城は三の門、二の御門、一の御門と配置は直線上にある縄張が特徴。
でも空堀や枡形構造、横矢ですんなり侵入されないよう構造のようです。




佐倉城は1610年、土井利勝が3万2400石で入封し廃城となっていた鹿島城を改修。
江戸東方の守りとして関東屈指の壮大な城郭で、家康は築城にあたり、
この城の要害堅固さに天下の名城たらんと督励したという。

二の丸に戻って来ました。ここでは佐倉城の礎石を見ることが出来ます。
明治政府は陸軍を駐屯させるにあたり、惜しげもなく佐倉城を壊し、
なんとその礎石を兵営の基礎に使ったのだそうだ。明治政府絡むと
お城にとってろくなことないね。熊本城も天守焼かれちゃったしね(怒)




椎木曲輪にあったコの字型の馬出しは昭和46年の発掘調査で確認され、
復元されたもの。現在の深さは3m。当時は5.6mもあったそうだ。
この馬出しも連隊の兵営造る時、埋め立てられちゃったらしいよヽ(`Д´)ノキー!
長辺121m。巨大城郭らしい大きな馬出し。浅くなっても規模はよくわかる。




佐倉城近くには当時の藩士の武家屋敷が保存されています。
中級下級合わせて3件・・ちなみにこれは100石未満の武士の家。

まともな和室2つくらいしかなかったと思う。
何人家族で住むの? テレビもゲームもネットもない時代。
雨の日とか家族で終日一緒の部屋、気づまりだよねぇ・・。
ちなみに他の2件は茅葺だけど、この武居家だけ茅葺ではなく
トタン屋根の微妙な作りです。予算なかったのかしらねぇ〜




甲冑の前に座布団・・これは座って写真を撮れということですね?
あたしはいつだっておひとり様・・・ミニ3脚は車に積みっぱなしだし、
もし持ってても必死のセッティング中、誰か来たら恥ずかしい。
こういう時、ひとりは失敗だなと思う。仕方ないので座布団に座り、
正座して礼儀正しく甲冑をしげしげと眺めておきましたw





佐倉城の後は近所の千葉城もついでに登城!

千葉城は1126年(大治元年)関東八平氏筆頭の千葉常重が築城したのが始まりで、
13代330年続くものの室町中期、内紛により千葉氏は滅亡。廃城になったお城。
中世城郭だから元々天守はなく、昭和42年、博物館として模擬天守が建てられた。

小田原城を模して造られたという四層五階の模擬天守。
千葉城の頃の別名は亥鼻城。現在は千葉市立郷土博物館です。
ちなみに鉄筋コンクリートのみならず免震構造。プラネタリウム完備w





白亜の天守に弓を引く勇ましげな武将は千葉常胤さん。
頼朝が伊豆で挙兵し、石橋山の合戦に破れて安房に逃がれた時、
一族を率いて助けた常胤さんは鎌倉幕府成立の立役者。
鎌倉武士といえば菅谷館でお目もじした畠山重忠さんが素敵だけど、
常胤さんもナイス武士! 男気あって勇ましい感じは伝わってくるわw




威風堂々な白亜の模擬天守と常胤さんの銅像に眼を奪われるけど、
その後ろにはひっそり唯一の遺構と言われる土塁もありました。
中世城郭の頃の遺構だとしたらずいぶん綺麗な気がしないでもないけど。




佐倉城の歴博より、あたしはこっちの博物館のが断然好き!
展示品単位で撮影禁止って書かれてるものは撮れないけど、
大丈夫なものはたまには載せてみようかと撮ってみました。

常胤さんが活躍した前後の時代を中心に充実の展示!
これで入場料60円!! パンフレットついて大人60円ってありがたい。
ちなみに子供は30円・・・って、え? 取っちゃう感じなの?(笑)
入場券売り場ではでかでかな記念スタンプも押せました。
佐倉城の歴博の420円はいったいなんだったんだろうと首をかしげるw


城跡が続いたから、ぼちぼちハンサムな城を見に行くかw

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

杉山城に登城!

2011年06月21日 | 登城!!

中世城郭の教科書と言われる杉山城に登城!


比企城館跡群として国史跡に指定されている杉山城。
でもあたしのナビでは出てこないから隣の玉ノ岡中学校を設定したのに、
まったく反対側に連れていかれ、変なお寺に迷い込んでしまった。

お墓詣りの地元のおばさんに「杉山城はどこですか?」と聞いたら
「杉山城ならすぐ近くでここから見えるんだけど・・」いいながら
通りへ降りてきてくれたおばさん、突然、我に返ったような調子で


あらっ・・でもなんにもないわよ!?

いただきましぁぁぁぁぁーーっ!! 「何もないわよ」のお言葉!!

城跡探してると必ずそう言われるんだよね。
あたしにとっては何もない所の話じゃないんですが。




みんなが思い描くような天守がなかった時代の城。
お城ってのは立派な城壁の建物があるのばっかじゃないのよ。
土だけだって地形を利用したり掘ったり持ったりで防御力強化が可能。
杉山城は超ディフェンス重視の城。想像力をフル稼働で脳内復元します。

馬出しから南三の郭をつなぐ土橋が見えます。
あたしがいる外郭と馬出しは丸太でつながっているけれど
当時はここに木橋が架けられていたそうです。




南三の郭側の案内板イラストではここに門があり、横矢の掛かった南三の郭の虎口に冠木門が、
そして郭内には小屋と高い井桜の絵が描かれていた。戦国の城って感じだわ〜うっとりw




城や城跡に興味のない人にとっては単なる山の風景。
あたし的には激ツボなポイントをねっとり見ながらの登城ですが、
ブログでは巻きでいきます。

本郭の北虎口に到着。ここも当然のことながら横矢掛かり。
虎口受もセットで。左の北三の郭方面へ行く前に本郭に入ってみます。

落ち葉ゾーンでついたチクチク、取りきれないらしく地味に痛痒いわ〜




本郭の後も山の裏側まで舐めるように見てきましたが巻きますw

屏風折りになっている南二の郭、三の郭の東外側斜面(切岸)。
これならフィンファンネル並みに弓矢あちこちに向かって打てますよw
多角的であることが大事なんです。

中世のお城は地形を生かして掘り方や盛り方工夫して、
回り道させて曲輪間の移動にも神経使って防御力を高めます。

は〜城跡 最高!! 変な目で見られますがやめられません。
中途半端な模造天守が建ってる城よりリアルであたしは好きですw
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

掛川城に登城!

2011年03月10日 | 登城!!
日本100名城42番 掛川城に登城!


11月に行ったのにすっとぼけて今頃アップΣ(゚Д゚)!
早く書かないと忘れちゃうけどお城の感動は胸の中にこっそりw

天守みたいな高さのある建物は特に近すぎると全部入らないけど、
ズームがない状態で遠くから撮るとかわいそうなくらい小さくなる・・。
それが無念で残念でこの度、城を撮るために清水ジャンプで
お手頃価格のズームレンズを購入。早々に元が取れますな、フフ・・。



24時間駐車OKの本丸駐車場に車を停めて静岡攻略開始w
実は関西方面に行く時スルーするばっかで静岡は初めての登城!

復元された大手門はとっても豪壮で近世城郭って感じ満載ね。
馬に乗ったまま通れるように冠木下の高さがあるのが特徴で、
山内一豊が在城時、大手曲輪を作った時に建てた門なんだって。



掛川城は復元。でも雰囲気があるっていうか違和感なくって素敵。
当時、美しいと言われていたのがとっても納得できる感じ。



掛川城は戦国時代、駿河守護大名今川義忠が遠江支配の拠点として、
重臣朝比奈泰熈(やすひろ)に築かせたのが始まり。
桶狭間の戦いで今川義元が斃れると駿河を追われた氏真が立てこもるが、
徳川家康が攻防の末、和睦開城させ、石川家成を入れ武田への防御拠点とした。
その後、秀吉によって家康が関東に移されると山内一豊が入り、在城した
10年の間に今に見る天守が築かれ、城下町の整備などが行われた。別名は雲霧城。

写真は天守曲輪にある霧吹き井戸。ありがちと思ってはいけない。
城の伝説につきもののあれね・・と思えばいいのであるw

家康に攻められた今川氏真は重臣朝比奈泰朝の掛川城へ逃げ込みます。
徳川軍の攻撃を受けた時、井戸から立ちこめた霧が城をすっぽりと覆い隠し、
城を守ったと言われています。 (案内板などより抜粋)

当時の掛川城は後で行く掛川古城のはず・・細かいことも考えてはいけないw



木造で当時のように造られた天守内部は現存天守と同じ感じ。
階段も狭くて急で木が新しい以外、登りにくさは全く一緒!
使われた木材は青森ひば。木のにおいがまだありました。



本丸門跡の石塁上にある太鼓櫓は外観しか見れない上、
建ってる場所が難しくて全貌がよく見える場所が探しづらい。
1854年の大地震で倒壊した後に再建、三の丸から移築されたらしい。
これまでだったら豆粒みたいにしか撮れない見えなかったものも、
普通のズームレンズがあるだけで見違えるよう。元取れ確定ですw



革製朱塗紺糸威五枚胴七間五段下り・・山内家ニ代目山内忠義公の鎧。
本物の鎧なのに写真撮っていいだなんて嬉しいじゃない!!



次は本丸御殿へGO! 今さら功名が辻。
御殿の庭にはまだ一豊とお千代ちゃん2人の姿がありましたw
御殿の中に入って100名城スタンプをもらい、他の記念スタンプももらって見学開始。
現存なのに写真OK!どこでも自由に入ってご覧くださいという太っ腹さw



ガイドのおじさんが現存4つの御殿の説明をしてくれた時、
掛川の御殿は国の重要文化財でね、川越の御殿は一度解体移築されたから
重文にならなかったんだよねと言っていたのを思い出す。



この御殿は保存修理はされているけど江戸後期に建てられたまま。
天井も長押も釘隠しも・・いたるところで味のある匠の技が見られます。



おお〜ビュティフォー!!!!!
日本建築って、そしてそこから見える城って素晴らしい!!



御談の間は藩に用事のある者の用件の取次や談合をした部屋なのだとか。
談合するには玄関先みたいで何だか落ち着かない気もするけどw
御段の間のすぐ目の前には何やら土塁らしきものが見えます。
あらずいぶん立派だわ・・と思って外に廻って見ることに。



外部から二の丸御殿を隠す目的で造られた土塁で、こういう目的で造られた
土塁のことを「黒土塁」というそうだ。「見越しの松に黒板塀」というのも、
板が黒い塀のことではなく、外から内側を隠す塀だから黒板塀というらしい。

掛川城はこの後、案外しょっぱい竹の丸を見て、
せっかくだから掛川古城も見て終了。2時間半もいついてしまったw

次は小山城へ行きます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

唐沢山城に登城!

2010年11月23日 | 登城!!
宇都宮城〜祇園城〜唐沢山城と1日で栃木攻略完了させる気ですw



関東七名城のひとつ 唐沢山城に登城!
遺構の状態の良さと見どころの多さで有名な関東屈指の名城。
来てみたかったお城にやっと登城することが出来ました。

唐沢山城の登城と言ったら大手枡形の食い違い虎口から。
観光さんはジロジロ見る人もなく普通に通り過ぎていきますw



直線にしたら侵入されやすいので食い違いにして防御している虎口。
食い違いをじっくり・・・といっても石垣は明治に修復されたもので、
さらに昭和に入って車乗り入れのための拡張で石垣も積み直されたらしい。



食い違い虎口を入ってすぐに見えるのが天狗岩。
当時はここを登った岩場に物見櫓が建っていたのだとか。
物見櫓のあった場所にも行くことが出来るんだけど、
どうやらそこは岩の突き出た断崖らしいので遠慮しておく。



大炊の井と呼ばれる井戸。築城の際、厳島大明神に祈願をして、
霊夢により掘ってみると水が湧き出たとの言い伝えがあり、
今日まで水が枯れたことはないそうだ。直径7〜8メートル? 結構大きい。



主郭のある城山に入る部分に設けられた堀切・・四ツ目堀。
当時は木造の曳き橋が架けられていて、謙信が攻めて来た時は
ここで橋を引き揚げて侵入を食い止めて守りきったのだという。
謙信って聞くだけで登城のテンションがさらに上がるよw



神橋のかかった四ツ目堀は唐沢山城で最大規模の空堀で、
今は幅8メートルくらいかな・・当時はもっと深かったそうだ。
城山側は高い崖になっていて四ツ目堀の奥には竪堀もある。
この辺りで徹底ガードしますよ〜って雰囲気がプンプンします。



唐沢山城は年配のご夫婦や家族連れなど普通の観光さんが多い。
神橋を渡ってまっすぐ行くと唐沢山神社、左へ上ると三の丸方面。
予想外に人多いわ〜汗かくわ〜と思ったらほとんどの人は神社へw
この辺は当時のままっぽい荒々しい感じが残っていて素敵ですよ。



三の丸は唐沢山城で最大の広さがある曲輪だったそうだ。
当時は御使者の間という応接所があり、侍の詰所や馬舎もあったという。
今は人形塚があって人形祭りの旗がぽつーん・・・藤棚もあったけど。



三の丸の奥にある武者詰と呼ばれる帯曲輪側からではなく、
本丸の高石垣が見えるルートから二の丸に移動。

う〜ん しびれる石垣!

鬱蒼とした木陰で見る苔むした石垣って廃れた感が出てていい。
写真右が二の丸虎口に続くんだけど枡形はなく直進でGoですw



本丸の西に位置する二の丸。石垣で囲まれているのが見えます。
奥御殿直番の侍者が詰めた所だけど、今は神楽殿が立っているだけ。



いざ本丸へ。

二の丸に続く本丸の搦め手口にあたる部分から神社のある本丸へ。
ここも石垣でがっちり。本丸の石垣はすべて当時のままなのだそうだ。

唐沢山城は平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷(俵藤太)が築城したと言われ、
戦国時代には秀郷の子孫にあたる佐野氏が居城としていた。
当時、北関東は上杉氏と北条氏の勢力争いの最前線であったため
唐沢山城は10数回もの攻撃を受けたが、落ちることなく耐えた。
関東七名城のひとつで関東には珍しい石垣の城。

佐野氏は小大名ながら時には上杉、時には北条と和議を結ぶなど
外交戦術を駆使して生き残り、関ヶ原の戦いでは東軍に味方して家名を保った。



この唐沢山神社には平将門の乱を平定した藤原秀郷が祀ってある。
藤原秀郷 の遺徳を偲んで明治16年(1883年)に創建されたそうだ。
二の丸三の丸の方は人が全然いなかったけど神社は観光さんがちらほら。



本丸は木々に囲まれ下界が全く見えないけれど、
少し降りたところにある南城跡からの眺望は最高ー!!
平野は丸見えだし、写真には映らないけど肉眼だと遠く正面に
かすかだけど東京の高層ビル群も確認できるの。

でもこの眺望の良さが唐沢山城を廃城に追い込んだと言われている。
ある時、唐沢山城から江戸の火事を見た佐野氏が江戸に駆けつけたところ、
家康に江戸を見下ろす場所に城を構えている事を咎められ佐野移封となり、
後に佐野城と領地も没収され改易となった。そして唐沢山城は廃城。

火事を見て江戸に駆けつけたところでどうにもなるまいに・・
忠義が裏目ったのか、打算が裏目ったのかは分からないけど。



狭いけど引き局の横にあるのは表御殿跡。
何があるというわけじゃないけれど本丸の石垣がいいですw

きりがないからブログには載せてないけれど
井戸やら他の曲輪やら土塁やら堀切やら・・戦国城郭好きにとって
たまらない遺構がたっぷりの唐沢山城。観光さんにも人気らしいけど、
明らかに見ているところや選ぶルートが違うので混まなくてよかったw

来週はいよいよ、あたし的空白地帯 静岡攻略開始します!!



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

祇園城に登城!

2010年11月23日 | 登城!!
宇都宮城に続いて単品登城するにはいまいち上がらない祇園城へw



ナビに出ないので住所を打ち込んで付近を目指していたところ
城址公園の裏側にある住宅街の中の駐車場に連れていかれる。
あんまり燃えた登城じゃないから縄張図も持参していないし、
駐車場も公園付属の割に案内板もなく、とにかく表に廻ることに。

大通り沿いの思川にかかる橋のたもとにある城址公園の入り口。
石垣風に囲まれた坂を上ると本丸と言われている場所が見えてくる。



祇園城は思川に沿って南北に広がる台地に造られたお城で特に西側は
川幅のある思川と川の浸食で切り立った台地の崖を利用した天然の要害。
今は大部分が住宅街になってしまい、公園内すら色んな施設が建っているけど
江戸初期の廃城直前には東西400メートル南北700メートルに及ぶ大城郭だったそうだ。



本丸の中央・・なんてことはないΣ(゚Д゚)! 周囲には西も東も
残っている土塁が見られるんだけど、この時はあいにくあちこちで
落ち葉の清掃中。邪魔しちゃ悪いな・・と思って遠目で見て終了。

祇園城は鎌倉幕府の有力御家人小山氏の居城で小山城とも呼ばれる。
11代義政の時、関東管領足利氏満に叛して滅亡。その後、室町幕府の配慮で
同族の結城氏から次男泰朝が祇園城に入り、小山氏を継いだ。
しかし戦国時代になってこの地に進出してきた北条氏照に城を明け渡し軍門に下ると、
小田原の役後、北条に味方したとして秀吉の怒りを買い領地没収、小山氏は追放された。

ちなみに氏照はここを攻める時、滝の城から出陣したの。



高い土塁があって大きな堀切にかかる赤い祇園橋を渡ると二の曲輪。
案内板を見る限り「虎口」どころかこの場所自体ノーマークなんだけど、
いろんな資料を見てみると虎口だったんじゃないか?的なものも多い。
まぁ虎口かどうかはともかくこの下にある空堀が素晴らしいのよ!



当時、ここはどんな種類の橋がかかっていたんだろう。
少なくともかけっぱなしの木橋じゃないよね。まして赤いはずはないw
岩槻城とかもそうだったけどお城公園の橋ってなんで赤が多いの?



案内板には虎口や橋の説明はなかったけれど、この堀切については
「空堀(旧結城道)と書かれていた。城の当時から道としても使っていたのか、
廃城になった後、道として使われていたって意味なのかは分からないけど。
堀切の幅は10メートル、高さは6〜7メートルくらい。この突き当りは思川になっている。

小山氏がいたころからあった堀切なのか北条氏照が手を加えたものなのか・・
不勉強で分からないけど、どっちにしてもすごい堀切でびっくりしました。



馬出しと呼ばれている部分は方形で周りは広い空堀がめぐらしてある。
滝の城の空堀同様、規模が大きく、馬出しとセットだと北条スタイル全開!
祇園橋の堀切ほど深さはないけど当時はもっと深かったかもしれない。



馬出しの北面の空堀は少し深め。幅は8メートルくらいあるかしら?

公園化された場所に来て土塁や空堀を見て最近とても思うのは
建物があるのがお城と思っていた頃だったら何を思ったかということ。
もちろんそんな頃にはそもそも登城すらしないわけなんだけど、
もし来ていたら「変な作りの公園ね〜」と不思議に思ったりして、
仮に案内板を読んで城だったと分かってもピンと来なかったと思う。
興味や知識を持つと楽しみ方が広がる。今にケバだらけの縄張図を見て、
脳内復元や脳内攻防再現がさらっと出来るようになるといいけれどw


しょっぱい城だと思って何も準備しないで来た自分が悪いんだけど、
こんなに立派な遺構が残っていて公園としても整備しているんだから
もう少し案内板とか各所の説明を充実してくれるといいんだけどなぁ。

やっぱりどんなに大したものがなさそうなお城だとしても
登城するからには簡単な下調べはしておいた方がいいね。

まぁ今回は仕方ない(すでに何度かやらかしているが)。
次は本日のメインキャッスルである唐沢山城に向かいます!!


コメント
この記事をはてなブックマークに追加