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拾い読み★2017-258≪コラム記事≫

2017年09月15日 07時00分58秒 | マリーンズ2017

思い出の二遊間 脳裏に刻まれる井口資仁の偉大さ

ロッテ荻野が脳裏に刻む井口の偉大さ

 真っ先に脳裏をよぎった。井口資仁内野手が引退を表明した時、荻野貴司外野手が思い出したのはプロ2年目の2011年のことだった。それは決して順風満帆な日々ではなかったが、今では大切な経験として残している。

「井口さんと二遊間を組めたことは自分にとって忘れられないことですね。とても貴重な経験をさせていただきました」

 2010年オフに遊撃のレギュラーを張っていた西岡剛内野手(現タイガース)がメジャー挑戦をするため移籍をして、そのポジションがポッカリと空いた。穴を埋めるべく、白羽の矢が立ったのが社会人時代に遊撃の経験のある荻野だった。春のキャンプから特訓が始まった。

「社会人時代はやっていたこともあったけど、失格の烙印を押されていた。だから、言われた時はめちゃくちゃ不安でした」

 キャンプでは二塁で不動のレギュラーを張る井口とコンビを組んで練習をする機会が増えた。緊張をした。なによりも送球に不安があり毎日、神経をすり減らした。そんな時、井口は優しく声をかけてくれた。


最も凄さを感じたのは「握り替えの速さ」

「オギ、あまり考えすぎるな。いい意味で、もっと適当にやればいい。適当に投げた方がいい結果が出る」

 その言葉に逃げ出したい気持ちは吹き飛んだ。

「いろいろと励ましていただいて、やるしかないと思えるようになりました」。ただ、シーズンに入っても迷惑をかけることが多かった。送球はなかなか思うようには安定をしなかった。それでも井口は涼しい顔でボールを処理してくれた。体勢を崩すほどの送球から併殺を奪ってくれたこともあった。

「二塁があの人で助かったことは多かった。安心感があった。一番すごかったのはボールの握り替えの速さ。グラブでとって、すぐに送球に転じていた。そして、どんな体勢からでもスローイングできる人だった。スーパースターと二遊間を組めたのは本当にいい経験になりました」

 荻野はその年、残念ながら5月に右足を痛め、戦線を離脱した。翌年からは足の負担を考慮し、再び外野に再コンバートされた。だから、その後は遊撃として井口とコンビを組む機会はなくなった。ただ、それでも一緒に過ごした日々は宝物だ。そしてその中で垣間見た練習に取り組む姿勢は荻野にとって大事な指針となっている。


引退表明でこみ上げた寂しさ、「もっともっと間近で見たかった」

「黙々と練習に取り組まれるのですが、1日のルーティンがしっかりと決まっている。そんな中で集中をしてメリハリのある練習をされていた。ダラダラしているところは見たことがない。そして何事にも手を抜かず全力疾走。あの年でどんな練習にも全力で取り組む姿は凄いと思う」

 6月20日、背番号「6」が引退を表明した時、寂しい想いに苛まれた。色々な思い出が走馬灯のように蘇った。なによりも濃く想い出されたのが二遊間を組んだ時の日々だった。わずかな期間で苦しい毎日だったが、大ベテランとコンビを組み、色々なアドバイスをもらえたことは大きな財産だと感じた。

「まだまだやれる感じがする。もっともっと間近で見たかった。最後の試合、そのすべてをしっかり目に焼き付けたいと思います」

 優しくかけられた言葉の数々。見せてくれたスーパースターの背中。ここまで思い描いたプロ生活が送れているとは言い難いが、共に過ごしたことで得たものを糧に、大先輩が去った後のグラウンドで喜んでもらえるような活躍を見せると誓う。まずは9月24日、ZOZOマリンスタジアムでのファイターズ戦。目の前で背番号「0」は躍動してみせる。

(マリーンズ球団広報 梶原紀章)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)


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