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父の死

2017-01-03 21:06:15 | 日記
先日、父が亡くなった。亡くなったのは息子の誕生日。
父は夏の終わり、身軽に検査入院したはずだったのにそのまま長い闘病生活に入ってしまった。ずっと自宅に帰ることを望んで、食べれなくなったのに「食べないと帰れないからな。」とひたすら言っていた。

病名がわかったとき、若い担当医は涙目で告知してくれた。悪い細胞が身体中の骨髄に転移しており、もはや手の施しようがなく、年齢も高いのでこのまま死を待つしかないのだと。私が泣くはずだったのに医師に出鼻をくじかれ、なぜだか涙をのみ込んだ。
そういえば、夏に肩が痛いのだと言っていたっけ。いつものことと笑って済ませていたのに。

この4か月はあっという間だった。母がかつて入院していた同じ病院での入院生活。鎮痛用の張り薬と点滴の毎日。父にまつわるエピソードは数々あった。
最初は、床屋に行きたいと勝手に着替えて、病院地下直結の地下鉄に乗ろうとして看護師に取り押さえられたこと、夜眠れないと看護師に話相手にナースステーションにいつまでもいすわっていたこと、後半期トイレに行くときは、到底起き上がれないはずがいつの間にか起き上がって小走りして行き、みんなを驚かせたこと。いろんなことがあった。

少し病気が平行線となったとき、担当医師から私か弟かどちらかに近い病院へ転院することを勧められた。
「どっちがいい?」と聞いたら「おまえのところでええわ」。え、私ですか?「やはり娘のところの方がいいのだよ」と周囲から言われ、覚悟を決めたけれど、転院の話が出たのもつかの間、悪化してあえなく転院話は立ち消えになった。

最初は帰りたいと言っていた言葉も亡くなる数週間前には「もうだめだ」とつぶやいていた。
飲むことはなんとかできても食べられず、どんどん痩せていく。悪い細胞も栄養のない身体では進行も遅く成りを潜めているかのようだった。

毎週毎週、往復200キロ以上の道のりを走って病院に向かった。午前3時に病院からの連絡で危篤だと言われたこともあった。
忙しくてこんな時に、父さん、死なないでよと暗に願ったことは何度もあったけれど、ほんとうに持ち直してくれ続けた。

結局、周囲には迷惑をかけずに死んでいった人だった。今年の仕事の予定もほぼ終え、忘年会の翌日、病院に向かう途中、病院から危篤の電話。
2度目だったが、落ち着きそうと看護師から言われ、「念のため処置室に移すからそこで一緒に泊まっていってくれた方がいい」と。
手を握ると、冷たかったという手がほんのり温かかった。酸素吸入されていたが
「お父さん、わかる?」と聞くと、うんとうなずいた。
そして、、あっという間に意識が遠のいたようだった。だんだん穏やかになっていったかと思ったらいびきをかき出し、そして静かに静かに身体の中で動いている臓器がひとつひとつ停止していくようだった。もはや瞳孔が開いている。2時間のうちに父は苦しむこともなく死に至ってしまった。
私は間に合った。父は私がわかったのだと信じている。最後の最後に娘の私を認識して死んでいったのだと。
お父さん、死ぬ間際には私のところに出てきてよねとずっと思っていた。離れた病院にいるのだから、到底、父の臨終には間に合わないと思ってきたからだ。しかし、何かの力で引き寄せてくれた。私は自分が死ぬまで、父の最期を忘れないだろう。
弟は間に合わなかったのに。母の時もそうだった。意識もないはずの母が病室を出るときに私を目で追いかけて見たように思えた。あの時、なぜか私は母と会うのはこれが最後ではないのかと思ったのだった。そして母の死の知らせ。
私たち親娘は何かずっと目に見えない絆で結ばれているのだ。

私は、見えない世界のことは信じていない。だが、何か縁というものはあるのかもしれないと思う。

父の晩年は、寂しい日々だったと思う。寂しがり屋でわざとにぎやかにしているのが好きだったはず。母が亡くなってから3年ほどの間、何を考え、何をしていたのだろう。私のところへ来るかとたずねても、「ここにいる」とひとりでいることを決めていたようだった。
母が元気なときは、母にこんなにもさせなくてもと思うほど何もかもさせていたはずなのに、母の入院後、すべてが変わった。食事も掃除も洗濯も自分でしっかりやっていた。そして、毎日、2,3度、病院に行き、母の身の回りの世話をしていた。

入院後の父はいつも前向きで、愚痴などひとつも言わなかった。おそらく痛みが強かったはずなのに、一度だけ膝が痛いと言っただけだ。弟が葬儀で弔辞を読んだときにそんな話をして、はたと気づいた。ほんとうに我慢強い人だったのかもしれず、これまで私が思っていた父とは違う父がいたのかもしれない。

もはや父については知ることはできないが、晩年の父は私には遠い人だったように思える。いま、私も年を重ねてきている。また、いつかめぐりめぐって父のように私もなるのかもしれない。だが、おそらく私には想像もつかない。わがままばかり言ういやな母として息子や娘に印象付けて死んでしまうに違いないと思うから、父のような人にはなれないと。
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